第83話 サンクトペテルブルグ攻略に向けた前哨戦 ~僕らは命に嫌われている~




 さて、史実におけるレニングラード包囲線において、ナルヴァ、キンギセップからイリメニ湖のシムスクまでルーガ川沿い200マイルに渡りに数十万のレニングラード市民を投入して防衛線を構築したという。

 

 だが、この世界線では全くそれがうまく機能しなかったのだ。

 ドイツ海軍戦艦部隊の嵐のような艦砲射撃であまりに早くナルヴァのソ連陣地は陥落、突破された。

 そして、ナルヴァ陥落の報が届くか届かないかのうちにキンギセップに勢いを殺せないままにドイツ軍はなだれ込みあっという間に占領。ここに1922年以来途絶えていた”ヤムブルク”の名が20年ぶりに復活したのだ。


 そして、史実よりも早い8月6日、ノヴゴロドが陥落する。

 ルーガも程なく陥落し、ルーガ川防衛線は機能する間もなく寸断され、各個撃破されたのだ。

 特に悲劇だったのは、キンギセップヤムブルクとルーガで、防衛線補強の為にレニングラードより集められた市民が大量に詰めていて、戦闘の巻き添えとなった。

 ドイツが行った一度だけの降伏勧告で投降できた市民はまだ幸運な方で、政治将校の号令の元、手近にあった武器になりそうなものを手に取り抵抗の意思を見せたおそらくはレニングラードやその周辺からかき集められた市民は非戦闘員や民間人ではなく便衣兵とみなされ、容赦なく砲弾・銃弾が浴びせられた。

 

 このルーガ川防衛ライン近郊の都市戦闘での最終的な民間人(レニングラード市民など)の戦死者・・・は30万人を超えるものだった。

 ソ連は「ドイツの組織的な民間人殺し」を激しく糾弾したが、降伏勧告がどの都市でも最低は一度は行われたこと、その様子をオープンリールテープで録音、写真での撮影、さらに場所によってはムービーカメラで撮影され動画として残っていたこと、更には政治将校の煽動や埋設するべき地雷を抱えて戦車に飛び込もうとするレニングラード市民の様子が同じ機材でバッチリ記録されていたために、ドイツが主張する「ハーグ陸戦条約の適応外である便衣兵として対処した」の言い分が通ったのだ。

 つまり、「軍人ではなくとも、非戦闘員ではなかった」と。

 余談ではあるが、この時代のドイツの録音機材は世界最先端であり、例えば世界初のオープンリールデッキは1935年にドイツのAEG社が発表したマグネトフォンだ。

 

 このあたりの機材の選択や使用法、情報戦の手口はゲッベルスの十八番であり、事前準備や根回しも含めて隙が無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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 陸の戦いの前に、海の戦いも振り返ってみたい。

 史実のレニングラード包囲戦において、実は海の戦いは非常に重要な意味を持っていた。

 エストニアの港”タリン”にいたソ連バルチック艦隊約190隻がナルヴァ陥落に呼応して脱出し50隻余りの犠牲を出しながらコトリン島のクロンシュタットに辿り着き、以後のレニングラード包囲戦にドイツ側に暗い影を落とすのだが……

 

 だが、考えてほしい。

 果たしてこの世界線のドイツが、背後にあるソ連バルト海バルチック艦隊の拠点を放置して、エストニアとソ連の国境へ向かうだろうか?

 しかも、ナルヴァ攻略には戦艦部隊を投入しているのに、転生者であるヒトラーやハイドリヒがそんな明白な戦略的失敗を見過ごすだろうか?

 答えるまでもない。

 断じてNEIN!

 

 今まで政治イベントの時系列的に挿入できなかった、記されてなかったドイツ海軍史上最大の戦い……”タリン殲滅戦”を今こそ書いてゆきたい。

 



***




 これまで、今生ドイツの誇る海軍水上部隊の精鋭の雄姿は、僅かな文章量とはいえ記したつもりだ。

 だが、史実のドイツ海軍の主力は戦艦だろうか? 空母だろうか?

