第146話 極夜行(軍) ~ムルマンスク攻略戦、開始~




 この世界線における《b》”銀狐作戦(Unternehmen Silberfuchs)”《/b》というのは、極めて堅実な作戦の積み重ねから成立していた。

 

 仕込みは、”バルバロッサ作戦”発動時から行なわれていたのだ。

 ドイツ軍の瞬く間のバルト三国解放と北上、ソ連のバルト海艦隊を殲滅ではなく文字通りに全滅させた。

 それに呼応するようにフィンランド軍はカレリア地峡を掌握し、ドイツ軍本体は包囲戦に固執することなく陸海空の機動的に運用できる全ての兵力を用いて、一気呵成にサンクトペテルブルグを攻め落とした。

 

 その後、ドイツ軍はノブゴロドを要塞化を進めると同時に、キリシ、チフヴィンを立て続けに制圧し防衛線を形成した。

 チフヴィンの制圧は我々の知る歴史でも1941年11月8日にドイツ軍が制圧したが、同年の12月9日には赤軍に奪還を許してしまうという体たらくを見せたが、この世界線では心配なさそうだ。

 なぜなら、レニングラード陥落→サンクトペテルブルグ制圧に成功したため、そこに戦力が縛り付けられることはなかったからだ。

 

 

 

 他にもドイツとフィンランドの作戦勝ちという側面もあった。

 サンクトペテルブルグを掌握後、フィンランド軍は躊躇うことなくラドガ湖、そして悲願だったカレリアに向かう。

 つまり、ラドガ湖南岸を通りオネガ湖西岸のペトロザボーツクへと進軍した。

 

 さて、問題なのはサンクトペテルブルグから脱出したロシア人の動きだ。

 前にも書いたが、あえて脱出口をサンクトペテルブルグ東側、シュリッ セリブルクなどはサンクトペテルブルグ戦の時は陥落させずに逃走路として空けられていたのだが、脱出民を追い立てるようにフィンランド軍がやってきたのだ。

 

 逃げる脱出民と追うフィンランド軍という構図になったが、ノヴァヤ・ ラドガあたりで脱出民は気づいたのだ。

 南、ヴォルホフやフヴァロフスコエ方面へ逃げればフィンランド軍は追ってこない事を。

 そして、フィンランド軍が、自分達を皆殺しにする為に追撃している訳ではなく、ペトロザボーツクへ進軍するのに邪魔な障害物自分達を排除しているに過ぎないことを。

 

 業腹ではあったが、命には変えられない。

 スオミ人の意図を察したロシア人は南へと向かった。

 そして、ヴォルホフから南へ向かえばキリシという集落があり、フヴァロフスコエの先にはチフヴィンという小さな町があった。

 

 そんな場所へ何十万、あるいは下手をすれば100万に達しようかという避難民、着の身着のままサンクトペテルブルグから逃げてきた国内戦争難民が押し寄せてきたのだ。

 無論、大混乱になった。

 更に最悪だったのは、レニングラード陥落の衝撃の大きさと深刻さから国内には箝口令を敷いていた事だ。

 つまり、キリシとチフヴィンに避難民が押し寄せてきた時、サンクトペテルブルグがもうロシア人の物ではないことを知っていたのは、共産党や軍の上層部だけだった。

 

 その混乱の最中にドイツ軍かれらはやって来た。

 フィンランド軍を露払いにするように、重厚な無限軌道の音を響かせて。

 今度こそ、「本物の追撃」であり、制圧であった。

 

 ドイツ人は逃げる者は追わなかった。だが、抵抗する者には容赦無かった。

 そして、1941年11月8日、キリシだけではなくその先のブドゴシまで制圧・防御陣地化を完了しており、ノブゴロド→ブドゴシ→チフヴィンのラドガ湖南を守る防衛ラインが機能していた。

 

 そして、混乱が収まらないうちにペトロザボーツクが陥落しフィンランド領ペトロスコイとして復帰、ドイツ人のカバーを受けながら北岸のメドヴェジエゴルスクを攻略しカルフマギへと戻した。

 

 事実上、この時点でラドガ湖とオネガ湖はドイツ・フィンランド連合軍の実効支配地域となり、事実上、ヴォルガ・バルト水路と白海・バルト海運河はソ連は使用不可能になった。

 そしてつい先日、オネガ湖南岸のヴィテグラまでも陥落したのは皆さんの知っての通りだ。

 

 と、ここまでが下拵え。

 

 

 

***

 

 

 

 スカンジナビア半島、ムルマンスクから南227㎞にあるカンダラクシャに集結した約10万のドイツ人とスオミ人は、11月の後半にアルハンゲリスクの海が凍り始めるのを「わざわざ確認してから」進軍を開始した。

 理由はシンプルだった。

 ムルマンスクへ向かう陸路は既に潰した。

 ロシア人の空輸能力は無視して良いレベルだし、仮に飛んできたとしても移動式のレーダーシステムまで持つドイツ軍の鴨になる。

 

