第104話 オオシマ君とリッベン君
日本皇国在ベルリン大使、大島博はそんなには早くない。
朝8時、瀟洒な装飾がなされたベッドわきに置かれた電話が鳴ることで目を覚ます。
いわゆるモーニングコールという奴だ。
電話をとると聞こえてくる、
『Guten Morgen. Botschafter Oshima. Wie fühlen Sie sich?(おはようございます。大島大使。お加減はいかがですか?)』
心地良いドイツ語に眠気が消え頭が冴えてくるのがわかる。
「嗚呼、自分は今、ドイツにいるんだな」と改めて喜びを噛みしめながら、朝食と新聞を部屋まで持ってくるように頼む。
「今日もよい朝だ」
さて、現在は停戦中であっても交戦国の首都”ベルリン”でも在ベルリン日本大使館は未だにきっちり機能を維持していた。
戦時下だからこそ、大使館は外交チャンネルとして大きな意味を持つ物だ。
故に大島は、本来ならば大使邸宅に住む予定だった。
だが、彼が単身赴任と聞いて、ドイツ外務省は「停戦が継続できるか否かに関わる大事な日本皇国大使の生活に不便があってはならない」と、大使館に徒歩で行ける距離にある、ベルリンどころかドイツ有数の高級ホテル、そのスイートルームを提供すると申し出てきたのだ。
そして、日本皇国外務省は「経費削減に繋がるので是非」と理由はアレ(=大島に金をかけたくないと言いたいのかな?)な感じがするが快く了承し、トントン拍子で大島の快適ホテル暮らしが始まったのだ。
無論、そのホテルがただのホテルじゃないことは、両国外務省上層部は知っていた。
民間のフリをしているが、そのホテルの裏のオーナーはドイツ政府その物であり、管轄はNSR(国家保安情報部)なのだ。
つまり、このホテルは「ドイツに滞在する厄介な要人」向けに、四六時中監視するために存在するのであった。
至る所に盗聴器があり、NSRの職員が交代で聞き耳を立てている、大島がいるのはそんな部屋だった。
また、先ほどモーニングコールをかけていたフロントマンも、朝食を運んできたボーイも全てNSRの職員だ。
NSR長官のハイドリヒも大島が「ドイツに致命的な破壊工作」を行う能力があるとは思っていない。
ただ、
何事も用心に越したことは無いのだった。
このような背景を大島も、もちろんホスト役のリッベントロップも知る由もなく、聞かせる理由もなかった。
ただ、大島は「ドイツという一流の国家らしい一流のもてなしと配慮」に心より感謝して、
(最先端の先進国は、このような些細なことまで違う。我が国もドイツを見習い、一刻も早く先進国の仲間入りを果たさねば……)
とドイツへの感謝と愛国精神に燃えながら、一日の業務を始める。
本日も大使館での書類仕事は午前中だけで、午後からはドイツ外務省で個人の持つ絶大なコネクションが高く評価され”外交アドバイザー”という要職に就くリッベントロップ氏と
シュプレー川の中州、ウンター・デン・リンデン街を境とする北半分の地区を占める複数の博物館や美術館の集合体、それらを総じて”ベルリン美術館(Staatliche Museen zu Berlin)”と呼ぶが、その全てを視察するだけで数週間はかかるとされている。
それからが大島にとって大仕事だ。
まず、終戦後の日独の国交正常化が行われた際に計画されている「平和的文化交流事業」の一つ、「ドイツ美術・文化展」の草案を0から練らねばならないのだ。
その為に選ばれたのが、ドイツ文化に明るい自分だと大島は自負していた。
大島にとり、「停戦したままドイツと終戦する」のは決定事項なので、是が非でも成し遂げなばならない計画だった。
そして自分の使命は、「ドイツの素晴らしさ、偉大さを皇国臣民に紹介すること」だと心得ていた。
その為にはまず自分御目で見て肌で実感し、ピックアップしたそれが門外不出でないか確認、そしてドイツ芸術界・文化界の重鎮たちと面識や知己を得て、交友を重ねてそれから交渉開始となるだろう。
(きっと数年がかりの大事業となるだろう……)
リッベントロップ氏の手助けがあったとしても簡単にはいかない事を実感するする。
自分がやる遂げる前に終戦を迎える可能性は低くないが、それでもやり遂げなくてはならない。
後に日独の友好と文化交流に大きく貢献し、大島”
繰り返すが、大島の中では「終戦は決定事項」であり、自分がそこに関われなくとも不満は無い。
ドイツの偉大さを知る自分だからこそ、「終わることが決定した戦争」よりも、戦後を見据えねばならないと自覚していた。
