第88話 ”Unternehmen Walpurgisnacht”




 ソ連バルト海バルチック艦隊が物理的に消滅した、一般的に”タリン沖殲滅戦”として知られる戦い……

 あまりに一方的過ぎて、”タリン沖海戦”と公式名称と呼ばれることの少ない(つまり、海戦の体裁を成していない)この海の戦いを、ドイツ側は


 ”Unternehmen Walpurgisnacht”

 

 和訳すると”ワルプルギスの夜作戦”と名付けていた。

 立案状態では別の作戦名だったようだが、作戦を詰める段階で、一説によればブロンベルク国防大臣とハイドリヒNSR長官の連名で作戦名変更の嘆願が出され、ヒトラー総統が苦笑とともに受理したと言われている。

 ちなみに本当のネタ元である某日本人の話題は公式資料の何処にも記載されていない。

 ドイツの防諜能力は、中々に高いのだ。

 

 実際、その名称は言い得て妙と言えるだろう。

 タリン港から脱出を図るソ連艦隊に対し、ドイツ海軍は空母機動部隊は航空機による集束焼夷弾の投下(急降下爆撃)という当時としては奇策をもって対応し、二波の攻撃で残存していた全ての船に着火、船上火災を引き起こす事に成功していたのだ。

 松明のように燃えながら海上を満身創痍で進む敗残の船は、まさに”ワルプルギスの夜”に相応しい情景であったという。

 

 

 

 

 

 この時のソ連艦隊は、バルト三国からの脱出人員も乗せていたため人的被害は膨れ上がり、その後に行われたタリン港制圧戦も加えると、タリンを巡る一連の戦いで戦死したソ連軍将兵はわかっているだけで5万人を優に超えていた。

 より悲劇的なのは、ドイツ側に殆ど被害が無かったということだ。

 当然のようにロシア人に撃沈された潜水艦や水上艦は無く、また航空機も1機ほどまぐれ当たりで落とされたが、残りの損傷はエンジン不調や着艦時の事故などが原因だ。

 ドイツ人が完全に自分の物として使いこなすには、もう少し経験や練度が必要かもしれない。

 

 その中で何人が焼夷弾攻撃で焼死したかは不明だが、クロンシュタットに生きてたどり着いた船も将兵はおらず、当時のソ連外相モロトフは「あまりに非人道的な行い」と非難したという。

 しかし、ドイツ総統アウグスト・ヒトラーは、各国メディアを集めた会見で、こう公式返答を残した。

 

『笑止。ソ連は、冬戦争においてフィンランドの民間人居住区に焼夷弾攻撃を行った。これは明確なハーグ陸戦条約違反だ。それに対し、我々は逃走を図るソ連の軍艦・・・・・に同種の兵器を用いただけだ。どちらが非人道的だと諸君らは思うのかね?』

 

 各国の親ソ左派メディア(特に米国内)は何とかこれを事実歪曲しようとしたが、右派だけでなく中道・中立までもが真っ先にありのままを報道したため、上手くは行かなかったようだ。

 

 

 

 だが、後年においてこのスタイルの対艦攻撃がメジャーになることは無かった。

 というのも、この攻撃はいくつかのソ連艦隊の弱点や急所を突く攻撃であり、また航空攻撃を受ける前に大幅な損傷を艦隊全体が受けていた悪条件が重なったゆえの結果だと判断されたからだ。

 例えば、

 

 ・航空攻撃の前に機雷と潜水艦の攻撃で防御力の高い大型艦を喪失していた。

 ・大型艦の喪失に伴い、指揮権を持つ上位者も失い、効果的な防御陣形などが艦隊行動として取れなくなっていた。

 ・そもそも、ソ連海軍にレーダーなどの有効な防空装備が脆弱で、また防空訓練も不十分だった。

 ・ソ連艦船はダメージコントロール能力に乏しく、また消火装備や防火訓練なども全く足りていなかった。

 

 もっともこれらが理論だてて解説されたのは戦後の事であった。

 実際、米国では「焼夷弾での航空攻撃」を新たな時代の対艦戦術として大きく研究され、”対艦ナパーム弾”という、どちらかと言えば奇形兵器に属するものが開発され、第二次世界大戦末期の対独戦に投入されたが……タリン沖のような期待された効果は出せなかったようだ。

 そもそも、優秀な艦載レーダー、レーダー連動高射装置、近接炸裂信管付砲弾を発射できる高射砲(高角砲)、優秀な艦上戦闘機を持つドイツ海軍の艦艇にまともに近づく事が難しかったという現実もあった。

