第212話 クレムリン炎上




 純粋に”第二次スモレンスク防衛戦”という括りだけを見れば、パンツアー・クライストの半包囲からの追撃戦(ソ連から見れば撤退戦)で幕を閉じた。

 この戦いにおけるドイツ人相手での戦死者の半分は、この撤退戦で出たとされている。

 だが、第二次スモレンスク防衛戦に”付随する戦い・・・・・・”は、まだ終わっていなかったのだ。

 

 

 

 その日、ミンスク近郊のドイツ空軍基地……ドイツ中央軍集団司令部直轄の双発爆撃機隊80機は、興奮した空気に包まれていた。

 そして、爆撃機隊指揮官よりより待ちに待った言葉が紡がれる。

 

「”クレムリン急行作戦(Unternehmen Kreml-Express)”を発令するっ!!」


 ”わっ!!”

 

 爆撃機乗り達の歓声が湧き上がるっ!

 彼らはみな、”敵国首都への一番槍”を授かる名誉に飢えていた。

 

 実は、ドイツの爆撃機乗り達には不満があった。

 実は史実同様、1941年の独ソ戦開戦直後、ソ連は自国で開発できた唯一の戦略爆撃機である”Pe-8”8機を用いた『ベルリン爆撃』を敢行したのだ。

 史実では出撃した半分の4機のPe-8がベルリン上空に辿り着いたが、今生では0。

 試作型が稼働し始めていたヒンメルベッド・レーダーシステムと既に配備されていたレーダー管制を受けたBf109Eの防空網を抜けられるものではなく、ドイツの領空に入った瞬間に四方八方から飛びかかってきた24機のBf109に殲滅されたというオチがつく。

 以降、ベルリン空爆は無謀と捉えられ、行われていないが……同じ爆撃機乗りとして感じる物はあるわけだ。

 

 当初は、”航空機を疲弊させたモスクワ周辺の空軍基地”も攻撃予定地に入っていたが、敵の(特に戦闘機の)損耗から考えて、戦術爆撃それらはむしろ本職、今回の戦闘ではあまり出番がなかったKLK1のJu87スツーカ隊に任せるべきで、自分達は戦略モスクワ爆撃に全力を傾注すべきという声が出て、上層部もそれを了承した。

 

 

 

 そして、ミンスク基地群に配備されていたのは、最新鋭のJu188BとDo217Eであった。

 この二機種の共通項は、双発の高速爆撃機であること、BMW801空冷星型14気筒エンジンを主機としている事だ。

 

 本来なら、(この世界線では)4発爆撃機として完成したHe177も参加させるべきかも知れないが、今回のミッションはモスクワを消し炭にする”モスクワ急行”ではなく、”クレムリン急行”であることに注意してもらいたい。

 素早く飛び込み、急所を一突き……迅速さと正確さを貴ぶ作戦。

 

 つまり、少なくても建前上は”物理効果より政治的意義”を優先した作戦だったのだ。

 

 

 

***




 作戦決行日は第二次スモレンスク防衛戦の戦闘終結の翌日早朝。

 現地時間午前4時30分、まだ日の出を迎えぬ頃に爆撃機隊は基地を飛び立つ。

 やがて日の出を迎える頃にスモレンスクとその周辺基地から飛び立った航続距離の長いFw190護衛戦闘機隊と合流。

 一路、モスクワを目指した。

 

 モスクワに空襲警報が鳴り響いたのは、夜明けからさほど時間の立っていない午前6時半頃だったと記録されている。

 

 そして、悠々と飛びながらモスクワの市街地に差し掛かると、爆弾以外に搭載していた投下物、”ビラ”を爆撃機・戦闘機問わずに一斉にばら撒いた。

 

 その内容はこうだ。

 

”мы не боги(我らは神に非ず)”


”Однако именно я обрушу молот суда от имени Бога.(されど神に代わりて裁きの鉄槌を下す者なり)”


”Настало время очистить пламенем очищения собор, которым правили и осквернили неверующие в Бога коммунисты! !(神を信じぬ共産主義者に支配され汚染された聖堂を、今こそ浄化の炎で焼き清める!!)”


”Не волнуйтесь, москвичи.(モスクワ市民よ、心配することなかれ)”


”Свет веры еще не погас(信仰の灯は未だ消えることはなく)”


”Когда-нибудь оно возродится на вечной русской земле!(いつの日にか悠久なるロシアの大地にも蘇るであろう!)”

 

 地獄の鬼だってもう少し遠慮するような助走付き顔面グーパン・右ストレートな内容だった。

 なんか、微妙にフォン・クルス成分やサンクトペテルブルグ成分が混入してる気がするが……

 そして、ドイツ空軍は有言実行を果たしたのだ!

