第155話 ”急転直下” ~ドイツ自慢の急降下爆撃の事ではない。何故なら落とされたのは、どんな物理的爆弾よりもエゲつない威力の政治的爆弾だったのだから~




 さて、その後に関しては大きく語るような出来事は、もう無いのかもしれない。

 すでに師団長も輸送船のブリッジも押さえられていたし、一部の護衛艦が乗員が反抗しゴネて下船しようとしなかったが、それも隠蔽していた陸上の砲台から重砲の大口径砲弾がつるべ打ちされアメリカ軍艦の周囲に水柱を連続的に立て、更に視界の中に川下から上がってくる巨大なドイツ製の軍艦が現れた時、彼らのささやかな抵抗は終わりを告げた。

 

 かなりスムーズな行動だが、この「QP1船団の拿捕」も可能なら達成すべき”銀狐作戦”の副目的の一つなればこそと準備されていたゆえの手際の良さだった。

 ここで、少し心温まる(?)エピソードを入れておこう。それは、ドイツが如何に入念に準備していたかを物語るエピソードでもある。

 リバティー船をはじめとした輸送船に差し入れたアルコール飲料の濃度と久しぶりに味わう酒の美味さにアメリカ人らしく羽目を外し過ぎた船員が何人も急性アル中で倒れたのだが……船までケイタリングをしてきた給仕(実はNSRの特殊部隊員。英語も完璧)が外部に懐中電灯で発光信号を送ると、直ぐに医療班(衛生兵?)が駆けつけ「船外に搬送・・・・・」し、港の病院で治療するという事態が頻発した。

 まったく準備の良いことである。

 そして、仲間が病院で預かってもらえる事に安堵した船乗り達は、「これで安心」と飲み会を再開した。

 だが、彼らを責めてはならない。

 彼らが”敵国の領海”を通り抜けてきたのは噓偽りない事実であり、船乗りにとり港とは「安息の地」であるのだから。

 いつ撃沈されるか解らない航海なのだ。

 命あるうちに、魚の餌になる前に飲める機会があるのなら、飲むべきだ。

 それが、相手の感謝の気持ちを示した無料タダ酒なら尚更だろう。

 それこそが、正しきアメリカの船乗りがあるべき姿なのだ。

 

 道理で、輸送船の制圧があっさり終わった訳である。

 

 

 

***



 

 さて、ムルマンスクで収容(収監?)されたアメリカの海軍軍人と船団乗組員は、用意されていた軍用列車……では無く、ドイツ軍に接収された高速寝台列車”クラースナヤ・ストレラー”号の特別便でレニングラードから生まれ変わったサンクトペテルブルグに先ずは搬送された。

 

 とはいえ、いまだ復興中のサンクトペテルブルグで各種事務手続きをさせるわけにもいかず、今度はサンクトペテルブルグから船でハンブルグに抑留され沙汰を待つことになったらしい。

 確かに米国と交戦状態にないので捕虜ではないのだが、無許可で自国領海・自国領土に踏み入り、しかも交戦中の敵国ソ連に渡す武器を満載していたのだ。「ドイツ人の手ですでに陥落されているとは知らなかった」では当然済むわけがない。

 

 ドイツの法に照らし合わせれば、本来ならとんでもない重罪人の集団だが……とはいえ、迂闊に犯罪者として捌くわけには行かないのが、国際関係の難しいところだ。そもそも、この「国際的な犯罪行為・・・・」を命じたのは米国政府であり、合衆国大統領なのだ。

 ドイツはまず国際連盟の緊急会合の招集依頼を行い、同時にオランダ・・・・のハーグにある国際司法裁判所に提訴した。

 

 無論、ドイツは「私、困ってるんです」的な困惑(被害者)ムーブは忘れない。

 

 前にも述べた通り、この世界線ではドイツは別に国際連盟は脱退していない。

 三国同盟を組んでるわけでもなし、脱退する理由が無かった。

 

 そして、史実通りソ連は”冬戦争”の責で国際連盟を追放され、同じく史実通りアメリカは国際連盟に加盟していないという背景がここに来て、エゲつない効果を発揮し始めたのだった……

 

 

 

***




 さて、ドイツが国際会議の場でぶちまけた、英国メディアが名付けた《b》「セント・バレンタインデーの喜劇」《/b》は、各国の嘲笑をアメリカは盛大に浴びることになった。

 この時ばかりは、アメリカは加盟してなくて正解だったと言えるかもしれない。あるいは、ソ連は追放されてて正解だと。

 実は、この時にドイツから国連会議に提出された案件はまだあった。

 もっと言うと”ムルマンスクの一件”は、アメリカに「オブザーバーでも良いので国際連盟の全体会議に参加させてください」と言わせる為の”呼び水・・・”に過ぎなかった。

 ドイツの本題は、実は”残りの二つ・・・・・案件”だ。

 

 

 

