第100話 近衛首相、仏領インドシナと蘭領東インドについて大いに語る
さてさて、詳しく書くことは無かったが、パリ復権からサンクトペテルブルグ復活までの二か月間だけでも、世界は目まぐるしく動いた。
大きな物だけピックアップしても、
・オランダに凱旋したドルク・ヤン・デ・ギア首相が、パリ復権後に行われた首相信任国民選挙で圧倒的大勝し、合法的に首相になると同時に公約通りに王家制度廃止を活動再開したオランダ議会に提出し、満場一致で可決された。
当然、女王を始めた(当然、オランダ政府非公認の)亡命政府は選挙の無効を言い、アメリカに居を構える亡命政権や米国、ソ連邦各国連名(含む北朝鮮)、大韓共和国、中国国民党&共産党連名で、無効宣言に便乗した。
そして、仏領インドシナと蘭領東インド東部+ジャワ島領域を日本へ、ボルネオ島全域を英国へ移譲すると決定したことが、発表された。
蘭領東インドの日本の取り分が増えたのは、英国の事情だった。
英国は追加で英領東アフリカ、つまりケニアやウガンダ、タンザニアと地続きのベルギー領コンゴを譲り受けたのだ。
英国はどうやら”マンハッタン計画”を許す気はないらしい。
米国製原爆のウラニウムがどこから来たのか考えれば当然だった。
そして、英国がアフリカの戦力全開でイタリア領東アフリカを攻めているのも、これが理由としてあった。
英国だって転生者はいる。それも社会的上位に……まあ、そんなところだろう。
なので、残念ながらアジアへ抽出できる戦力は目減りしてしまい、結果としてボルネオ島全域と東洋艦隊のいるシンガポールの対岸でマラッカ海峡を抱えるスマトラ島を自らのエリアとした。
ぶっちゃけここまでいきなり領土が増えたら、その保全だけで手一杯。イタリアの植民地軍程度ならともかく、ドイツの本国軍となんてとても戦争はできないだろう。
無論、それもドイツの狙いだった。
そして、オランダ亡命政権と非公認のフランス亡命政権、米ソに以下同文は、「決して認めない」と金切り声をあげた。
ちなみに上記の決定が世界中に発表されたのが、レニングラード陥落の第一報が世界中に流れた直後だったから、まあ大変。
米ソとその取り巻き共は恐慌し、故にヒステリックな暴論の連発になったのだ。
「ピーチクパーチク
そして、それが近衛公麿日本皇国首相の機嫌を急降下させてる理由だった。
「広田サン、こりゃ一度ガツンと言ってやらんと駄目かもしんねぇぜ?」
その獰猛さを感じる笑みに不穏なものを感じた官房長官、広田剛毅は苦笑しながら、
「近衛
”余人がいない時は昔の呼び方、喋り方にしてくれ。じゃないと調子が狂う”という総理の願いを聞き入れてる広田は良い人なのだろう。
「いらんさ。広田サンの手を煩わせるほどのモンじゃねぇよ」
「普通は立場的に逆だと思うんだけどね」
日本の政治頂点に立とうと変わらない……自分というものを見失っていない後輩に心が温まるような感覚を広田は覚える。
「第一、ああいうクソ野郎のボケナスどもの相手は、広田サンみたいな上品な
「ヲイヲイ。それこそ逆だろ? 私は石屋の小倅だぞ?」
「生まれなんて関係ねぇよ。こいつぁ育ちの問題さ」
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それは日本皇国という国家にとってはあまりに異例だった。
「先ずはお集まり頂いた各国特派員の皆さんには心よりの感謝を」
何しろ、日本皇国首相自らが、自分の口で仏領インドシナや蘭領東インドの編入を語るというのだ。
「まず最初に言っておくが、私が許可を出すまで発言は却下だ。発言を遮る者は公務執行妨害の罪で逮捕することになるかもしれないな。巣鴨プリズンを体験したいと言うなら止めんが。それとそのような不心得者を来させた報道機関は、今後一切日本皇国の公的機関の報道から締め出されると思えよ?」
一部の、主に左寄りのマスコミがゾクッとなった。
彼らは近衛がその手の行動をためらわないのをよく知っていたのだ。
