第109話 Eye of the Desert Tiger with a Japanese Dorchester

 

 

 

 

 ベンガジを攻略する部隊は、当然のように西竹善大佐の独立混成増強機甲旅団だけではない。

 因みに”混成”の二文字が入ったのは、下総達の狙撃小隊を含む第1特務大隊やいくつかの部隊が加えられたからだった。

 

 そして、現トブルクの長である日本皇国陸軍第8混成増強師団、師団長の”山下 泰文やすふみ”中将は自ら出陣の準備に入っていた。

 トブルクを任せる副師団長が執務室を出る敬礼で見送る。

 運が悪ければ今生の別れになるかもしれないのだ。

 

 

 

 留守の間は、エジプトに駐屯していた守備隊が交替で入ってきたので問題ないだろう。

 トブルク要塞はアレクサンドリアやエル・アラメインを後方休養地を保有し、大きな作戦でもなければ通常運転の時はローテーションで休ませている。

 そこに常駐する警備隊は、「有事の際の機甲予備」として編成と訓練がなされており、留守を預けるのに不安はない。

 

 そして山下が体を乗り込ませたのは、原型になったAEC軍用トラックマタドールも含め日本皇国でライセンス生産をしている”AEC装甲指揮車ドーチェスター”だ。

 通称”弩式装甲指揮車”と呼ばれるこの動く師団司令部のオリジナルと違うところを上げるとすれば、エンジンが九八式装甲軽戦闘車と同じ”日野DB52”型空冷直列6気筒ディーゼルエンジンに換装され、出力が原型の1.5倍以上になってるところだろうか?

 最高速は大して変わらないが馬力の余裕分だけエンジンに連結された発電機に余裕があり、通信能力が高いのとエアコンの効きが良いのが自慢だ。

 まあ、このエアコンも乗員用というより、この時代はまだ盛大に発熱する高出力無線機などを故障させないためというのが大きいが。

 

 英国製のそれはロンメルが、リッチモンド・オコーナー将軍ごと砂漠でゲットしてお土産として本国に持ち帰り、現在、リバースエンジニアリングされドイツ版の装甲戦闘指揮車を鋭意製作中であるらしい。

 ちなみにオコーナー将軍は、パリ復権イベントの一環、日英独停戦合意レセプションの一つとして行われた捕虜交換式典において無事に帰国し、現在、軍務復帰の準備に入ってるという。

 史実に比べればはるかに短い捕虜生活、復帰もそう難しくは無いだろう(史実ですらノルマンディー上陸作戦で復帰してるし)。

 

 

 

***

 

 

 

 山下が自ら出陣するのは、”ベンガジ”に投入兵力が問題だからだ。

 トブルク要塞を拠点とする第8混成増強師団と、クレタ島や本国からの増援で編成した西の独立増強機甲旅団の合計兵力は、通常編成師団の2個師団を超える合計60,000人以上の軍団規模だ。

 通常、皇国陸軍では50,000人を超えれば軍団とされるから、指揮権は中将以上となってしまうのだった。

 参考までに書いておけば旅団長は大佐以上、師団長は少将以上、軍団長は中将以上というのが慣例になっている。

 それ以上の兵力、方面軍(○○軍)司令官は大将で、陸海空合わせて現在兵力総数18万を超える皇国遣中東軍総司令官の今村が大将なのは必然だった。

 

 数字の話をすれば、現在山下の手元にある60,000超の兵力は、ほぼ遣中東皇国陸軍が機動的に運用できる兵力の上限に近く、18万という兵力は、ほぼ現在日本皇国軍総兵力の1/6に相当する。

 

 39年より正規軍人募集の間口が一気に拡大されたが、それでも常備兵力は110万人を少し超えるぐらいだ。

 ドイツの再軍備宣言前の35年4月時点で68万5千人、1939年のポーランド侵攻に伴う国家非常事態宣言と同時に組閣された挙国一致内閣が生まれた時点で83万7千人程度の兵力だったのだから、正規兵力・・・・だけで30万人近く増やしたのだから、日本皇国政府の本気度がわかるというものだ。

 

 現在、訓練中で戦力になってない志願や兵役義務の訓練兵(一年志願兵制度も含む)と準備が始まっている予備役招集まで行ってようやく250万。

 現在の日本皇国は普通に兵役法があるが、もし戦争が拡大し長引けば、最悪、禁じ手の一つ”徴兵制”を始めなばならない。

 徴兵とは兵役対象者リストに入っていない成人男子の招集、つまり労働力の徴収になるのだから、まさに諸刃の剣だった。

 今のところ、徴兵は議会の承認が無い限りは発動されないが、切羽詰まれば議会も承認せざるえなくなる。

 現在の日本皇国の総人口は、領土の拡大やら栄養面の改善やら医療の発達による新生児の死亡率の低下やら手厚い育児支援などの各種人口増加奨励政策で1億3千万人に届こうかとしている(史実だと本土以外も全て合わせて9200万人弱)、計算上最大動員は600万とされているが、そんな人的資源を戦争につぎ込めば、勝っても負けても国内産業に甚大な影響を及ぼし、勝ったとしても戦後の国家運営に差し障りが出るのは自明の理だ。

