第77話 答え合わせ
「答え合わせをしましょう。ハイドリヒ卿」
とりあえず、思考をまとめよう。
ぶっちゃけ情報過多だ。
「ナチス・ドイツは内外問わず主に政治的理由から、”ユダヤ人を排斥する”という国民に見える形での実績を欲した。しかし、ドイツ本土や新領土、占領地に新たなゲットーを作ったり既存のそれを整備するのではあまりにも効率が悪い。それに市民の目から隔離するには都市の中にある区画に過ぎないゲットーでは不十分。何しろ閉鎖したところでゲットーが消えてなくなるわけじゃない。また市民に見える位置にある以上、多発すると予想された
そりゃ史実みたいに自分の実効支配地域に1000以上のゲットーがあったらやりにくいだろうさ。
閉鎖するにしてもなんにしても、人でも手間もかかる。
「しかし、ユダヤ人は囚人ではない。いや、むしろ労働モチベーションを維持できれば、普通に労働力として期待できる。また、ユダヤ人は様々な職種・労働階層の人間がおり、高度工業都市としての機能を持たせたとしても運用可能……で合ってますか?」
史実はそうじゃなかった。
確かに収容されたユダヤ人には強制労働が課せられたが、それは労働力・労務・労役というより”最終処分”が決まっているのだから、文字通り「死ぬまで働け」という類の物であり、労働が目的ではなく過労による殺害(衰弱死)狙いのものだったとされる。
これじゃあ、労働効率もへったくれもあったもんじゃない。
だが、今生のドイツは……
(本気でユダヤ人を労働力として、いや国力として取り込もうとしているってことか……)
頷くハイドリヒに俺は続ける。
「既存のユダヤ・コミュニティーを一度解体することでリセットをかけ、強制的にでも移動させることで収束・収斂し、外界から隔絶されても機能する自立都市型複合巨大コミュニティーとして再構築する……徹底してますね」
一応、現時点でリストアップされている欧州ドイツ勢力圏内・高強度影響圏のユダヤ人認定者の数は、この世界でもおおよそ600万人と推定されている。
その中で、国外脱出できるのはせいぜい100万人がいいところだろう。移動手段の確保や居住環境を考えればそれ以上は、受け入れ先が確保できないはずだ。
それに物理限界だけではなく、国民感情もある。
ドイツと敵対している国に反ユダヤがいない訳じゃない。「ユダヤ人に対する(市民の自発的な物を含む)集団弾圧」を”ポグロム”というが、元はロシア語だってあたりでお察しくださいだ。
(残る500万人も老若男女入れてだ。そのうち、労働力として確保できるのは多くてその半分程度だろうが)
それでも決して小さな数字ではない。
(こりゃ開戦から始まったプロジェクトではねーな。おそらくは……)
「同様の”民族特別収容所”は他にいくつあります?」
まあ、教えてくれるかわからんけど、
「ポーランド侵攻と同時期に
ありゃりゃ。あっさり教えてくれたよ。
あと”グスタフ”は、思ったより収容予定者が予想より増えたから急遽建造が決まったって感じか?
(つまり集合住宅メインの積層団地型の密集式とはいえ居住人口100万規模の都市が10年で五つ。こりゃ確定だな)
応接室に飾られている都市全景の模型を見る限り、壁に囲まれた広大な土地の中で高度成長期に見られたマンモス団地の複合体に住人規模に見合った工場区画や商業区画がくっついてるようなものだ。
少し窮屈な造りな気がしないでもないが、時代的にはアメニティがどうとか言ってられない。作りやすさが最優先だろう。
少なくとも標準的なゲットーよりは衛生的で快適な生活はできるはずだ。
(それに一応は、収容所なわけだし)
居住環境抜群の快適な都市生活など誰も考えてはいないだろう。
確かに効率的に建造できそうな都市設計だし、規格化されてりゃ量産もしやすい。
だが、いくらドイツの人口当たりの重機保有台数がアメリカ並、ドイツのモータリゼーションが土木工事用車両から始まったとしても、開戦から準備では間に合うはずもない。
つまり、
「ということは、計画自体はナチ党政権奪取以前から練られていて、どんなに遅くても再軍備宣言の頃には建造が始まっていたと考えるべきですか……」
***
おそらく”アウトバーン”建築などに紛れ込ませていたんだろうな。
当時のアウトバーン建設には、失業率を下げるための雇用創出という狙いもあった。何の事はない、前世の史実で高橋是清が行った”時局匡救事業”と同種の政策だ。
だが、この強制収容所の性質から考えて、