 

 

 

 Ju188が搭載していたのは、ビスマルク級やグナイゼナウ級の38㎝主砲の徹甲榴弾を改造した(本来は大型艦や重防御陣地攻撃用の)”大質量貫通炸裂弾(ブンカーバスター)”3発であり、Do217がペイロード限界まで搭載していたのは、”テルミット型のクラスター焼夷弾”だった。

 

 わざわざテルミット型を選んだ理由は二つで、最新鋭で軍事機密の油脂焼夷ナパーム弾を、ソ連の中心部に使いたくなかった事。

 そして、もう一つは”モロトフのパン籠”に対する「意趣返し」と皮肉だ。

 

 本来ならフィンランド軍がやるべき事(あるいは、”やりたい事”)ではあるのだろうが……

 冬戦争当時、ソ連はヘルシンキの民間人居住地を知りながら焼夷弾爆撃を行った。

 言うまでもなく明確なジュネーブ条約違反だ。それに対するソ連外相モロトフは、

 

  「爆撃ではなく、飢えたフィンランド人民にパンを投下しているだけだ」

 

 と平然と言い放ったという。

 そりゃあ、国際連盟から追放される訳だ。

 因果応報、ソ連はまさにその報いを受けようとしていた……

 

 

 そう、これらの危険物は”クレムリン宮殿の敷地に、全て投下・・・・”されたのだ。

 市街地に落とさなかった分、ある意味、善良と言えた。

 つまり、100発以上のブンカーバスターが、敷地内のあらゆる建物に着弾して天井を突き破り、内部で爆散。

 そして、敷地内のあらゆる場所……というより敷地内全域で消火困難な(水をかけても消えない)テルミット火災が発生。

 無論、ブンカーバスターが空けた大穴から飛び込んで、内部から人ごと建物を焼いた焼夷弾子も多くある。

 狭い範囲への焼夷弾投下の集中による膨大な熱量で、火災旋風まで巻き起こり次々と逃げ遅れた職員ごと建物を飲み込んでいった……

 

 


***




 モスクワ市という意味では、被害は軽微……というより皆無だった。

 当然だ。

 ドイツ軍が、80機もの爆撃機が狙ったのはクレムリンだけで、その周辺に一般市民など住んでる訳もなく、また南側はモスクワ川だ。

 無論、ドイツは「延焼の危険性がほとんど無い」事を理解した上での爆撃だった。

 

 物理的に炎上し、双頭の鷲ではなく赤い星が新たな主の証として掲げられたスパスカヤ、トロイツカヤ、ニコリスカヤ、ホロヴィツカヤ、ヴォドヴズヴォドナヤの五つの塔が燃え崩れる有様を見て、市民は呆然となった。

 

 だが、一部であるが「ざまぁ!」とほくそ笑み、人目に付かぬようにこっそりと祝杯を上げる人間も少なからずいたのも事実だ。

 隠れ住んでいた聖職者やロシア正教徒が多かったのは実に皮肉だ。

 

 

 

 レーダー統制を受けていない高射砲はそうそう当たるものではなく、また赤軍大粛清の影響が未だに残っているせいで兵の練度は低く、また「モスクワが爆撃されるはずはない」という思い込みや慢心もあった。

 実際、これまでモスクワは爆撃被害をほとんど受けていない。

 ドイツ機は時折飛んできてたが、彼らは自軍の戦闘機が飛んできたり高射砲が発射されたりするといつも慌てて逃げ出す腰抜け揃いで、その臆病さにモスクワ市民はいつも笑っていた。

 

 だが、今日のモスクワはどうだ!

 ソ連こちらの高射砲は当たらず、迎撃に上がった戦闘機は片っ端から撃ち落とされてるではないかっ!!

 そのいつもとは逆転した情景に、モスクワ市民は益々絶望した。

 

 これは率直に言って”スモレンスク攻略での二度目の大敗北”を公表していなかったソ連政府が悪い。

 いや、確かに被害集計がまだまとまり切れてないことは理解している。

 しかし、市民には「スモレンスク上空で一線級はおろか二線級の戦闘機とパイロットもまるっと摺り潰され、モスクワ防空任務についているのは、それ以下のパイロットと機体ばかり」なんて事情は解らないのだ。

 例えば、この時のモスクワ防空を担っていたパイロットは、Fw190のウルトラエース、バルクホルン大尉からこう評された。

 

『地上にいるのと飛んでるのとで、どっちが戦力として評価できるか解らないレベルだったな。あれなら、戦闘機から機関銃をおろして地上から対空射撃を行った方がよっぽど戦力になったかもしれないし、市民も死なずに済んだろう』

 

 民間人という意味なら、殺したのはドイツ人の爆撃ではなく、撃墜され落下したソ連戦闘機だったと明記しておく。

 これらの犠牲者も、ドイツ人の爆撃による犠牲者に入れてしまう辺りが、実に共産主義者らしい振る舞いだ。

 

