転生しても戦争だった ~数多の転生者が歴史を紡ぎ、あるいは歴史に紡がれてしまう話~
第167話 文化の違いってのは、一つの事象に対する認識の違いって意味でもある。つまり、同じ出来事を見ても同じ認識とは限らない
第167話 文化の違いってのは、一つの事象に対する認識の違いって意味でもある。つまり、同じ出来事を見ても同じ認識とは限らない
さて、とても残念なお知らせがある。
とてもとても残念なお知らせがある。
リビア南部から南進し、アオゾウ地帯を通りチャド北部(北半分)を制圧する戦争、いや皇国軍の治安出動による
1942年4月1日に日本皇国の近衛首相が公式に「治安出動の宣言」を行った時には、万全とは言わないが、できる全ての準備を終わらせていたこの戦い……実質的な戦闘は、”僅か1週間”で終わってしまった。
いや、勿論担当地区の治安回復にはもっと時間がかかるだろうが、仏領赤道アフリカ・チャド北部に配備されていた自由フランス軍を僭称する組織の兵力が全て枯渇してしまったのだ。
噓ではない。
元々、ドイツに侵攻される前のフランスは赤道アフリカの経営にさほど熱心というわけではなかった。
当然であった。
チャドだけ見ても当時はこれといった産業は無く、油田もウラン鉱脈も発見されていなかった。
まだ水源地があり緑広がる南部から中部にかけてはフランス人が持ち込んだ落花生や綿花、湿地帯にはわずかながらコメが栽培されていたが、北部はリビアとの国境付近(アオゾウ地帯)はほぼ砂漠と岩山、荒地であり、それから少し下がってもサバンナやステップなどの乾燥地帯が広がるだけであり、この時代は産業としてではなく自給自足的な放牧が行われているだけだ。
つまり、時代的に純粋な農業地帯であり、わずかながらでも産業として成立するのはこの時代では南部だけであった。
そんな「金にならない土地」に大軍を投じる様な真似をする国はいない。
チャド全体に配備された純然たるフランス軍人は3000名程度で、水増し軍事力として現地のチャド人を雇い”フランス・チャド植民地軍”を編成していたくらいだ。
そういう扱いなので車両は少なく、軽戦車すらも希少で、主な戦闘車は贅沢なもので装輪装甲車、普通は非装甲の野戦車や兵員輸送トラックがせいぜいだった。
無論、航空機などは皆無であり、戦闘用に至ってはほぼ絶無。仮にあったとしても満足に飛べる状態ではなかった。
そんな彼らにチャド人にまともに軍事教練を施し、精強な実戦部隊を作る意志も力もなく、最低限の治安活動ができれば良いという有様だった。
まさに、「典型的な戦争を想定しない、とりあえず治安維持ができれば合格な植民地軍」の姿で、なんで戦後にああもあっさり植民地が独立したのか感覚でわかる。
宗旨国に反感を持つ住民にソ連や共産主義者が接触し、ちょっと革命思想を囁いて武器を渡して煽れば、なるほど戦う覚悟が”最初から出来ていない”植民地軍などたちどころに瓦解するだろう。
今回の事例は、「1週間しか持たなかった」のではなく、「1週間もよく持った」と称賛されるべきものなのかもしれない。
相手は民兵組織でも鉄砲を持っただけの農夫でもなく、破壊と殺戮を生業とする国家公認のプロフェッショナルな軍事組織、”日本皇国正規軍”なのだから。
大規模な戦闘行為と言えるような戦いはロクに無く、小規模な軍事衝突が頻発したがそれも皇国軍が一方的に殴りつけただけで、一番時間がかかったのは戦闘自体ではなく戦闘後の負傷した捕虜改め犯人の治療と搬送、その次は広い上に道路整備が脆弱なチャドを制圧すべき行軍時間(移動時間)だったという悲哀に満ちた現実を語ってはいけない。
また、1週間の時間の理由が相手の強さというより、数が少ないためのエンカウント率の低さ(=発見の難しさ)や、
それを含めて戦争なのだから。
とにかく、皇国軍がリビア・チャドの国境を越えてから最後の戦闘が(=最後の自由フランス部隊の降伏が)1週間後だったという事実が重要なのだ。
良いね?
