第214話 何もかもが足りなかった戦場
「具申してもよろしいでしょうか?」
非常事態である故にヴォロネジ防衛司令部に招き入れられたスホーイがそう発言すると、
「許可する」
ヴァトゥーチンが頷く。
「経験上、ドイツの戦車は総合性能で我が軍のT-34を上回るうえに、必ず一方的に攻撃可能なアウトレンジから攻撃してきます。非常に撃破しにくい戦車である以上、先ずは我が方も弱点を知り尽くしているウクライナ軍のT-34を狙いましょう。多少は改造されているでしょうが、時間的余裕のなさから考えると、本質的にはさほど性能は変わらないはずです」
ヴァトゥーチンは、別の世界線でもヴォロネジ防衛線で司令官として活躍し、特に打撃部隊の運用に長け、戦車軍団を戦線の機動グループとして運用する迅速な敵防御の突破、そして反転追撃という戦術を得意としていた。
また、逆襲・包囲・撃滅、縦深梯隊防御の理論と実践にも大きく貢献したとされている。
紛れもなく名将……だからこそ、その妥当性に疑いを持たなかった。
「そして、ウクライナ軍のフォローに回らなければならないドイツ軍の側面を突く……かね?」
スホーイは頷いた。
状況は、ヴォロネジにとって大変よろしくなかった。
一応、対戦車壕や永久陣地、地雷原は一通り作ってあったが、それを嘲笑うかのように重砲による長距離砲撃と腹が立つほど正確な爆撃で、こちらの防衛網を物理的な火力で摺り潰していく。
二度のスモレンスク攻略で戦力を抽出させられたヴォロネジ航空隊に空爆を抑える力は残っておらず、それどころか敵が初手で行った航空基地攻撃で放たれたクラスター成形炸薬弾で滑走路がグズグズにされ、隠蔽するにも限界のある地上の弾薬庫や燃料タンクが貫通効果のあるらしい爆弾であっと言う間に破壊されてしまった。
また、漏れ出た燃料に火をつけて被害を拡大させる気なのか、タンクや弾薬庫、そして格納庫にもクラスター焼夷弾が撒かれ、盛大に燃え盛っていた。
何も隠蔽壕の中に厳重にしまってある航空機を直接壊す必要はない。
まるでドイツ人が、「必要な時に飛べなくしてしまえば戦争には勝てる」と言ってるように聞こえた。
また同じく戦力をスモレンスクに持ち出され、やせ細った砲兵隊に効果的なカウンターバッテリーを行う打撃力はなかった。
そしておそらく、反撃効力射を撃った途端、制空権を奪われた為に悠々と上空を飛んでいるドイツの弾着観測機に位置を掴まれ、たちどころに再反撃でこちらの砲兵隊は壊滅する。
いや、それ以前に恐るべきスツーカが飛んでくるか?
***
クルスク防衛隊を取り込んだ以上、兵員は十分とは言えないまでも、数その物は揃っていた。
ドイツ軍にやや怯えてる様子もあるが、許容範囲だ。
しかし、肝心の装備も砲弾も不足気味だった。
当然ではあるが……クルスクからの重装備の持ち出しは不許可だった。彼らが持ち出せたのは市民を守り脱出する最低限の装備という名目で、自衛用の小銃(ボルトアクションの手動連発式のみ)と拳銃、ナイフだけで、同じ個人携行装備でも殺傷力の高い短機関銃や手榴弾は持ち出し対象から外され、予備弾倉の持ち出しも許可されなかったのだ。
クルスク守備隊は、捕虜にならなかっただけで降伏自体はしているので当然だった。
装備の発注はしているのだが、どこもかしこもスモレンスクの無茶な攻勢で装備が不足気味なようで、中々充足されない日々が続いていた。
実際、後方から来て再編した途端にスモレンスクへ送り出さねばならなかった部隊も、ヴォロネジと同等かそれ以上に装備は不足気味だったのだ。
更に後方の生産拠点、サラトフやスターリングラードからの道が閉ざされていない以上、生産はされているがソ連軍全体での装備不足が表面化している可能性が高かった。
ヴァトゥーチンは火力を効率よく運用し、上手く集中させることに長けていたが、その源泉となる火力が最初から必要最低限を割り込み、反撃や迎撃できる火力が無かった故に現在進行形で捻り潰されているのだから、もうどうしようもなかったのだ。
(最優先の生産品供給先は、モスクワ防衛とスモレンスク攻略か……)
スホーイ大佐の言葉を信じるなら、全ての辻褄があってしまう。
現状、ドイツはロシア領内に無理な攻略は仕掛けていない。
前にも書いたが、1941年での侵攻では、中央軍集団と南方軍集団はスモレンスク-ブリャンスク-オリョールの凡そ”モスクワより300㎞以遠ライン”で進軍を停止しており、しっかりと防衛拠点を築き、補給路を整備していた。