 そして、それらの模様は戦闘機も対空砲も届かぬ超高高度(とはいえ、高度11,000m程度)から、Ju86R偵察型がそれらをつぶさに記録していた。

 写真で、そしてムービーカメラで動画として。

 これが後に編集され記録映画、あるいはノンフィクション映画……

 

 《b》”クレムリン炎上”《/b》

 

 として一部の国を除き世界中で上映されることになるのだった。

 

 

 

***

 

 

 

 防空隊が飛びあがり、墜とされ、空を守る者が居なくなったモスクワ周辺の航空基地……

 半ば残骸だらけ、スクラップ置場の様相を呈していたそれら軍事施設をJu87が嬉しそうに、あるいは上機嫌に(特にルーデルとかルーデルとかルーデルが)反復爆撃していた事を特記しておく。

 

「ガーデルマン、そろそろ出撃したいんだが……」

 

「流石に1日に四度のモスクワ往復爆撃はやりすぎです大尉!! 帰りは日没後になる上に、もう航続距離内にスツーカでぶっ壊せる物はないですよっ! それと機体と整備員をもう少し労わってやってください! 大尉と違って普通の人間なのですからっ!!」

 

「う、うむ。ガーデルマンがそう言うならば」

 

 夜明けのコーヒー代わりに牛乳飲んで出撃し、帰ってきたら早めの昼飯搔っ込んで出撃し、帰ってきたら午後のティータイムに牛乳飲んで出撃したルーデルは、再び夕暮れをバックに出撃しようとしてガーデルマンに怒られていた。

 要するに、いつもの風景である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

  

************************************














 スターリンをはじめ、モスクワ在住の誰もが、モスクワには「距離の暴虐と冬将軍」というナポレオンすら弾き返した無敵の鉄壁があると心のどこかで思い込んでいた。

 実際、史実と異なりドイツ軍はモスクワ周辺に攻め寄せることはなく、スモレンスクで慣れない冬の寒さにガタガタ震えていると思い込んでいた。

 

 だが、現実には違うのだ。

 モスクワ攻めを強行しなかったのは、冬将軍が怖かったのではなくドイツの戦略上の都合ドクトリンだ。

 そして、ロシア人が考えた距離の暴虐というのは、数字に起こせばそんな物がないことがわかる。

 ベラルーシの首都ミンスクからモスクワまでの距離は700㎞に届かず、スモレンスク-モスクワ間に至ってはその半分強の370㎞弱程度の距離でしかない。

 航空機が出てくる前の時代ならいざ知らず、作中にも出てきた通りミンスク-モスクワ間程度なら双発爆撃機であればフルペイロードでも往復余裕で、スモレンスクからなら航続距離の短いスツーカでも難無く往復できる。

 

 ロシア人がイメージするより、前線はずっと近いのだ。




***




 さて、そろそろ紳士淑女諸君が、おそらく最も気になっているだろう案件を話そう。

 とても残念なことに、暗殺が怖いので匿名希望の”粛清大好きSリンさん”氏と、同じ理由で匿名希望”少女と幼女とフラワーゲーム”氏の死亡は確認されていない。

 確認されてないどころか、空襲警報と同時に地下通路を通ってモスクワ川の対岸にあるセーフハウス、そこの頑丈な地下防空壕に逃げ込んでいた。

 必要なら、ここからさらに秘密の地下鉄に乗って誰にも見られることなくモスクワから脱出できる手筈になっていたようだ。

 

 そして、それもドイツの想定内だ。

 いや、むしろ「思考が読みやすい=与しやすい相手」に、今死なれてはとてもドイツが困るのだ。

 まず、彼より上手く”ソ連人赤い同志”を血祭りにあげられる存在はいない。放置すれば、勝手に自国民を間引きしてくれるのだ。

 ドイツ軍より多くのロシア人をこの世から人民解放できるのは、実際にこの男ぐらいだろう。

 後釜に彼より優秀で温厚でソ連の未来を真剣に考え、現実論者で理知的で、国境の妥協を考慮しドイツとの停戦を考える様な男が次の指導者になれば、それこそ目も当てられない。

 そんな男、ロシアにいないって?

 確かにフルシチョフ程度ならどうとでもなる。

 だが、半世紀以上先にいたのだ。冷戦を終結させ、あれよあれよという間にソヴィエト連邦を解体してみせた書記長が。

 

 故に、現状はドイツの想定通りと言えば、想定通りだったのだが……

 

”バタン!”


 空襲が終わり、焼け崩れ落ちたクレムリンを見て卒倒したのだった。

 クレムリン炎上と書記長の前後不覚……この未曾有の混乱にソ連の政務全体が、翌日にかけてほぼ麻痺状態に陥ったのは記しておくべき事柄だろう。

 

 だが、その間に別の場所で別の事態が進行していたのだった……














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