第169話 アメリカの光と影 ~全てが赤化していたら話はもっと単純だったのに~




「ぐぬぬ……」


 その日、フランシス・ルーズベルトは盛大に歯軋りをしていた。

 当然だった。何しろ通称”チャド・ハルノート”の計略が大失敗したのだ。

 いや、それどころか再び偉大なるアメリカ合衆国が世界の笑いものになったのだ。許せる訳はない。

 『意図的に日本皇国が絶対に飲めない内容』を入れることは、ルーズベルトは承認していた。

 ちなみにチャド・ハルノートの草案を練ったのは、実はハルではなくハドソン・ホワイト財務次官補なのだが、この男、前にも話題に出たように我々の世界でもこの世界線でも押しも押されもせぬ立派なコミンテルンの一員である。

 

 日本が飲まないことが前提だった。飲まないことを前提に、「何なら飲める?」と政治的駆け引きを行い、ともすれば日英の離間工作をかけるつもりだった。(意図的に英国には何も要求しなかったのは、そういう理由もあった)


 だが、日本はハルノートを逆手にとり、「等価交換だ。俺も飲むから対価としてお前も飲め」と《b》”米国が決して飲めない要求”《/b》を突き付けて来たのだ。

 これは完全に計算外だった。

 これのタチが悪いところは、アメリカがチャド北部とインドシナからの撤退要求をしているのに対し、日本はハワイ1か所しか要求しておらず、”大衆の目から・・・・・・は、日本が譲歩してるように見える”ことだ。

 

 冗談ではなかった。

 こちらは、フランス人の土地をダシにして、日本に政治的ダメージを与えることが目的だったのに、日本は”米国の核心的利益・・・・・を手放せ”と言ってきたのだ。そこに譲歩をする気など欠片もないことが見え隠れしていた。

 しかも、ハワイを占領した際の「お世辞にも合法とは言えない手段」を引き合いに出してだ。

 ついでに言えば日本は「ハワイ王国を崩壊させて併合に至らせた米国の手口」を詳細に書面にまとめ、各国の国連特使に配布したらしい。というより、アメリカの特使にも配られた。

 ご丁寧な事に「国際法に照らし合わせて明らかに違法性が高いと思われる部分」の注釈まで付けて。

 分かりやすく、入念に準備された事がよく分かる資料だった。

 とても腹立たしいことに。

 

 

 

***




 前にも少し触れたが、史実と異なり日本は「国内の労働力確保」を名目に明治政府の時代は移民を著しく制限していた。

 実際、海外に出たごく少数の移民に”帰還命令”も発布されたし、それに従わない場合は、「(政府の命令に応じない以上は)以後、子々孫々に至るまで日本人とみなさない。永久的に国籍を剝奪する」と厳しい沙汰まで出た。

 

 そのような情勢があったために、当然、史実とは真反対にアメリカにもハワイ王国(当時)にも日系人社会は存在しない。

 現代の感覚だと意外に思うかもしれないが、史実の日系移民はアメリカ政府やハワイ王国からの「労働力確保目的の移民要請」から始まったのだ。

 当時、基盤も経済力も脆弱な明治政府は国民を満足に食わせることが出来ず、この要請に飛びついた。そして、これが悲劇の始まりだ。

 大雑把に言えば官約移民(政府斡旋移民)、ハワイを例に出せば1886年の”日布移民条約”から始まり(ただし、その前に日本人労働者無断連れ出し事件があった)、1907年の”日米紳士協約”が締結されたが米国が紳士なわけもなく、早くも1913年には協約違反の”排日土地法”が施行され、1924年には協約自体が失効。

 そして、同日”排日移民法(ジョンソン=リード法)”が施行され、これが太平洋戦争中の日系人の強制収容所送りに繋がる。


 ちなみに日本人が強制収容所送りになるのは42年からだが、その前年の41年には「中国人排斥法」が撤廃される。

 やったのは当然、中国にケツの穴まで貢いでるルーズベルトだ。

 どうやらこの男、アメリカを中華文明圏にしたかったらしい。

 アメリカの”パンダハガー”は伝統的なものであり、冷戦後に始まったわけでは無い。

 



