第152話 セント・バレンタインデーの喜劇




 さて、1ヵ月という時間は存外に長い。

 つまりは、色々と準備ができる。

 例えば、駐留部隊を艦砲射撃で蹴散らしたコラ湾(ムルマンスク・フィヨルド)河口部の”ポリャールヌイ”と中域湾曲部の”セヴェロモルスク”に極北の戦いに一日の長があるフィンランド軍が上陸し、掃討作戦残党狩りを行いながら簡易拠点としての機能を回復したり、ドイツ掃海艇部隊により、ムルマンスク港湾部とセヴェロモルスクとムルマンスクの間に仕掛けられた機雷をソ連が仕掛けていた機雷ごと訓練も兼ねて掃海させたりもした。

 いずれにせよ、ムルマンスクを「フィンランドの港」として使うのなら必要な処置だったと言えよう。

 施設は半壊(というより、ほぼ全壊か?)してたし、機雷原を敷くなら、改めて”その目的に応じて”敷設しなおすべきである。

 

 また、同じく港にはフィンランドの工業的な意味での工作船や作業船、ドイツとフィンランドの工兵隊が入り機能回復・復旧を急いでいた。

 そもそも、ムルマンスクは普通に港町としての価値が高い。

 大工業地帯のサンクトペテルブルグから距離があるにしては鉄道によりアクセスは良く、フィンランドのバレンツ海方面へのアクセスゲートとしては理想的だった。

 

 また工兵隊が頑張っていたのは、市街地とて同じだった。

 この当時のムルマンスクは、港町として考えればさほど大きい訳ではなく、赤軍の駐留があればこそ大きく見えるだけだった。

 実は、ムルマンスクが巨大軍港として飛躍するのは戦後の話だ。

 なので、度重なる爆撃と陸海からの重量級の砲撃、トドメの市街戦で街のほとんどの施設は壊れてしまったが、逆に前線基地的を設営するのには大きな手間はかからなかった。

 強いて言うなら、昼でも仄暗い極夜の中で、サーチライトを灯しながら作業するのが大変だっただけだ。

 

 


***




 さて、都市部の復旧に尽力していた一人のドイツ人将官を紹介しよう。

 彼の名は、”ハンセン・ファギ”上級大将だ。レープ元帥よりムルマンスク駐留ドイツ軍団の指揮権を引き継いだファルケンホルスト上級大将の麾下で、軍団の中で最大規模の師団(増強歩兵師団)を率いる師団長であり、軍団全体の副団長でもある。

 ただ既に御年60歳を超え、”銀狐作戦”を最後に完全退役(引退)することになっている。

 というか既に”おじいちゃん”と呼ばれる年齢なのだが、文字通り老骨に鞭打って踏ん張っていた。


 彼の事を一言で表すなら、”ドイツ軍の苦労人ポジ”だ。

 何せ第一次世界大戦に参戦し二度も負傷し、戦後の苦難の中でそれでもドイツ国防軍の軍人として歩み続けてようやく1935年に歩兵大将として退役、予備役に編入される。

 彼としても歳が歳だし、二度と服役することはないと思っていた。

 だが、開戦から少し経った1940年4月、唐突に軍への復帰を命じられたのだ。

 将官が不足したとき、人格者として知られたこの男の復帰を望む声が、人事部の重鎮(第一次世界大戦の彼の配下)から上がったようだ。

 

 さて、史実のファギ上級大将は苦労人な上に、どちらかと言えば不遇だ。

 大将で予備役編入され、上級大将として復帰はわかるとしても、いきなりフランスで第36軍団の指揮の引継ぎを言われ、”バルバロッサ作戦”発動と同時に今度はフィンランドで”銀狐作戦”の主力をやれと言われる。

 あの、参謀本部が現地確認もしてない、それどころか航空写真で地理を確認することもせずに、ロシア人の地図だけで練ったグダグダな銀狐作戦である。

 上司から無茶ぶりされたりもして、結局は戦史が示す通りに作戦は大失敗。

 ファギ上級大将は、42年に引退し、二度と軍務に復帰する事は無かった。

 

