第186話 要塞都市 ”Smolensk wie ein Stachelschwein”
記録によれば、第1統合航空戦闘団(Kombiniertes Luftfahrt Kampfgruppen 1 :KLK1)がウルム基地群からスモレンスク、ビテプスク、モギリョフ方面へと飛び立ったのは、1942年2月末日と記されている。
”セント・バレンタインデーの喜劇”を呼び水に開催された国連臨時総会と前後するタイミングでの移動であった。
許容できるぎりぎりまでの練度上げを行った苦心の後が見受けられた。
KLK1は、本来はFw190A×150機、Bf109F×180機、Ju87D/E×180機、途中から急遽追加となったHs129B×90機、偵察機/輸送機/弾着観測機などを含め合計600機という大所帯となっていた。
因みにHs129だが、ほぼMk103/30mm機関砲を搭載した史実のHs129B-2だが、エンジンがフランス製のノーム・ローンではなく、国産のBMW132最終生産型で、キャブレターから燃料噴射装置への変更や過給機のレトロフィットが行われたこのエンジンの出力は、オリジナルのほぼ倍加と言ってよい1,200馬力を発生させる。
増強された出力は、速度やペイロードだけでなく難点だった防弾性能の強化やサンクトペテルブルグ製の汎用空対地ロケット弾システムの搭載にリソース割り振られ、史実以上に扱いやすい”タンクバスター”になっているようだ。
まさしくスモレンスク防衛戦の航空主力と言ってよい陣容だった。
そして、段階的に行われた部隊の配置転換により、スモレンスクを防衛していた部隊はベラルーシまで下がり、休養と部隊の再編を受ける予定になっている。
無論、航空兵力はこれだけではなく中央軍集団の総司令部が置かれているミンスクには、合計80機のJu188、Do217双発爆撃機が出撃の時を待っていた。 また、万が一にもソ連が夜間爆撃を敢行する場合を想定し、実戦配備が始まったばかりの最新鋭夜間戦闘機He219”ウーフー”36機もいつでも前線任務に就けるよう予備兵力としてベラルーシ入りしていた。
***
さて、この予備機まで含めれば800機を超えるこの大航空部隊の指揮を執るのは、兵士より”パパ・グライム”という愛称で親しまれるローランド・フォン・グライム大将で、その上役で中央軍集団総司令官が最近、元帥に昇進したヘルムート・ホトだというのだから、こちらはこちらで豪華な布陣だった。
スモレンスクに直接配備されている常駐兵力は、水の確保や武器弾薬食糧の備蓄の問題から、やはり工兵隊などの後方部隊を含めても総兵力33万人と言ったところだろう。
だが、ここにビテプスク、モギリョフの空軍基地群配備兵力と、来栖が派遣した”リガ・ミリティア”により設営された、クラスナヤ・ゴルカ付近の”
元々、”バルバロッサ作戦”の初動で文字通り電撃的にスモレンスクを陥落させて以来、ソ連から削り取った街でありモスクワに最も近い街であるスモレンスクは「赤軍の攻撃を正面から受け止める、敵陣に突き出た最前線の砦」としての機能を持たせるべく防衛力強化に尽力してきた。
そもそも、スモレンスク奪取から、史実と異なり勝敗の天秤はドイツ側に傾いていた。
理由は様々であるが、戦術面と戦略面双方に史実と異なる部分があった。
一つは、他のロシア人との戦闘でも言える事だが”T-34ショックの
”バルバロッサ作戦”発動以前、北アフリカ戦線(リビア)での日本皇国陸軍の重装甲/大火力を誇る一式中戦車などとの戦闘で、多くのドイツ装甲将校は「自国軍より優勢な装甲戦力との戦闘」を経験した。
当時のドイツ軍の主力戦車は短砲身75㎜砲の初期型IV号戦車や高初速であっても50㎜砲であるⅢ号戦車であり、苦戦は必須だった。
しかし、その環境で生き残り帰国した戦車乗りに与えられたのは、T-34戦車をあらゆる状況で「
そして、初期型のT-34はエンジンパワーがある分スピードこそ一式中戦車に勝るが、多分に直線番長的な気質があり、変速/操向装置に難があり小回りが効かず、(バルバロッサ作戦発動時では)火力・防御力で一式中戦車に劣り、照準器の精度の問題で命中精度が悪く、また無線機がほとんど搭載されてないせいもあり、装甲集団戦が稚拙で全く連携が取れていなかった。
北アフリカで戦火の洗礼を浴びたドイツの装甲将校の言葉を借りれば、
『ただ直線が速いだけで、あまりにあっさり撃破できるので拍子抜けしたくらいだ。連中の主砲はそこそこ威力はあるが、狙いが下手糞すぎて余程近づかれなければ、まず当たらないし発射速度も早くはない。要は距離をつめられ過ぎないように慎重に距離をとって射撃するなら、射的大会のような物だったと思う』
前にも述べたが、この世界線におけるT-34をアウトレンジで撃破可能な75㎜長砲身砲を備えているのは、主力戦車ポジションのIV号戦車だけではない。
Ⅲ号突撃砲もヘッツァーのような駆逐戦車もSd.Kfz.251/22やマルダーのような対戦車自走砲も、牽引式対戦車野砲のPak39も薬莢も共通の75㎜長砲身砲を標準としている。