 こんな”別の世界の歴史”を知っており、今生でも変わらぬアメリカ人の世界が変われど変わることのない腐れ外道っぷりを確認した日本皇国の転生者が、棄民政策になるのをわかってて移民を了承するわけなかった。

 一応、言っておくが日本人排斥が起きたのは、何もアメリカだけじゃないことを追記しておく。

 故にハワイ王国崩壊とアメリカへの武力(強制)併合に、今生では深く関わる筈はなかったのだが……だが、別に移民を拒否しただけであり、ハワイの王族が来た時は普通に歓待したし、あくまで来賓ゲストとして振舞うなら無碍にはしない。

 ただ、アメリカだのハワイだのにくれてやる労働力は無いというだけなのだ。

 そもそも日本はハワイのアメリカへの武力併合に関しては、


『国家指導部がアメリカに傾注し、アメリカ人の政治顧問を権力中枢に入れるなどが呼び水となった。アメリカのハワイ併合の野心が以前よりあったのは明白だが、その原因を作ったのもハワイの王族だ。故に我らはこの事例を対岸の火事とせず、”他山之石”ととらえなければならぬ。努々忘れることなかれ。所詮、この世は弱肉強食よ』


 とは、今は引退している最後の元勲、現役時の言葉だ。なるほど、近衛を気に入るはずである。

 そして、そのようなドライな態度だからこそ、アメリカ政府は見誤った。

 

 ”日本はハワイに興味も縁もない。故に王国崩壊も併合にもリアクションを起こさない”


 だがそれは、「ヤンキーの手口のサンプルケースとして観察しない」という意味ではないのだ。

 むしろアメリカ人の暴虐を、ハワイに強いコネやネットワークのある英国の全面協力の元、気づかれぬようにつぶさに観察し、記録していたのだ。

 ちなみに英国は、日本と米国が離間する事なら喜んで何でも手を貸す風潮がある。

 

 

 

 アメリカの諜報機関、情報機関は入念に「いずれ対決するだろうレインボープラン対象国」として、日本を研究してきたはずだった。

 だから、こんな「返し手カウンター」を用意してるなど、誰も想定していなかった。

 そして、政府中枢や国家上層に共産主義者は腐るほどいるが、転生者は(今のところ)いないアメリカ人は気付く事は無い。

 近衛が他にも候補地があるのに、あえてハワイを狙い撃った本当の理由、

 

 ”意趣返し”

 

 おそらくは、史実でアメリカが最も成功した謀略の一つ”真珠湾攻撃”に対するカウンターだということを。

 アメリカがやたらと”正義”にこだわる理由は、自分達がやってきた”後ろ暗い出来事”……原住民インディアンの大量虐殺に始まり、多くの大統領暗殺の舞台裏に至るまでを無意識に理解してしてるからこそだろう。

 自分が心の底から正義ならば、わざわざ正義を主張する必要はない。

 自分が正義でないと自覚してるから一々正義を振りかざし、他人も自分も・・・納得できるように喧伝する必要があるのだ。

 だから、アメリカ人は自己の正義を否定されることを極端に嫌う。

 自己のアイデンティティを否定されると同義だからだ。

 

 近衛は、その性質をよく知っていた。

 

 

 

***

 

 

 

 あえて言おう。

 平和に暮らしていたアメリカ原住民ネイティブアメリカンインド人インディアンと蔑み、父と子と聖霊の御名において、ハンティング感覚であるいは遊び半分で絶滅の瀬戸際まで追い込んだのが、アメリカ人のいう”建国”の始まりだ。

 1776年、英国より独立宣言、それから1世紀も経たない1861年に南北戦争をはじめ、自国民同士で殺し合いもした。

 まあ、この内戦で死んだ人間は最大でも90万人程度だから、後にアメリカ人が「正義」を口実に殺した人数から考えれば物の数ではない。

 むしろ僅か4年で終わったのが残念だ。

 こうして建国の理想は一世紀も持たずに失われ、現実になりきることなく地上から果てた。

 多民族国家故に他国から持ち込まれた汚泥は沈殿し、腐敗し、共産主義者の格好の温床となった。

 

