第98話 The SAVOYの古狸達 ~彼らが語るは、国共合作のバタフライ効果か、はたまた日独の俗物か~





 ロンドン市内にある高級ホテル”The SAVOY”の最上階ラウンジ。

 まぎれもなく変態の付かない正統派紳士淑女たちの社交場であるが、今やその一角は日英の政治的古狸に占領されていた。

 

「サンクトペテルブルグの歴史への復権に」


「歴史の中に消えたレーニンの街へ哀悼を」


 二人の初老の男ビッグボスが、グラスを合わせるのではなく軽く掲げる形で乾杯の意思を示す。


「それにしても……サンクトペテルブルグの復興事業、民政部門トップに日本人が据えられるとは思わなかったよ」


 そう英国首相ウェリントン・チャーチルが笑えば、

 

「我が後輩ながら、相変わらずよくわからない方向でよくわからないキャリアを積むもんだと感心するよ」


 そう苦笑で返すのは、本国へ帰るといきなり外務大臣の椅子に座らされそうで、そうならないよう極力終戦までは英国に残ろうと画策する肩書と権限があってないことこの上ない吉田滋全権委任大使だった。

 むしろ”皇国外交の欧州方面における親玉”と呼んだ方がよっぽどしっくりくる。


 ちなみに吉田が帰ってきたら即座に外務大臣の座を譲り、今度は自分が国外に出ようとしている野村時三郎と吉田、来栖任三郎は今の日本皇国の大主流派である”親英派”という同じグループに属していて、直接的な意味での先輩後輩だった。

 ちなみに”親英派ではない”事に着目して貰いたい。

 

「その代わりにベルリンへ派遣したのがオオシマ大使かね? 何というか随分と珍妙な人事というか……端的に言って俗物を送り込んだものだな?」


 流石、諜報活動やら情報収集やらには余念がない英国紳士。既に大島が「ドイツ好き好き大好き症候群」を患っているのを理解していた。

 当然ながら日本皇国外務省の中では親独派は少数派閥もいいとこで、主流派からは異端扱いされてるぐらいだ。

 まあ、最近はドイツとの停戦合意がなった事で、少しは省内での立ち位置は改善されたらしいが……

 その中でも当時の陸軍大臣の息子として生まれ、幼少期から在日ドイツ人の家庭に預けられドイツ語教育とドイツ流の躾を受けたという筋金入りの経歴を持つ大島は、親独派のエースであり、今回のドイツ行きには「最高の栄転」と派閥上げての壮行会が開かれたらしい。

 ある意味、吉田の対極にある人物と言えた。

 

 

 

「ドイツからのリクエストですよ。来栖後輩に通常の大使職務を”こなさせる”のは不可能であり、彼の活動詳細も隠蔽したい……というより、活動自体をあまり着目されたくないんでしょうな。その重要性から考えて。彼の赤色に対する憎悪は感情というより本質的であり、もっと本能的なものでありますのでね」


 ソ連と全面戦争を繰り広げる中で、ある種の”異常性”を持つ来栖は戦争遂行に不可欠な存在として認識された……吉田はそう認識していた。

 はっきり言えば……日本皇国外務省としては問題なかった。

 何しろ外務省の中での評価は、「問題児寄りの麒麟児」という扱いで、有能なんだけどクセが強すぎるというか……使い勝手の良いオールラウンダー型ではなく、なんと表現すべきか……その特性は、特定の方向に極端に力を発揮するピーキー型といったところか?

 上手く能力と業務がかみ合えば重要な仕事も任せられる反面、適性がありそうな仕事は外務省の管轄では比較的少なく、”使いどころの難しい奴”という評価も頷ける。

 

 それが今やドイツにレンタルすることで、国益引き出せる立派な外交カードの一枚だ。

 あてがわれる仕事が、大体「それ、外交官の仕事じゃねーべ?」という所に目をつぶれば、特に問題はなかった。

 外交官とは一体……?

 

「そこで来栖の活動をカモフラージュできる人材、正規の大使赴任を要求されたんだよ。それも、日独の友好親善、特にドイツ国民の対日感情改善に使える人材をとね」


「なぜ、そこで改善? ああ……”国共合作”かね?」


 吉田は静かに頷く。

 プロイセンや帝政の時代から、ドイツは伝統的に穏やかな親中国だ。

 特に日英同盟と開戦してからは、その傾向が強まった。

 そういう意味では、異様なまでに中国を耽溺してるルーズベルト大統領政権下の米国との相性も本来なら悪くないのだろう。

 

 だが、それを裏切る事態がレニングラード陥落に前後して起きてしまったのだ。

 山東半島や遼東半島に拠点を持つ米国をバックに付けた中国国民党と、革命思想に溢れソ連をバックに付けた中国共産党は、互いの実効支配地域の接合部で細かい軍事衝突を繰り返していた。

 基本的に国民党の安定的実効支配地域は、米国が渤海に突き出た二つの半島を持っていることにより、皮肉なことに史実の満洲国+華北5省(山東省、山西省、斉斉哈爾省、河北省、綏遠省)+河南省&安徽省、江蘇省というところだ。

