第193話 Chainted Big WAR ~戦争において、戦場は有機的に連鎖する~




「まだもう1回くらいは大攻勢があるだろうな」


 偵察機からの情報、その他の関係各所からの情報を総合して、スモレンスク防衛司令官”ゴッドハルト・ハインリツィ”大将は呟いた。

 おそらく、猶予は1週間。

 先の戦いでスモレンスクが受けた損害は軽微なれど、反省点もまた多し……というのが、ハインリツィの率直な感想だった。

 

 物理的にすぐ是正できる点と、早急に改善が要求される点、そして今後は折を見て改善や刷新をしていかなければならない点を専門職の参謀たち話し合い、洗い出し、改善点とその為のベースプランを作成してゆく。

 

 幸い、上層部は「逆襲した後にモスクワを攻め取ってこい」などという無茶ぶりはしてこない。

 究極的には、「政府が良いと言うまで”ソ連の虐殺現場カティンの森”を含むスモレンスク一帯を確保」できていれば良いということになる。

 

 また、備蓄に関しても補給に関しても問題は無い。

 共産パルチザンのゲリコマ部隊が補給路を寸断しようと頑張っているようだが、今のところNSR(国家保安情報部)お抱えの非正規戦・非対称戦特殊部隊俗称”スペツァル・グルッペン(まんま特殊部隊だ……)”の紳士たちにより程よく”間引き”されてるようだ。

 

 ちなみに大将閣下の知らない事(特殊作戦任務群はNSRのトップシークレットだ)だが、最もゲリコマ狩りで活躍しているのは”スコルツェニー”中佐なる人物が率いる”特殊任務増強大隊”であるらしい。

 曰く、「増強大隊なのに装甲連隊並みの予算がかかるが、旅団でも師団でも成しえない任務をやってのける、不可能を可能とする命知らずの特攻野郎共……」であるらしい。

 何やらどこかで聞いたようなフレーズだが、きっと気のせいだ。


 さて、ハインリツィが防衛計画の修正と見直しを参謀たちスタッフと会議室でやってる最中、血相を変えた伝令が飛び込んできて情報参謀に何やら囁いた。


「どうした? スターリンでも憤死したか?」


 まあ、そうなってもおかしくない負け方をしたのではあるが。

 実際、何人かサボタージュの罪で粛清する準備を進めているらしい。

 多分、次にスモレンスク攻略に失敗したら、粛清候補リストから何人か名前が消えそうだ。


 ハインリツィの問いかけに情報参謀は首を横に振り、

 

「NEIN. そうだとすればモスクワに突貫したくなるほどの朗報ですが、世の中はそこまで我々ドイツに都合よくできてません」


「だとすれば?」


 情報参謀は一呼吸おき、


「南方軍集団とウクライナ国防軍・・・がクルスクを陥落させました」


 ハインリツィはニヤリと笑い、

 

「流石はボック元帥。機を逃さないナイス・アシスト」













******************************















 まずは、改めて”この世界線におけるこの時代のウクライナ”であることを強調しておきたい。

 

 ”禍福は糾える縄の如し”

 

 という諺がある。

 そして、ウクライナほどそれを体現している国は他にないだろう。

 ”禍”とは人災、人間の皮をかぶった疫病神兼貧乏神のスターリンが引き起こした”ホロドモール”。

 最も少ない数字でも300万人-700万人、最も多い数字1000万とも2000万とも言われるスターリンの共産党指導部が引き起こした人工の大惨禍だ。

 

 数字に開きがあるのは「32~33年の僅か1年間の大飢饉だけの餓死者をホロドモールの犠牲者とするか?」、あるいはその前後にウクライナの地で行われた(起きた)「飢饉、収容所送り、拷問、粛清での死者を含めるか?」の違いだ。

 

