第99話 いよいよお出ましの日本皇国内閣総理大臣と公開されるその閣僚
「へい、カーノジョ。乗ってくかい?」
「誰が彼女ですか。小官のケツは安くないことですわよ?」
ついでにオーッホッホ笑いでもしてやろうか?
まあ、とりあえず
「この度は遅ればせながら大尉昇進おめでとうございます。”西住大尉”殿」
と一式改戦車で横付けしてきた西住虎次郎大尉に敬礼を返す。
「あんまめでたくないが、ありがとうよ」
と苦笑しながら敬礼を返してくる西住さん。
そりゃそうだろうな。
今回の野戦昇進って根本的な理由は、日本皇国陸軍に機甲戦指揮できる人材が少ないからって理由らしいし。
現在、トブルクには「配置転換」って名目でクレタ島で共闘した戦車連隊、西竹善”大佐”率いる戦車部隊が来ており、あれよあれよという間にアレクサンドリアからの増援と合流し”混成増強機甲旅団”に再編されてしまった。
日本の機甲師団はその性質上、機動防御に重点を置く編成だったが、今回の作戦ではテストケースとして攻勢的編成の戦力を投入しようとでもなったのだろう。
何しろ、戦車だけでなくハーフトラック型の兵員輸送車、対空戦車に自走砲に自走式ロケット砲と正面装備がすべて自走化・自動車化してるのだ。
もう、ドイツの影響受けまくりなのが嫌でもわかる。
(というか、明らかに回り込んで横や後ろから引っ叩くこと想定してる編成だよな~)
そもそもトブルク方面軍司令官、”山下康文”中将は、決して攻勢が苦手な人物ではない。
俺たちが再び”砂漠の戦場”と呼ぶべき場所に立つのは、そう遠い話じゃないだろう。
(問題は何処を狙うかだが……)
トリポリへのダイレクトアタックは流石に無いと思うが……
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日本皇国、帝都”東京”、永田町
「ざっけんじゃねーぞ、ヤンキーにロスケに」
と実質的に二つの国家になっている中国大陸在住人と南北に別れた朝鮮半島在住人を残念ながら文章に起こせない表現で罵るこの男、その名を”
きみまろと言っても中高年にファン層を持つ芸人ではなく、職業は「日本皇国で政治畑で一番偉い人」。
またの役職を”内閣総理大臣”と言う。
さて、この男、史実のよく似た名前の人物と同じ様な功績は上げている。
尋常小学校と高等小学校を小学校と中学校に再編し、合計9年間の義務教育の実践や国民健康保険・厚生年金制度の創出、日本医療団を創設と福祉面のインフラを大幅に引き上げた。
護送船団方式を導入・多くのインフラの国有化と、後の時代には崩壊するかもしれないが、現状の日本皇国にはマッチした方策を次々と実現させた生粋のマキャベリスト……日本の政治家には不足しがちな要素を持った人物だった。
だが、何というか”歴史的キャラ崩壊”とでも言おうか?
