第210話 ”炎の川”とアニミズム ~その情景は、ある意味においてとても神話的だったという~




 さて、唐突ではあるが……

 皆さんは、”ナパーム弾”と言ったら何を思い出すだろうか?

 鬼畜米軍、東京大空襲、ベトナム戦争、火傷の少女などだろうか?

 

 しかし、”ゲル化したガソリン”という定義なら、実は第一次世界大戦の頃に「天然ゴムを増粘剤に使ったゲル化ガソリン」が火炎放射器用にドイツで開発されている。

 ただ、これは原材料となる天然ゴムが高価だったために実戦配備には至らなかったようだ。

 

 しかし、時は流れて20年後……ヒトラーは直々にテルミットに加え、油脂焼夷弾の開発を極秘裏に命じた。

 またその際、ナフサに添加剤を加えて、使用直前にゲル化させて使用することまで命じた。

 どうもヒトラーは油脂焼夷弾が長期保存に向かないことを理解していたようだ。

 これは都市伝説のようなものだが……その際、ヒトラーは添加剤の候補としてパルミチン酸アルミニウム塩、乳化剤としてナフテン酸アルミニウム塩を指定したという説がある。

 しかも、ナフテン酸とパルミチン酸の頭文字をとって秘匿名称”ナパーム”とすることもだ。

 

 そして現在、ドイツではナフサに上記の混合物の粉末を使用(焼夷弾や火炎放射器に充填する)直前に混合する方式になっている。

 この頃のナパーム燃料ジェル(M1 Thickener準拠)は、吸湿しやすく吸湿するとゲル化が失われ使用できなくなる欠点を持っていた。

 つまり、”作ってすぐ使う”が基本だ。

 この湿気に対する弱さと”兵器としてすぐに使える状態での維持管理の難しさ”がドイツ海軍には嫌われ(彼らには船上火災の恐怖が常に頭にあるよう教育されている。なので作戦直前に可燃物を混ぜ合わせるなど冗談ではなかった)、現在の所は化学的に安定したテルミット系のみになっているが、空軍と陸軍にはその利便性が評価され採用に至っていた。

 

 では、そろそろ伏線を回収するとしよう。

 数話前にソ連偵察員が目撃した、「死体や残骸で埋まった対戦車壕に散布された液体」は、このドイツ製のナパームジェルだ。

 そして、ナパームジェルは吸湿するだけで気化はしにくい。

 おまけに親油性が高く人体(死体)付着するとしっかり”馴染み”、火がつけば水での消火はできない。

 

 さて、何故こんな長々と説明したかと言えば……

 

 

 

 

 

「「「「ぎゃあぁぁぁぁぁーーーっ!!!?」」」」

 

 それは、スタンピード状態となったソ連戦車が”チェコの針鼠”を乗り越え、浅くなった対戦車壕を乗り越えようとした瞬間に起きた。

 無線、有線式を問わず遠隔式発火装置が一斉に作動し、空堀に”炎の川”が生まれたのだ。

 

 先の悲鳴は、戦車に振り落とされたデサント兵が生きながら業火に焼かれる絶叫だ。

 無論、戦車とて無事では済まない。

 ナパームジェルの燃焼温度は、摂氏900~1300度に達するのだ。

 まごまごしていたら、瞬く間に蒸し焼きになる。

 そして、思い出してほしい。

 ソ連戦車の足元には、”砲弾や燃料が抜かれていない・・・・・・・状態の友軍戦車の残骸”やドイツ軍が埋設した不発の地雷がゴロゴロあるのだ。

 無論、戦車だって中身は可燃物の塊。自慢のディーゼルエンジンの燃料である軽油は、引火しにくいので火炎瓶などには強いが、それだけだ。

 燃えなければ燃料にならないので当然である。

 例えば朝鮮戦争では、T-34-85の乗員の死因の実に75%が車輌火災だったらしい。

 そして、1942年のスモレンスクでそのデータの正しさが、現在進行形で実証されていた。

 

 











************************************










 とは言っても、後年のデータから察するに、この”炎の川”で死んだソ連軍は、どちらかと言えば少数派だ。

 当たり前である。最前列が”川底”を走ってる最中に着火されたのだから。

 では、多くの戦死者はどうして生まれたのか?