史実と異なり、カルーガ、トゥーラ、ノボモスコフスクなど”モスクワに近すぎる拠点”には、不用意に手を伸ばしていない。
当面の目標にモスクワ攻略は入っていないのだから当然であった。
北方軍集団は少し状況が違うが、コラ半島、カレリア地峡、旧カレリア共和国、ラドガ湖、オネガ湖一帯がフィンランド管轄になったのも大きいが、それ以上にレニングラード陥落がソ連に何よりも暗い影を落としていた。
現在、北方軍集団のモスクワに最も近い拠点はノブゴロドということになっているが、それもいつまでもそうであるのかはわからない。
そして、逆に
だが、その”燃え盛る”イメージは、いつまでも彼の心に残り続けたのだった。
***
だからこそ、ヴァトゥーチンは討って出る決意をしたのだ。
守っていても、直ぐに装備は枯渇し、ジリ貧確定だ。
モスクワと連絡を取ろうにも、どういう訳か通信も他の連絡手段も応答がない。
モスクワが陥落したという訳ではなさそうだが……何やら、スモレンスクの敗北とは別の混乱要素がある気配がしていた。
装備も足りなく、上の指示も仰げない。
ならばできる手を打つしかない。
航空機はどうにもならないが、重砲はおそらくそれを守ってるだろう戦車隊を突破できれば、沈黙させる事ができる。
最低でもこちらの戦車隊が攻め込めば、ドイツ重砲隊は配置転換しなければならないだろう。
(そのまま蹂躙できれば言う事はないが……)
そう上手くはいかないだろうが、ドイツ軍のヴォロネジ攻略をあきらめさせるだけのダメージを与えられれば良いのだ。
「であれば、やってやれんこともないだろう」
いずれにせよ、”積極的な機動戦”以外に状況を打破できるような手段はなかったのだ。
やはり、ヴァトゥーチンは名将の器があった。
最悪な状況の中で最善の手を打とうとしていた。
「スホーイ大佐、短時間の効力射からの迂回戦術、機動突破戦でどうかね?」
ヴァトゥーチンは、この出会ったばかりの大佐を副官か参謀に欲しいと思い、
「申し分ないかと」
『まるでグデーリアン
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「しまった! やられたっ! こちらの動きが読まれていたかっ!?」
最初に”戦場の異変”に気付いたのは、状況を食い入るように見ていたスホーイだった。
「スホーイ大佐、どうしたっ!?」
「ドイツ軍は、ウクライナ軍を”デコイ”に使い、逆にこちらの機動戦力を誘引、突破力を徐々に削りつつ進撃方向をコントロールしてます! ウクライナ軍もそれを承知で動いてますっ!!」
「ど、どう言う事かねっ!?」
慌てる政治将校に、
「見てください。ウクライナ軍、機動力に劣りますが重装甲のKV-1を前面に押し立てて、後退しつつ我が軍を誘導しています……敵重砲隊から引き離し、ドイツ軍の火線の待つ方向へ、的確に。あれは、重戦車の分厚い装甲だからできる”機動防御”と呼ぶべき戦術ですっ!! そうなってしまえば……」
簡単に言えば機甲戦版の”釣り野伏せ”、そのアレンジだ。
所々に増加装甲まで貼り付けた重戦車を盾にウクライナ軍は後退、逆に迂回したドイツ軍戦車部隊に半包囲されていた。
ドイツの重砲隊は、その半包囲陣形の先にあったのだ。
おまけにウクライナ軍は、機動力が落ちるのを承知でKV-1に増加装甲を貼り付けていた。いわゆる”KV-1E仕様”だ。
「読まれたというより、最初からオプションプランとして想定されていたのでしょう……我々が打って出た場合の作戦を。そして、ドイツ軍は我々と異なり、全ての戦車に無線機を搭載している。おそらく、ウクライナ軍の戦車も同種の改造をされてるのでしょうね。じゃないと、この有機的連動は説明できない……羨ましいことです」
間違いなく、ウクライナ軍は通常の攻勢陣形だった。
だが、ソ連がウクライナ軍に集中攻勢をかけると判断したときにT-34は下がり、入れ替わるように最前面にKV-1が出てきて文字通り”
後退してるように見せかけて、実はそれ自体が誘引だった……遮二無二突撃していたソ連戦車隊はそれに気づけなかった。
よく訓練された動きで、ドイツとの連携も上手い。
そして、スホーイはヴァトゥーチンを真っ直ぐに見て、
「同志中将閣下、申し訳ありません。この戦い、残念ながら我々の負けが確定したようです」
虎の子の戦車隊が壊滅させられようとしてる今、もう打つ手はそう残っていなかった。
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