第215話 そして静かに戦い終わりて ~ある将軍の回想~




「どう、なさいますか? 同志中将閣下」


「”どう”、とは?」


 スホーイは真っ直ぐにヴァトゥーチンを見て、


「最後まで戦えというのならば、我が使命として連隊ごと遊撃隊として出撃し、見事と玉砕してみましょう。ただし、」


 スホーイは一旦言葉を切り、

 

「残念ながら状況は好転しないでしょう。ドイツ人がウクライナ軍を前面に押し立てる、そしてウクライナ人が囮になるのを承知で戦っている……導き出される答えは多くありません。ウクライナ人は”ヴォロネジ攻略”の優先突入権を約束されていると推察されます」


「ど、どう言う事かね? 同志大佐」


 そう悪い人間ではなさそうな酒焼けした顔に丸みを帯びた体という組み合わせの中年政治将校に、

 

「ウクライナ軍が都市で蹂躙戦をしたがっている……という事でしょうね。チェキストあるいはNKVDがかつてウクライナで行ったことを、彼らは報復としてヴォロネジでそうするという事でしょう。そして、ドイツ人もそれを認めている」


「クルスクでは、そのような事はなかった。事前に降伏勧告のビラがまかれ、防衛隊上層の降伏を条件に市民と兵は、家財や食料を持ち出す猶予が与えられ、脱出を許された。追撃もなかったそうだ」


 そう呟くように告げるヴァトゥーチンに、

 

「なら、余計でしょう。クルスクで何もさせて貰えなかったウクライナ軍に不満が鬱積してる……我が軍に置き換えてみればわかるでしょう? 男は殺し、女は犯し、価値のある物は略奪し戦利品とする。古代からの戦場の慣わしです」


「同志大佐!」


 政治将校は咎めるような声を出すが、

 

「事実を今更覆い隠したところで仕方ないでしょう? NKVDが、あるいは我々赤軍がウクライナでやったことを彼らはやろうとしている。無論、我々を皆殺しにした後に。クルスクにあった降伏勧告がヴォロネジにないのは、そういうことです」


「……降伏すれば、市民の脱出は可能と思うかね?」


「ドイツ人相手に交渉するならば……ですが。彼らは現在、我が国を告発した関係でお行儀良くしなければならない理由があるようですから」


「ウクライナでは無理と?」


「彼らのプロパガンダによれば、我々は種籾まで収奪し数百万人を飢え死にさせたそうですから……」


 ヴァトゥーチンは苦い顔をする。

 それが事実だと知っている顔だった。


「え、援軍は!? 大佐、援軍は来ないのかねっ!?」


 狼狽する政治将校を、スホーイはむしろ憐れみを込めた目で、

 

「ドイツ人の侵攻が予想されるヴォロネジへの増援、戦力抽出を命じられたのは我々……トゥーラの部隊だけじゃない筈です。ですが、辿り着いたのは比較的遠くにいた我々だけだ。それが答えになりませんか?」


「そ、そんな……」


 よろめく政治将校に、

 

「仮に他に増援があったとしても、もう間に合いません。既に戦端は開かれ、我々は明確に劣勢です」


「大佐、我々がなすべきは軍人として最後まで戦うか、軍人として最後の責務を果たすべく降伏し市民の命を守るか……二つに一つ、かね?」


 スホーイは無言で頷いた。

 

「”ドイツ軍に”降伏しよう。勝敗は既に決した。我々に増援は無く、航空機も底をついている以上、頭上に爆撃機が飛んできても対抗手段はない。地上と空から住人ごと街を焼かれるのは、何としても避けねばならない」


 この決断は、後に”ヴァトゥーチンの大英断”として語り草となる。

 多くの市民を救った英雄の美談として……主にドイツ勢力圏でだが。
















************************************










 ヴォロネジの陥落が早かった理由の一つは、クレムリン炎上の衝撃(余波)でスターリンが政務不能になっていたことが大きいとされる。

 モスクワの総軍司令部にも共産党にも無線であれ何であれ、一時的に一切連絡が取れなくなっていた。

 それはそうだ。

 上層部だって、クレムリンは逃げ遅れた職員や党員、重要書類ごと消し炭になるわ、書記長はぶっ倒れるわで混乱していたのだから。

 

 だから、ヴォロネジは自分達で判断するしかなかった。

 そして、ヴォロネジには赤旗が降ろされ白旗が掲げられた。

 

