第195話 釣り出し ~”タタールのくびき”という呪詛~




 ソ連式装備を持つ当時、ウクライナ解放軍から昇格したばかりのウクライナ国防軍とは、どの程度の強さがあったのか、練度はどうだったのか?に関しては、第二次世界大戦が過去の出来事になった時代でも議論の余地がある。

 ちなみに、ドイツ式装備にしなかったのは扱い慣れている点と、ウクライナ自体にソ連の兵器産業を中心とした重工業が移植されていたこととそれがほぼ無傷で手に入った事、また独自の発展を遂げてゆくことになるが、同種あるいは同系統の装備を生産するサンクトペテルブルグという都市一つ丸ごと巨大軍事工廠の様な街があり、生産や供給に対する不安が少なかった事があげられる。

 

 当時の記述を総合すると、「標準的なソ連機甲部隊と同等」というのが妥当かと思われる。

 実際、ウクライナ国防軍が本領を発揮するのは、まだしばし時間が必要だった。

 だが、ドイツ軍が「戦力として考える」なら不安の残る練度ではあるが、”ある作戦”においては、「限定的な運用」をする限り十分とされた。

 それは、

 

 ”クルスク攻略(フェイク)”

 

 だ。

 何の事はない。

 ベルゴロドに駐留しているウクライナ国防軍から抽出した、装備・練度ともに最高の部隊をクルスクまで進出させて、「ピンポンダッシュさせる」だけだ。

 具体的には、クルスク上空の制空権を確保してから空爆、それと同時に戦車を前衛にして牽引式長距離砲でクルスクを釣瓶打ちするという物だった。

 実際のクルスクへ与えるダメージよりも心理的効果に趣を置いた作戦であり、同時に”観測気球”として使おうという物だった。


 そして、制空権を確保しソ連側が偵察機を飛ばせない状況にしておいて、本命であるドイツの機甲師団をウクライナ・ロシアの国境の街”フルヒフ”より出撃させる。

 無論、ウクライナ軍精鋭が出払ったベルゴロドには、ドイツの増援が入るし、フルヒフのウクライナ軍は動かさない。


 ソ連のクルスク駐留軍が誘引されればそれでよし、誘引されなくとも半包囲しつつ圧迫を加える。

 完全包囲ではなく半包囲とするのは、クルスクからのソ連軍の脱出を妨げない・・・・ようにする事と、クルスク急襲の知らせを受け、救援に来る部隊があれば、

 それらの進軍路を固定することで迎撃しやすくするという狙いもあった。

 理想的なのは、敵の増援が”カティンの森”攻撃の追加兵力として準備されていた部隊の誘引だが、こればかりはドイツ側からはどうしようもない。

 



***




 そして、結果から言えば……釣れてしまった。クルスクのソ連軍が。

 確かに、挑発じみたことはした。

 例えば、ウクライナ国防軍が前進する先ぶれとしてクルスクに飛来したBf109E-4(F型の急速な配備があったためにウクライナ国防軍に余剰機が譲渡された)や、それらに護衛された同じく旧式化していたHe111やJu88の翼や胴体にでかでかと”青と黄色のストライプ”が入り、爆撃ついでにビラも散布する。

 そのビラには、「血を連想させる赤い文字」でこう記されていた。

 

 

 

”Пережив жестокость советского Голодомора, Украина вернулась!!(残虐非道なるソ連によるホロドモールを耐え抜き、ウクライナはここに復活せり!!)”

 

”Время прошло, пора перерезать горло коммунисту клыками мести!!(屈辱の時は過ぎ去り、今こそ復讐の牙を持ち共産主義者の喉笛を食い千切らん!!)”

 

”Проклятый Сталин, убийца 20 миллионов невинных людей! И будьте готовы!!(2000万人もの無辜の民を虐殺したスターリンよ、呪われよ! そして、覚悟するがよい!!)”


”Мирный день никогда не придет к вам снова!!(お前に安寧の日々がおとずれる事は二度とないのだからな!!)”

 

”Готовы ли вы молиться Богу, дрожа в углу туалета?(便所の隅で、ガタガタ震えながら神様にお祈りする準備はできているか?)”




