第105話 オオシマ・エフェクトと政治的側面から見たリビアでの戦闘意義
第二次世界大戦と呼ばれるこの戦争の体験者が一線を退き、戦った者達も平和を味わい先に逝った戦友たちの後を追ったそんな時代……一部の歴史研究家や戦史研究者から”オオシマ・エフェクト”なる言葉が出てくるようになった。
さて、それはどんなものか具体例をもって説明しよう。
1941年秋、ワシントンD.C
「ふむ。どうやら
「Yes.
と報告するのは、久々のコープ・ハル国務長官。言うまでもなく今、報告している”フランシス・テオドール・ルーズベルト”米国大統領の右腕だった。
「小癪な真似を……いっそドイツとまとめて潰すか? 今なら連中の主戦力は、英国本土とアフリカ・地中海方面だろう?」
「難しいです、プレジデント。そうなれば英国とも自動的に戦端が開かれます。大西洋と太平洋との両面作戦になる上に、ケベック独立問題との兼ね合いで、イギリス人はカナダへの配備兵力を増強させております。ドイツとの停戦により、それが可能となりました」
「つまり、アメリカは二正面どころか下手をすれば三正面作戦になりかねないと?」
ハルは小さくうなずいた。
「ままならんものだな。やはり、日英同盟はどんな手段を用いても、叩き潰すべきだった」
ただしルーズベルトは一つ勘違いをしていた。
米国は「努力が足りなくて日英同盟を潰せなかった」のではない。”
日英の国家上層部にいる転生者達は知っていた。米国の現状も実情も、そして未来に訪れるかもしれない可能性まで。
だからこそ、手を取り合うなどできるはずが無かった。
右手を開き、左手で拳銃を突き付けてくるレッド・カウボーイにどうやって話をしろと言うのか? そういう事だった。
「そういえば、先任のクルスとかいう大使はどうした? 確か総統府付になっていたと聞いたが?」
「解任されました」
これも実は誤認である。別に来栖は総統府付特務大使を解任された訳ではない。
ただ、総統府付詰めの人員リストから名前が消えただけだ。
何しろ、兼任してる職務が忙しい。
「本国に戻ったのか?」
ハルは首を横に振り
「いいえ。”レニングラード”の復興を手伝わされているという話です。外交官としての素養はオオシマに劣るようですが、別の才能を見染められたと聞き及んでいます。今は日本外務省ではなく、ドイツの管轄になっているとか。オオシマは英国贔屓の日本外務省の中では異端でしたが、クルスはアウトローであり、外務省の保守派からは疎まれていたようです」
人をだますコツは、”百の噓の中にたった一つの真実を入れる”か、もしくは”百の真実の中にたった一つの噓を入れる”かだ。
「難儀な者はどこにでもいるということか……ドイツ本国に居る我々の”
「オオシマに集中させる……でよろしいですね?」
ルーズベルトは頷き、
「戦地に飛ばされた者と首都に居る者、どちらが重要度が高く優先すべきか言うまでもない」
こうして、アメリカやアメリカに悠々と生きるアカの手先は、その目線を大島に集中させる事になる。
また、ほどなく入手した情報からホスト役が「世界中にコネクションを持つリッベントロップ」というドイツ外務省で”
もうお分かりだろうか?