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ドイツ外務省所属の外交アドバイザー、”ヨハン・フォン・リッベントロップ”はその日、感動に胸を震わせていた。
偉大なる
初めて入るその部屋の厳格な空気に圧倒されながら、身に余る光栄を感じていた。
特にサンスーシ宮殿の内装に通じる、豪華なフリードリヒ式ロココの厳格さと荘厳さと華やかさを兼ね備えた内装が良い。
実はこれ、別に総統閣下の趣味という訳ではなく、総統官邸の改築を発注した際、気がついたらこうなってただけだ。
多分、シュペーア君あたりの趣味ではないかとヒトラーは考えていた。
個人的に言わせてもらえば、もっと質実剛健で実用性の高いシンプルで現代的な内装、本音ではもっと素朴な方が好みなのだが、それは言っても仕方ない。「これも総統という立場の演出の一つだ」とヒトラーは諦めていた。
彼の趣味を貫くと、要人を招くような部屋ではなくなってしまう事を自覚していたからだ。
チロル地方によくある山荘のようなインテリアになってしまうからだ。
それはとmかく、聞かされたのは日本皇国からの大使を
リッベントロップも、以前に特使がやってきて未だ会ったことは無いが、総統府付大使になったということは知っていた。
正直、なんで一介の東洋人風情、それも敵国の人間が?と思いもしたが、今回の話を聞いて合点がいった。
なんでもその特使、両国外務省同士の話し合いで、サンクトペテルブルグ復興計画に駆り出されることになったらしい。
となれば管轄は、外務省ではなく軍需省や内務省、あるいは経済省の管轄になるだろう。
そこで停戦もなったことで、新たな段階に向けてドイツ政府が新たな駐独大使を要請し、日本政府がそれを受けたというのだ。
(なるほど。その元特使というのは、外交官としての才覚が不足していたのだな……)
まあ、間違いではない。他の才能があり過ぎただけとも言えるが。
そして、新たに赴任する外交官は幼少期にドイツ人家庭に預けられ、ドイツ式の躾と教育を受け、ドイツ文化にも明るい中々の人物だという。
ならば引き受けるのも吝かではないが……
「リッベントロップ君、君の役目は君の持つコネクションを存分に使い、ドイツの真骨頂や真髄を新たに赴任するオオシマ大使に見せてやることだ。軍事力など私でもできる。パレードに招待すれば、それだけで鉄の軍団を要するドイツの偉大さは伝わるだろう。だが、それではいかん。ドイツは軍事力だけの国か? NEIN! 我々はあらゆる芸術面・文化面においても、他国の追随を許さぬのだ。それを存分に見せつけると良い」
光栄の重ね掛けで、今にも胸が張り裂けそうだった。
総統閣下は、「自分にもできない」、「君ならできる」と断言したのだ!
なんとういう栄誉!!
だが、同時に納得もした。
確かに総統閣下は、車やカメラなどの機械的先端工学については明るく、若い頃は工業デザイナーを目指していたという噂もある。
反面、古典芸術や古典文化などにはあまり精通してないとも聞く。
(というか、国家上層部は全体的にそういう傾向があるな。嘆かわしいことに……)
やはり芸術や文化を愛するには、感性や財力の豊かさと高貴さ、それに裏付けされた教養が必要だという事を改めて実感するリッベントロップだった。
***
オオシマなる者と対面したとき、リッベントロップとしては珍しい事に好感を覚えた。
自分を絶対の上位者とする媚び諂うような大島の姿勢は、彼の虚栄心や承認欲求、自己顕示欲を大いに満足させた。
この東洋人になら、それなりの労力を割いてやってもよいと考えつつ、
(世の人間も、この男のように私の偉大さを理解できれば、私の仕事も楽になるのだがな……)
要するに気に入ったのだった。
後に”政治的ドン・キホーテとその従者”と呼ばれる関係がそこに完成したのだ。
ただし残念ながら、大島には物語冒頭のサンチョ・パンサほどの常識は期待できないかもしれないが。
とにかくこれは、大島もリッベントロップも不幸にはなっていないという日常を記した物だ。
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そして、これはリッベントロップが退室後の総統執務室の1コマ
「なあ、レーヴェ」
言葉を発さず、ただひたすら笑いをかみ殺していた長年の相棒にドイツ総統アウグスト・ヒトラーはジト目を向け、
「俺が部屋に招いて直々に言う必要あったのか?」
「念には念を入れてってことだよ。オージェ」
親友の陰謀で俗物と話す羽目になり、ちょびっとだけ不幸な目にあった本日のげんなり
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