 

 一つは、ソ連戦車軍団が”停止”してしまった事だ。

 炎は、人間の本能的恐怖を惹起させる。

 これはもうどうしようもない。

 ましてや、生きたまま焼かれていく人間の絶叫が聞こえてしまう状況では……

 

 そして、ここでソ連特有(?)の問題が出た。

 彼ら最前線でいわゆる”鉄砲玉”をやらされていたのは、多くがソヴィエト連邦を形成する中央アジア諸国やロシアでも地方の寒村のような場所、あるいは国内難民化した戦争難民からかき集められていた混成部隊だ。

 デサント兵は言うに及ばず、戦車兵とて指揮官クラス以外は、ロシア本国共産党高官に言わせれば”戦車を動かす消耗品”如き扱いを受ける人々だった。

 彼らの多くは、「戦車を動かすのがやっと」という練度で、兵としての覚悟が骨の髄まで叩きこまれた訳ではないのだ。

 そして彼らには、中央の椅子でふんぞり返る人間には理解できない感覚を有していた。

 

 そう、唐突に現れた”炎の川”に何やら魔術めいた物を、あるいは神秘的な何かを感じてしまったのだ。

 実は、そうなってしまったのには事前の上官(ロシア人)の説明もあった。

 つまり、

 

『連中はガソリンを堀にぶちまけて諸君らを焼き殺そうと待ち構えているが、この晴れた天気を見よ! この調子ではすぐに揮発し、使い物にならなくなる』


 だ。

 だが、ドイツ人はそれをいとも容易く覆してみせた。

 それに「目の前に”炎の川”が現れる」なんて、何とも神話的な光景に思えないだろうか?

 そう、それもどことなくロシア、いやソ連から駆逐された”某一神教の聖典”的な……

 

 

 

 ソ連共産党の影響力は確かに絶大だ。

 だが、例え彼らがNKVDを使いどれ程粛清しようとも、民間信仰を殺しきるには全くもって力不足であった。

 

 ”アニミズム”

 

 人間が、原始時代より受け継ぐ根源的情動に根ざしたそれは、いかに共産主義者であろうともそう簡単に駆逐できるものではなかった。

 それ以前に、彼らはドイツ人の重砲による砲撃と、新たに埋設された地雷で多くの仲間を失ってきたのだ。

 ストレス的にもはや限界だった。

 進軍を止めた最前列だけではない。

 後続も燃え盛る……いつまでも消えないように見える”炎の川”に呆然としていた。

 

 そこにすかさず入ったのはドイツ人による攻撃……ではなかった。

 突撃を、”炎の川”に飛び込めと催促する督戦隊だった。

 友軍のはずなのに「炎の川で焼け死んで来い」と催促するロシア人……もはや前線にいる非ロシア人兵の我慢の、忍耐の限界だった。

 

 そして大渋滞の最前列に居た戦車の1両が、僅かな隙間を見つけて”炎の川”の川岸を沿うように走り反転、督戦隊に向けて全力で走り出したのだ。

 そう、”主砲を発砲して”。

 無論、そのT-34戦車はあっという間に練度と装甲に勝る督戦隊の㎸-1重戦車の集中砲撃でハチの巣になり、乗組員は全員が即死だった。

 

 督戦隊は「逆らえばこうなる」という良い見せしめになったと考えた。

 これで残る連中も大人しく突撃するだろうと。

 

 だが、そうはならなかったのだ。

 練度と共産主義への忠誠の低さ、目の前の異常な状況が、「有り得ない行動」を是とした。

 つまり……前線の戦車隊の殆どが、”督戦隊に突撃・・・・・・”を開始したのだ。

 単なる士気の崩壊による逃亡などではない。

 

 ”魂まで焼かれそうな炎の川に飛び込むくらいなら、生意気なロシア人を殺して死んだ方が天国へ行けそう”

 

 という、ドイツ人もロシア人も想定してなかった判断と衝動に突き動かされた結果だった。

 

 

 

 ”第二次スモレンスク防衛戦”は、更なる混迷へと突き進んでゆくのだった……

 

 

 

 

 

 










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