 さて、皆さんは”自由の女神”はご存知だろう。

 アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスから寄贈され、リバティ島に建立された巨大像だ。

 アメリカのフランス贔屓はここから始まってるとされている。”自由でフランス”な悪漢共を支援する理由の原点はこれなのかもしれない。

 その台座にはこう刻まれている。

 

   疲れ果て、

   貧しさにあえぎ、

   自由の息吹を求める群衆を、

   私に与えたまえ。

   人生の高波に揉まれ、拒まれ続ける哀れな人々を。


   戻る祖国なく、

   動乱に弄ばれた人々を、

   私のもとに送りたまえ。


   私は希望の灯を掲げて照らそう、

   自由の国はここなのだと。




 アメリカ人は、決して”ソレ”を認めない。

 だから、代わりに親愛なる紳士淑女に問おう……

 ロシア革命を起こした”ボリシェヴィキ”とは本来、帝政ロシアでどういう階層のどういう人間で、どういう扱いを受けていた?

 メイフラワー号に乗り込み、新天地アメリカを目指した”ピルグリム・ファーザーズ”はどんな人々で、なぜアメリカを目指した?

 その時代に英国で起きた”清教徒ピューリタン革命”では、誰が誰を殺した?

 

 結局、米ソは似た者同士なのだ。

 むしろ、合わせ鏡と言ってもよい。そりゃあ、親和性が高く浸透工作がやりやすい訳である。

 そう考えると、もしかしたら冷戦時代というものは超大国となった米ソの根底には、近親憎悪に似た感情があったのかもしれない。

 だから、事態に対する打開策も似てくる。

 

「やはり、日本人ニップスはこの世から絶滅させねばならん……我らが正義を根底から否定する、あやつらは我が国アメリカにとって危険すぎる」


 だが、それが簡単にできることじゃないことも理解はしていた。

 大変面白くない現実だが。

 

 合衆国軍のトップである”ジョンポール・マーシャル”参謀長によれば、

 

『どれほど挑発したとしても、アメリカ人から殴り掛からない限り日本人からは手を出してきませんよ? 彼らにとり、アメリカ合衆国は軍という国家リソース投入する優先度は低い。アフリカで手一杯の最中に、アメリカ合衆国に手を出すことに日本人は価値を見出していないのです』


『全面禁輸ですか? 実質的にダメージはないと思いますが。合衆国にとり日本は貿易黒字相手国ですから』


 どうやら、合衆国軍内部まで、赤化の波は及んでいないらしい。

 マーシャルの補佐官を務める(マッカーサーから解放されホッとしている)”ドナルド・アイゼンハワー”も同じ意見のようだ。

 

 

 

***

 

 

 

 そして、ルーズベルトにとってもこれは無視できない話であった。

 実際、彼は赤と親しい取り巻きそっきんに乗せられ、対日禁輸措置の執行書にサインしたのだ。

 だが、それに待ったをかけたのは、共和党・民主党を越えた超党派の議員……選挙区に日英への輸出企業を抱える議員達だった。

 いや、それだけじゃない。

 彼らを先導して大統領に詰め寄っているのは保守派、いや孤立主義の首魁と目される共和党の”アンドリュー・ヴァーデンバーグ”と”ロジャー・タフト”、”トーマス・SL・デューイ”だった。

 他にも、熱烈な反共主義者の”ハルバートン・フィッシャー三世”や反ルーズベルトの”ヨーゼフ・ウィリアム・マーティン・ジュニア”、”ブルーノーツ・バートン”などが揃っていた。

 それを抑えようと民主党(共和党に受け入れ拒否された)の”ランデル・ウィルキー”や、共和党でありながらルーズベルトのシンパで共和党保守派から裏切り者呼ばわりされている”ラルフ・ランドン”が動いているが、結局押し切られた。