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一応、オフィシャルには”チャド北部平定戦(戦闘はあったが、戦争ではない為)”という当たり障りのない名前だが、左だか右だかが名付けた、
《b》”一週間戦争”《/b》
の方が世間的に有名になってしまった。
また、米ソを中心とした反日メディアがしきりに「野蛮な日本人が罪なきフランス人と原住民を力任せに殴り殺した”One Week War”」と喧伝したためにこの名前が国際的にも広まってしまったのだ。
『おのれアカ許すまじ! 勝手に戦争にしやがって! 治安活動の警察行動だつってるだろうが!』
とは近衛首相の弁。彼的には米ソはどっちもアカだ。
ただし、国際的評価(国連加盟国)は……
『やっぱリビアのマカロニどもを
であった。
特に評価されたのは、日本皇国の容赦のなさだ。
こんな記録が残っている。
捕虜引き渡しの際、アルジェリア・フランス軍の代表者に、
「これで犯人の引き渡しは終了した。遺体は引き取るか?」
と聞く日本人にフランス人は「Non」と返した。すると、
「わかった。公衆衛生、防疫上の観点から遺体は全て焼却(火葬)処分とする。専用の施設も作ったから安心してほしい。何なら、施設を見学してゆくかね?」
「Non!」
これは時代背景や宗教上の理由も関係するのだが、「死後の復活」を信じるキリスト教やイスラム教では、この時代では土葬が基本だ。(実は、今もそう。先進国でも火葬率は低く、だからゾンビ映画が生まれる)
アフリカの風土病にはエボラ出血熱のような恐ろしい物もあるので、日本としては疫病の蔓延で取り返しがつかなくなる前に何とかすると言ったつもりだった。実際、この時の皇国軍担当官も「防疫のため公衆衛生に配慮してます」とアピールしたつもりだった。
だが、多くの国は……
『日本人に逆らった者の末路は復活の機会さえも一切許されず、(防疫を理由に)灰になるまで炎で焼かれ、この世から完全抹消させられるか……おっかないねぇ。本当に』
というニュアンスで捉えたらしい。
実は、この「日本人に殺されたら遺体を炎にくべて滅却され、復活の可能性さえも完全消滅させられる」という話は、多少の尾ひれがつきながら世界中に拡散されるが……それが思わぬ効果を生むのは、また後の話である。
***
ちなみに”仏領赤道アフリカ”売却関連の闘争(?)で米ソと偽仏が集中的に叩いたのは日本皇国だけであり、より買取分が多いはずの英国は華麗にスルーされた。
白人国家だからか?
欧州の国家だからか?
断じて否!
答えは”英国だから”だ!!
結局、英国を叩いたところでインパクトに欠け、「いつものことじゃん」と国際世論からスルーされるのは目に見えていた。
”日の沈まぬ帝国”を作った、老舗
ちなみに日本を集中的に叩く理由は突き詰めてしまえば、
・アメリカ
・ソ連
天敵だから。国内の共産主義者を事実上、壊滅させただけでなく、
・自由フランス
東洋人の分際で、自分達を正統なフランスと認めないばかりか、テロリスト呼ばわりしたから(閣僚転生者的には、前世では第二次世界大戦では敵国だったから)
どれも中々に酷い。
片や国際連盟未加盟のアメリカ、片や国際連盟を追放されたソ連、あとは国際的には亡命政府とは認められていない自称正統フランスの偽フランスだ。
しかも、自由フランスは自らも英連邦カナダのケベック州を不法占拠
当然、日本……というか、近衛首相は首相官邸に各国の特派員を集め、公式にこう返答した。
「おい、
まず各国特派員の笑いをとり、つかみはOK。
「そんな不様だから、お前らは亡命政府扱いされず、テロ組織認定されんだよ。お陰で皇国軍は治安出動扱いで警察行動せにゃならなくなった。
と煽り倒した。ちなみに”偽フランス”は流行語となり、後に多くの国が「ケベック・フランスと呼ぶより分かりやすくて良い」という理由で非公式に使うようになったらしい。ド・ゴールはまたしても血圧にダメージを受けた。
近衛首相、相変わらずいい空気吸ってるようで何よりある。
総じてしまえば、米ソ偽仏の日本に対するネガティブキャンペーンは、成功したとは言い難かった。
むしろ、「お~、効いてる効いてるw」と国際的な嘲笑を浴びただけだった。
実際、ソ連の悪事(虐殺・暴虐)の暴露で、ソ連支援に反対する国内世論の混乱収拾に忙しいアメリカ。証拠隠滅の為にスモレンスクに攻め入ったが、上手くいってるように見えず、毎日自分の出血で自身を赤く染めてるように見えるソ連。そもそも赤道アフリカに満足な兵力が無い自由フランスに現状を打開できる物理力(展開できる戦力)が無いのは誰の目にも明白だった。
だが、出せる戦力が無いからといって、打つ手がないとは限らない。
だからこそ、アメリカ合衆国大統領”フランシス・テオドール・ルーズベルト”は決断する。
国務長官”コープ・
……また返り討ちに合わなければ良いのだが。
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