第153話 Yankee Doodle




 後年の話ではあるが、この”PQ1船団”の乗組員クルーを『間抜けなイデオットピエロ』と呼ぶ風習があったという。

 例えば、


 ・なぜ、無線で確認しなかったのか?

 ・なぜ、そこにいるのが本当にロシア人なのか確認しなかったのか?


 などだ。

 だが、それは後からならいくらでも言える類の、少々公平さを欠く意見というものだろう。

 そもそも、敵の勢力圏を横切る輸送船団が逆探防止に無線封鎖をして航行するのは当たり前、よほどの緊急事態でも無い限り、無線を使うことはありえない。

 さらに言えば、この時は米ソ双方も「ムルマンスクが陥落している」という事実を認識していなかった。

 ソ連は、確かにムルマンスクと音信不通になっている事自体は把握していた。

 だが、それが陥落を示す決定的な証拠になるとは、他の誰よりもスターリン自身が考えていなかった。

 元々、電話線がとっくに切られていたのは知っていたし、通信設備が破壊されれば無線もできなくなるのは当たり前だ。

 また、当時のソ連の発電機や通信機自体の信頼度がお察しくださいなのを忘れてはならない。それにムルマンスクのような僻地なら、故障したとしても修理に必要な交換部品も事欠くことだろう。

 要するに彼らにとり通信途絶は、割と日常茶飯事なのだ。

 

 また、ソ連の安心材料となる情報が二つも入ってきた。

 確かに極夜のど真ん中に激しい戦闘があったという裏付けの取れない情報もあるが、いずれにせよ下記の二つはムルマンスクの防衛が成功したことを裏付ける客観的な情報だった。

 一つは、レニングラード・・・・・・・に搬送されたロシア人捕虜が少なかったこと。実際に搬送された捕虜数が”正しく認識”されたかは別にして、その数から逆算すればムルマンスクにはまだ十分な兵力が残っていることを示していた。

 もう一つは、ドイツの北方軍集団の最高司令官であるレープ元帥と、援軍で行っていたロンメル上級大将が有力な装甲兵力共々にムルマンスクより”撤退”してきたことだ。

 列車に積まれて”カバーもかけず”おめおめと引き下がるドイツ戦車の群れは遠目からも確認できたし、また極夜が終わった後、ほんの短い昼間を使って偵察機を使って確認してみたところ、直ぐに迎撃機が上がってきて”追い払われて”しまった為に遠目でしか確認できていないが、ムルマンスク方面に火の手が上がってる様子はなく、また攻撃されてる様子もなかった。

 以上の二つの報告から導き出される結論は、

 

 ・ドイツ軍は冬季攻略を諦めて主力を撤退させ、フィンランド軍を主力とした包囲に切り替えた模様。春季に再び攻勢をかけられる可能性があるが、米国からの支援があれば十分に対応可能・・・・・・・と思われる。

 

 それが、ソ連がアメリカに告げた内容だった。

 

 

 

***

 

 

 

 PQ1船団に油断があったとされるが、それは無理もないことだった。

 何しろ、彼らはここまで”無傷”で辿り着けたのだから。

 ただし、前話でも書いたが史実のダーヴィッシュ船団と違い、

 

 ・ドイツ軍とただの一度も接触も攻撃もされないまま、コラ湾(ムルマンスク・フィヨルド)まで辿り着いた

 

 のだ。

 航空機はまだわかる。

 彼らが事実上のドイツの勢力圏、ドイツの友好国であるノルウェー沖を進んでいた時は、極夜の時期が終わったと言えど昼間と呼べる時間は2時間ほどしかなく、ソ連からの報告にもあった通り”夜間哨戒能力の無い・・ドイツ機”が飛行してくる可能性は極めて低い事は最初から分かっていた。

 

 警戒するのは潜水艦や水上艦だが、結局、ムルマンスク到着まで一度も潜水艦からの雷撃を受けた事は無かった。

 また、水上艦からも当然のように攻撃はない。そもそも、ドイツの軍艦との接触自体が無かった。

 おそらくはノルウェー船籍と思われる漁船とのニアミスはあったし、通報はされていると考えた方が良いが……

 

「まあ、護衛艦隊われわれの陣容を見て、襲撃は不可能と判断したんだろう」


 ドイツの保有艦隊が、日英米等に比べ少ないのは周知の事実であり、その大半がバルト海周辺にいると判断されていた。

 これは優秀なソ連のコミンテルン・ネットワークから齎せられた「ドイツ海軍の3隻の空母とその機動部隊の所在は判明している」との報告も裏付けとなっていた。

 そもそも航空機の離発艦ができない極夜の時期に、空母機動部隊をバレンツ海に派遣するのは危険極まりないので信憑性が高い。

 次いで、ビスマルク級戦艦とシャルンホルスト級巡洋戦艦それぞれ1隻ずつが(近代化改修で)ドック入りしているという情報が入り、”彼女ら”が動けないうちは姉妹艦もドイツ近海から動けないだろうと「常識的な判断」がなされていた。