 この言葉と便所の隅で震えるスターリンの写実的なイラスト、裏面には詳細な「ロシア革命以降、自国民を含めた・・・・・・・粛清や飢餓での虐殺の詳細」がびっしりとロシア語で書かれていた。

 そして、オマケで……

 

 ※なお、ドイツ軍に投降した場合は、将官、政治将校に関しては厚遇いたします。降伏歓迎。

 

 と小さく記してあったりする。

 

 そして、戦車部隊、特に重砲隊の壁役であるKV-1重戦車には旗竿が取り付けられ、”青と黄色の二色旗”が東ヨーロッパ平原の風に力強く靡いていた……

 

 確かに完璧な挑発である。

 皆さんは、”タタールのくびき”という言葉をご存知だろうか?

 これは、一般的には「モンゴルタタール人が長きにわたりルーシスラブ人を支配した」という歴史の一幕なのだが、実は帝政ロシアやソ連はこの時代の概念を政治的規範、あるいは根本的な価値観としている。

 

 先の恐ロシアなことを言ってしまえば、

 ・とりあえず、生きてれば権力者にとり都合が悪いという理由で自国民も他国民も何千万人も殺し、一向に気にしない。むしろ「必要な虐殺」ならば当然だと考える。

 ・ルール破りの常習犯

 

 というロシア-ソ連の代表的行動だが、実は彼らにはこの行為について”悪気はない”のだ。

 まず、ルールについて西欧との根本的な考え方を話そう。

 西欧、あるいは欧米人にとり、ルールは一度取り決めてしまえば、それは遵守するものであり、それが前提だ。

 無論、ルールの穴や不備を突くことは嗜みとして行うが、例えば、二国間であれば力の強弱ではなく、少なくとも建前は「ルールを遵守する」ことが前提となる。

 しかし、ロシア人にとり、ルールとは「強者が決めるもの」なのだ。

 つまり、ルールは強者の都合で決められ、強者が都合が悪くなれば、いつでも変更したり破棄したりできる物なのだ。

 弱者は黙ってそれに従うことも含めてルールなのである。

 

 ”強き者には犬のように従順に、弱者には一切の容赦なく”

 

 という性質は、実は「タタールのくびき」の頃のルーシ人、つまりはモンゴル人の支配を受けていたロシア人の姿その物なのだ。

 だから、彼らは帝政ロシア→ソ連→ロシアと国家体制は変わっても、その姿勢……モンゴル人に植え付けられたトラウマは消えず武力や軍事力に、つまりは「強者である」ことに心血を注ぐのだ。

 二度と、隷属させられないために、自分達が常に「ルールを決める側」でいたいために。

 

 

 

***




 そして、そのような価値観の中で、

 

”ロシアより弱いウクライナ”

 

 が逆らい、語義通りに反旗を翻すのは決して許せることではないのだ。

 それはロシア人のルール、秩序に対する反抗だ。

 弱いウクライナは、何千万人餓死させられようと、強いロシアに首を垂れ続けなければならない。

 それが、スターリンにとって、あるいはロシア人にとっての”当然・・”であった。

 

 だからこそ、「弱いウクライナにロシア人の街であるクルスクに攻め込まれる」という時点で、我慢できることではなかったのだ。

 ウクライナ国防軍にとっては”戦争”だが、ロシア人にとっては”叛徒鎮圧”なのだから。

 

 

 

 あまりにも簡単に釣り出せたことに、フルヒフに装甲部隊司令部を前進させていたクライスト上級大将はかなり驚いたが、そこでためらうような男でもなかった。

 出陣させたドイツ側機甲師団にただちに迂回しノコノコ出てきたソ連機甲部隊の背後に回り込み退路を断ちつつウクライナ機甲部隊と挟撃せよと命じたのだった。

 結果は、あまりにも無惨……

 

「これじゃあ、戦車戦と言うより射的大会だぜ……」


 南方軍集団のエース戦車乗り、今や1個戦車大隊を率いる”マキシミリアン・ビットマン”大尉はそう呟いたという。

 彼と彼の大隊に配備されていたのは、43口径長ではなく48口径長の75㎜砲を搭載した、最新鋭にして最終型のIV号戦車だったが、性能差でT-34を踏み潰す以前の問題だった。

 真横から殴り込む形となった彼の戦車大隊は、損失1両の間に28両のソ連戦車を駆逐してみせたのだ。

 その襲撃の前にスツーカにより成形炸薬型の対装甲空対地ロケット弾やクラスター爆弾で隊列をズタズタにされていたとはいえ、あまりにも一方的な結果だった。

 

