第175話 一度一線を越えてしまえば、最早後戻りは叶わじ




「”バルト三国義勇兵団リガ・ミリティア”なら、トート機関や軍の工兵隊にもそうそう引けはとらんよ。むしろ線路の設営や引き込み線の確保、重機の扱いなら上かもしれん」


「フォン・クルス総督、本気か……?」


 気がつくと、無意識で俺はそんな確認をしていた。

 ああ、レーヴェンハルト・ハイドリヒだ。


 確かに認識としてはサンクトペテルブルグは「バルト海沿岸諸国の承認を受けた”ドイツの保護領”」という扱いだ。

 ”リガ・ミリティア”は実質的にはクルスの私兵だが、公式的にはサンクトペテルブルグに付随する”ドイツ皇国軍の外郭団体”、未来の言葉で言えばPMCになる。

 フランスの外人部隊を世界が認めてる以上、その扱いや立ち位置に問題はないが……

 

(クルス、お前は今、何を言ったか本当にわかっているのか?)


 都市に付随する準軍事組織として認識されている治安組織(武装が許されている以上、建前はそうなる)を、「国外・・、それも戦地・・に派兵する」と言ったんだぞ?

 その意味がわからぬ男ではないはずだ。

 

 サンクトペテルブルグでの現在のクルスの立ち位置は、まだ言い訳が苦しいが立つ。

 クルスが現地入りしたのは戦闘終了後だし、「レンタルしたドイツ側の意向と依頼で今の立ち位置についた。別に来栖本人が望んだわけでは無い」とも言える。

 だが、自分の手持ちの戦力を、「自身の意思・・・・・で国外に出すと決めた」以上、どんな国内外の法に照らし合わせてもあらゆる意味で言い訳、いや言い逃れがきかなくなる。

 つまり、

 

”任三郎・来栖という日本皇国外務省職員・・・・・で起こせる行動ではなくなる”

 

 ということだ。

 どこの世界に、「派遣先の国で得た私兵を、派遣国の戦争の為に国外に出すことを職員に許す外務省」があるというのか?

 言っておくが、日ソは反目関係にある、敵対関係にあることは国連加盟国ならどこでも知ってることだ。

 だが、それと同時に日ソは未だに”戦争状態にはない・・”のもまた事実だ。

 

(おそらく、来栖の行動は”日ソ開戦の引き金になる行動”として日本皇国で問題視される)


 そして、行動から考えて、取り繕うことは不可能だ。

 そもそも、クルスは言い逃れするような性格ではない。

 

(これを報告すれば、クルスの正当性を担保する為に外務省と内務省、軍部は一気に動くだろう……)


 無論、報告しなければ計画案として成立しなくなる。

 それどころか、原案から正規の計画書に起こす段階で、リガ・ミリティアを工兵準拠で作戦投入する以上、その責任者であるフォン・クルス総督の名前を最低でも「協力者」として記載しなければ、リガ・ミリティアは作戦参加は認められない。

 せめてできるとすれば、

 

(クルスが出した原案を元に、”NSRが情報提出しOKHの作戦部が共同で作戦案を仕上げたという体裁にするしかないか)


 実は流れ的には嘘は言っていない。NSRが原案を提出し、まずOKHの作戦部がブラッシュアップして実働可能かを最終的に判断し、実働可能ならば細部を詰める作業を進める。そして、次の段階で陸海空の参謀部や作戦部の必要な人員を集め、専門部署の目線で煮詰め実際の準備に入るのだ。

 そればらば、来栖は「手持ちの工兵隊をドイツ軍に貸しただけ」という形になる。

 だが、いずれにせよ他国の外務省職員としては問答無用でアウトな行為だった。

 

(確かにそれは……この結果は俺が内心で望んでいたことだ)


 だが、ほんの少しだけチクリと心が痛んだ。

 俺の心に良心など残っていたとは思わなかったが、

 

(これが呵責というものか……)


 ”ナチスドイツのハイドリヒ”として生きる事を選択し、己が地獄に行くその日まで我が友ヒトラーを支えると誓ったあの日に捨てたはずの感情が、まだあったとは驚きだ。




***




 ふむ、来栖だ。

 とりあえずアメリカ人のレンドリース船団の到着次第だが、国連総会時期次第だが早ければ2月の後半、遅くとも4月までにはスモレンスクを巡る大規模な攻防戦が発生するだろう。

 普通の国なら考えられないだろうが、国家の面子やら体面を守るためには、敵国民も自国民もどれほど死んでもかまわない。

 それがソ連という国であり、共産圏というものだ。

 例えば、アメリカ合衆国。ルーズベルトが”いつもの調子”で日本に戦争を吹っ掛け、仮に100万人程度のアメリカ人が死んだとしよう。

 そうなれば、まず体制の維持はできなくなる。

 なぜなら兵には家族がおり、家族は有権者だからだ。

 民主主義国家は、結局は支持率と得票数だ。それがなければ、アメリカの政治は成立しない。

 100万人の死者は米軍の壊滅を意味するだけでなく、「戦争を始めた大統領」への責任追及へと繋がり、弾劾と罷免に待ったなしだ。

 無論、「ソ連にとって最も都合が良い大統領」であるルーズベルトの失脚を、マスゴミを始め多くの赤化汚染階層が庇おうとするだろうが、100万人の死者はどう取り繕おうとキャパオーバーであり、最良の結果でも「1944年の大統領選」では勝てないだろう。

 

