第222話 サンクトペテルブルグ総督からのキラーパスを、日本皇国首相はどう処理するか?




 1942年5月末、東京永田町、首相官邸

 

「ハハッ! こいつぁ、いいや!!」


 ドイツ政府が発起人となった”多国間石油バーダー取引草案”を見ながら、日本皇国挙国一致内閣首相である近衛公麿は愉快そうに笑った。

 

「関わる5ヵ国がどこも損をしないように、いや多かれ少なかれ得が出るようにキッチリ調整されたやがる。ん? 原案製作者は……ん? ”Ninseblau von Cruz dir Sankt Petersburg”? ああっ、来栖の奴か……ククッ、一国のエネルギー政策のプランニング任されるとは、随分と出世したじゃねぇか♪」


 そして、笑みを深めて……

 

「だが、アイツの発案だってんなら頷けるな。それに結構しっかりドイツ人してるようで何よりだ」


「それは、どう言う意味だ?」

 

 とは先輩であり、頼れる相方でもある前総理、現内閣官房長官の広田剛毅だ。


「広田サン、こいつぁどこの国も得はするが、結果的に一番得するのはドイツなんだよ。日本は原油運送コストを削減できてお得、英国はジブラルタル・大西洋にドイツ人のタンカーが通るなんて余計な緊張を招かないからお得。なんせ昨今、ヤンキーがアイルランドで怪しい動きしてるからなぁ。ただでさえアフリカの権益拡大で忙しいのに、面倒事は避けたいだろ?」


「それは納得できるが……」


「オランダは我が国と同じく運送費を削減した上でドイツに原油を売りつける……じゃあねぇな。現物支払いで復興資金返済ができるからお得。しかも、ドイツから差額分の石油がパイプラインを通して定期的に入ってくる。フランスも似たり寄ったりだが、港とパイプラインの使用料で復興資金返済に当てられる上に石油のおこぼれにもあずかれる。パイプラインの設営も返済が終われば十分にペイできる。継続的な国家収入源の、しかも安牌だ」


 そして近衛は一度言葉を区切り、

 

「だがな、ドイツの”得”は、それらとは次元が違うのさ。アメリカがバックに付いたソ連とドンパチやってる最中さなかに、”誰もが手出ししにくい安全なルート”で、”高品質が保証された石油”が入ってくんだぜ? ドイツが対価として支払うのは金だけだ。これがどれほど異常な事なのかわかるかい? ドイツはこれまで石油資源をソ連の目の前にあるルーマニアのプロイェシュティ油田に頼りきりだったんだ。それがどれだけリスキーだったか、わかるだろう? 頼りになる油田が本国の樺太油田しかなかった時代を日本だって経験してんだ」


 そして近衛は楽しそうに、

 

「しかもその金すらも、考えようによってはお釣りがくるのさ。ドイツは、これでわざわざ大枚はたいてコーカサスの油田に無理に攻め込む必要がなくなる。その戦費が丸々浮くんだよ」


 すると広田は腕を組み、

 

「ドイツの国家戦略やドクトリンが本質的に変わると?」


「ああ。変わるな、間違いなく」


 近衛は頷き、

 

「ドイツの狙いは、あくまで”ドイツの恒久的安全圏レーヴェンスラウム”の確立だろ? モスクワもスターリングラードもいらねぇが、コーカサスは石油資源の為に必要不可欠だった。だがその前提が崩れたとなると……」


 近衛は地図を取り出し、

 

「ドイツの南方軍集団は、クルスクとヴォロネジを落としちまった以上、次に狙うのは”カメンスク=シャフチンスキー”と”シャフティ”だ。おそらくヴォロネジ・クルスクに防衛用の駐留軍残して工兵隊入れて要塞化工事はもう始めてる筈だ。それとは別の部隊がもう動いてる筈だぜ? ”クレムリン炎上”の余波はまだ続いてる。南方での目立った動きはスターリングラードへの兵力集中だ。ロシア人は、シャフチンスキーとシャフティには、さほど防衛線力を回してる様子はない」


 そして、近衛は思考をまとめつつ……

 

「だとすれば、ドイツが次に狙うのは黒海の聖域化……”ロストフ・ナ・ドヌー”と”クラスノダール”だろうな。おそらく、”ノヴォロシスク”はその後……”セヴァストポリ要塞”を無力化した後だろうな。順当に行けば」


「理由は?」


「”例の艦隊・・・・”を動かした方が、セヴァストポリ要塞とノヴォロシスクは落としやすいんだ。あと、余裕があれば”サラトフ”は、その前に落とすかもしれん。あそこには開戦までドイツ人コミュニティーがあり、80万人が住んでいたが……そいつが、開戦と同時に強制移住されてるんだ。ドイツ人には因縁のある土地さ。そして連中には”同胞を返せ”って大義名分もある」


 そして、ニヤリと笑い、

 

「おそらくは東部南方戦線は一旦は確実にここで止まる。石油が手に入る以上、これ以上攻め込む理由がなくなるからな。さらに攻め込むかは、その後の国家戦略ドクトリン次第だろうが」


 広田は息を突き、

 

「それでこの話、受けるのか?」


「受けるさ。断る理由がない。広田サン、野村サンと一緒に意見をまとめて皇国の方針を英国に伝えよう。実働は来年からの話だが、準備は進めておいた方がいい」


「もう一度、確認するが……良いんだな? 確実に米ソと関係は悪化の一途になるぞ?」


 何せこの決定は、確実に独ソ戦に大きく影響を与える。それもドイツ有利の方向にだ。

 