その、何というか……生まれは五摂家の一つ、近衛家の出の筈なのだが、東京の麴町で生まれたせいか、所謂”お坊ちゃん”とは程遠い感じで育ってしまった。
簡単に言えば短気の鉄火肌、若い頃は”神田のキミ”なんて呼ばれてブイブイ言わせていたなんてエピソードもあり、まだ14歳の時の日露戦争の講和に不満をもった民衆を野党が唆した”日比谷焼き討ち事件”では、仲間達を引き連れ、
『戦争の後に喧嘩祭りとは洒落てるじゃねえか! 火事と喧嘩は江戸の華っとくらぁ! 両方揃ってりゃ言う事ねぇなあ、おいっ!!』
火付けをしていた暴徒化した集団をフルボッコにし、ついでに警察のご厄介になるというヤンチャをしでかしていた。
まさか当時の警察も、今にも放火しようとしていた暴徒を地面に叩き付け、踵入れて前歯を顎ごと圧し折っていた人物が、摂家のお坊ちゃんだとは思いもしなかったろう。
何やら昭和の少年漫画のような青春時代を過ごしていた近衛も、第一次世界大戦の頃には落ち着いており……いや、戦乱吹きすさぶ欧州に武官として行ってるあたり、実は落ち着いてないかもしれないが、そこで”現代戦”の過酷さや無慈悲さを経験する。
帰国後、彼が政治家を目指したのは、
『現代戦ってのは、国家の全力をかけた殴り合いだ。前線も後方もありゃしねぇ。そんな中で勝とうと思やぁ、国家の足腰から鍛えるしかねぇだろ』
という考え方からだった。
その
この世界では5・15事件も2.26事件も未然に防がれているので、犬飼内閣→宇垣内閣という比較的安定した内閣運営と、ドイツの再軍備宣言までは軍縮がトレンドだった時代背景もあり、強兵のつかない(軍備一辺倒にならないだけで、国防に関して転生者をはじめ手を抜くことは無かったが)国土開発による国力増大を目的とした”富国政策”が第一次世界大戦後の20~30年代に日本で育まれた。
そして30年代の半ば、十分政治家としての力量をつけたと判断された近衛に、一度内閣総理大臣の話を西園寺から向けられた事がある。
だが、その時の近衛の返答、
『爺様、俺っちを高く買ってくれるのは身に余る光栄って奴だ。だがな、俺にはまだ生憎と国の全部、可愛い国民の
と困ったような顔で辞退したという。
その時に総理大臣に推されたのが外交畑の出世頭、石屋の倅から立身出世した苦労人”
外交だけでなく、義務教育期間を6年から8年へ延長、地方財政調整交付金制度の設立、発送電事業の国営化、母子保護法などを制定した「七大国策・十四項目」を出した広田を、近衛は「時代の寵児」ととても尊敬し慕っていた。
加えて広田は、天皇陛下と掛け合って”文化勲章”を制定するなど、けっこうとんでもな行動力も持っていたりする。
ちなみに史実における「七大国策・十四項目」はどんな内容かと言えば……
(1)国防の充実
(2)教育の刷新改善
(3)中央・地方を通じる税制の整備
(4)国民生活の安定
(イ)災害防除対策、(ロ)保護施設の拡大、(ハ)農漁村経済の更生振興及び中小商工業の振興
(5)産業の統制
(イ)電力の統制強化、(ロ)液体燃料及び鉄鋼の自給、(ハ)繊維資源の確保、(ニ)貿易の助長及び統制、(ホ)航空及び海運事業の振興、
(ヘ)邦人の海外発展援助
(6)対満重要国策の確立、移民政策(二十カ年百万戸送出計画)及び投資の助長等
(7)行政機構の整備改善
いや史実の広田もひょっとして転生者じゃないのか?と疑いたくなる時代を先取りする、未来を見据えた計画だった。
そしてこの世界線では、
(1)国防の充実。特に軍需産業力の底上げ。日英同盟の維持と段階的かつ流動的強化。装備、武器弾薬の共用化促進
(5)産業の統制と強化
(イ)電力の統制強化 (ロ)液体燃料及び鉄鋼の自給 (ハ)鉱物など必要資源の確保 (ニ)貿易の助長及び統制 (ホ)航空及び海運事業の振興
(ヘ)邦人の海外発展援助 (ト)英国との経済面での協調強化 (チ)英国とのより活発な相互技術交流
(6)移民政策を原則禁止として国内労働力を確保、拡張した領土開発、領土資源開発に一層尽力する
(7)司法・行政・立法機構の整備と改善、更なる効率化
が特に大きく違っていた。
また、近衛が
広田は、外交官あるいは外務大臣時代の経験から、赤色勢力を過剰ともいえるほど警戒していたのだ。
この近衛が内務大臣として入閣した広田内閣は、後に国内の共産勢力を壊滅させる大殊勲を上げるのだが……それはまた別の話だ。
