第223話 スギウラ多国籍調査団 ~雉も鳴かずば撃たれまい~
1942年6月初旬、”カティンの森事件”のプレ調査という名目で、”第二次スモレンスク防衛戦”で捕虜になった「非ロシア人赤軍捕虜」の尋問を、国連主催の”カティンの森国際合同調査団”で執り行うこととなった。
メンバーは、日英独三国より推薦のあった人権派外交官”杉浦千景”を団長に、ホスト役のドイツはもちろん、日英、同じソ連の被害者であるという立場からフィンランドとバルト三国、ウクライナ。ベラルーシは参加を見合わせていた。
そして、ドイツ監督下で暫定政権が置かれた東ポーランドと英国に亡命中だった旧ポーランド政府の合同調査チーム……つまりは当事国、ある意味において”主賓”であった。
「何という事を……」
彼らが中央アジア、史実では後にいわゆる”○○スタン”と付くソ連邦の構成国、その国々の代表者から得た話はとんでもない内容だった。
彼らはそもそも何処に攻め込むのか説明を受けてなかった。
ただ、狩り集められ簡単な軍事教練と武器の扱いだけ教えられ、スモレンスクまで連行されたというのだ。
しかも、その理由が酷い。
『徴兵に応じれば、残された者の「安全」は保障する』
先ずは、”生活を保障する”ではない事に留意して欲しい。
これはつまり、
『徴兵に応じるなら身内は”粛清はしない”でおいてやる。だが、拒否したり裏切ればわかっているよな?』
という意味だ。
日本人には馴染みが薄いが、これらの地域ではソ連軍の侵攻に対して主にテュルク系民族を中心に大きな抵抗運動が起きてるのだ。
無論、ソ連はいつものように血生臭い弾圧でそれに対抗した。
故に、ロシア人の頭には「(連邦を形成してるのだから)粛清しないことが当たり前」という発想はなく、粛清と弾圧を行うことが当り前で「粛清しないことは、対価が必要なこと」なのだ。
つまり、彼らは家族を、あるいは集落を守るための”
無論、”粛清しない”という約束が守られる保証は、どこにもない。
だが、彼らはそれを受け入れてしまっているあたり、ここにも”タタールの呪い”痕跡が見て取れる。
更に彼らは、「自分達を赤十字の捕虜リストに記載しないで欲しい」と懇願しだした事に驚いた。
理由を聞くと、
「団長殿、ソ連は捕虜になった時点で”敵に寝返った”とみなします。赤十字の捕虜リストは、そのまま”粛清リスト”に転用されます。ソ連が捕虜交換に応じることはありません。仮に応じたとしても自分達が捕虜交換などで戻れば処刑されます。また捕虜リストに名前が記載されソ連に渡った時点で、家族や一族、あるいは集落が粛清されます」
残念ながら、これは
赤十字が良かれと思って作成した捕虜リストを片手にソ連に捕虜交換に応じるように説得したが、それが実ることはなく、むしろ手に入れた捕虜リストを粛清リストに転用したという事例は、実際に記録として残っている。
杉浦は、すぐに赤十字の高官と会談を設け、事実確認……その現実を把握しているか問いただした。
赤十字側は言葉を濁した。事実確認ができてる訳では無いし、確証があるわけでもないが、全く何も知らないという訳でもなさそうだった。
そう判断した杉浦は、丁重に
「捕虜たちの身柄やその肉親や一族、集落の安全を考慮し、少なくとも私が団長を務める一連の案件に関して一切、捕虜リストの作成に協力できない。また捕虜たちが祖国にいた頃の扱いを鑑み、ソ連との捕虜交換交渉は不可能と判断する……彼らは、ソ連より赤十字が保護対象する”人間”として
という旨を告げた。
また、赤十字の中に工作員や共産主義シンパが潜り込んでいる可能性、そして彼らが抗議や同じく左派メディアを動員して世論を操作する可能性を鑑み、急遽、ジュネーブの国際連盟記者会見場で、”緊急報告”を行ったのだ。
まさにスピードとの戦いだった。
その内容は、
「ソ連が赤十字が善意で作成した捕虜リストを粛清リストとして悪用している」
という報告から始まり、彼らが何故、如何にしてスモレンスクに連れてこられたか30年代の中央アジア諸国の惨状まで遡り暴露したのだ。
無論、文章化した証言資料もセットで配布した。
捕虜やその周辺の安全のために、
「人道的な見地から、少なくともスモレンスクで発生した非ロシア人ソ連軍捕虜に関する情報公開は控えさせて頂く」
と発言したのだ。更に、