”オオシマ・エフェクト”とは、「本当の切り札を”大した価値のない者”と誤認させる、欺瞞や攪乱などの情報工作による効果」を示す単語だ。
そして日独が仕掛けたその謀略が成功を収めたのは、後の歴史が証明していた。
*******************************
1941年10月某日
トブルクの西60㎞ほどの場所に”ガザラ”と呼ばれる小さな集落がある。
もし、今が平和な時代ならば世界的に注目を浴びることはまずなかっただろう。
だが、今は戦時下。
この村は、二つの意味で主にトブルクを拠点とする日本皇国陸軍遣中東軍団から注目されていた。
一つは、イタリア北アフリカ軍のトブルクを狙う前線基地があること。
もう一つは、アラブ人強制収容所があったことだ。
日本はトブルクを要塞化してただこもっていた訳ではない。
強制収容所を狙っていた現地の抵抗勢力と密に連絡を取り合い、普段は無駄な消耗を避け、”日本軍が攻撃する時に呼応して収容所を襲撃、収容者を奪還する”よう交渉した。
日本が提供するのは、現行装備ではなく備蓄していた旧式装備や英軍が残していった装備、具体的には梨園改三式歩兵銃やリー・エンフィールド小銃、ルイス機関銃やそのライセンス品などだ。
代わりに彼らが提供するのは、情報その物。そして、戦後の日本への協力だった。
彼らが心底喜んだのは、日本はイタリア人や他の西洋諸国のようにリビアを支配する気は全く無かったことだ。
そう、日本人はあくまで「民族自決の精神に乗っ取り、リビア解放とその後のリビア人による統治、独立国の樹立に協力してほしい」と申し出てきたのだ。
その独立までのロードマップも実に具体的だった。
まあ、間違いなく転生者が計画立案に関わっているだろうが……
民族や部族、文化や歴史を鑑み、
”無理にリビアを統一することはせず、キレナイカ、トリポリタニア、フェザーンの三国をそれぞれ独立国とし、その三国による「リビア三国連合」を創出しないか?”
というものだった。
その提案で、イタリアの享楽的というか……現地の実情調査もロクにしない、不真面目な支配に嫌気がさしていた名だたる抵抗運動組織や部族代表は、目の色を変えた。
彼らは異口同音ならぬ異心同念でこう思ったという。
(((((こいつら、解ってやがる……!!)))))
彼らとてイタリアが真面目に民を慰撫する”良き統治者”であれば、ここまで抵抗することはなかったのだ。
そして、日本皇国の転生者たちは「リビアを放置すれば、その後がどうなるか?」をよく知っていた。
”地獄”
それを諦観して待つのは、流石に後味が悪すぎた。
そして、結論として”リビア人国家”として独立を果たすまでの流れは日本が支援するし、独立後も戦時下であれば最低でも終戦までは面倒見ることは約束したのだ。
それは確かに”占領地政策”ではあるのだが日本人は本気であり、だからこそリビア人ももう一度だけ「外国人を信じる」ことにした。
そもそも、「リビア人自らの手による国家の建国」を真顔で言いだす外国人など初めてであり、実に新鮮だった。
***
だが、それはそれ。
日本がこれまでリビアの地にやってきた侵略者とは訳が違うのは分かった。
良き統治者になる資質を持っていそうなのも確認できた。
だが、まだ足りない。それでは、歴史的に戦乱絶えないこの地では不足なのだ。
この地を手にしようとしたら、まずは力を示さねばならない。
どうか野蛮と言うなかれ。
如何に正義や正論を振りかざそうと、それを行使するだけの力が求められる。
力なき者はすぐに倒され、どれほど優れた統治をしてようと、その瞬間に砕け散るのだ。
弱き者には信を置けない。
どれほど善良であろうと、それで斃れれば全てが終わる。
脆弱な存在に、生活を、命を預けられる訳はない。弱き者に命を預けて共倒れなど、誰だって御免だ。
だからこそ、日本皇国軍は力を示さなさなければならない!
これまで、リビア人の目に日本人は、ただ要塞に立てこもり、攻撃に耐えてるだけのように見えた。
クレタ島で防衛に成功した、あるいはタラント港を艦隊ごと叩き潰したと聞いても、実感がわかなかった。
リビア人が求めたのは、新たな統治者として相応しい力を
つまり、自分達の目の前で、自分達にもわかる形で圧倒的な力を示すことをリビア人は望んだのだ。
無論、
”この世で信じるに値するは、ただ剛力のみ”
とは誰の言葉だったか?
上記二つの理由でその
なるほど。確かに「戦争とは政治の一手段に過ぎない」のかもしれない。
後に”ガザラの戦い”と呼ばれる戦闘が、今始まろうとしていた。
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