第226話 総統閣下は、思考を沈降させ現状を再確認する。意外とこういう所は転生者っぽい総統であった
その日、ドイツ総統アウグスト・ヒトラーは思考を”沈降”させていた。
より深く”ヒトラー
日英同盟との停戦が成って以来、状況は余りにも目まぐるしく推移していた。
だからこそ、現状を明確化し、今後の
「コーカサス油田への侵攻が不必要になったのは、素直にありがたい物だ」
今生のドイツにも人造石油(液化石炭の合成燃料)の精製技術もプラントもある。
具体的には、ベルギウス法やフィッシャー・トロプシュ法を用いて、石炭から理論値年間650万tの合成燃料が精製可能だ。
だが、人造石油には固有の問題があった。
一つは、燃料として精製するまでにコストがかかり過ぎること。
例えば、今生におけるドイツの標準航空機燃料は史実のC3燃料(96オクタン)準拠なのだが、実は史実と意味が少し違っている。
C3燃料は平たく言えば、”オクタン価96のガソリン”、現代日本で言えば”ハイオク”に該当する意味しかなく、これが石油由来なのか石炭由来なのかは問題とはならない。
ちなみにB4燃料も”オクタン価87のガソリン”で、”レギュラー”扱いだ。こちらは、主に車両に使われているようだ。
そして問題なのはC3もB4も、石炭由来の合成品は石油由来のそれに比べて燃料として精製(製造)するのに倍以上のコストがかかるという事だ。
更に精製量の問題もある。
650万tと言うと多いように聞こえるかもしれないが、この世界線におけるドイツは、民生用……自動車燃料としても普通に販売されている。
史実のドイツとの大きな違いは、戦争景気により民需が非常に活発であるという事だ。
そして、史実では事実上、失敗したモータリゼーションも、この世界線ではアウトバーンと”国民車計画”を象徴とし、戦時下でありながら目下急速に拡大している。
トート機関の活躍もあるが、逆に戦時下ゆえの大胆な施行が可能だった。
そもそもヒトラーは、略奪・収奪などのその場限りの短絡的な方法で軍事費を戦争を遂行しようとは考えていない。
国力の富裕化、土地と人口を拡大し、その経済を活性化させ税収を底上げする恒久的な方法、正しく”富国強兵”の方針を遥か以前より固めていた。
その為に占領した国々をさっさと親独政権になることを条件に再独立させ、国際社会に復帰するように後押しまでしたのだ。
それは即ち、ドイツという国家にとっても利のある「友好的な貿易相手国」の確保の他ならない。
太古より、通商や交易というのは大きな利益を生む。
史実のヒトラーと今生のヒトラーの圧倒的な認識の差の一つは、この世界線のヒトラーは「民族資本と略奪行為で戦争できる」なんて甘い考えは持っていない事だ。
経済的に劣勢な側が勝利した国家間戦争は、基本的に稀だ。
戦争とは須らく、国家というシステムの衝突であり、それは同時に資本の衝突でもあるのだ。
富国強兵という発想は、ある側面においてとても理にかなっているのだ。
軍隊というのは金をかければ必ずしも強くなるものでは無いが、同時に金をかけなければ決して強くはならない物だ。
そして、軍隊というのは得てして不採算赤字部門確定で、投資先には全く向かない。
当然だ。国防……戦争というのは本来、生産性はない。
だから、軍隊は公共事業としてやるしかない。
収益が無く、際限なく金と命を要求するのが軍隊や戦争の性質だ。
だが、国家はそこにヒト・モノ・カネを投入するしかない。
無論、滅ばない為にだ。
そして、金を得て物を作る為には、市場を活況化するしかない。
ドイツという単独国家で賄えないなら、貿易を行い利ザヤで設けるしかない。
つまり、戦争を遂行するためには他国からの貿易黒字という資金流入も必要なのだ。
貿易収支というのはいつの時代にも勘定が難しいものだが、それでも行うしかない。
だからこそのさっきもあげた占領国の再独立であり、友好的なノルウェーやデンマークには侵攻しなかった。
また、オーストリア、チェコ、西ポーランドの併合は、巷で言われるようなゲルマンだのアーリア人だの民族だのと言う話ではない。
もっと実利的な……この先に必要と思われる工業力と労働力人口の確保のために行っただけだ。
だからこそ、史実では有り得ないくらいに併合国の国民を”甘やかして”いる。
違う表現をすれば、善政を敷いていた。