「ソ連の戦争犯罪はこれにとどまらない。ソ連の住民虐殺や拷問などの被害を受けたという国々は、今回とは別件で、より大規模で包括的な国際調査を行うソ連の戦争犯罪に対する多国籍調査委員会を立ち上げるべきです」
と訴えた。
実に上手いのは、彼の発言に赤十字への非難や活動の否定は一切含まれていない事だ。
実際、杉浦に赤十字の活動を否定する気持ちはなく、ただ
『彼らは彼らの仕事をしているだけ』
ソ連相手に彼らの理念が通じる道理はなく、現実を認識しつつ割り切るべきは自分だと言い聞かせた。
何というか……善意だけでここまでやってしまうあたり、流石に来栖任三郎の後輩外交官というべきかもしれない。
史実同様に、もしかしたら皇国外務省に長居できない(定年までいられない)タイプなのかもしれない。
***
無論、反発は起きた。
米ソの反応は言うまでもないだろう。
『『スギウラは噓つきの詐欺師だっ!! 直ちに調査団長から解任しろっ!!』』
そして、それに呼応したのが赤色汚染が進行した世界中に掃いて捨てるほどいる左派マスゴミだ。
こいつらは現代においても、悪性腫瘍のごとくいつの間にか湧いて勝手に増殖するから困ったものである。
『スギウラの発言は調査団の権限を逸脱しており、赤十字を蔑ろにしているっ!!』
という判で押したような論調だった。
彼らは、都合よく”スギウラ
だが、いつもの世論操作での勝利を確信した
特にソ連と敵対している、ソ連の被害を受けた国々が官報で、あるいは公共ラジオ放送でスギウラ中央アジア捕虜発言やその詳細レポートを公表するに至ったのだ。
つまり、杉浦の発言が「各国政府の事実として公式に認められた」という事だった。
そして、「報道しない自由を行使し、事実を歪曲した」複数のマスゴミは、背後関係を徹底的に洗われ、余罪追及の上で防諜系の罪状で引っ張られ投獄、中には余罪が追及され外患誘致やら外患誘致幇助、国家反逆準備罪など諸々の複合罪で処刑に至ったケースもあった。特に日本皇国とかで。
見せしめとかではなく、”いつものこと”だ。
”雉も鳴かずば撃たれまいとはよく言ったものである。
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無論、各国が動いたのは急に正義に目覚めたという話ではない。
もっと生臭く、生々しい話だ。
まず、前提を話そう。
杉浦はいきなり国連で記者会見をしたわけではない。
カティンの森調査団の各国代表に理由を説明し、各国に発言の内諾を得られるように働きかけた。
そして、代表団の構成はソ連の敵対者か被害者ばかりだ。
彼らは、「少しでも怨敵にダメージを与えられるなら」と喜んで協力に応じた。
つまり、根回しは済んでいたのだ。
そして、それを受けた各国代表なのだが……
実は、当然のように”中央アジアの惨状”は、濃淡はあれ現状は把握していたのだ。
各国の情報部や首脳部も遊んでいる訳ではない。
だが、「欠片ほども付き合い(=利害関係)のない国」の出来事であり、所詮は他人事だった。
おまけにどんな理由があれ共産圏、敵対者であるソ連邦に組み込まれているのだ。
近衛首相じゃないが、「アカ共が勝手に間引きしてるんだ。内政干渉の面倒抱えてまで口を出す必要もない」というスタンスだった。
国際政治の非情な一面である。
しかし、そこに一石を投じたのが杉浦だった。
彼は、
《b》”本物”《/b》
だった。
見ず知らずの、聞いたこともないような民族の為に損得勘定抜きにして動ける希少な”生粋の人道主義者”だった。
だからこそ、関係各国政府は共謀して、国連で緊急会見が開けるように手配したのだ。
無論、人道的見地からでもましてや杉浦に感銘を受けたわけでもない。”スギウラ発言”を盛大に、そして徹底的に政治利用する為に。
彼らの職業は、”政治家”なのである。
人道より国益を優先するのが当然だ。自国の利益より人道を優先する政治家など、国家と国民にとり害悪でしかない。
無論、胴元である杉浦もそれは承知の上だ。
杉浦千景という男は、フォン・クルスがただの来栖だった頃に言及したように、確かに人道主義者だ。
だが同時にリアル日本では絶滅危惧種(あるいは昭和に絶滅した)”外交狸”の一匹であることもまた、疑いようのない事実であったのだ。
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