 しかし、唯一警戒しなければならなかったのが、辛うじてモスクワとの補給路が生きているアルハンゲリスクからの海路による補給だ。

 そして、ムルマンスクからの海路での脱出も面倒な事になりかねない。

 だから、アルハンゲリスクから来るのも或いはアルハンゲリスクへ行くのも著しく制限がかかるタイミングを図っていたのだ。

 

 ムルマンスクは沖を通るメキシコ暖流の影響で不凍港であり、アルハンゲリスクはそうでない。

 その性質差を最大限に生かそうとしたのだった。

 

 

 

 そして、独芬の連合地上軍がカンダラクシャを出発した後、ムルマンスクへの本格攻略に参加するのは史実と異なり、陸からだけだとは限らなかったのだ。

 

 ムルマンスクは、コラ湾(別名:ムルマンスク・フィヨルド)に開拓された港湾都市で、バレンツ海より50㎞ほど奥まった場所にある。

 そして、このコラ湾自体の長さ(奥行)は約57㎞、最大幅は7㎞、水深は200~300mといったところだろう。

 

 そこで、ソ連は湾口部(河口部)に機雷を敷設したのだ。

 意外と思われるかもしれないが、ソ連の機雷敷設技術は帝政ロシアからの流れがあり割と高い。

 帝政ロシア海軍は機雷敷設に非常に力を入れていて、実は世界初の外洋航行可能な機雷敷設艦は19世紀末に建造された帝政ロシアの”アムール級敷設艦”であり、同級の敷設した機雷で史実の日露戦争では「初瀬」と「八島」が沈んでいる。

 まあ、この世界線ではそもそも日露戦争開戦時に遼東半島と保持していたのは日本皇国側なのでこのような歴史は無いが、ロシアがその後も機雷敷設に熱心であることは変わりなく、ソ連海軍もそれ引き継いだ……はずだった。

 引き継いだはずなのだが、その技術は正直に言えば停滞していた。いや、むしろ後退していたのかもしれない。

 理由は言うまでも”大粛清テロル”の影響だ。

 トハチェフスキーの拷問の末の処刑は有名だが、真っ先に赤軍内の粛清にされたのは、労農赤軍の流れをくむ陸軍より海軍だった。

 海軍というのは、基本的に軍艦と言う”ハイテク兵器”を扱うために基本的に技術者集団テクノクラートであり、特に高級将校は貴族出身者も多く士官教育という高等教育を受けていたために同時に知識人階層インテリゲンチャとみなされた。

 粛清するには十分な理由である。

 

 基本的にロシア革命、そしてスターリンの粛清はその本質において「下層階級者(貧困層)の上層階級(富裕層)に対する恨み、つらみ、妬み、嫉み」から始まった事を忘れてはならない。豊かな人間は、富の公平分配なんて考えないのだ。

 だから、ソ連海軍は一気に衰退した。船はあってもそれを動かせない(動かない)、動いたとしても満足に操れない事例が頻発したのだ。

 

 そして、そのような背景があり、技術やノウハウの世代間継承が断たれ、残された資料を元に機雷の製造から始めなければならないのが今のソ連海軍であり、だからこそ第一次世界大戦で使われていたそれと技術的に大差ない機雷が、そうであるが故に当時と同じ方法で敷設されていた。

 

 

 

***




 そして、この世界線のドイツは、総統閣下がそもそも転生者だ。

 日独が連合軍の機雷に痛い目に合わされたことは忘れていない。

 なので、レーダー元帥が”長い休暇”を取らなくて済むように海軍との関係は良好性を保ち、また史実のドイツ海軍があまり得意としていなかった技術、その筆頭は空母建造と運用、対潜装備や戦術、そして掃海作業までテコ入れしていた。

 無論、掃海技術というのは、国防の中でも秘匿性が高く、他国から簡単に教えてもらえるようなものでもなかった為に手探りで行うしかなかったが、それでもドイツの掃海技術は一歩一歩着実に向上していた。

 

 故に、ソ連が敷設した「第一次世界大戦で使われたかつて知ったる機雷」の処理はさして難しいものでは無く、当然のようにドイツは掃海艇部隊を出撃させて機雷原の排除にかかる。

 それも、河口部にある小規模拠点の”ポリャールヌイ”からだけでなく、ムルマンスクから25㎞ほど北にあるコラ湾のソ連艦隊小拠点”セヴェロモルスク(この世界線では、41年に既にこの名で呼ばれていた)”から「ギリギリ確認できる位置」で。後述する理由から煌々とサーチライトを灯してだ。




 だが、それを大人しくやらせるほどソ連は甘くはない。

 バルト海艦隊全滅によるやせ細ったソ連海軍、黄金より貴重な駆逐艦や戦闘艇、型は古い(革命前に建造された)虎の子の軽巡洋艦まで出てきた。

 だが、それは誤った判断だったと思い知るのだった。

 

 















******************************















 さて、唐突ではあるが、皆さんは”極夜きょくや”という言葉を聞いたことがあるだろうか?