 史実において「ナチスがホロコーストで600万人のユダヤ人を殺した」というのは「冷静に考えて物理的に不可能」と疑問を呈する者も多いが、ホロドモールは違う。

 確実に300万人以上が「32~33年の1年間で餓死させられた・・・・・」事は多くの学者が共通見解としている。

 彼らは、スターリンとその側近の都合だけで、種籾まで奪われて餓死したのだ。

 参考までに言っておくと、史実の第二次世界大戦(太平洋戦争)における日本人の死者数は一般に310万人とされている。

 

 一番無責任なのは、ソ連は「その死者数の統計を取っていない」ことだと思う。

 つまり、彼らは「自分達が何人殺したのか知ろうともせずにのうのうと生きている」のだ。

 

 では、この世界線において”福”とは何か?

 史実と異なりドイツが秘密裏にウクライナ人の脱走者の”受け皿”になっていたこと。

 言い訳じみてしまうが、当時はソ連との各種条約やら何やらの関係で、表立っては庇護できなかった部分もある。

 だが、表ではナチズムを唱えながらも、ドイツは100万人規模のウクライナ人を「ドイツ人として」匿い、そして、ウクライナに潜入工作を行った。

 

 国内にウクライナ人がいるといるということは彼らのコミュニティーがあり、そうであるが故に「ウクライナ人に成りすます」のは難しくなかった。

 そして、ウクライナに潜入したドイツ工作員は、ソ連がひた隠しにしていた「ホロドモールの真実」をウクライナの住民に口伝で伝えると同時に、「今は雌伏の時、いずれ機会は訪れるので面従腹背を」とウクライナ人の反抗組織の下地作りを行っていた。

 

 何とも皮肉なのは、ドイツ人が組織作りに利用したのは、ウクライナの共産党やコミンテルンの政治ネットワークや赤軍その物の組織だ。

 実際やったことはシンプルで、「共産主義が個人の欲をいくら否定しようが、人間は欲を捨てきれるものでは無い」ということをよく理解していたので、そこを突いたのだ。

 何のことをはない。コミンテルンがアメリカをはじめ、各国で行った浸透工作の一部の方法を用いただけだ。

 欲を抑圧されているだけあって、ターゲットを間違わなければ効果は覿面であった。

 

 そう、これが後の”ウクライナ解放軍(Befreiungsarmee der Ukraine)”の速やかな結成の原動力となったのだ。

 

 

 

***




 第二の”福”は、意外にもソ連が齎せた。

 そう、農業国だったウクライナを自国の兵器工廠にすべく、共産圏ならではの無茶苦茶な重工業化を推し進めたのだ。

 更なる幸運は、そのような状況で有らばこそ、ドイツ人工作員が”上に媚び諂い、成果と数字を差し出す理想的な共産人”として頭角を現す機会に恵まれたのだ。

 

 これが後にドイツの侵攻に呼応して蜂起した”ウクライナ解放軍”が、瞬く間に工業地帯を含めた国家の主要部を占拠・制圧できた理由だった。

 ドイツ人が国境を超える前から、”彼ら”は「まず攻め落とすべきは何処か? まず殺すべきは誰か?」を完全に把握していたのだ。

 

 また、幸運なことに当時のウクライナではNKVDの活動が、さほど活発でないことも功を奏した。

 これには理由があり、ホロドモールでの大量死ですっかり牙を抜かれたのか、スターリンも国家上層部もウクライナを「従順な羊の群れ」としてしか見てなかった。

 毎年、羊毛を刈り取りたいのに、羊を一々殺すバカはいない……まあ、そういう事だった。

 そして、いざドイツ侵攻に呼応した叛乱? クーデター?では、ドイツ軍に接収される前に行おうとしていた焦土作戦、インフラや製造設備の破壊を試みた赤軍や政治委員は、待ち伏せていた、あるいは焦土作戦部隊に紛れていた”ウクライナ解放軍”のメンバーに逆に一網打尽に殲滅され、またドイツ軍を迎撃するため(と焦土作戦を行うため)手薄になった赤軍基地を急襲し、次々と陥落させたのだ。

 