「アウトバーンの関連計画として偽装され、予算も捻出された。こりゃ工事に携わった人間も、”自分たちが何を作り、今はどう使われているのか?”を知らされてないってことか……おそらくだけど、将来的な人口増大に備えた最先端理論の密集居住実験都市とかそういう名目で建造し、後に”トート機関”あたりが壁やら地雷原などの収容所らしい体裁を整えて完成ってとこかな?」
ドイツの古都みたいに何百年単位で住むならともかく、せいぜい四半世紀も届かぬような時間だけユダヤ人を労働力として確保する場所と考えるなら十分と言えば十分だ。
集めた経緯から考えてドイツ人も永続的にユダヤ人が”強制収容所”に居住するとは考えていないだろう。
「なるほどなるほど……ユダヤ人から接収した資産やら財産やらは、これら”民族特別収容所”の建造費に投入された、か……いや、時期的には投じた資金の補填かな? でもこれだけの規模の都市を複数建造するのにそれっぽっちの資本じゃまるで足りないから、採算性の高い工業都市になったと」
まあ、納得はできるか……言い方を変えれば、公営工業都市ってことだし。
「改めて確認しますが、収容されてるユダヤ人に給料は出てるんですよね?」
「生活費と引き換えに強制的に労働に従事させている。それとここはドイツの法治下だ。ドイツの公共施設なのだから当然だな」
いや、そういう建前はいーんで。
というか、労働関係もドイツ基準……
「経済発展循環させねば腐り壊死する。人間の血液と同じだ。まず収容所の中で循環を作り、収容所の管理部を通じてドイツ経済圏と接合し、循環路に乗せる」
つまり、あくまでワンクッション通して流通経路に乗せることで、巨大経済になっている収容所の実態を誤魔化すと。
おそらく、書類上は「ユダヤ人を奴隷的強制労働させて得た利益」みたいな名目になってるんじゃないかな?
普通、そういう労働使役なら効率悪いし大きな金額にはならないけど、都市の実体経済から給与や都市運営の必要経緯を差し引いた”純利益”だけを抽出するなら、誤魔化しができる金額には収まるだろうし。
というかそう見えるように帳簿上で調整してるはずだ。
(これ、戦後もユダヤ系ドイツ人として住み続けるんじゃないか?)
今生ヒトラーの性格から考えて、いつまでもユダヤ人用民族条項なんて面倒臭いものを維持してるとは思えないし、そうなれば壁だって無くなるだろう。
そうなれば、
(今だって、こわーい多民族の迫害やらボグロムやらから結果的に守られてるわけだし。むしろ、安全圏に引きこもりたいまである)
いや、だって間違いなくお外で他の民族に囲まれているゲットーより安心安全だし。経済的にも自己完結性高いし。
(まあ、それも無事な戦後が来ればだが……)
***
「頭の回転が速すぎるというのも考えものだな。これではほぼ説明することがなくなってしまった」
と呆れるハイドリヒ閣下だが、
「いえいえ。あくまで私が理解したのは表層でしょう。語れない真意や深層に関してはまだまだでしょうし」
なんか他にもからくりはありそうだしなー。
「とりあえず、ドイツがユダヤ人強制収容所の真相を明らかにしない理由もわかりましたし、まともに地図に記載していない理由もわかりましたよ」
実際、この収容所は「公的な地図には表記がない」のだ。
これ自体が隠蔽工作だが、実際にはスパイたちには「存在を明かせない後ろ暗いことをやってる陰惨なユダヤ人の最終処分地」という誤認を助長させる手段なのかもしれない。
ナチ党のプロパガンダと重ねれば、あるいはおそらくNSR自らが流布したり誘導したり、あるいは他国のスパイが流したり、自然発生的に生まれた”現状では都合の良い噂”を肯定する材料にはなっていそうだし。
「しかし困ったな。これは杉浦にどう報告すべきか……」
待遇はもっと良いかもしれんが、いずれにせよ日英のエージェントではない。
(米ソに真相が漏れるのは、少々面白くない)
おそらく、ドイツは戦後とかに情報学的”ざまぁ”をやりたいだろうし……何より日英にとってメリットがない。
「どう報告、いや説明するつもりだね?」
「”中身は労働キャンプ。明確な虐待の証拠はなく、米ソが喧伝しているようなガス室は確認できなかった”という方向でまとめてみようかと思います」
まあ、落としどころとしてはここいらだろう。
(”確かに強制収容は行われているが、即座に命の危機は無い”と暗示するって)
いや、ハイドリヒ。そんな満足そうにうなずくなって。
俺はアンタらの身内じゃないっての。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます