第113話 ある意味において陸海空軍による超大規模電撃戦と、その最後の一押しをした史実ですら時代を先取りしていた船



 

 イタリア軍は端的に言って、絶望の渦中にあった。

 日本人の攻撃は、これまでみた英国人の攻撃よりもさらに凄まじく、次々と死体の山を製造している。

 また、情報は錯そうしているが、後詰めでベンガジ市内に残してきた部隊が原住民の武装勢力に襲撃され、各個撃破されているらしい。

 おまけに史実ではいたはずのドイツ人は、影も形もない。

 

(撤退しかないか……)

 

 ベンガジ防衛司令官、マッガーレ・バスティコ陸軍大将は苦悶の表情を浮かべていた。

 去年、「イタリア空軍近代化の父」と謳われたエイタロ・バルボ空軍元帥が”事故死”してから、彼は何もかも上手くいってないことを肌で感じていたのだ。

 確かに自分も、バルボ元帥亡きあとにイタリア・北アフリカ軍総司令官の座に就いた上官のガリボルディ陸軍元帥もロンメルを嫌っていた。

 だが、「イタリア軍の非協力的態度」を理由に持ち帰れない装備だけ置き土産にして、とっとと本国へ帰る必要はないじゃないかとさえ思っていた。

 実際、ロンメルは

 

 『イタリア人は、ドイツ人と共に戦うつもりはないようだ』

 

 とコメントを残し、数々の”イタリア軍の非協力的な事例”を一つ一つ、事細かに上げていった。

 そして、それはドイツとの同盟を解消させたい・・・・背中に付いた赤い紐がモスクワまで伸びるイタリア社会主義者の左翼系労働新聞で大々的に報じられた。

 無論、「イタリア軍の態度に嫌気がさし、ロンメルが部下共々アフリカを去った」こともだ。

 

 だが、実際のところはロンメルは北アフリカでの日本人を仮想ソ連とした”訓練監督官”の役割を終えていたし、帰った本当の理由は”バルバロッサ作戦”の発動が近くなったからだ。

 

 ついでに言えば、「ロンメルがイタリア人を嫌って帰国」という情報をイタリア左派メディアに流したのは、他の誰でもないハイドリヒ率いるNSR(国家保安情報部)のイタリア潜伏エージェントだ。

 

 そして悲しいかな、イタリア人のロンメルに対する非協力的な事例も、またロンメル自身のイタリア人に対する率直な感想、「イタリア人と共に戦うのはうんざりだ。二度と同じ戦場に立ちたくない」に噓は無かった。

 

 真実というのは残酷で、時に酷く強い。

 なのでロンメルがバルバロッサ作戦に控えて帰国したとは今でもイタリア人は誰も思っておらず、ロシア人はその帰国が自国が攻められる前兆だと考えなかった。

 

 結局、イタリア軍もムッソリーニも、ドイツ人やヒトラーの思惑など予想もできなかったのだ。

 正確には、今でもできていない。

 

 だが、バスティコ将軍に降りかかる不幸はそれだけではなかった。

 

「なっ!?」

 

 伝令が持ってきたその報告を読んだ途端、バスティコは硬直し、思考が空白化した……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベンガジのイタリア全軍から一斉に白旗が上がったのは、その10分後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************










 「ヲイヲイ、一体全体どうなっていやがる……」

 

 ああ、下総兵四郎だ。

 俺は今、とんでもなく困惑している。

 

「いくら何でも、降伏するの早すぎだろ……」


 それにタイミングがおかしすぎる。

 最初から降伏する気なら、爆撃やら重砲やらをぶち込まれる前、遅くともその直後の戦車戦に移行する前のインターバルにすべきだ。

 

 始まってしまえば一番止めにくい戦車戦の段階で白旗あげる意味が分からん。

 だけど、その答えは伝令から言伝を受け取っていた小鳥遊が教えてくれた。

 

「中尉殿、えらいこったわ」

 

「何があった?」

 