 一つは、ウクライナで起きた「数百万人の餓死者を出した”人工の大飢饉”」、いわゆる”ホロドモール”に関する中間報告だ。

 「あくまで中間報告できるのはウクライナの惨状のみで、おそらくは他のソヴィエト共産党支配地域でも発生している」と前置きしてから行われた報告……「種籾まで奪われた」とする生存者の肉声がオープンリール・デッキから流され、写真、映像、またウクライナで処分しきれなかった当時の資料などが公開された。

 そして、中間報告書の内容は”我々の知る史実と同じ事がこの世界線でもスターリンの命令で行なわれていた”事を示すものだった。

 

 

 

 二つ目は、”カティンの森・・・・・・”で起きた出来事、発覚したばかりのセンセーショナルな報告だった。

 我々の世界でも1940年の春ごろに起きた、「赤軍による虐殺劇」である。

 内容は簡単に言えば、

 

 ”ポーランド侵攻時、ソ連軍の支配下に置かれた東ポーランドに居住していた22,000人~25,000人のポーランド人が、赤軍の手によりスモレンスクの郊外にあるカティンの森まだ連行され……そして、まとめて銃殺された”

 

 ”「ポーランド人捕虜を銃殺刑に処すべき」と提案したのはベリヤであり、ソ連首脳陣の内諾を得て組織的に国家事業として行われた”

 

 というものだった。

 ドイツは以上の件を《b》”ムルマンスクの件に合わせて”《/b》国際連盟全体会議で告発すると共に、証拠固めが終わり次第、国際司法裁判所に提訴すると宣言した。

 加えて、ドイツは「必ずその責任をソ連はドイツに押し付けてくる」と断じ、早急に国連加盟国の多国籍調査団の現地(現場)入りを提案した。

 

 こと「カティンの森の虐殺」は、ドイツが行ったとソ連は主張するだろうが、遺体はどう見ても死後1年以上経過した腐乱どころか白骨化したものも多く、なるべく多くの法医学者による国際司法解剖で「バルバロッサ作戦の発動(=ドイツによるスモレンスク占領)以前に殺害された遺体」だという事を証明したいと訴えた。


 全体会議の場でそれは承認(特に日英芬が乗り気だった)され、同時に加盟国有志連名によるまずは証拠が出そろった「ホロドモールに関する人道上の罪」で”ソ連への非難決議”がその場で採択された。

 この会議にソ連はオブザーバー参加すら認められておらず、事実上の「欠席裁判」だ。

 無論、非難決議が出たからと言って、既に国際連盟を追放した相手に何が出来るという訳ではない。

 だが、この意義はかなり大きい。

 アメリカ人は国際的に恥をかく&メンツを潰される程度で済んだが、ソ連に関しては国際的に「大量虐殺の主犯国家」認定されたのだ。



 

 また、発言権のないオブザーバー参加していたアメリカ国務省から来た特派員(アメリカ人抑留者の扱いに関する話し合いと予想された為、国務省から選出された)は、自国に流れ弾が飛んでこぬよう終始無言を貫いていた。

 だが、惜しむらくはアメリカに飛んでいくのは”流れ弾”などではなかったということだ。


 これ以上、説明の必要もないほど、アメリカは「大量虐殺犯ソヴィエト支援者パトロン」だったのだ。

 つまり、「悪の赤い帝国」を支援するアメリカも、やはり「虐殺を容認する悪・・・・・・・・」なのだと認識された瞬間だった。

 アメリカは、それを理解することも自覚することもないだろう。史実と同様に。

 中立法の影響なのかはわからないが、結局、アメリカ人が一番欠けていたのは、”当事者意識”だったのではないだろうか?

 おそらくそれは、後に大きなツケ・・となって降りかかる。

 

 

 

***

 

 

 

 ドイツは同時に「未だ英国のロンドンに拠点を置く」”ポーランド亡命政府”に対話を呼びかける。

 これに関しては、少しだけ状況の補足説明が必要だろう。

 

 1939年のポーランド侵攻が大きな問題にならなかったのは、ドイツの大義名分「第一次世界大戦で奪われたダンツィヒを含むポーランド回廊、及び東部領土の奪還」だったからだ。

 欧州史を少しかじった者なら誰でも知ってる事だが、欧州での国境紛争や地域紛争がやたら多いのは、「○○戦争で失った○○は本来は我が国の領土。故に奪還する権利がある」という大義名分がずっとまかり通ってきたからだ。

 つまり、ドイツの言い分を否定するのは、自分達が抱える領土問題を破棄するに等しく、それは少なくても現状では不可能なことだった。

 何しろ、「実力行使による国境線変更が可能」なのが戦争という状況なのだ。

 

 「亡命政府があるから、まだ降伏していない。故にまだその土地はドイツの物ではない」というのは簡単だ。

 だが、当時の感覚から言えば、「その国の首都にある政権が原則として主権を持つ」のが当然だった。何しろ、この時代の戦争の勝利条件は、「敵国の首都を占領して降伏文章を書かせたら確定」なのだ。