 否。もっとも数が多く、連合軍が恐れたのは”潜水艦Uボート”だ。

 

 戦後、ウィンストン・チャーチルは「私が本当に怖れたのは、Uボートの脅威だけである」と語ったという。それほどの存在だった。

 

 しかし、この世界線におけるこれまでの戦いでは、いっそ”不気味なほど”Uボートはその影を見せていなかった。

 特に猛威を振るった対英戦では、”アシカ作戦”自体がフェイクだったせいもあり「驚くほど被害が少ない」のが現状だった。

 無論、停戦前にUボートの撃沈記録がないわけではない。

 

 日英同盟が「史実のUボートの脅威」に怯え、全力で用意した対潜装備の数々、主に駆逐艦や軽巡洋艦に搭載されるソナーなどの探知手段やヘッジホッグやスキッドのような対潜兵器の開発、また二式大型飛行艇のような”潜水艦キラー”の対潜哨戒機が戦前より準備が進められていた為、「たまたま索敵に引っかかった運の悪い・・・・Uボート」が沈められたからだ。

 

 だが、それにしても少なかった。

 撃沈数だけでなく遭遇数、その分母である「潜水艦の被害にあった輸送船」が、少なくても大西洋領域では驚くほど少なかったのだ。

 

 地中海方面では装備の良さでごり押す徹底的な”キャッチ・アンド・キル”で味方商船の被害こそ少ないが、敵潜水艦の撃沈数はそれなりに稼いでいた。

 だが、スエズ運河とジブラルタル海峡で閉鎖された地中海でドイツ潜水艦が入り込む余地はなく、撃沈されたのはほとんどがイタリアの潜水艦だと推測されている。(潜水艦の場合、潜水状態で沈めてしまうとサルベージしないと艦籍の特定ができなく、戦時中にそんな余力はない)

 

 この答えは実にシンプルで、実はこの世界線のドイツは大西洋方面に偵察や哨戒以外、ほとんどUボートを投入していなかったのだ。

 信じ難いかもしれないが……ドイツは、対英戦において本格的な通商破壊作戦を一切行っていない。

 

 

 

 当然、これには理由があった。

 まず史実と違い、日英同盟という安定した軍事同盟があったせいもあり、英国は欧州本土への軍隊動員には慎重であり、結果としてダンケルク撤退戦ダイナモ作戦のようなことは起きていない。

 また、英国はどこまで日本皇国の影響を受けているのか分からないが防衛的戦争を続けており、コンパス作戦やギリシャへの派兵などは行ったが、攻勢的な作戦は史実と比べても限定的だ。

 だからこそ、ドイツは「英国の国民感情を過度に刺激しかねない」通商破壊作戦を自重していたのだ。

 ドイツは、英国紳士が第一次世界大戦の惨禍を忘れたとは思ってなかった。そして、敗戦により自分達がどんな目にあったかもだ。

 

 実はこの手の”気遣い”や”配慮”というものは他にもある。

 

 ”バトル・オブ・ブリテン”がこの世界でも起きたことは既に何度も書いたが……驚くべきことに、ロンドンをはじめとする都市部、特に民間人の密集居住地には1発の爆弾も落ちてないのだ。

 当然である。

 ドイツの真の目的は、英国の防空能力の確認だった為、民間人を無差別爆撃して無用な恨みを買うことは本意ではないのだ。

 だから、「爆撃=英国本土のどこかに適当に爆弾を落として離脱する」という、いささか非チュートン的な不真面目さが目立つ状況だった。

 なので実質的な爆撃の被害が少なすぎて、逆に英国政府が公表を迷うというエピソードがあったらしい。

 

 当然、以前のエピソードにも出てきたチャーチルや吉田のようにドイツの真意、「アシカ作戦はみせかけ。日英の反応を見るために意図的に漏洩された観測気球代わりのダミー。ドイツは物理的限界からか英国本土を攻めとるつもりはない」を正確に見透かした人間もそれなりに居た。

 

 他にも「スカパ・フローに対する強行作戦」なども同様の理由で計画さえされていない。

 これらの”まやかしの戦争”が結果として日英との停戦につながっているのだから、本当に歴史も世の中も何が幸いするかわかったものではない。

 

 


 しかし、Uボートかれらは、姿を見せないだけで、間違いなく存在していたのだ。

 それも史実よりも遥かに強力な存在となり、温存され、その凶悪過ぎる牙を”共産主義者を食い千切る為に”静かに研いでいたのだった……

 












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