「”エル・アゲイラ”が、ついさっき陥落したとさ」

 

「はあっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 エル・アゲイラ

 ベンガジから南南西に向かって300㎞ほど下ったところにあるシドラ湾(資料によってはスルト湾、シルテ湾とも呼ばれる)に面した場所で、天然の良港が自慢の街”ブレガ”にほど近い。

 ここは今はイタリア人の支配下にあり、物資集積所と基地が築かれ、そして1万人近くのリビア人を無理やり押し込めた、劣悪な環境の強制収容所があった。

 これで「リビア解放」のお題目は整った。

 

 

 

 さて、皆さんは不思議に思わなかっただろうか?

 ガザラ、アルバイダ(戦闘自体は無かったが……)、ベンガジと連戦したが、活躍したのは陸軍と空軍だ。

 だが、日本皇国にはもう一つ巨大な軍事組織があったはずだ。

 そう、海軍だ。

 

 そして、時は少しだけ遡る。

 

 

 

***




 日本皇国海軍遣地中海艦隊は、アレキサンドリアを元々は母港としていたが、現在はトブルクを母港とするために工事を行っている強力な艦隊だ。

 その陣容は、

 

 ・長門型戦艦(長門、陸奥)

 ・金剛型巡洋戦艦(金剛、榛名)

 ・翔鶴型正規空母(翔鶴、瑞鶴)

 

 という強力な物だった。

 だが、今や本国からの増援がインド洋と紅海を越えてやってきて合流。更に編成が強化されていた。

 最大のトピックは、

 

 ・雲龍型正規空母(瑞龍、昇龍)

 

 の2隻の正規空母の追加だろう。

 しかし、皆さんは覚えているだろうか?

 スエズ運河に潜んでいた各国諜報員が、

 

”日本皇国海軍、4隻・・の正規空母をアレクサンドリアに向かえり。2隻は雲竜型正規空母、残る2隻はタイプ不明。隼鷹型軽空母の発展型の可能性あり”


 と報告していた事を。

 ”それ”は確かに存在していた。

 200mに達する全通飛行甲板を持ち、その甲板の上には油圧カタパルトが1基設置され、九九式艦上爆撃機(?)が並ぶ。いや、よく見れば最近は観測機や艦隊内連絡機や軽輸送機として重宝され、急速に配備が進んでいるオートジャイロ”カ号観測機”の姿も見える。

 昇降機は戦隊左右に1基ずつで、今は装甲シャッターで閉じられている。

 確かに見た目は空母そのものだ。着船制動装置・着船指揮装置・着艦誘導灯、そして英国生まれのコンゴ……ミラー着艦支援装置という日本空母に必須の艦上機運用セットは一通り持っていた。

 しかし、その船尾には通常の空母にはありえない大きな装甲シャッターが付いていたのだ。

 

 全長205m、基準排水量16,500t。

 この船の名は、

 

 ”あきつ丸”型強襲揚陸艦


 のネームシップ”あきつ丸”と2番艦”やしま丸”であった。

 彼女たちの事を語るには、まずカ号観測機運用能力の追加や防空能力の強化などの近代化改装を終えて同じく地中海へ来ている”神州丸型揚陸艦”の話をしなくてはならないだろう。

 なぜなら彼女達の建造の経緯はあまりにも史実と違い過ぎる。

 何しろ、まず”陸軍管轄の船ではない・・・・”のだ。

 むしろ、同じ陸上戦力でも水陸両用戦闘集団”海軍陸戦隊”と深い繋がりがある、いやむしろ海軍陸戦隊を最大限に活用するために生み出された船だった。

 

 この世界線において、日本皇国の海軍陸戦隊の歴史、常設されたタイミングは史実に比べてずっと早い。

 というのも、第一次世界大戦で大活躍した同盟国である英国の”王立海兵隊(Royal Marines)”に影響を受け生まれた部隊だった。

 そう、タイミング的には皇国空軍とほぼ同時期に生まれたと言っていい。

 