史実のように「T-34が出てくるたびに、88㎜高射砲を引っ張り出す」ような状況にはなってないのだ。
つまり、戦車部隊、砲兵部隊、歩兵部隊でもT-34を撃破できるという意味であり、これはそのままドイツ軍の進軍の速さや消耗の小ささに直結した。
事実、スモレンスク攻略は防衛側のソ連に時間的猶予を与えず、史実よりも爆破する橋も少なく、地雷原も薄くなり、兵力の集中も住民に対する対処もままならなかった。
まさにあっと言う間にベラルーシを制圧し、スモレンスクに辿り着いたという感じだった。
そして、無視できないのは……
史実での「早期のモスクワ攻略」を主張したグデーリアンと、「赤軍野戦軍の殲滅を優先」を主張したホトの対立により、いずれも中途半端になってしまい、それが後に戦争に大きく暗い影を落とす……という事がこの世界線ではなかったことだ。
最初から、中央軍集団司令官をホトに一本化した上に、モスクワ攻略を目標に加えていなかったせいもあり、スモレンスクの攻略と同時に周辺の残敵掃討と撤退する敵への追撃戦を効率的に仕掛ける事ができ、より大きな出血を強いることができた。
また、スモレンスク占領後の統治、いや戦後処理もかなり大きく後に影響を与えた。
流石に捕虜にした軍人は流石に後方へ搬送した(戦時捕虜の取り扱いの関係もあるため)が、前に少し触れたかも知れないが、後々面倒しか生まない民間人虐殺など行わず、持てるだけの財産やら家財やらを持たせてさっさと退去させた(放逐した)のだ。
だが、同時に”退去期限”を過ぎてもスモレンスク周辺でロシア人を見かけた場合は、年齢性別を問わず破壊工作目的の「
ソ連にとり、大量の国内戦争難民がまたしても発生したわけである。
住民を労働力として強制徴用することはできなくなったが、その分、無人となった街で工兵隊を中心としたスモレンスクの”
住民を追放する事により、ソ連に戦力的余地を与えてしまったと思う向きもあるかもしれない。
実際、戦争難民化したロシア人の多くは消耗した兵員の穴埋めのために、家族の保護を条件に徴兵されることになる(家族の保護=人質という図式にもなるが)が、ドイツ人に対する復讐心で気炎を上げる物もいるにはいたが、実はそれは少数派だ。
彼らの大半が「普段威張り腐っている赤軍が、苦も無くドイツ兵に一蹴されている」姿を目の当たりにしているのだ。
果たして、そんな者の為に、致死率の高い相手と戦おうと思うだろうか?
要するに、人質に取られてる家族と(背中から督戦隊に撃たれる事も含め)自分が死なない程度の士気しか持たないのが普通だ。
***
元々、堅牢な要塞化都市(魔)改造が行なわれていたスモレンスクではあるが、42年に入るなりグニョスドヴォ→カティンをぬけるドニエプル川沿いの西へ延びる大幅な野戦防衛線拡充の命令が出た。
そのための物資や機材、それを扱う人員(トート機関も含む)の増強が行われ、その甲斐あって2月後半には随分と形になってきていた。
具体的には、アレクシノ→サナトリ・ボルク→カティン→アルヒポフカ→エルマキ→グニョスドヴォという”カティンの森”をぐるりと囲む分厚い野戦築城だ。
そして、国連臨時総会の模様を記した号外が発布されると同時に、スモレンスク防衛隊はいつの間にか来ていたNSRと軍情報部の人間が憲兵隊などと一緒に”カティンの森”で何をしていたのか、そして、自分達が何を目的に防衛線を補強した目的を察し、何を守るために誰と戦うのかを理解した。
そして、赤軍が攻めよせてくるだろう”
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その日、初めて眺める(この時期にしては珍しく)良く晴れたスモレンスク上空からの情景を、マルセイユはこう評している。
「スゲーな。街一つが丸々要塞になってやがる! 見てみろよハルトマン。地面の塹壕や対戦車壕が折れ線グラフみたいだぜ?」
マルセイユとハルトマンの眼下に広がるのは、スモレンスクからドニエプル川方向に西へと延びる一帯をぐるりと囲む目的別の壕や堀、障害物、有刺鉄線で作られた幾重もの防衛線。
見えないだけで周辺には地雷原も厚く併設されているだろう。
空から見えるだけで無数のレーダーアンテナや重砲や高射砲などがあちこちに設置されてるのが見える。
その平時には有り得ない姿に変貌したスモレンスクという街はどこかハリネズミ、いや……
『要塞都市、”|Smolensk wie ein Stachelschwein《ヤマアラシのようなスモレンスク》”』
より攻撃的なヤマアラシをハルトマンに連想させる。
「ハハッ! 中々上手いことを言うじゃねぇか!」
陽気に笑うマルセイユ。
だが、その瞳には隠し切れない闘志が渦巻いていた。
歴史に名と傷痕を残す第二次大戦屈指の規模の戦いは、もう目前に迫っていた。
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