 字面が何となく中二チックだし、夜を極めるなんてエロゲにでも出てきそうな感じだが、立派な日本語である。

 南極や北極やそれに近い地点で、「夏の間、太陽が1日中水平線の下に沈まない自然現象」である”白夜”は有名だと思うが、極夜はその反対。

 冬の間、「太陽が水平線の上に昇ってこない現象」、言ってしまえば一日中が夜って感じになる。

 ただ、厳密に言えば完全に暗夜になるのではなく、いわゆる日理の時間帯に水平線を沿うように太陽が動くので、夕方と言うか黄昏時のような暗さになる。

 イメージとしては、太陽が水平線に沈んでしまってもしばらくは明るさが残り、すぐに真っ暗にはならないがあの明度だ。

 そして、ムルマンスクにおける極夜は、12月の初めから翌年1月の中旬くらいまで1ヵ月以上、この極夜が続く。

 

 ドイツは、意図的にこの極夜に入るのを掃海を開始したのだ。

 わざわざなぜ極夜を選んだのか?

 それは、ムルマンスクにいるロシア軍よりも「黄昏時に使える装備を持っていた」からに他ない。


 実はこの掃海艇部隊、その本質においては「ソ連北方艦隊をおびき出す」ための”撒き餌”を兼ねていた。

 

 サーチライトで海面を照らし作業するドイツの掃海艇部隊を蹴散らすべく現れたソ連艦隊が、突如として無数の水柱に囲まれる。

 水柱が晴れた時には、炎をあげている船、中には消し飛んで轟沈した船すらあった。



 

 一体、ソ連艦隊は「何に、何処から」撃たれたのだろうか?

 

 勘の鋭い親愛なる読者諸兄は、既にお気づきではないだろうか?

 砲弾の種類はドイツ製の28㎝砲弾……そう、闇に溶けるように沖合に並んだ2隻の”ポケット戦艦・・・・・・”だったのだ。

 サンクトペテルブルグへの艦砲射撃にも加わった”ドイッチュラント級装甲艦”だ。

 

 つまり、掃海艇部隊を餌にのこのこ出てきた(出てくるしかなかった)なけなしのソ連北方艦隊に対し、「レーダー統制射撃」を開始したのだ。

 しかも、「敵艦見ゆ!」の報告をしたのも、現在進行形で弾着観測をしてるのも、同じく「レーダーを搭載した掃海艇部隊」だった。

 無論、せめて一太刀と突撃を敢行しようとするソ連艦艇もいたが、当然のように掃海艇部隊には護衛役がいた。 

 それも、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦1隻を旗艦とする軽巡と駆逐艦の総勢12隻の水雷戦隊が。

 言うまでもなく、彼らもまた”全ての船”にレーダーを標準搭載していたのだった。

 

 

***




 事実上、この時点で後に”コラ湾海戦”と呼ばれる事になる小さな戦いの勝負は決した。

 もうご理解いただけただろう。

 ドイツがこの極夜の時期にわざわざムルマンスクを狙った、後に”第二次冬戦争”と呼称されることになる一連の冬の戦いを選んだ理由は、ムルマンスクが不凍港で緯度から考えれば温暖なだけでなく、日の昇らず闇が続く”極夜”も理由だった。

 

 つまり、レーダーを持ち肉眼で見えなくとも電磁波の目で索敵と照準できるドイツが、”一方的に有利”だからこそ、この時を選んだのだ。

 

 

 

 だが、ソ連北方艦隊の殲滅は、来栖の予想通りノルウェーのとある港を租借した”ドイツ海軍バレンツ海分派艦隊”の任務の一つに過ぎなかった。

 ソ連艦隊が戦力を喪失した後、”セヴェロモルスク”より少し奥まった所まで入り込み、邪魔者のいなくなった海中で作業する潜水艦群があった。

 タリン沖の戦いである陰の立役者、ドイツの機雷敷設特化Uボート”X型”だ。

 

 理由は勿論、ドイツ製の水上艦用、潜水艦用双方の機雷の敷設だ。

 ソ連海軍が湾口からドイツ海軍を入れたくなかったように、またドイツ海軍もまたソ連海軍にバレンツ海へと出てきてほしくなかったのだ。

 水上だけでなく、水中からも。具体的には、ソ連の北方艦隊残存艦艇全てををムルマンスクに封じ込めておきたかったのだ。

 

 また、同時にコラ湾にある前述の小さなソ連海軍拠点、ムルマンスクへ向かう船の見張り施設程度の規模しかなかった河口部の”ポリャールヌイ”と、細長いコラ湾の中ほどにある”セヴェロモルスク”は、ソ連北方艦隊消滅直後より始まった暗闇から降り注ぐ艦砲射撃……無数の巨砲の砲弾・・・・・で、自分達が何に撃たれたのかわからぬまま更地へと還った。

 

 


 そして、ムルマンスクを巡る戦いは、新たな局面ステージへと突入する……!!















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