 

(そうならないためにも、早目早めの決着を心掛けねばな……)

 

 後に”アフリカの虎”と呼ばれることになる漢は、祖国の未来を思いながら出陣するのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 山下が辿り着いたのは、解放されたばかりの”アルバイダ”だった。

 21世紀ともなれば、地球の裏側に居る最前線部隊とも平然とリアルタイム通信が画像付きでできるが、この時代はあるのは出力も指向性も性能も安定性も何もかも足りない無線機だよりだ。

 データ通信もレーザー通信もデジタル通信も衛星通信もない1941年において、トブルクからベンガジまでの距離430㎞を開けて60,000人の指揮を戦況を見極めながらとることは難しい。

 ならばどうするか? もはや物理的に距離を詰めるしかない。その為に英国で開発されたのが、最低限の司令部能力を詰め込んで動けるようにした装甲戦闘指揮車ドーチェスターなのだから。

 しかし、ベンガジから約200㎞離れたアルバイダでもまだ遠い。

 ここへ立ち寄ったのは、サヌーシー教団教主イドリースと武者小路特使の仲介で顔合わせすること、そして補給路の確保を確認することだった。

 大軍のアキレス腱になるのはいつの世でも兵站路だ。大軍はその規模故に武器弾薬や食料の消費もまた大きい。

 されど行軍のみで携行できるそれらはたかがしれだ。

 故に補給はより重要になってくる。

 

 加えて、考えたくはないが……ベンガジの戦いで何らかの理由で後退を余儀なくされた場合を考え、防衛拠点として使う場合の”アルバイダ”も合わせて確認する。

 指揮官、司令官は部下の命を預かる以上、常に最悪を考え、最悪の中での最善の行動をイメージするべきなのだ。

 史実の日本軍は、それができていない者が上に多すぎた。

 悲観論も毒だが、上の楽観は敵より簡単に味方を殺すものだ。

 

 

 

***




 実際、前線軍団司令部を置くのなら、アルバイダでも遠すぎる。

 だからこそ、自由に動ける指揮車は価値が高いのだが、

 

「マルジュに設営するしかないか……」


 ベンガジまで90km。まだ少し遠い気もするが、他に司令部を置けそうな場所がもう近場にはない。

 敵がやけを起こして死兵化し、玉砕覚悟の突撃をかませる位置に司令部を置くわけにはいかない。

 だが、味方部隊とは「通信が途絶した場合、斥候や伝令が陸路で出せる距離」が適切だ。

 砲兵陣地はベンガジより射程距離に応じて10~18㎞の距離で配するとすれば、


「シディ・ハリファ(Sidi Khalifah)からアル・クワイフィヤ(Al-Kwayfiya)あたりにかけて展開するのが適切か……」

 

 そうすると展開する機甲師団は、

 

(ベニナ周辺だな。土地が開けて固く戦車向き、イタリアの重砲が届かないぎりぎりの位置でもある)


 ベニナは後年、国際空港が作られる開けた地形だ。機甲部隊を展開するのに都合が良い。

 山下は地図を見ながら、俯瞰図で戦場を脳内投影イメージする。

 山下式の指揮術・司令術はこうだ。

 まず、あらん限りのデータを咀嚼し、作戦の大枠・基本方針を作る。

 次に参謀団と共に細部を詰め、ブラッシュアップしていく。

 ”穴”となる部分を洗い出し、不備を見つけ、実現・実行不能な部分があればそれを現実に即するように落とし込むか、あるいは同等の効果が得られる代案をひねり出す。

 

 攻撃のタイミングは、それぞれの部隊を任せる前線指揮官の手腕に頼ってしまうが、そこは心配していない。

 過信は楽観と同じく禁物だが、信頼をし部下に権限を割り振るのも上に立つ者の裁量だ。

 

 それに山下の仕事はそれだけではない。

 ベンガジ攻略戦は、空軍との共同ミッションだ。

 空軍とのすり合わせも入念に行わねばならない。

 

 史実なら陸軍は巨大な航空隊を持っていたが、現状で攻撃手段として使える航空兵力は九九式襲撃機のみだ。

 制空権の確保や本格的な爆撃は、空軍に任せるしかない。

 

 どこぞの戦死した赤軍都市防衛司令官のように最前線で指揮を執るのが司令官の仕事ではない。最前線の人間が戦いやすい環境と状況を作るのが、司令官の仕事だと山下は心得ていた。

 

「完全機甲化編成の別動隊はタイカ(Tikah)、アン・ナウワキヤ(An Nawwaqiyah)のラインで張らせるか……」

 

 立てこもるイタリア軍を逃がす気は無い。

 無論、長期にわたり包囲するつもりもない。

 

 包囲するなら殲滅を心掛けるべきだ。

 山下は、「イタリア人だから」という理由で甘く見積もったり、過小評価したりはしない。

 そこには慢心も油断もなかった。

 

 ただひたすら、「城塞都市に立てこもる60,000人の敵を手持ちの戦力でいかに屠るか?」を探究する求道者の姿だけがそこにあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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