第85話 タリン沖殲滅戦、開始 ~おそらくそれは、ソ連海軍にとり最悪の一日~




 一言で言えば、タリン港に居た約190隻のソ連バルト海バルチック艦隊は、手遅れ・・・だったのだ。

 エストニア各所でソ連地上軍が戦術や指揮のまずさにより寸断され、各個撃破された。

 大粛清の影響は、本当に大きかったのだ。

 

 破竹の進軍を続けるドイツ軍を止める手立ては、既に制空権を取られたエストニアに駐留していたソ連軍には無かった。

 リトアニアやラトビアから撤退してきた、正確に表現するならドイツ軍に追い散らされたソ連軍も合流していたが所詮は敗残兵の集まり。

 指揮官や司令官を欠いていた部隊も多く、装備も失い……正しく烏合の衆だった。

 如何に強権発動を得意とする政治将校コミッサールとはいえ、統制できる限界を超えていた。

 戦線を立て直せる見込みもなく、死守するにはタリンは防衛陣地として脆弱過ぎた。

 ならば、今は一旦は後方に下がり、装備を整え部隊を再編し、捲土重来を図るしかないと判断された。

 

 そうと決まればもはや一刻の猶予もなく、最初のJu87Dスツーカがタリンの港湾施設に急降下爆撃を敢行したときには、脱出を図る将兵を甲板から零れるほど満載した艦船艇がボイラーに火を入れ、出航の時を待っていた。

 

 

 

 そして、ソ連にとって”最悪の一日”が始まる。

 

 

 

***




 タリン港を出ようとした最初の1隻、輸送船が触雷し、船底に大穴を空けられて浸水。ダメージコントロールを考慮されていないソ連船籍らしく、瞬く間に横腹を見せて沈んだ。

 

 だが、水の摩擦係数は小さく慣性質量の大きな船は急には止まれない。

 我先にと脱出しようとしていたソ連艦船は次々と触雷、浮力を失っていった。

 

 誰かがそれがドイツ軍が仕掛けた機雷だと気づいたが、だからどうしたというのだろうか?

 もう、ドイツ軍は陸地から目と鼻の先に迫っているのだ。

 吞気に掃海している暇はない。

 いや、そもそもソ連には掃海する技術も装備もノウハウも不足していた。

 

 このまま港から出なければ、結局は陸地でドイツ人に殺されるのだ。

 だからこそ、彼らは実にボリシェヴィキズムに溢れた判断を取った。

 

 そう、”強行突破・・・・”だ。

 倒れた同志の屍を踏み越えて行くように、船が沈んだのならそこにあった機雷は無いのだから直進できるはず……そう信じて。

 無論、先陣を切るのは階級の低い者が艦長を務める小型艦からだ。

 

 きっとその心情は、きっと政治将校コミッサールに後ろから機関銃で撃たれる気分に近い物だったのだろう。

 撃つのが赤色ロシア人かドイツ人かの違いなだけだ。

 

 


***




 確かにUボートが敷設した機雷原を抜けることができたソ連軍艦は少なからずいた。

 だが、その姿は正しく満身創痍だった。

 そして、言うまでもなく……

 

「こりゃまるで鴨撃ちだなぁ。おい」


 グスタフ・プリーンは、潜望鏡を覗きながら楽しそうに舌なめずりした。

 本来ならXXI型Uボートは、開発された時代から考えられない性能を持つ音響雷撃統制装置を持ち、潜望鏡を用いず潜水したままの音響測量のみの雷撃でも十分な精度の攻撃が可能だが、当然従来のように潜望鏡を用いた方がより高精度の雷撃が可能だ。

 特にソ連はまともな対潜戦術教育が行われていないようで、またまだ艦載レーダーも実用化しておらず、装備も貧弱なためにプリーンは潜望鏡を出したままの攻撃で問題ないと判断していた。

 

(日英の対潜兵装満載したトンデモ駆逐艦相手じゃこうはいかんだろうが……)

 

「よし! あのノタノタしてる大物を狙うぞ! 発射管1番から6番まで装填終わってんなっ!?」


 その視線の先には、既に機雷により艦首を破損し浸水をおこし、大幅に機動力が削がれたガングート級戦艦”マラート”が船体を傾かせながら進んでいた


「Ja! いつでも発射可能です! 新型魚雷の射程なら、十分に射程圏内ですぜっ!!」


 副長の言葉にプリーンは頷き、

 

「よしっ! 1番から6番まで全弾発射! 目標、ガングート級戦艦!」


「Jawohl ! Herr Kaleun !!(了解しました! 大尉殿!!)」


 発射された魚雷の内、距離がそこまでなかったせいもあり、なんと半分の3発が命中!