元がどこの国民であれ、どこの民族であれ、「今は同じドイツ人」という意識を持つように徹底的な
そして、国内に残るユダヤ人を「迫害している
ヒトラーにとり、数百万の有益な労働人口を含む民族を他国にばらまくなど下策も良いとこだ。
だが、ドイツに限っただけの話ではなく、欧州全域に残るユダヤ人への偏見や差別、第一次世界大戦の敗戦(”背後の一突き”)でより先鋭化したドイツ語圏の反ユダヤ主義、そしてユダヤ人自身が持つ被差別思想……これらを内包した上で、彼らを労働力として養うこととした妥協の産物が、
”強制収容所を僭称する
の設営という苦肉の策だ。
ヒトラー自身も、これが「まやかしの隔離政策」だという自覚はある。
だが、人工的にユダヤ・コロニーをシェルター化する以上の方法がなかった。
正確には、「誰にも目立った不利益を出さず、国益を出す」には、これ以上の方法が無かったのだ。
***
話の風呂敷を広げ過ぎたが……
史実と比べ物にならないほどの工業力と労働人口を抱え、また友好的な貿易相手国を持ち、フィンランドという頼りになる(ソ連に対して利害が一致する)同盟国まで得た。
「ソ連からの解放者」という
当然、元々反共同盟関係にあるルーマニア、ブルガリア、ハンガリーとの関係は良好な状態を続けている。
というか、常に細心の注意を払っている。
何しろ共産主義者が、常に切り崩しを試みているような状態だ。
更に日英同盟との関係も停戦から良好化の流れに乗れている。
利害が一致すれば、日英は”時の氏神”となることをヒトラーはよく理解していた。
実は、バトル・オブ・ブリテンを始め、英国にあっさり味の一当てをしたのは、実は「実力を測る」という側面が、少なくともヒトラーには強かった。
はっきり言って、”弱い相手”なら手を組む必要がないからだ。
英国が弱ければ、史実
しかし、英国もまた史実と異なる
彼らもまた「米ソの踏み台にされ、”ドイツへの噛ませ犬”として使い潰された」ことで発生した”戦後の大衰退”を拒否してる事を確認できたからだ。
ちなみに日本に関してはあまり心配はしていなかったようだ。
明らかに前世の大日本帝国ではないし、何よりユーラシア大陸の反対側、そこまで状況に大きな影響が出るとは考えていなかった。
ただし、それは大きな誤算だったと今は反省している。
ぶっちゃけ、戦争に影響が出まくっていた。
それこそ、洒落にならないくらいに。
その一端が、今回の話だ。
ドイツは確かにコーカサス油田を求めていた。
慎重に細心の注意を払って計画を練っていた。
カスピ海まで侵攻するのはリスクが大変大きく、維持するのは更にリスクが大きく、また仮に万難を排除できたとしても、輸送コストが膨大になることはわかりきっていた。
だが、それでも進出する価値はある………ペイできると判断された。
その理由は、史実のドイツよりも更に”
上記に挙げたように、今生のドイツは、史実とは比較できないほどの”巨大産業複合体”だ。
そして、そのような国家において、”たかだか650万t
プロイェシュティ油田の産油量を足しても、正直、今は足りていてもこの先の消費の拡大を考えれば心もとない。
加えてエネルギーコストの問題もある。
純粋な国防上の理由で、「緊急事態に備えて代替燃料を確保・備蓄する」目的、採算度外視で行われるそれならともかく、民間に「他国石油の2倍以上の値段の自国合成石油を使え」などとても言えたものじゃない。
その時点で、国際競争力はガタ落ち、明らかに経済に悪影響が出る。
だからこそのコーカサス油田占領計画だったのだが……
「ある側面から見る限り、”戦争は変わった”」
史実のユーロに代わる”大マルク経済圏”と事実上同義の”レーヴェンスラウム”の創出という目的は変わらない。
共産主義者と戦うのも止めはしない。
だが、安定的な……それも必要にして十分な量を金銭で(常識的な値段で)確保できるとなれば、戦争計画の変更も待ったなしだ。
「地中海からの安定的石油供給が行われるまで、いかにプロイェシュティ油田を守るかも重要だな」
彼は、心持ち上機嫌に”ドイツ連合黒海艦隊報告書”と銘打たれた軍機のスタンプが押された資料を読み始めるのだった。
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