 幸い、まずやってきたのはドイツのいかにも経験豊富そうな年配の法務士官だった。

 彼らは捕虜の取り扱いは、ジュネーブ条約、ハーグ陸戦条約に基づいて行うことを明言した。

 同時に、捕虜とするのは尉官以上の高級将校や政治将校に限られ、車両や野戦砲などの重火器備類の持ち出しは許可できないが、最低限の個人携行武器(拳銃、手動連発式の小銃など。殺傷力の高い短機関銃や手榴弾は省かれていた。ただし、予備弾倉は持ち出し不許可)や食糧などの持ち出しは許可された。

 また、共産党員は民間人扱いとし、市民と一緒に退去処分(ソフト表現)で済ませる事も確約した。

 無論、尉官以下の兵士や市民には3時間の猶予が与えられ、個人携行できる家財や食料の持ち出しも許可された。

 無論、公文書や機密書類を含む書類の持ち出しは許可されず、無理にあるいは隠れて持ち出そうとしたり、あるいは処分しようとすれば「降伏しても叛意あり=偽装降伏」として即時射殺処分とすることを明示するのも忘れていない。

 

 

 

 要するにクルスクと同じ扱いだった。

 また、退去期限を過ぎて街に残っていた者は、便衣兵テロリストとみなして裁判不要の処分することも明言する。

 これは、軍の統制下にないNKVD職員でも同じ処遇であると。

 法務士官は、クルスク占領で起きたいくつかの事例を示して説明していった。

 

「また、気を付けていただきたいのは退去行動中に我々に銃を向けてくる不埒者がいれば、我々は周囲に市民がいても処分しなければなりませんし、またウクライナ軍に対して同様の行動があった場合、我々は一切抑制できないのであしからず」

 

 つまり、降伏したのにまだ歯向かう跳ねっ返りは、問答無用にテロリストとして処分するし、ウクライナ人に手を出したらドイツはその後の行動は止めんよ……と宣言したわけだ。

 

 その話し合いが進んでる中で、珍事が起きた。

 発起人は、クルスクに続いてヴォロネジでも負けた下士官組合・・(?)だ。

 彼らは、自分達が再び”解放”されると知った途端、

 

「「「捕虜になれないのなら、せめて亡命させてくれ。ドイツと三度目の戦いになれば、今度こそ死んでしまう」」」


 と言い出したのだ。

 こんな事を言えば、普通は銃殺刑だが一時的に完全武装解除されている(装備は、街を出る段階で返却予定だった)ので、その心配がない。その心配が無いからこそ、起きた現象だった。

 法務士官は、尋ねる。

 

「……ウクライナに亡命したいのか?」

 

 すると亡命希望者は一斉に首を横に振り、

 

「そんな訳はない。ドイツに亡命させてほしい」


 彼らの心は既に折れ、ドイツ軍と再戦すること自体を拒否していた。

 まさか、それを見捨てることもできないので、

 

「分かった。亡命希望者は、郊外に設けた”ドイツ軍陣地”で待つように。クルスクで一時的に身柄を預かることになると思うが……調整ができ次第、ドイツ国内のロシア人コミュニティーがある地区へ受け入れが可能か打診し、許可があれば移住させる」


 無論、打診先は”サンクトペテルブルグ市”の他にない。

 他にもアテは無くもないが、一般市民ならいざ知らず、軍人であらばあそこが一番”安全”だ。

 実はこの法務士官、正規の軍服を着てるし、階級章も本物。法務士官資格は持っているが、実は所属はドイツ国防軍ではなくNSR(国家保安情報部)で、軍に出向している形になっていた。

 つまり、見た目はシュタウフェンベルクのお仲間だが、中身はシェレンベルクのご同業だ。(シェレンベルクも実際に、正規の軍参謀資格をもっている)

 

 なので、NSRルートで話を持ち掛ければ、何とかなるだろうと踏んでいた。

 最近、サンクトペテルブルグでは亡命ロシア人の正規部隊を編成するという話だし、下士官は増えて困ることが無いのは軍の常識だ。

 亡命ロシア人(捕虜になった者も含む)の夢の都会旧帝都暮らしが確約され、フォン・クルスの仕事がまた増えることが確定した瞬間だった。

 つまり、いつもの事だった。















************************************










 さて、皆さんは不思議に思わなかっただろうか?