 戦いのおおよそのパターンはこうだ。

 ウクライナ軍は、装甲の厚いKV-1/2重戦車で機動防御壁を作り、ソ連軍の突進を抑え込みつつT-34を迂回戦術を繰り返させながら、牽制しつつ包囲されるのを防ぎつつ後方から重砲を叩き込みながら耐久するという作戦だ。

 ちなみにこれだけの連携ができた理由は、練度もあるが、地味にドイツから供与された無線機を全車が標準搭載しており、音声による相互連絡が可能だったというのが大きい。

 それでも、重砲の水平射撃という珍しい経験をウクライナ軍はする羽目にはなったが。

 

 

 その間にスツーカ隊が爆撃し、隊列を乱して突進力を消失させて足を止めさせている間に、回り込んだドイツ軍の戦車隊・対戦車部隊が側面ないし後方から攻撃を仕掛け、退路を防ぎながらウクライナ軍と挟撃。

 包囲殲滅を敢行するという物だった。

 

 さて、酷い現実を突きつけよう。

 この時、ウクライナに展開していたドイツ航空団の名称は”JG52”。

 そう。あの、”JG52”だ。

 ハルトマン、クルピンスキー、バルクホルン、ラルなどのネームドはKLK1(第1統合航空戦闘団)に出向してしまってるが、それでもエースが腐るほどいる最精鋭部隊の一つにして撃墜王クラブの趣のある”JG52”である。

 しかも、こやつらに回されていた機体は、スモレンスクのKLK1のそれと比べても遜色はない。要するに最新鋭機ばかりだ。

 こんな連中が、ウクライナ空軍と入れ替わるようにクルスク上空やその周辺に飛来し、片っ端から赤軍機を落として回って制空権を確保、前線の戦車からクルスク周辺の基地や軍事施設を爆撃して回ったのだ。

 ソ連にしてみれば、「ふざけんな! いい加減にしろ!」とさぞかし発狂したくなった事だろう。

 蛇足ながら、陸軍同様に空軍もクルスク最精鋭が引き抜かれていたいたのは言うまでもない。

 

 

 そしてソ連軍は、当然のように全滅・・した。

 580両近い戦車や車両を失い、約5万人の兵員を失った。

 生存者は、降伏するしかなかった。

 ちなみにウクライナ軍よりドイツ軍に投降を希望する者が多数派だったらしい。

 

 

 

 こうして、クルスク防衛の要にして主力は地上から姿を消した。

 あまりにも(頭)無残な結末だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

******************************

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とても蛇足なエピソードを。

 以下はしばし後……42年後半から43年初頭の逸話だと思われる。

 後年の歴史家によれば、この先、裏面にソ連の受けた被害報告などが追記されながら何度もばら撒かれる事になるこの”プロパガンダのビラ”、もっとも心理的効果があったのは、歴史家によればスターリン自身だったと言われている。

 スターリンは激怒し、

 

「ただちにウクライナ人を全て殲滅、粛清せよっ! 根絶やしにするのだっ!! 慈悲をかけてはならんっ!!」


 と叫んだという。「お前がいつ、どこで、誰に慈悲をかけた?」と思わずツッコミたくなるが……

 

 軍部は、スターリンにビラを見せればどういう反応を示すか手に取るようにわかったので、当初は存在をスターリンに伝えてなかった。良い判断だったと言える。

 しかし、その存在を知らせた者がいる。NKVD(内務人民委員部)だ。

 軍部がビラを隠匿していたと判断したスターリンは、「首謀者が誰かわからず、戦時中につき軍部全体を粛清対象にするわけにはいかぬ」という珍しく理にかなった判断をするが、代わりに政治将校と将軍の相互監視体制を強化するよう厳命し、前線の将軍、政治将校は能力よりも”共産党への忠誠度(狂信度)”で選ぶように命じた。


 権限拡大を果たしたNKVDは喜んだが、この決断が後に……いや、やめておこう。

 結果は、やがて歴史が証明してくれるだろう。

 

 さて、最後にこれは記載しておかねばならない。

 ”カティンの森の虐殺”をスターリンに提案したのは当時のNKVD長官であるという事だ。

 あれを立案したのは、共産党でも赤軍でもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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