「今更だろ? それに米ソの嫌がることは、大抵は我が国にとって慶事だ。それとフランスから打診されていた”シリアとレバノンの独立”もこの話に絡めようぜ。石油の供給元が増えればドイツも喜ぶだろうさ。フランスも港で扱う量も増え余った石油もバーダー分に上乗せしてドイツに転売できて幸せ。英国も自国の石油がドイツに使われるわけでもなく面倒事から切り離されて幸せって寸法だ。というか、英国は皇国がシリアとレバノンに駐留することを歓迎しているフシがある。吉田サン経由の書簡からもそれが伺える。”委細承知”だそうだ」


「やはり、英国も中東のきな臭さを無視できなくなってきたか……」


「まあ、当然だな。石油利権を持つイランに堂々と米ソが手を出してきたんだ。それもレンドリース品搬送目的でな。そして、そのお隣は親英のイラク王国に英国委任統治パレスチナだ。アイルランドで米国が怪しい動きをしていて、英国人自身は新たに得た中央アフリカの資源有効化に忙しい。気が気じゃないだろうさ」




***




 少しだけ解説が必要だろう。

 実は、この世界線では1941年の”イラク・クーデター”は、首謀者であるアラブ主義者のイラク軍首脳部”ゴールデンスクエア”の逮捕と処刑ではなく”処理”により未遂に終わり、結果としてアングロ=イラク戦争(紛争)は起きていない。


 理由は細かく見ていけばキリがないが、大きく言えば史実ほど英国の北アフリカから中東にかけての英国駐留軍が疲弊してなかったというのが大きい。

 思い出してほしいのだが、リビアではトブルクで日本皇国軍がケツ持ちしてドイツ・イタリア軍を返り討ち、英国軍は無事にエジプトへ戻れている。

 ギリシャでは本土ではドイツ・イタリア軍に敗れたが、クレタ島で再び日本がケツ持ちし、返り討ちだ。

 タラントではイタリア海軍を全滅させたし、喜ばしい事にドイツ軍は(今にして思えばバルバロッサ作戦の為に)その後にアフリカからもギリシャからも手を引き、停戦まで成立した。

 また、当時はまだ仏領赤道アフリカが売却される前だったので、一時的に大きな余力があった。

 そんな状況だったので、ケンブリッジ・ファイブが排除された英国諜報部のスパイがクーデター計画を発見し、”SAS”の紳士たちが秘密の会合場所に押しかけ首謀者と関係者を捕縛することくらい、容易だった。

 

 処刑じゃなかったのは、アラブ主義者の彼らを”見せしめ”にすると、”殉教者”になってしまう恐れがあったから。

 なのでカバーストーリーは、「クーデター計画が発覚し、極秘裏に国外逃亡した」事になっている。

 ただし、国外に居るのは間違いなく、どこかの砂漠の砂の下に埋まっているだけだ。

 無論、生命活動はとっくに停止しているが。まあ、諜報界ではよくある話である。

 

 

 

「そういう意味においても、皇国軍が隣国のシリアとレバノンに駐留するのは、彼らにとっても地域安定のために都合が良いってことさ。だが、同じくシリアとレバノンに”必要以上に歓迎・・・・・・・”されてるのが厄介なんだが」


 本来、他国の軍に進駐されるのは占領と同義で、普通は歓迎されない。それどころか反発と抵抗運動案件だ。

 だが、シリア人もレバノン人もバカじゃない。むしろ商業の民で、損得勘定に頭が回る。

 また、商人にとって情報は値千金の宝だ。

 彼らは、同じイスラム圏であるリビアで日本がどんな統治をしているのかつぶさに観察していたのだ。

 おまけに今回のお題目は、”両国の委任統治権を譲られた日本が独立支援”だ。

 そして、そうであるが故に両国は、

 

『共産主義者に先導された過激派民兵組織が国内で騒乱を起こすと、独立もままならない』

 

 という名目で、”シリアとレバノンから”軍の駐留要請が来たのだ。

 日本人は「額面(お題目)通りの仕事をする」事が知れてしまった故の判断といえた。

 要するに、体の良い”用心棒”である。

 

 現在が、第二次世界大戦と呼ばれる戦乱期であることは確かで、根が商人である彼らは金で武力を雇うことに抵抗はなく、むしろ当然と考えていた。

 おまけに料金は現物、民族の手に戻ってくる油田から湧き出る石油の現物払いで良いというのだから、至れり尽くせりだ。

 皇国軍は傭兵じゃない?

 だがそれは、日本人の理屈だ。

 払い先が民間軍事会社か他国政府かの違いで、金で武力がやってくるのだから同じ事というのが、彼らの理屈だ。

 

 無論、独立まで出来れば手切れ……なんて事は考えていない。

 同じ石油の現物払いで、近代的な港や化学コンビナートの整備、国家や軍の近代化などを”リビアという前例・・”を作ったために要求してくることは目に見えていた。

 無論、近衛にもそこまで読めていたわけで、

 

「まあ、全ては中東の安全と安定につながるし、手を抜かなければ富は産むんだ。ここは腹をくくるしかないだろ?」

 

 なんのかんの言いつつ、近衛もまた骨の髄まで日本人であったのだ。

 どこかの総督と同類である。

  


「広田サン、来月の中頃に”カティンの森”の視察と調査が始まんだろ? それをカモフラージュにして、各国とこの件について会合できるようにセッティング頼めるか?」


「いいでしょう。そっちの方は野村外相とやっておこう」


「助かる。広田サン、直感だが今年と来年で、戦争の盤面は大きく変わるぜ? その結果が、明確な形になるのが44年あたりだろうな」

















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