 ヴァトゥーチン達は二度目のスモレンスク攻略戦の大敗を知らなかった。

 情報封鎖されていたのか、単に混乱だったのかは定かではないが。

 

 しかし、スホーイ大佐の連隊はやって来た。それもヴォロネジから北北西に直線距離で300㎞も離れたトゥーラから。

 そして、彼らがヴォロネジに辿り着いたのは、スターリンが卒倒中だ。

 

 思い出して欲しい。

 爆撃でクレムリンが炎上したのは、第二次スモレンスク防衛戦が集結した翌日。

 スターリンが卒倒して”いられた”のは、その翌日までだ。

 

 不可能とは言わない。だが、少々到着が早すぎはしないだろうか?

 しかも、”ドイツ人とウクライナ人が攻め込んでくる直前・・”に到着とは……

 

 では、そろそろ種明かしをしよう。

 そこは、クルスクに設置されたドイツ軍の尋問室だった。

 余人が入れない、完全防音のそこは尋問と呼ぶにはやや穏やかな空気が漂っており……

 

「”内部工作任務”、ご苦労だったな。おかげで無駄な血が流れずに済んだ。感謝する」


「いえ。当然のことをしたまえでです」

 

 そして、本来はNSR所属という法務士官は、

 

「流石、ウクライナ解放軍以来の歴戦の強者、見事なもんだよ。ストーイ・・・・ゼレンスキー・・・・・・大佐」


「お褒めにあずかり、光栄至極」

 

 スホーイ大佐改め、ウクライナ国防軍特殊作戦任務部隊所属、”役者”や”道化師”などの二つ名を持つストーイ・ゼレンスキー大佐はにこりと微笑むのだった。

 誤解の無いように言っておくが、ゼレンスキーという姓はウクライナにおいて、さほど珍しい苗字ではない。

 故に彼の子孫、具体的に孫か曾孫の世代がウクライナの指導者になるかは、不確定の未来だ。

 何より……ウクライナは明らかに史実の命運からは逸脱してるのだから。

 

 もうお分かりだろう。彼らは……ソ連の装甲連隊に扮した”ウクライナ国防軍特殊任務部隊”は、トゥーラなどから来ていない。

 実はドイツ軍が要塞化している都市のひとつ”オリョール”から、ノボモスコフスク→ヴォロネジと繋がる街道へはギリギリ装甲車両が通れる、ロシア人すらも忘れていた”抜け道”があるのだ。彼らは、そこを通ってきたという訳だ。

 無論、街道へ抜けた後もいくつかのソ連の検問所があったが、スモレンスクでの大敗で多くの”本来いたはずの本職の警備部隊”がいなくなった結果、臨時の、それも明らかに数が少ない見張り員に偽造されたヴォロネジへ向かう命令書を見抜くことはできず、何処からどう見ても「ソ連の正規部隊」にしか見えない事から、誰も疑いを持たなかったのだ。

 本職でもなく、ましてや他所よそから連れてこられて、いきなり検問所に立てと言われた赤軍兵を責めるのは、筋違いという物だ。

 

「しかし、ヴァトゥーチン中将がこちらの策に乗ってくれてよかったですよ」

 

「もし、乗らなかったらどうしていたかね?」


「計画通り、司令部を制圧しただけですよ。抵抗されれば鎮圧もやむなしだったでしょう」



 

 こうしてヴォロネジを巡る戦いは静かに幕を閉じた。

 余計な血が流れることはなく、スモレンスクとはあまりにも対照的な幕切れだった……

 

 攻略戦であるヴォロネジの方が独ソ共に被害が少なく、防衛戦であるスモレンスクの方がより多くの流血(主にソ連側の)があったのは、何か皮肉を感じる。

 そして、その立役者であるウクライナ軍特殊部隊の活躍は、決して表の戦史に残ることは無いだろう。

 ただ、トゥーラから駆けつけ、敗北し表舞台から消えた名もない連隊として記録されるだけだ。












 

  

***

 

 

 

 そう遠くない未来、サンクトペテルブルグを拠点とする部隊で再び名将と呼ばれる事となったヴァトゥーチンは、時折、思い出してこう呟いているらしい。

 

「あの若者は、今でも無事だろうか? できれば部下に欲しかったものだ。閣下・・、私は彼のおかげで命を繋ぐことができたのですよ」

 

 ウォッカと共に語る、懐かしい思い出話として。

 

 

 

 

 



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