 だが、ソ連は政治総体として性質が全く異なるのだ。

 現実に、戦争で1000万人の死者を出し、粛清やら何やらで連邦全体で2000万人の死者を出したが、体制が揺らぐことはなかった。

 「選挙が無く、国民に共産主義という洗脳を行い、体制に逆らえば粛清対象になる」という国は、そういう意味では強いのだ。

 

(なら、例え少しづつでも機会があるごとに着実に削っていくしかないな……)


 極論すれば、「敵となる者を皆殺しにすれば戦争は終わる」だ。それを勝利と呼べるかは疑問の余地があるが、そこまで極論ではなくとも「国体を維持できる限界ではなく、政治的な意味でなく物理的な意味で国家を維持できる限界まで=戦争を継続できなくなるまで間引きすれば戦争は終わる」を目指すしかない。

 ソ連人というカテゴリーを歴史用語にするよりは、これなら随分とハードルを下げられる。

 

(それに考えようによっては、これはソ連に大打撃を与えられる好機だ……)


 考えなくとも政治的に横っ面を張り倒されたソ連は、遮二無二蹂躙戦を仕掛けて来るだろう。

 ジェーコフあたりが反対するかもしれんが、本質的には止められない。

 スターリンの怒りを買わないこと……ソ連で将軍として生き残るというのは、そういうことだ。

 

(それにスターリンがジェーコフをモスクワ防衛から切り離すのは考えづらい……)


 あの男は本質的には、臆病者の小心者だ。自分の命が何よりも誰よりも可愛く惜しいために、相対的に他人の命を塵芥の価値に押し下げる。

 

(人類悪その物みたいな奴だからな……あるいは、人類に課せられた特級呪物)

 

 そして、今は米国からのレンドリース品が前線には届いていない。

 

(その状態で赤軍がスモレンスクに押し寄せてくる……間違いなく好機だ)


 では、その好機にサンクトペテルブルグは時間制限がある中で、他に何ができる?

 

「野砲や重砲の類は砲弾の規格が違うから返って補給の負担になる。サブマシンガンもドイツ軍ではもはや30モーゼル(トカレフ弾と互換)はメジャーじゃないから、これも却下だな……」


 この辺の装備は、むしろソ連式装備を集中運用できる部隊に流した方が良い。

 例えば、フィンランド軍やウクライナ解放軍だ。

 

「とすると、残りはカチューシャロケット弾発射機か……」


 BM-8(82㎜地対地ロケット弾)とBM-13(132㎜地対地ロケット弾)の発射機。これなら移動プラットフォームのZis-6トラックごと量産が利く。

 実は、ドイツ軍の同種の兵器、ネーベルヴェルファーは牽引式の物がほとんどで、それをマウルティアハーフトラックなどに車載化した”パンツァーヴェルファー”は数が少ない。

 スモレンスクのように街一つを要塞として使うために道路整備が進んだ環境だと、おそらく「悪路走破性は低いが素早く移動して攻撃と発射後の移動が可能」な自走式ロケットランチャーの価値は大きいだろう。

 とにかく、再装填に時間はかかるし命中精度は低いが、一度の投射重量が大きいから最大瞬間火力は重砲の比じゃない。

 

 要するに適材適所だ。

 持続性のある正確な射撃が欲しいのなら重砲だし、短時間で圧倒的な面制圧が欲しいのならロケット弾だ。

 要するに鈴なりにデサント兵乗っけた戦車群の頭上にばら撒くならロケット弾の方が向いていたりする。

 

「対装甲用の成形炸薬型と対人用の鉛玉をまき散らす二種類を突進してくる戦車の群れにばら撒けば、効果絶大だぞ?」

 

 もっと時間があれば、色々できたが……まあ、今は精々こんなところだ。

 街の復興が進み、新しい工場が立ち並び、本格稼働を始め、労働人口が増えたら、もっと出来ることは増えるだろうが今はこれが精一杯。

 

「フォン・クルス総督、今回の会議の内容を元にまとめたスモレンスク防衛戦原案の策定を」


「心得た。シェレンベルク、シュペーア君、シュタウフェンベルク君、私が訪ねた内容を確認して、なるべく早く文書で提出してくれ。アインザッツ君、ツヴェルク君、ドラッヘン君、君たちはメモした内容を箇条書きにして提出を」


 全員、中々に勇ましくも凛々しい敬礼で了解を返してくれた。

 ところでハイドリヒ、なぜそんな微妙な顔をしている?

 

「フォン・クルス、お前は本当に軍人の、いや将軍の経験はないのか……?」


「無いってばよ」


 少なくとも今生では。

 どうもトハチェフスキーとして生きた経験はある臭いが、それは何というか……「人が見た夢の断片」みたいな主観記憶の映像と、記録に近い客観記憶の”汚ェモザイク”みたいなもんだ。

 それでも、俺の物だとわかるのは、生々しい憎悪と怨嗟がそこに乗っかってるからだ。

 それは確かに俺の、俺だけの”宝物”だ。

 何しろモチベーションにもバイタリティーにもなる。

 何のことはない。

 今生で生理的嫌悪を感じていた共産主義に対する感情の中で、どうも消化不良になってるモヤモヤというかドロドロしたものがあると思っていたが、その正体がわかっただけですっきりだ。

 

 俺、来栖任三郎って人間は、いくつあろうが、思い出せようが思い出せまいが、「前世を含めて俺」だと思ってる。

 前世の記憶に振り回されて今生を見失うなら愚の骨頂だが、そいつを制御して「経験や記憶、記録」として引っ張り出せるのなら、今を生き抜く強力な武器になる。

 結局は、ただそれだけのことだ。

 
















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