 しかし、今生では大分状況はマシだった。

 この世界線のファギ上級大将もフランスで第36軍団の指揮の引継ぎは受けたが、”バルバロッサ作戦”において都市内部制圧段階の後詰め部隊として第36軍団はサンクトペテルブルグ入りした。

 そして、そこでそこそこ消耗していた軍団は一度解散となり、増強師団として再編された。

 

 一番の変更点は歩兵師団を基礎としながらも、工兵連隊の編入を受けたことだ。

 彼らは、バルト三国やサンクトペテルブルグ復興任務でトート機関や、”リガ・ミリティア”と呼ばれる土木作業を得意とする民兵組織(?)と共に訓練と実績を積んだエリート部隊だった。

 

 歴戦と言っていいファギ上級大将は、直ぐにその意図に気が付いた。

 自分の手元にある完全編成の1個歩兵師団は、この工兵連隊を最終目的地であるムルマンスクまで無事に送り届ける為に用意された護衛戦力であり、またムルマンスク到着時は工兵連隊のサポートとして編成されたのだと。

 

 実際、当時の総兵力10万まで膨れ上がっていたムルマンスク攻略連合軍の司令官レープ元帥や今の直属の上司、先任のファルケンホルスト上級大将からも無茶な命令は受けていない。

 

 実際、銀狐作戦全体で戦闘と呼べる戦闘は数度しかなく、故に損耗も低く、こうしてムルマンスクの機能復旧、その先にある復興の下地作りに邁進出来てる訳だ。

 

 ファギ上級大将は、工兵連隊の中でも施設中隊が仮の司令部を組み上げるのを満足げに見ながら、その手腕に感心していた。

 そして、命令書通りに”港に入港した船から見えない”位置に、幾つもの港に砲口を向ける隠蔽砲兵陣地・・・・・・・・・・・・・・の設営を命じるのだった。

 




***




 ”冬戦争の英雄”とフィンランド本国で呼ばれる”ヤンマーニ・シーラスヴオ”中将は上機嫌とは言えないが、悪くない気分ではあった。

 ただ、少し複雑だった。

 

(まさか、軍楽隊を連れて来てくれというのは、こういう理由だったとは……)
















******************************










コラ湾(ムルマンスク・フィヨルド)河口部


1942年2月14日、午前8時(現地時間)



 この時期のムルマンスクは、1月前半に”極夜”は終わっているものの日の出は午前10時であり、対して日の入りは午後4時と日照時間は短い。

 つまり、周囲は夜とは言わないが「アメリカ人の基準」だとかなり暗い。

 しかし、正午前にフィヨルドの奥にあるムルマンスクへ辿り着くには、薄暗いこの時間に進むしかなかった。

 やはり慣れない航路、慣れない気候、そして慣れない極夜のせいで予定は遅れているのだ。

 スケジュールでは1月にはムルマンスクへ着くはずだったのに、既に2週間以上の遅れが出ていた。

 「ムルマンスクに着くまで一度もドイツ人の襲撃が無かった・・・・・・・」のに、この有様である。

 できるならこれ以上の遅延は避けたかったし、それに船団全体の入港には元々時間がかかる。

 船団長は、この極北の頼りない太陽が沈み切る前に、何とか全ての船を港に停泊させたかった。


 アイルランドのゴールウェイ港を出航したレンドリース品輸送船団、識別コード”PQ1船団”は、史実の同名の輸送船団と割と差異があった。

 一番大きな理由は、”英国の協力が一切得られなかった”こと。

 だから、最初のソ連支援船団は英国オンリーの”ダーヴィッシュ船団”ではなく、レンドリース品を満載してアメリカのニューヨーク港を出航した”PQ1”になった。

 また史実のPQ1と違い、出航時期が史実より半年近く遅れた為にアルハンゲリスク港が完全に凍結してしまい、行き先が不凍港のムルマンスクしかなくなってしまったのも大きな違いといえた。