 

「プレジデント、貴方がその執行書にサインをするなら、我々は今後、貴方の・・・レンドリースに一切協力できなくなります。有権者の職を奪う大統領に力を貸すことはできませんので」


 アメリカにおいて、政治とは金であり得票数が全てだ。

 その辺の感覚は、日本よりよっぽどシビアであった。

 この時期、日本皇国は戦争景気さえも味方につけて、大規模な第二次高度経済成長期モータリゼーションを起こしていた。

 流石に狭い日本の道路には大き過ぎるアメ車はさほどでもないが、建機や重機の輸出は好調なのだ。

 日本本国でそれらの建設機械を作ってないわけでは無いが、やはり「大きい方が良い物」は未だにアメリカ製が人気がある。

 

 他にもアメリカが得意なトランスなどの発電所関係の物品や、粗鉄などの原材料は堅調が続いている。

 その取引額は、我々の知る歴史の戦前の比では無い。

 加えて、それにケベックの件で恨みを買ったイギリスが様々な形で煽り乗っかりかすめ取って行くのは明白だった。

 つまり、この議員達は、

 

『金の卵を産むガチョウを、意味もなく取り上げ縊り殺そうと言うのか?』


 と聞いているのだ。

 

「貴様ら……私には、”大統領行政特権”があるのだぞ?」


「使いたいならどうぞお好きに。その場合、どれだけの議員が貴方の敵に回るか楽しみにしていてください。次の選挙までにはまだ間がありますよ? 貴方は国王でも皇帝でも独裁者でもない・・・・・・・。最近、アメリカ以外に居る独裁者を主と仰ぐ”赤い側近”たちのせいか、どうもそれをお忘れのようですが」

 

 それにルーズベルトが何と答えたのかは、残念ながら記録に残っていない。

 だが、逆らう者達を罷免しようと画策したが、対象者が多く難しいと判断せざるえなかった。

 

「プレジデント、そろそろ共産主義者に貢ぐのを辞め、貴方を大統領にした有権者の為に税金を使ったら如何ですか?」

 

「貴様ら……自分が何を言ってるかわかってるのか?」

 

「貴方こそ、自分がどの国の大統領かお忘れで? アメリカの大統領ならば、まずアメリカ人の事を優先して考えて貰わねば困りますな」

 

 

 

***



 

 こうなれば、ルーズベルトは日本皇国に対する通牒、”チャド・ハルノート”を撤回するしかなかった。

 頭ではそれが一番ダメージが少ないことは分かっていた。

 だが、本人が劣等人種と定める日本人に対する”明確な敗北”……それが許容できなかった。

 彼の自尊心は著しく傷つけられ、憎悪と怨嗟が益々蓄積していくのだった……

 憎しみと怨みを瞳に宿したまま、ルーズベルトは報告書を手に取る。

 

 ”マンハッタン計画Manhattan Project

 

 表紙にはそう書かれていた。

 ”新エネルギーの兵器転用”を趣旨にした報告書だが、それを見てもルーズベルトの暗鬱とした気分は晴れなかった。

 なぜなら、この世界線では英国やカナダの協力は、当然のように得られていない。

 コンゴからウランが入ってくる予定もない。

 また、屈服させたドイツから奪うことも難しいだろう。

 最初の一歩1st ステップ、米国初の原子炉”シカゴ・パイル1号”の火入れの予定すら立っていない。

 結果、その報告書には、

 

 ”実用化目途は、1950年前後”

 

 そう結論付けられていた。


「日本人を絶滅させるまで、まだそれだけの時間がかかるのか……」


 ルーズベルトは”それ”を信じ込んでいる。

 核を手にするのは、神の恩寵を受けたアメリカゴッドブレス・アメリカだけだと信じている。

 

 だが、現実は常に非情だ。

 彼は結局、そう先の長くない生涯において、”転生者”の存在を感知することはなかった。

 つまり……アメリカが”どれほど恨まれているのか?”を知ることはついぞ無かったのだ。

















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