 これは無誘導魚雷としては驚異的な命中率だった。

 正確には2発が直撃で接触信管が、1発が艦底爆発で磁気信管を作動させ、喫水線下で爆発したTNT換算で1t近い爆薬は、もはや”マラート”が海上に浮くことを許さぬほどの損害を与えたのだ。

 特に厄介なダメージを引き起こしたのは艦底部で爆発した1発で、それは第一次世界大戦の生き残りである”マラート”の年季が入った竜骨を海中衝撃波で圧壊させ……

 

「命中、多数! ははっ! 真っ二つになって沈んでいきやがる!! くたばれコミュニスト!!」


 その姿を満足そうな顔で確認しながらプリーンは、

 

「次弾装填急げよっ! 殴り沈めにゃならん獲物はまだまだいるっ! どこに撃っても何かしらには当たりそうだぜっ!!」


「「「「Jawohl !!」」」」


 

 

 

 プリーンは運の強い男だった。

 生き残ったからではない。というより、この”タリン殲滅戦”と呼ばれることになる一連の戦いでロシア人の手で沈められたUボートは1隻もない。

 そうでは無く、単艦攻撃でガングート級戦艦”マラート”を沈め、それがはっきりしていたからだ。

 同じくタラン港から脱出を図っていたネームシップの戦艦ガングートは、都合3隻からの同時攻撃で船体全体に7発の命中弾を受けて爆沈(轟沈)、戦果判別困難ということで3隻共同撃沈スコアという事になった。

 潜水艦の撃沈スコアは伝統的に隻数ではなくトン数で表すが、ガングート級戦艦の排水量は満載で約26,700t、で三分割すると1隻あたりのスコアアップは軽巡~重巡1隻分くらいになってしまった。

 

 だが、ここで終わりではない。

 XXI型Uボートの6門ある魚雷発射管には自動装填装置が採用されており、10分以内に全ての魚雷発射管に再装填が可能だった。

 これは人力に頼る他国の潜水艦の魚雷発射速度に比べて極めて早い。

 そして、XXI型の魚雷搭載数は史実よりも1発多い24発を搭載しているし、”海の狼”ウルフパック達は魚雷を撃ち尽くすまで帰港するつまりはない……つまり、タリン沖で1時間続く”海中ハンティング大会”は、まだ始まったばかりだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




*******************************










 ロシア人は元来、”しぶとい”民族だ。

 気候的過酷さがその性質を生んだのか、窮地なればなるほど粘り強さを発揮するところがある。

 機雷に潜水艦のコンボという奇襲じみた強襲を受けてなお、ソ連バルト海バルチック艦隊は、全て水漬く屍になっていた訳ではなかった。

 集中的に狙われた高価値目標(UVU)……2隻のガングート級戦艦をはじめ巡洋艦以上の戦闘艦や5,000t以上の輸送艦などの大型艦船はことごとくが沈められ、190隻いたはずの艦船艇は既に50隻程度までやせ細り、もはや艦隊と呼べるかどうかという状況ではあったが……

 それでも彼らは生きており、クロンシュタットへ辿り着く事をあきらめていなかった。

 

 ロシア人は確かに粘り強い。だが、それは精神面の話であり、決して物理限界を超えるような超常現象的なものではなかった。

 つまり、

 

「噓だろ……」


 それに最初に気づいたのは誰だったか。

 

「なんで航続距離あしの短いドイツ野郎の飛行機が、海の上・・・で襲ってくんだよっ!!?」


 絶望の時間は、まだ終わらない。




 潜水艦による半包囲からの殲滅戦じみた攻撃から生き延びた彼らの頭上には、3隻のグラーフ・ツェッペリン級正規装甲空母から発艦した”Ju87M”、史実のJu87CではなくJu87Dシリーズと並行開発され、史実のJu87D-5と同等の性能を持つ、Mはマリーネを意味する海軍仕様のJu87スツーカが編隊を組み迫っていたのだ。

 ロシア人は知る由もなかったが、この航空攻撃は一度ではなく、空中集合の関係から二波に分かれて行われる予定だった。


 そして、残存のソ連艦隊には、今まさに行われようとしている第一波さえも防ぐ手立てがほぼ無かった。

 対空装備も少なく、防空訓練も他の訓練同様に足りておらず、甲板には脱出した海にも船にも不慣れな陸式赤色軍人が溢れたこの状況で、満足な迎撃なんてできる筈もなかった。 

 それがなくとも彼らの対空戦技量は褒められたものではない。信じられない話かもしれないが、この時期のソ連海軍機銃手の多くが、「撃墜するには敵機の未来位置を予測して撃つ」事を知らなかったという。

 つまり、彼らの大半は接近する敵爆撃機隊に気付いても「現在のスツーカの位置」に向けて心許ない対空射撃を開始しているのだ。

 そう、赤色海軍人の殆どが急降下爆撃を実際に見るのは初めてであり、ドイツの艦載機に爆撃されることなど想像外の事態、現実に起こることを想定していなかったゆえの悲劇……

 弾幕は薄く、レーダーも連動した射撃統制装置もなく接近に気付くのが遅すぎた。


 繰り返すが、絶望の終わりはまだ遠い。

















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