 

 実際、ナパーム系の兵器が最も効果を発揮したのは、対艦攻撃ではなく地上攻撃においてだったとされる。


 


***




 さて、話を現在に戻すが、海路でクロンシュタット、大きな意味でレニングラードへの脱出を目論んだ兵員はバルチック艦隊と共に物理的に消滅した。

 実際、タリン港を巡る戦いでのソ連人捕虜(生存者)の発生は、九割以上が港湾制圧戦、つまり地上で発生した物だった。

 もっともドイツ側の被害が最も大きかったのも、また港湾制圧戦だったのだが……

 

 海上では降伏が不可能な状態だった事も大きい。

 基本的に潜水艦は浮上して救助することは現実的ではなく、航空攻撃では不可能であり、最終局面であった水雷戦隊との戦闘では既に降伏できる状態ではなかったし、仮に降伏したとしても火災が発生している船に接近は不可能だった。

 

 結局、ソ連領まで撤退に成功したのは陸路で北上した戦力だけであり、彼らもまた撤退戦ならば当然だが、ドイツ軍地上部隊の執拗な追撃を受け、甚大な被害を出していた。

 これには諸説あるが、当時のソ連がバルト三国に展開していた50万超の戦力の内、約30万人以上が戦死・行方不明判定になったとされた。

 捕虜は5万人ほどであり、その全てがバルト三国に身柄を預けられ、後に戦争犯罪人として有罪判決を受け処罰を受けた。

 

 結局、国境を越えられたのは10万程度かそれ以下とみなされており、それも無事という訳ではなく、装備を失っている物が大半であり、負傷者も多かった。

 バルト三国からの敗残部隊は、レニングラードまで撤退して防衛部隊として再編されるが、それが今でも防衛軍が急速に拡大したため不足気味のレニングラードの食糧事情や医療用を更に圧迫することになる。

 しかし……

 

「それでもソ連軍全体から見れば、彼らの動員力から考えれば、瑕瑾というほどにも当たらないわずかな犠牲だろう。全く嫌になるな……」


 アウグスト・ヒトラーは知っている。

 ソ連は2000万人の自国民を粛清し、なお1000万の動員が可能な強国・・だという事を。

 彼は、”その歴史”を知っているのだ。

 













*******************************










 時間がひどく前後してしまい申し訳なく思う。

 時系列は、来栖任三郎がリガへ赴任する前まで戻る。

 

 

 

「ハイドリヒ卿……」

 

 あのなぁ……

 

「なにかな?」


「なんで俺の目の前で、マンシュタイン閣下が美味そうにアイスバイン(塩漬けの豚すね肉の香草煮込み。ベルリンの名物料理)を食してらっしゃるんでしょうかね……?」


 蟀谷を抑えながら聞いた俺は、流石に悪くないと思うぞ?

 いや、せめて状況を説明させてくれ。

 

 今日、暇があるならとハイドリヒにベルリンでも肉料理に定評があるレストランに夕食に誘われたのだ。

 いざ、レストランに入ると個室に案内され、そこで陣取っていたのが最近、やたらと絡んでくる(暇なのか?)ハイドリヒと、

 

(なーぜかいたんだよ。エルンスト・マンシュタイン中将、いやこの間大将に昇進したんだっけ?)

 

 この人確か”東方侵攻作戦首席参謀”、つまり”バルバロッサ作戦”における各方面の作戦参謀統括みたいな役職してなかったっけ?

 

 そして、またしてもハイドリヒがマイブームらしい”偉い人と合わせてドッキリ”に嵌められた事に気づいた俺は、そのまま部屋を間違えたふりしてUターンしようとしたら、いつの間にか背後にいたハイドリヒのクソ野郎に肩をがっちり掴まれ実にイイ笑顔で、

 

「部屋はここで間違っていないよ。クルス卿」


 いや、お前何でそんなに身体能力高いんよ?

 もしかして、暗殺対策か?

 

「ふむ。マンシュタイン卿より、卿と話してみたいと頼まれてな」


 なんか軽っ!?

 

「なに、クルス卿と少々世間話でもしたくなってね」


 とマンシュタイン閣下は切り出し、

 

「例えばそう、”サンクトペテルブルグ”の話題なんてどうかね?」


 いや、それ断じて世間話じゃねぇからっ!!
















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