彼がまだ広田内閣の内務大臣だった頃、アカが最後のあがきとばかりにマス
そして近衛は、当時の法務大臣などと共謀して片っ端から”反社会的勢力”としてマスゴミを片っ端から捕縛、投獄したのだ。
無論、残存反社会的マスゴミは、”近衛の思想弾圧”として内外の赤色勢力を動員して一大キャンペーンを張り、抵抗した。
しかし、近衛は……
『マスコミってのは、真実を報道するもんだろ? だが、お前らがやってんのは事実を捻じ曲げ、都合の良いように加工した”情報を武器とした政府や社会への攻撃”なんだよ。社説で載せるくらいなら大目に見てやるが、真実を曲げることも潰すことも隠すことも俺は許さん。繰り返すが、お前らのやってることは”
そして、公開されたのが、彼らが「理由もなく捕まったわけではない」という証拠。
つまり、国内外との共産主義や社会主義組織、無政府主義者や反社会的集団との繋がり、資金やネットワークだ。
そして投獄された面々で一番重い者は「外患誘致罪」、つまり問答無用で死刑だった。
他にも外患罪系なら「外患援助罪」、「外観誘致未遂罪」、「外観誘致共犯罪」、「外患予備罪」、「外患陰謀罪」など実にバリエーション豊かだ。
更に国家反逆罪やら何やらも重なった。ちなみにこの世界線での日本皇国刑法は、加重主義の併合罪が基本だ。幾つもの罪を犯した中で最も重い罪で裁かれるのではなく、罪は重なる。
その為、先進国の中で最も死刑になりやすい国の一つとされていた。
しかも、タイミングが近衛によっては最高で、無罪になりようもない逮捕された者には最悪だった。
勿論、広田の古巣である外務省を含め関係各省と連携し、タイミングを見計らったのだ。
そう、裁判開始直前に「太平洋問題調査会の内情」、「米国共産党調書」、「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」が大々的に公表されたのだ。
日本皇国臣民は、予想よりずっと深刻だったソ連をはじめとする共産主義者の
そして、極端から極端に走る日本人気質。
全国全領土でで”アカ狩り”の嵐が吹き荒れた。
蛇足ながら一連のムーブメントの中で逮捕・処刑された者の中に、生粋の共産主義者を標榜していた西園寺一族の者がいた事に国民は大いに驚いた。
西園寺という名門の出でも感染する共産主義の恐ろしさを肌で感じ、また廃嫡されたとはいえ容赦なく処断した政府に拍手喝采が起きた。
ついでに英国から内々に西園寺家へ謝罪があったという。
西園寺の嫡男が赤色感染したのは、1930年のケンブリッジ大学留学時だった事が判明したからだ。
ケンブリッジ・ファイブの”始末”に成功したとはいえ、英国政府はより一層、レッドハンティングに力を入れることを誓った。
これは現在まで続いているし、熱意は衰えていない。
他にも大物が実刑こそ証拠不十分(上記の反国家勢力と明確なつながりを発見できなかった)で受けなかったが、失脚した。
松岡某、時代が時代なら、あるいは世界線が世界線なら外相にもなれたかもしれない男だが、”口が災いの元”というのが実情だった。
共産主義者公職追放キャンペーンやってる最中に、”日ソの友好関係”を言いだす方が悪いとしか言えない。
この苛烈なカウンター・インテリジェンスを覚えていない者は、この記者会見の場に居なかった。
***
「まず最初に言っておくが、今回の仏領インドシナと蘭領東インドの割譲は、ドイツを仲介者に正式にフランス共和国ならびにオランダ
確かにここまでは近衛だってまだ大人しかったのだ。
「蘭領東インドの東部も英連邦オーストラリアからの航路上、つまり英国との通商路だ。日英同盟の要とも言えるな」
そう、ここまで。
「これは、国と国とが国益や国防や同盟をかけた話し合いだ。つまり、何が言いたいかといやぁな……」
そろそろエンジンが温まってきたようだ。
「英国人がダメとなりゃあすぐにアメリカ人に股開く”
全力で
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