第87話 バルト海に出現する、ラグナロク的な光景




「まちたまえ。集束焼夷弾の都市のような密集部に対する地上攻撃ではある程度の効果は証明されているが、基本的に鉄の塊である軍艦に関する効果は期待できるのかね? それに海と炎は相性がその……」


 そう質問してきたのは、ブロンベルク大臣だったが、

 

「閣下、船上火災ってのは怖いんですよ? 軍艦、民間船問わず延焼してしまうと中々消火できず非常に厄介だ。炎が広がれば海に飛び込むくらいしか手が無いうえ、船はそもそも沈まないように密閉性が高く、特に甲板より下では逃げ場が無くなる事も多い」

 

 実は、今生だと転生者らしい相対的未来知識になってしまうが……実は、対艦ミサイルを食らって弾頭は爆発しなかったのに、残存していたロケット燃料で起きた火災で沈んだり重大な損傷を受けた軍艦・・というのは存在する。

 それも複数。

 例えば、フォークランド紛争における英国42型駆逐艦”シェフィールド”に、イラン・イラク戦争における米国オリバー・ハザード・ペリー級ミサイルフリゲート”スターク”だ。

 奇しくもどちらも”エグゾセ”という同じフランス製空対艦ミサイルで撃たれ、弾頭は爆発せずとも残っていたロケット燃料により引き起こされた火災で手酷いダメージを受けたのだ。

 

「特にソ連のような粗雑乱造、ダメージコントロールの概念が薄く、被弾時や緊急時の訓練を水兵がまともに受けてない相手は、船上火災にまともに対応できないもんです。そもそも、消火装備や防火装備も十分じゃないでしょうし」


 消火器積むぐらいなら同じ重さの砲弾積むだろうし。

 戦後の冷戦期ソ連軍艦も甲板上にミサイルをこれ見よがしにずらりと並べ、一見すると強そうだが敵の攻撃で1発でも誘爆したら連鎖爆発で轟沈しかねない危険性があった。

 それに被ダメージ時の対応力がハード面でもソフト面でも弱く、冷戦期に敵国に沈められた船は無くとも、事故で沈んだ船はある。

 ダメージコントロールの概念がまだ浸透しきってないこの時代なら尚更だろう。

 

「それに例え軍艦でも、意外と可燃物は甲板上にもあるんですよ?」


 例えば、木製の脱出艇とか砲塔ではなく防盾式砲の弾薬部分とか。

 温度によっては塗料や構造材もなんかも燃料になって燃え出す。


(確率的には低いが、煙突の中に焼夷弾子が飛び込んだら面白いことになるんだが)

 

 それに今回は、

 

「例えば、甲板上に鈴なりに乗せているだろう脱出ソ連兵も良い可燃物になりそうだ」


 東京大空襲などの記録もあるが、人間だって温度と熱量次第で簡単に燃えるのだ。生きていようと死んでいようと。

 ところで、ブロンベルク大臣、なんか引いてないか?

 

「実際にやるかどうかはお任せしますが、アイデアとしては提示させていただきますよ。結局、拡散榴弾ですから的が小さく素早い小型艦でも当てること自体は楽でしょうし」

 

 一粒弾スラッグよりも散弾の方が当てるのは楽程度の意味だけど。

 

「作戦は夏でしょうし、季節外れではあります。しかも航空機を使う以上、夜ですらないでしょうが……」


 俺は、ドイツ人に伝わりやすい表現を思いついた。

 

「タリン沖に”魔女たちの火祭り”を、”ワルプルギスの夜”を出現させましょう……!」


 ああ、きっとそれは見ごたえのある風景だろう。

 

「神を信じぬ共産主義者に肉体を松明に、魂を魔女たちの供物に捧げましょう! これこそ、アカの末路として相応しいのでは?」

 

 

 

***




「ハイドリヒ君、クルス卿の”NSRスケール”での重要度判定はどうなっておる?」

 

 来栖との話し合いが終わった後、不意にブロンベルクは隣を歩くハイドリヒに話しかけた。

 

「詳細はお伝え出来ませんが、”戦争の趨勢に影響を与える”程度の重要度です」


 年下の友人にブロンベルクは満足げに頷き、


「実に重畳。クルス卿はドイツ人にはない、できない発想や思考をすることが確認できた」


 確かにドイツ人は”ワルプルギスの夜を海上で再現しよう”とは思わないだろう。

 そもそもドイツ人にとり”ワルプルギスの夜”は、ただの春の風物詩であり、伝統的なお祭りだ。

 

 しかし、来栖にとっての”ワルプルギスの夜”はもっとこう……陰惨で、破滅的な”何か”だ。

 まるで、暗黒時代の魔女狩りで、不条理に無残に残奥に殺された者達の怨念を体現するような……

 もっとも来栖のそれは、必ずしも民族的なそれに起因するものではないのだが。どちらかと言えば、”転生者”である彼個人の資質だ。

 

「国防相として、彼には”必要な時、必要な場所への行き、必要な事ができる権限”を与えられる状況を軍法を一部改訂して整えておこう。無論、彼には全ては伝えず。その都度、必要な情報を開示する方式で」


「さしずめ軍記物の”軍監”というところでしょうか?」

 

「ああ、それに近い。ただ決定的に違うのは、軍監という独立した地位を常設するのではなく、その役職に応じた必要な時に必要な地位を必要に応じて時限立法的に用意するところだ。加えて日本政府や外務省が受け入れやすい、”文官としての役割を大きく逸脱しない地位”とすることが重要だ。当然、直接軍を率いるような役職は以ての外だな」

 

 するとハイドリヒはにやりと笑い、

 

