第76話 ”A特別民族収容所”、檻は閉じ込めるためにも守るためにも使われるという事例




「こりゃまた、絵に描いたような強制収容所……いや、巨大監獄なことで」


 施設への続くのは幹線道路を外れてからは、完全武装の兵士が詰める検問所が複数設置された幅広いが一本道だけ。それ以外の周囲は高圧電流の流れる有刺鉄線に地雷原。

 正面ゲートは戦車砲の直撃でも耐えられそうな鋼鉄製で、壁は人がよじ登れないほど高く聳え、その上に設えられた監視塔には重機関銃が鎮座し、鈍く光る銃口をのぞかせていた。

 明らかに凶悪犯罪者を収監するような、アルカトラズ島もびっくりな巨大刑務所のような外観だが……

 

 



「俺はかつて、こんな酷い詐欺を見たことがねーよ……」


 つい地が出たのは許してほしいな。

 いやだってさ、

 

「トンネル(のような構造の正面ゲート)を抜けると、そこは都市でした……ってか?」


 いや、ただの都市じゃないな。

 何本もの巨大煙突が煙を吐き、あちこちで巨大機械の稼働音が聞こえる滅茶苦茶活気あふれてる近代的な雰囲気漂う工業都市じゃんかっ!?

 

「ハイドリヒ卿、これは一体……?」


 すると車から降りたハイドリヒはなんか腹立つニヒルな笑みで、

 

「ユダヤ人専用の強制収容所、正式名称”アントン民族特別収容所”へようこそ。歓迎するよ、クルス卿」




***




 中央収容所管理庁舎(どっからどう見ても普通のドイツ風市役所だ)の応接室に案内された俺、来栖任三郎はジト目を抑えきれずに……

 

「ハイドリヒ卿、これはどういうことですかな?」


「どう、とは?」


 こ、コノヤロー! とぼけやがって。

 

「私はユダヤ人の強制収容所に案内してくれと頼んだが、ユダヤ人が働く新興工業都市に案内してくれと頼んだ覚えはありませんが?」


 するとハイドリヒは紅茶を一口飲み、

 

「ドイツが領土とした欧州中の地からユダヤ人と認定された民を”強制・・的に収容・・した場”だ。故郷を追われた哀れなユダヤ人の行き着く地さ。語義的には間違っていないだろう? しかも、強制的に労働しなければならない。生活費を捻出する為には当然だな。給金を中心とした労働基準はドイツの法を順守するようにはしてあるが」


 いや、俺の知ってる収容所はそうじゃなくてさ……

 

「語義ではなく定義的に正しいのかと……」


「ユダヤ人が虐げられているとでも思っていたのか? まあ、そういう風に思われるような外部向けのプロパガンダ工作や情報誘導はしているがね。もしかして、そういう末期的情景の方が卿の嗜好かね?」


「いや、私の好みどうこうという話ではなくてですね……」


「卿は我らが総統閣下が無駄や非合理を嫌うことを知っていると思ったが?」


「まあ、知ってますね」


 ヲイヲイ。なんか語り始めたぞ……

 

「ユダヤ人を殺すために放たれる弾丸は、共産主義者に向けた方が合理的だ。殺したユダヤ人を焼却する石油は、戦車に入れて赤色勢力を轢き潰す方が理にかなっている。わざわざユダヤ人を収容する施設を建造するくらいなら、同じ量のべトンコンクリートを使い工場なり街なりを作った方が国益にかなう」


 何やら聖句を紡ぐように言葉を並べるハイドリヒに、

 

「その結果が、この偽装・・工業都市だと?」


「共産主義に毒されたアメリカのマスコミによれば我らがユダヤ人を殺すのにガス室を使い、そのガスは”ツィクロンB”という薬品を使ってるらしいな? 卿はツィクロンBという薬品がどういうものか知っているかね?」


「たしか、シアン化合物系の殺虫剤だったと記憶してますが?」


 ちょっと思うんだが、この話って米ソどっちかの転生者が関わってないか?