 ドイツ人の強さが語られる場合が多い”バルバロッサ作戦”のウクライナ方面作戦だが、ウクライナ配備の赤軍が弱体化したのには、こうしたきちんとした理由があったのだ。

 一説によれば、この時点で”ウクライナ解放軍”の構成人員は50万人を超えており、1個軍として機能する規模があったとされている。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、第三の”福”は、意外なことに”日本皇国”の存在であった。

 これにはいくつか意味がある。

 まずは、1938年の俗に言う”ソ連の悪行公開処刑”において、実はホロドモールについても触れられていたのだ。

 ただ、当時の皇国には「国際連盟に提訴できるほどの証拠集め」ができなかったのであるが、「他国政府がホロドモールについて初めて公式に触れた」という意義は大きい。

 実際、エピソード”このえじょう”においても、ネイティブアメリカンの虐殺とセットで言及している。

 

 日本皇国はソ連の生まれる前から帝政ロシアと敵対関係にあり、加えて、「皇帝を皇族もろとも処刑した」という事実が判明した時点で、国家アイデンティの問題となり、更なる敵対関係に拍車がかかった。

 戦争状態に無いだけで、日本皇国は「公然とソ連を敵国と呼び、国内で共産主義運動を非合法化した」というスタンスを崩していない。

 これは、反ソ連・反共の国家群には敵味方問わず不動の評価であった。

 そして、日本皇国のソ連に対する告発とスタンスがあればこそ、今回の国連臨時総会での「ドイツの示したデータや証言を完備したホロドモールの被害報告」が生きてくるのだ。

 

 そして、もう一つは……間接的なのか直接的なのか判断は微妙だが、もうすぐ元になってしまう日本人の存在も大きい。

 言うまでもなく、”サンクトペテルブルグ総督”こと来栖任三郎、改めニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグだ。

 確かにウクライナは重工業化されていたが、かといって旧赤軍装備が即座に全てが揃うわけでは無い。

 また、ほぼ無傷で工業地帯が奪取できたとはいえ、それが直ぐに十全に動かせる訳でもない。

 実際、T-34一つとっても保守部品の供給や砲弾の補給などに問題を抱えていた。

 特に野砲や重砲などに懸念があったのだ。

 そんな時に早々とサンクトペテルブルグの工業基盤の復興作業に入ったのが来栖だった。

 

 彼が真っ先にやった作業は、完成品、半完成品、あるいは部品状態だったT-34やKV-1などの「欠陥だらけのソ連戦車」をサンクトペテルブルグからフィンランドとウクライナ、バルト三国(無論、ドイツ本国にもサンプルとして一定数送られたが)に送り出すことだった。

 まあ、これは単純に”サンクトペテルブルグ製の新戦車(後のKSP-34/42)”の製造ラインを確保するための処置だったが、他の(継続生産する気のなかったソ連航空機の部品など)と一緒に送り出したそれらの物資は実に喜ばれた。

 いや、現物どころか一部の不足していた部品製造装置も譲渡され、搬入されたのだ。(来栖曰く:「T-34にしか使えんような製造装置とかいらんし」)

 更に喜ばしいのは、ソ連戦車や航空機の継続生産は行わなくとも、火砲の類や一部の小火器は継続生産、あるいは改良が加えられた上で生産再開が行われた事だ。

 

 ウクライナだけに回されるわけではないが、ウクライナにも回ってくるこれらの物資は、”ウクライナ解放軍”からウクライナ新政府の樹立と同時に”ウクライナ解放軍”から格上げされた正規軍たる”ウクライナ国防軍”の発足に大きく貢献したのだ。

 

 

 

 さて、まだ国際社会の場に再デビューを果していないとはいえ、新生ウクライナとウクライナ国防軍の事を長々と話してきたのには、理由がある。

 何しろ、ウクライナ国防軍が発足していなければ、今回の”クルスク”奪取は成立しなかったかもしれないからだ。

 

 

 

 












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