「日本人は大義名分と建前を重要視しますから。ただし、高級軍人……任務。いえ業務・・上必要ならば、時には元帥とも対等に交渉できる待遇と権限は付与しておくこと……ですね? クルス卿の能力と使い道を考えれば」


「その通りだ。それにしても、”ワルプルギスの夜”か……」


 そして、ブロンベルクはすっと視線を細め、

 

「勝利の為には、クルス卿の助力は必要不可欠……なるほど。前々から君が言っていた事は理解したよ。この上なくね」

 

「ロシア人を薪代わりに火祭りにくべるという発想は、我々にはありませんからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*******************************










 そして、来栖に提案されたアイデアは、ブラッシュアップされ検証され、そして実行された。

 海軍仕様のスツーカスツーカ・マリーネ、Ju87Mが腹の下に抱え込んでいたのは、全て実戦配備されたばかりの1000kg級ないし500kg級の集束焼夷弾だった。

 急降下爆撃で放たれたこれらの爆弾は、空中で炎の傘を開き、焼夷弾子が標的となった船を包み込んだ。

 無論、全ての焼夷弾子が命中したわけもなく、海に飛び込んだ焼夷弾子は普通に無害化された。

 しかし、少数でも甲板に降り注いだ焼夷弾子は、そのやり方を知らないと消化が困難なテルミット火災を引き起こすこととなった……

 

 

 

「これは、なんとも末期世界的ラグナロクな光景だな……」


 水上偵察機の無線で報告を受けた時は、耳を疑ったが……実際、ツァイス社の海軍向け高倍率双眼鏡の向こう側に映る光景は、その報告が虚実ではないことを全力で告げていた。

 

「まさか、20世紀の海で”火船の群れ・・・・・”を見ることになるとはな……」

 

 ソ連バルト海バルチック艦隊にとどめを刺すべく、旗艦アドミラル・ヒッパー級のネームシップ”アドミラル・ヒッパー”の提督席に陣取り、水雷戦隊を率いていたドイツ海軍少将”オズヴァルト・クメッツ”は、内心にかなりの衝撃を覚えていた。

 

 合計8隻建造されているアドミラル・ヒッパー級のうち4隻を投入し、軽巡洋艦と駆逐艦合計40隻の彼の艦隊の前に現れたのは、20隻にも満たない”船体のあちこちから炎を噴出させ、煙をまとった”軍艦……いや、かつて軍艦だった成れの果て・・・・・の集団だった。

 

 もはや、それは艦隊とは呼べないだろう。

 沈んでないだけで、廃船置場の方がまだマシな状態な船があるぐらいだ。

 

 砲身は熱で飴細工のようにぐにゃりと曲がる船もあり、あらゆるものが燃えていた。

 無論、今朝まで人間として存在していた筈のモノ・・も……

 

 確かにそれは、近代以前の時代に立派に水上戦術として使われていた”火船”と表現するのが適切かもしれない。

 だが、赤壁の戦いやアルマダの海戦との違いは、動力船である事と乗員ごと・・・・燃えていることだ。

 

 どうやらロシア人もこちらを見つけたようだ。

 ヨタヨタと這うような速度で、火船らしく体当たりを敢行しようとでもいうのだろう。

 いや、正確にはもうそれぐらいしか出来ることは無いに違いない。

 もはや、あの有様では武装を使うのは絶望的だろうし、進路に陣取る質でも量でも勝る無傷の相手に生き残る事は絶望的……クロンシュタットへたどり着くのは不可能だろう。

 降伏するという思考はないのだろう。そこまで頭が回ってないかもしれないし、また降伏したところで燃え盛る船から救助される可能性がない事に気づいているのかもしれない。

 

 もしかしたらそのクロンシュタットからソ連の救援艦隊は出てる可能性のわずかにあるが、たとえそうであったとしても間に合うことは無い。

 まだ、ここはタリン沖と言ってよい海域なのだ。

 仮に奇跡が起きて間に合ったとしても、できることなど皆無だろうが。

 

 

 

 無論、一人の提督としてドイツ軍人として、クメッツは自爆特攻そんなものに付き合ってやるつもりはない。

 だが、

 

「これは戦闘ではないな……」

 

 自沈できない船への砲雷撃での処分……それが一番適切な気がした。

 その心に去来するのは、敵対者に向ける憎悪ではなかった。

 理屈ではない慈悲と哀れみ……この時、表面化していないクメッツの心の奥底では、

 

 ”彼らを地獄の業火より早く解放してやりたい”

 

 そんな思いがあったのかもしれない。

 

 

 











 この先は、結果だけを記そう。

 タリンに停泊していた190隻余りのソ連バルト海バルチック艦隊は、”全滅・・”した。

 判定における全滅、残存が半分以上いる軍事用語の全滅ではない。

 語義通りの比喩でもない全滅。

 本当に1隻残らず水底に沈んだ。

 無論、脱出できなかった人員ごと……

 

 軍人以前に船乗りとしてドイツ海軍も、潜水艦達は無理だったが戦闘終了後の水雷戦隊が救助しなかった訳ではない。

 だが、捕虜として確保できたロシア人は200名にも届いていない。それが事実だ。

 そして陸に生きてたどり着けた人数はもっと少ない。

 

 


 こうしてバルチック艦隊は、日本人ではなく今度はドイツ人の手により”史上二度目の消滅”を迎えたのだった。

 繰り返すが……避難者・脱出者を含め、この時タリンに停泊していたソ連艦隊の中でクロンシュタットに辿り着けた船は1隻もなく、また1人も居なかった。

 これは要するに、そういう戦いだった。














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