***
だが、広田は「一人の人間があまりに長く権力の頂点に居座るというのは、いささか問題がある。世の中には旬というものがあるのだよ。覚えておきたまえ、旬を過ぎればあらゆるものが腐敗する。それは権力とて同じだ」と惜しまれながら1940年3月末日で総理を辞任した。
公式な理由は、
”ドイツとソ連のポーランド侵攻を事前に察知しておきながら、なんら有効な手を打てなかった。そんな自分がこの先訪れるだろう戦乱を、国家を率いて駆け抜けることはできない”
そして後継に指名されたのが、近衛だったのだ。
(広田サンも良いときに総理を辞めたもんだぜ……)
近衛の内閣総理大臣の就任に反対する者はごく少数だった。
その理由も「若すぎる」という具体性に欠く理由がほとんどだった。
何故なら、”広田の懐刀”、”いやむしろ切り込み隊長”として政策実現の為に八面六臂の大活躍をし、誰の目から見ても広田の後継者は近衛しかいないと目されたからだ。
先に挙げた、公約として掲げ短い時間で(社会的変化やダイナミズムを許容する戦時下ゆえに)実現した合計9年間の義務教育の実践や国民健康保険・厚生年金制度の創出、日本医療団を創設は明らかに広田路線の継承、あるいは延長線上にある方式だった。
護送船団方式の導入・多くのインフラの国有化は戦時故の国力安定化のために有益と判断された。
実は近衛自身は、史実の”年功序列”や”終身雇用”を国力の安定化要素を国策として盛り込むか悩んだが、功罪……デメリットである「(戦時故に機会が増えるだろう)抜擢人事や適材適所人事」といったダイナミズムが失われる事を懸念し、「こういう考え方もある」というケーススタディとして提示するだけで終わらせたようだ。
まあ、これらを国策として推奨するかは、戦後の状況次第……おそらく、その頃は自分が総理はやっておらず、「吉田サンあたりの案件だろうな」と”
全く甘い見通しと言わざるを得ない。
それはともかく、広田は今も閣僚、近衛自身が内閣書記官長を「役職名が共産主義のようだ」という建前で廃し、新たに立ち上げた総理の補佐、内閣官房長官として残ってくれている。
他にも
内務大臣:宇垣 和成
外務大臣:野村 時三郎
大蔵大臣:高橋 正清
などの実力者を揃えていた為、尋常ならざる安定性が自慢だった。
また入閣こそしてないが、欧州方面全権委任特使の”吉田滋”も実に頼りになる。
現在、官民一体の戦時限定挙国一致内閣、”大政翼賛会”議会となり、当面選挙は凍結されることになったが、それでも「戦時であれば仕方ない」と皇国臣民に大きな不安は無かった。
また、軍部とも
海軍大臣:堀 大吉
陸軍大臣:永田 銀山
空軍大臣:大西 辰治郎
連合艦隊司令長官:山本 五十八
軍令部総長:米内 光圀
陸軍参謀総長:酒井 鎬継
教育総監:岡村 稔次
機甲総監:原 富実雄
空軍作戦部長;吉良 俊平
統合航空参謀:千田 正敏
をはじめ、軍部との関係も良好だ。
何やら転生者達が数十年かけて、人事に力を注いだ形跡が見え隠れしている気がするが……
ちなみに空軍が史実なら海軍人ばかりだが、これは「41年のこの時」たまたまだ。歴代の空軍三役や上層部は史実では陸海の人材が入り混じっている。
第一次世界大戦の頃、新世代の兵器体系であり戦時中に急速に発展した”航空機を主力とした軍”、まだ生まれたばかりのロイヤル・エアフォースに倣い創設された”皇国空軍(インペリアル・エアフォース)”だが、今いる面子は建軍の際に「面白そうだし、興味がそそられる。ぜひ参加したい」と挙って自薦し参加した者ばかりで、元が海軍だろうが陸軍だろうが、派閥を超えて共に空と飛行機という新時代に憧れ、黎明期の頃からの試行錯誤を繰り返し同じ釜の飯を食い苦労を分かち合った”仲間”であった。
建軍から四半世紀が経とうとしている今となっては、出自関係なく「皇国空軍軍人」という意識が圧倒的に強い。何しろ
そして、逆に言えばこの先は「最初から軍歴は空軍オンリー」の世代が主流となってくる。
何しろ空軍が創設された頃に生まれた赤ん坊が、今やパイロットとして第一線で戦い、最前線で飛んでるのだ。中には既にエースの称号を得た者さえいる。
時がたつのは、実に早いものである。
さて、そんな背景の中、なぜ近衛が不機嫌さを隠していないかと言えば……
それは次回にて語るとしよう。
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