 そして、第一次世界大戦が終わり、海軍陸戦隊が海軍の上陸作戦セクション・水陸両用戦闘部隊として本格始動すると、その機動的運用において専用の揚陸艦が必要と結論付けられた。

 コンセプト作りが始められたのは20年代であり、様々な可能性や技術が検証され、コンセプトが固まったのは30年代初頭だった。

 

 この時点で史実の神州丸と大きな違いがあった。

 そのほとんどが、陸軍の船ではなく海軍の陸戦隊向けの船として開発されたことに由来するが……

 

 ・揚陸用の大発動艇(大発。史実の特大発準拠。最大積載量25t)や小発動艇(小発。史実の大発D型準拠。最大積載量13t)以外に、開発中の特式内火艇ほか水陸両用戦闘車両グループの運用が可能な設計とされた。

 

 ・航空機の運用は水上機とされ、戦艦などのようにレールカタパルトで射出され、着水した水上機を艦橋後方に設置されたデリックで回収する方式とされた。

 ・上陸支援火力は、連装152mm50口径長砲2基(背負式。日本皇国軽巡、英国軽巡共通の当時、標準的な主砲:アームストロングMark XXIの国産版)とされた。

 ・基準排水量:9,990tと史実のそれに比べて大型化している。

 

 という内容だった。

 大発や特式内火艇は陸軍と共同開発(陸軍も河川領域や渡河戦闘などでこの手の装備が必要とされた。同時に装甲艇や高速艇も両軍の共同開発となった。転生者の努力が実った実例である)とされ、また発信方式は史実と同じくローラーとスロープを用いたスリップ・ウェイ方式に近い泛水方を採用していた。

 

 そして、ネームシップである1番艦”神州丸”と、2番艦”龍城丸”は揚陸艦の先駆的な存在となったわけだが、逆に神州丸型の成功に気をよくした日本皇国海軍は、将来的に多発するだろう強襲揚陸戦を想定し、神州型の更なる発展を求めた。

 

 その結果、誕生したのが”あきつ丸”型という訳である。

 

 


***

 

 

 

 そして、正規空母と見間違うほどの図体となったこの世界線の”あきつ丸”は、転生者が変に本気出して設計したせいか、何やら史実の戦後揚陸艦”イオー・ジマ級強襲揚陸艦”っぽくなってしまったのだ。

 外見的にも、サイズ的にも、機能的にも、性能的にも(それを言うなら神州丸型はトーマストン級揚陸艦に近いが)。

 注水して自力泛水させるウェルドックを備え、全通飛行甲板を持ち、主力艦上爆撃機の地位はより高性能な”彗星”に譲ってはいるが、九九式襲撃機のデータを参考に”海軍陸戦隊の航空支援”を主眼に改造された”九九式改直掩・・艦上爆撃機”とヘリコプターのご先祖であるオートジャイロ、カ号観測機を搭載する。

 ちなみに九九式改は、陸戦隊直掩だけでなく偵察や弾着観測もこなせるよう小改良が施されたユーティリティプレーヤーだ。

 

 ちなみにあきつ丸型だけでなく神州丸型も海軍陸戦隊の増員に合わせて追加建造の予算が下りていて、早ければ来年にも戦力化されるかもしれない。

 また、合わせて排水量が史実より巨大化したのはある意味当然で、搭載する発動艇が大型化し、史実の大発D型や特大になったからだった。

 これを必要数搭載しようとすると、必然的に船自体が大型化してしまう。

 無論、史実と違い爆雷を搭載する予定などない。

 きっと、揚陸艦らしく使われる事だろう。

 

 

 

 そして現在のエル・アゲイラには、日本皇国が現在戦力化させている揚陸艦の全て……あきつ丸型2隻と神州丸型2隻が向かっていたのだった。

 無論、”完全装備/1個連隊規模の海軍陸戦隊・・・・・の精鋭”を乗せて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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