 ドイツでも、いやドイツだからこそ、まさか「自国の領海を空き家にしないだろう」と。

 

 結局、米ソはドイツが「何を主力艦として考えてるか?」を自分達の主観(=水上艦こそ海の主戦力。潜水艦を集中投入したドイツは結局、第一次世界大戦では制海権を掌握できなかった)から理解しているとは言い難かったし、ドイツの潜水艦Uボートは自分達の海軍と同じく第一次世界大戦と同じく通商破壊作戦に投入する”補助戦力”だし、ドイツ海軍は通商破壊作戦以外は自国の領海を守る近海海軍だと判断していた。

 今回のPQ1船団に軽巡1隻と8隻もの駆逐艦がつけられたのも、駆逐艦全てに爆雷投下軌条が増設されている理由もこれだった。

 

 実は、この考え自体は的を射ていた。

 ドイツは未だに領海防衛主体の”戦術海軍”ではある。

 英米のように他国に遠征できる”戦略海軍”では断じてない。というより本来なら日本皇国海軍もそうだったのだが、第一次世界大戦で欧州まで戦争をしに行かなければならなくなったため、戦略海軍に発展するしかなかった。

 だが、第一次世界大戦の主戦場となったドイツは戦略海軍を態々編成する必要はない。というよりもそうしたくても輸送船は足りてないし、揚陸艦に至っては建造計画すら今のところはない。

 ただ、”守るべき海”が少々増えてしまった事に頭抱えているだけだった。

 

 とはいえ、アメリカ人は未だに1941年12月25日クリスマスの朝にニューヨーク港を出航する前、既にムルマンスクがドイツ人にとって「守るべき海」に組み込まれている事を知らなかった。

 ただ、それだけの事だった。

 

 

 













******************************










 ポリャールヌイとムルマンスクの中間域、”セヴェロモルスク”からもサーチライトと「この先 ムルマンスク手前に河の大きな曲がりあり 注意されたし」の発光信号が放たれ、米国船団は再び礼を返す。

 

 そして、話の通り現れた曲がりに着くころにはもう日が昇っていたが、それでもサーチライトで見えづらい部分は照らされていた。

 当然だった。

 ドイツ人にとってもスオミ人にとっても、ここまで来て海難事故を起こされ、その後始末をするなんて冗談ではなかった。

 

 そして、いよいよムルマンスクが見えてきた。

 正午は僅かに回っていたが、それでも何とか今日中には全ての船が入港できるだろう。

 

「ほう」


 だが、輸送船団長を務める”ヴァスカーク代将”が感心したのは、港から聞こえてきた小綺麗な白服を身にまとった軍楽隊が奏でる、おそらくは歓迎の音楽だ。

 掲げられた大きな星条旗が北風に揺れる中、流れるのは……

 

「”Yankee Doodleヤンキードゥードゥル”か。田舎者のイワンにしちゃあ、悪くない選曲じゃないか?」


 するとブリッジの全員が、肯定するように笑う。

 日本では”アルプス一万尺”で知られる曲の原曲で、リアルの1978年にはコネチカット州の州歌にも採用された、アメリカを代表する有名な行進曲マーチだ。

 

 だが、皆さんは「ヤンキードゥードゥル」とその歌詞の本来の意味をご存知だろうか?

 ヤンキーとは本来、アメリカ人という意味ではなく、イギリス人から独立前のアメリカ住民を指している言葉で、ニュアンス的には「植民地人Yankee」という意味になる。

 即ち「Yankee Doodle」とは《b》「間抜けな植民地人」《/b》という意味だ。

 その歌詞の内容は、

 

 ”間抜けな植民地人が小馬に乗ってやって来て、イタ公マカロニ気取りで女の尻を追い掛け回してる”

 

 という感じなのだ。

 そして、そんな滑稽な様を見て周りが「それいけヤンキー!」と囃し立てているというシチュエーションを歌っている。

 

 

 

 つまり……”フィンランド陸軍所属”ヤンマーニ・シーラスヴオ”中将麾下の軍楽隊”が、ここ1ヵ月の猛特訓で増やしたレパートリーの一つは、今のPQ1船団の状況を端的に表し、実は同時に揶揄からかっていたのだ。

 そして、その演奏に感謝するように輸送船は汽笛を鳴らす。

 ”Yankee Doodle”を楽しむ間抜けなアメリカ人ヤンキードゥードゥルは、結局そのことに最後まで気付かなかったのであった。













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