 史実では、上記のダーヴィッシュ船団の行き先がムルマンスクだったので、ここは奇妙に符号が一致していた。

 その為、護衛艦隊の陣容も少し違っていて、

 

 ・旗艦:ニューオーリンズ級重巡洋艦

  ブルックリン級軽巡洋艦×1、マハン級駆逐艦×4、ポーター級駆逐艦×2、ファラガット級駆逐艦×2、YMS-1級掃海艇×4


 護衛艦隊が全てアメリカ海軍の船であり、航洋性を重視したのか、対潜トロール船がいない代わりに駆逐艦を対潜戦力として増強しており、また軽巡を1隻追加している。更に時期がずれたせいで、就役戦力化したばかりのYMS-1級掃海艇が同行してるのも何気に興味深い。

 

 一応、ドイツの潜水艦を警戒して駆逐艦には爆雷投下軌条が搭載されていたが、肝心のソナーが未だ実装されていない。

 いや、正確には米国ではまだ開発が終わっていない。

 

 全てのソナーの母体と言える”ASDICアズディック”は英国の発明であり、第二次世界大戦中にアメリカへ技術供与がされている。

 そして、この世界では”それ”がない。

 開発開始時期が1910年代なので、概要ぐらいは当時のスパイに盗み出されているだろうが、現物が持ち出された形跡は今のところ見当たらない。

 故にヤンキーメイドのソナーが登場するまでは、もうしばし時間は必要だろう。

 ちなみに磁気探知機(MAD)の原型は、史実でも航空機搭載型に関しては日本の秘匿名称KMXこと”三式一号探知機”が最初だ。

 無論、米国海軍は磁気探知機も艦載型も航空機型も実用化できていない。(日英はしている)

 

 そして、YMS-1と同じく時期が後ろにずれたためリバティー船が実働化しており、守るべき商船(輸送船)の数は18隻に増えており、艦隊随伴の給油船と油槽船がそれぞれ1隻ずつ随伴していた。

 駆逐艦の数が多い理由もこれが理由の一つでもある。

 


「艦長、コラ湾、”ポリャールヌイ”と思しき場所より発光信号を確認。光量から考えて軍用サーチライト。国際モールス信号です」


 PQ1船団の先導役ピケットを務めるブルックリン級軽巡洋艦の艦長は、

 

「メッセージを解読次第、報告しろ」


「サー、イエッサー!」


 そして、

 

「発:ムルマンスク防衛部隊 宛:アメリカ船団 現在、通信設備崩壊 司令官戦死 符丁消失 故に司令部からの通信不可 現在、臨時司令官が陣頭指揮を取っている」


 実は、噓は言っていない。

 発光信号を送っているのは、”現在のムルマンスク”を防衛している勢力の片割れだし、(ソ連の)通信施設が半壊しているのは確かだし、(ソ連の)ムルマンスク防衛司令官が戦死しているのは遺体見分も行い確認済みだ。

 通信符丁は、通信関連の持ち出せる一切合財と共に既に後方に送られ手元にはない。

 きっと今頃は、NSRや軍情報部に巣くう暗号解読班の奇人変人共の格好の研究対象となっている事だろう。

 臨時司令官がいるのは事実で、ただ国籍を言ってないだけだ。

 

「サーチライトにて海面を照らし船団を誘導す 掃海作業済みだがドイツ製の機雷が残ってる可能性あり 十分に注意されたし 湾曲部の”セヴェロモルスク”からは別の部隊がサーチライトにて海面を照らしエスコートする 以上です!」


「”友人に感謝を”とこちらも発光信号で送れ。今の通信内容を船団旗艦に送れ」


「ハッ!」





 かくて、”史上稀に見る渾身の喜劇・・”が幕開ける。

 後世に世界恐慌直後に起きたマフィアの抗争をもじって付けられた”セント・バレンタインデーの喜劇”と伝わるそれが。












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