 これら以外の南や西が共産党の実効支配地域、その二つの中国の接合部にある省が大体小競り合いが起きる係争地となっている。

 

 しかし、”バルバロッサ作戦(独ソ戦開始)”直後に「ドイツの帝國的覇権主義に対抗するため、ソ連を支援する」事を名目に国民党と共産党は無期限停戦条約を締結した。

 加えて、米国領の二つの半島と国民党地域を渤海湾を半円周上に巡るように配された”米国満州鉄道網(American Manchuria Train Network:AMTN)”をシベリア鉄道に連結するという、かねてより構想が練られていた一大事業に着手したのだ。

 

 

 

***

 

 

 

 元々、米ソも中国もカケラほども信用していないヒトラーを始めとした首脳部はともかく、ドイツの一般大衆は「中国の裏切り」に見え、大々的に”米ソを背後につけた二つの中国の裏切り行為”と報じられた。

 

 これを好機到来と考えたのが、ドイツの「一日でも長く日英との再戦時機を引き伸ばしたい派閥」、要するに軍や政治や産業のトップたちだ。

 つまり、対中感情の悪化にすり替えるようにして、これまで敵対状態にあった日本皇国、国民の対日感情を改善したいと考えたのだ。

 幸い、日本とは第一次世界大戦以前の接触はほとんどなく、過剰な戦時賠償も要求してこなかった。

 歴史的に因縁のあり過ぎる英国なら簡単ではないが、日露戦争でロシア人を叩き潰した実績のある日本なら何とかなると考えたのだ。

 

「しかし、皮肉なものだな……オオシマは思想的には日英では珍しい国家社会主義ナチズムの信奉者だろ? 肝心のヒトラーやその取り巻きは、アーリア人の優位性だのナチズムの理想だのなぞ鼻で笑う、いっそ吐き気を催すほどの現実主義者リアリストの集まりだと言うのに」


「だが、年々確実にソフティケートされてるとはいえ、ドイツ国民が圧倒的にナチ党を支持しているのは事実。そこについ先日まで敵対していた国から来た大使が、熱心なナチ党シンパともなれば使い道はあるだろう?」


 史実では、大島大使は当時ドイツ大使だった来栖大使が「親英米過ぎる」という理由で解任され大使となった男だ。

 だが、外交官としての信義には疑問符しかつかない。

 何しろ、ベルリンが燃え上がってる最中に「ドイツ有利」と報告し続けた男だ。

 それを信じる大日本帝国も所詮、その程度の国家だったということだが(スイス大使から入ってきたドイツ崩壊という報告を帝国は黙殺した)。

 

 だが、今生の日本皇国は一味も二味も違う。

 大島外交官がそういう人物だと承知の上でドイツに赴任させたのだ。

 

「大島大使の受け皿はドイツ外務省ノイラートですが、スケジュールの大半はドイツ宣伝省ゲッベルスが考える予定だそうで」

 

「ヨシダ、それは大使や外交官ではなく、まるで……」


 呆れるチャーチルに吉田は人差し指を立て、

 

「それ以上は”言わぬが花”でしょうな。ちなみにドイツ側の受入団ホスト代表は、なんでもリッベントロップ氏が担当するとか」


「ああ、あの実家の太さとコネしかない俗物をか……つまり、俗物には俗物をぶつけると?」


「真面目さが取り柄だと思っていたドイツ人ですが、存外に諧謔も理解するようですな」




 こうしてロンドンの夜は更けてゆく……














 誤解のないように言っておくが、これは大島外交官やリッベントロップ外交アドバイザーが不幸になるという話ではない。

 リッベントロップは己の虚栄心、自己顕示欲、承認欲求を大島の発言で満足できるし、大島はリッベントロップが会わせる多くの著名人に感嘆し、また常に施される上げ膳据え膳のドイツ式お客様待遇に大いに満足を得ることになる。

 

 いわゆるWin-Winの関係を彼らは彼らなりに構築することになるのだ。

 管轄がドイツ外務省でも外交的決定権は実は一切なく、ゴーストライターとして筋書きを書いているのが宣伝省だとしても、それは当人たちが知らないことだし、知らなくても然したる問題はないことだった。特に日独政府にとって。


 リッベントロップはノイラート外相から「日本との停戦期間が引き延ばせるか否かは君の手腕にかかっている」と激励され、張り切っていた。

 ソ連に勝つためには日本と戦争してる暇や余力がないことは、リッベントロップも理解していた。

 

 大島は、野村外相から直々に「ドイツとの関係改善は、ドイツ通で知られる君にかかっている」と言われ、実に誇らしかった。

 彼らは条約締結どころか予備交渉を始める権限すらないことを除けば、否、そういうしがらみが無いからこそ、良好な関係を築けるのだ。

 

 現在立ってる場所が、この二人の有する権力の絶頂だとしても、それを当人達が知ることは無い。

 知らないということは、時には幸せと同義語なのだ。


 これはおそらく、適材適所に徹すれば、どんな者でも使い道はあるという実例なのだろう。

 

 

 

 

 










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