 戦争にもルールはあった。

 それを平然と破ったのが米ソだ。

 具体例を言えば、フランスがそうだ。

 慣例に従えば正統性があるのは史実でもこの世界線でもフランス本土に居を置く「ペタン政権」であるが、それを無視してド・ゴールを正統政府とした。

 つまり、「フランスにある政権よりも、国外の自由フランス軍の方が正当なフランスだ」とかなり滅茶苦茶を言ってるのだ。

 

 それをこの世界線のヒトラーは知っていたから、フランスはさっさとパリをペタン政権に返還してフランスの国家主権を手早くを回復させ、オランダも同じ様な手続きを行った。

 この世界線においてドイツがやたらと手早く占領地した国家の主権を回復させているのは、「今は主にアメリカに逃げ出している各国亡命政権に正当性を与えない・・・・・・・・」為だった。

 この世界線においても、ドイツがずっと占領しているのならともかく、フランスならパリ、オランダならアムステルダムに存在する「主権を持つ政権」が正当だと思うのが普通だ。

 親独かどうかは問題にすべきではない。

 

 

 

***

 

 

 

 そういう意味では、ポーランドが置かれた状況は少々特殊だった。

 まず、39年のポーランド侵攻でドイツが制圧した「西ポーランド」は、西プロイセン、ポーゼン州、シュレージエン(シレジア)だ。

 これらは第一次世界大戦の敗北でポーランドに収奪された土地(他にもメーメルラントがあるが、これはリトアニアであるので問題が別。無論、メーメルラントは何事もなくドイツに領土返還されている)であり、ドイツにとっては「他国に不当に奪われた領土」であり奪還するのは当然の権利だった。

 

 問題なのは、ソ連の支配領域「東ポーランド」だ。

 具体的に言うなら、旧ポーランド共和国の《b》”カーゾン線・・・・・”《/b》の東側だ。

 ビャウィストクあたりまではドイツへの”併合領域”に決まったが、

 今の地図で言うと北から順にリトアニア南部のビルニュス(Vilnius)、ベラルーシ西部のピンスク(Pinskas。ブレストの東にある都市)、ウクライナ西部のリヴィウ(Lviv)を結ぶラインが東ポーランドと考えて良い。

 

 現在、この東ポーランドはドイツの暫定統治下にあるが、正直に言えばドイツは「ポーランド人による臨時政権」を立ち上げたいと考えていた。

 ソ連と戦争してる以上、中央軍集団や南方軍集団への補給路を維持するために駐留軍を置くのは仕方ないにしても、ただでさえ戦費がかかる現状、自国へ編入する西ポーランドはともかく、独立国とする予定の東ポーランドに治安コストを極力かけたくないのがドイツの本音だった。

 

 そして、同時に治安コスト以外にもポーランド人への統治権移譲を1日でも早く済ませ、再独立してほしいドイツ側の思惑もあった。

 西ポーランドでドイツ併合を認めず、「民族自決によるポーランド人国家」を目指す民族独立派の受け皿になってほしいのだ。

 幸い39年のポーランド分割占領においてソ連側の支配領域の方が面積は広いし、パリ同様に折を見て首都のワルシャワと東部の大都市ビャウィストク、ルブリンは新ポーランド政府が立つならご祝儀代わりに一緒に返還して構わないとさえ考えていたのだ。

 そこ、不用品の押し付けとか言わない。”カエサルの物はカエサルに”と言うではないか。

 

 しかし、問題なのはその「再独立ポーランド」を支えられそうな人材が、よりによってポーランドの亡命政権くらいしかいなかったのだ。

 ドイツ政府は泣きたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 少し時間を遡る。

 例えば、1941年の年の瀬も迫った12月31日大みそかとか。


 さて、この世界でもポーランド亡命政府の首魁は、”シコルスキー”首相であった。

 生粋の民主主義者で自由主義者というのは今生でも変わらない。

 だが、不思議な事にシコルスキーは、他の「ドイツ被害者の会」の亡命政権や亡命政府が「ドイツと手打ちにした」イギリスでは祖国の奪還を望めないとアメリカに河岸かしを移す中、どういう思惑かロンドンに亡命政府ごとロンドンに留まっていたのだ。

 

 これはどういうわけだろうか……何かアイデアはないかと、NSR長官のハイドリヒはアメリカ人がムルマンスクに就く前にサンクトペテルブルグに根を張る日本産のサトリ妖怪亜種、ニンゼブラウ・フォン・クルス・デア・サンクトペテルブルグ総督に意見を聞きに来たのだ。

 この金髪、思いの外にフットワークが軽かった。

 

「いやさぁ……そんな気軽にNSR長官が、サンクトペテルブルグくんだりまで来んなよ」


 ムルマンスクのロシア人捕虜受け入れ準備作業を、仕事納めとばかりに昨日終えたばかりの来栖任三郎は、そうへきへきした様子で苦言申し立てるのであった。

 そう、レーヴェンハルト・ハイドリヒは”劇薬・・の使いどころ”を見誤らなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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