第220話 盛大な上映会 ~ベルリン国立歌劇場にて~
気絶から目覚めたら、”ヴォロネジ”が陥落していた。
これが、ソ連書記長のスターリンの身の上に起きた事だった。
まず考えたのは、何とか持ち出せた大事な”粛清リスト”から、誰に責任を取らせようかと吟味する事だった。
そして、選び終えた後に愕然とした。
ベリヤやNKVDに調査させたところ、クレムリン詰めの粛清対象者の殆どが”行方不明”になっていたのだ。
この場合の行方不明は、単純な「どこへ行ったかわからない」ではない。
80機の爆撃機が落とした徹甲榴弾とクラスター焼夷弾は、文字通りクレムリン宮殿を消し炭に変えていた。
逃げ遅れた”
短時間の集中爆撃による火力の集中と焼夷弾の密度が高かったこと、また徹甲榴弾が貫通した内部は可燃物の塊であり、また元々貧弱にして脆弱だった消火設備(そもそも、この時代のソ連にまともな消防法は存在しない)が最初の徹甲榴弾爆撃で配水パイプや発電設備が破壊されほぼ機能不全に陥り、その直後に開始されたクラスター焼夷弾爆撃に全く対応できていなかったのだ。
無論、クレムリン付の消防隊は居るにはいたが、”炎の竜巻”……火災旋風まで起きた現状では、奮闘していた消防隊も成す術もなく次々と火勢に飲み込まれていった。
更にバックドラフトやフラッシュオーバーという現象も頻発した。
これでは、モスクワ市内各所から駆け付けた消防隊がいくら散水しようと、文字通りに”焼け石に水”だ。
また、彼らは総じてこれほどの火災を経験したことはなく、付け加えれば”水をかけても消えない”テルミット火災であるに全く気づいていなかった。
彼らが悪いのではない。
そもそも、焼夷弾によるテルミット火災だとわかり、適切な消火活動を指示できるのは軍人くらいだ。
彼らは軍人ではなかったのだ。また、軍人も手が空いていなかった。
そして、それらの火災現場の有様ははクレムリン上空に留まり、高高度から一部始終を望遠カメラで撮影していたJu86の銀塩カメラや望遠カメラにもバッチリ捉えられていた。
更にクレムリンというのはロシア語の”城塞”という意味であり、また歴史的に何度も増改築されていた為に、煙や炎に包まれる中、素直に中の人間が外へ逃げれるような構造にはなってなかったのだ。
つまり、勤務者の大量焼死は必然だった。
行方不明というのはつまり、損壊が酷くて人間の遺体かどうかも確認できず、仮に確認できたとしても大部分の焼死体が個人特定不可能という事を物語っていた。
結局、スターリンは生き残りの(主にクレムリン外に居た)共産党員や官僚や役人を搔き集め、何とか政務の再開を試みたものの……
しかし、職員と一緒に多くの重要書類が焼失したことで、政府機能の完全復旧は当面は目途が立たないことが判明した。
要するに極端な中央主権国家の弱点が見事に露呈したのだった。
この致命的な政府管理機能の麻痺こそが、まさにソ連という国家にとり致命的な遅延となったのだった。
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42年の5月に入っても、ソ連は能動的な一手を打てないでいた。
彼らができたのは、モスクワ周辺にかき集められるだけの兵力を集め、また周辺のヤロスラブリ、サラトフ、スターリングラードといった重要都市の防護を固めることだけだった。
そして皮肉を言えば、上記の都市はドイツの42年の攻略対象には入っていなかったのだ。
さて、政府機能が部分的に機能復元した当初、スターリンは世界中に向けて、
『
と発表した。
ソ連にしては珍しく噓はいっていない。
きっと、スターリンも動揺あるいは動転して正気ではなかったのだろう。
実際、爆撃の被害はクレムリンに集中していたわけだし。
その「それでも平気と強がる共産魂」に感動したドイツは、返答としてコメントの代わりに”ベルリン国立歌劇場”に各国大使と報道特派員を招待(無論、大島大使も参加)し、
《b》ドキュメンタリー映画 ”クレムリン炎上”《/b》
の上映会を華々しく開催した。
そして、その記録映画のラストには、鎮火した……つまり”燃える物が
鑑賞を終えた各国大使やプレスからは拍手は起きなかった。
ただただ、言葉を失っていただけだ。
プレゼンは大成功。またしてもゲッベルス率いる宣伝省が連戦勝利記録を重ねた。
そして、この映像は希望する各国政府に無償配給する旨が最後に付け加えられた。完璧な演出だった。
***
ドイツの情報戦がこれで終わるわけもなく。
写真はでかでかと政府広報や新聞、雑誌などの一面を飾っただけでなく、”クレムリン炎上写真展”がニュルンベルクのゲルマン国立博物館やミュンヘンのドイツ国立博物館に常設される事が決定され、やはりそのプレオープンに各国大使や在ドイツ報道関係者に招待状が届けられた。
無論、写真の焼き増しも希望する政府にのみ受け付けた。
ソ連は”冬戦争”において国際的な非難を浴びたが、今回において浴びたのは国際的嘲笑であった。
つまり、ソ連は国際的にまたしても恥をさらしたのだ。
スターリンにとって、それは我慢できることではなかった。
だが、同時に臥薪嘗胆以外にスターリンもソ連もできることはなかった。
少なくとも自国の兵器とアメリカのレンドリース品で全ての準備が整うまで、”大反攻”の時までの我慢だった。
それまでソ連が土地をどれほど削られるかを、スターリンは考えてなかった。
もしかしたら、考えたくなかっただけかもしれないが。
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