 この時点で「ドイツがユダヤ人絶滅の為にガス室使ってる」とか「薬品まで特定している」のはかなり不自然だ。

 これじゃあまるで、

 

(”結果在りき”のだもんな……)


 それをまあ、ほぼ転生者だろうハイドリヒが気付いてないはずもないだろう。

 

「その話を聞いた時、総統は非常につまらなそうな顔をしてこう言ったよ。『薬は説明書をよく読み、容量・用法を守って正しく使いたまえ。そうしなければ効果は期待できん』とな」


「あー、なんと言いますか。実にらしいというか……」


 確かにあの総統閣下なら言いそうだわ。

 

「ならば理解できよう? ユダヤ人を殺害する物資と労力と時間、ユダヤ人を労働力として投入する物資と労力と時間……方や浪費で、方や増進。総統がどっちを選ぶかを」




***




 ならば、ここで聞いておくべきだろう。

 

「ならば、なぜ”ユダヤ人を強制収容所送りにする”なんてわざわざ悪評を広げるような真似を? 例えば、この工業都市にある煙突から出る煙は、ユダヤ人の肢体を焼却処分してる煙だとされても否定もしない。いや、むしろNSRが裏で噂を流布してる疑いさえある。ドイツ人は露悪趣味を好むというわけでは無いでしょうに」


「それが政治というものだよ。クルス卿」


 ほう。ご高説聞こうじゃないか。

 

「日本人の君には理解しがたい考えかもしれないが、ドイツに限らずソ連まで含めた欧州には、遥か太古より脈々と受け継がれてきた”伝統的なユダヤ蔑視”が根付いているのさ。わかるかね? ユダヤ人を差別するという行為は代々常識として蓄積され、沈殿し層をなしすでに社会通念なのだよ」


 ……改めて聞くと重く黒々とした背景だな。(おそらく)前世も日本人であろ俺には、確かに理解できん感覚かもしれない。

 実は俺が生きていた前世、相対的未来にもそういう感情の名残はまだまだあったが……

 

「意外に聞こえるかもしれないが、我らが総統閣下はそういう価値観を持っていない。もっと言えばユダヤ人やスラブ人に、民族とか人種とかという意味では関心が無いのだよ。むしろ、重要視しているのは行動だ。例えば、ゲルマン人でもソ連に組みするような真似をすれば当然のように排除する。必要なら何人でも殺すしどんな殺し方も命じるだろう。だが、その総統でさえもユダヤ蔑視を”市民レベルの憎悪の対象”として容認している……何故だかわかるかね?」


「それが国をまとめる方策だから……ナチ党の支持基盤を考えれば、そういう結論になりますね」


 ハイドリヒは頷き、

 

「そして、我らが占領し親独政権になった国々でも、ドイツを支持する理由に”ユダヤ人に断固とした対応をするから”をあげる住民は、決して少数派ではない。考えて見たまえ。なぜ、ナチ党が出てくるはるか以前より欧州各地にユダヤ人強制居住区、”ゲットー”があると思う? それこそ16世紀、日本人が戦国時代と呼ぶ時代からあるのだぞ?」


 それはハイドリヒの言うとおりだ。

 ゲットーを「ユダヤ人コミュニティをユダヤ人以外の住民から隔離し、他のユダヤ人コミュニティからも分離し孤立させる強制居住区」とするなら、今に始まったことでもなければ、欧州では珍しい物じゃない。というかポーランドを除けば欧州の大都市には大概ある。

 というか、ポーランドからリトアニアへ脱出を図るユダヤ人が多かった理由の一つが、ポーランドは欧州では珍しくユダヤ人自治区シュテットルはあってもゲットーが存在しなかったことがあげられる。

 

「一つ現実を教えよう。米ソの新聞では、我々NSRが街頭で公然とユダヤ人を殺していることになっている。だが、我々はユダヤ人を強引に集めることはあっても極力傷つけぬように配慮はするし、殺しは以ての外だ。労働力にするとわかっているのに、なぜ始末する必要があるということだな」


 あっ、なんかオチが見えたかも……

 

「街角でユダヤ人が私刑にあい殺され吊るされる……その多くは”現地の自称・・自警団”の手によるものなのだよ」


 あー、やっぱりそうか。ユダヤ人に対する迫害ってのは、一つの民族が数年で醸成できるようなもんじゃないよなぁ……

 

「つまり、ナチ党のキャンペーン、ユダヤ人の排除やら撲滅やらを鵜吞みにして、ナチ党の天下になったのなら俺たちも同じ事をやっても構わない……そう住民に判断されたと?」


 ハイドリヒは苦々しい表情をした。

 

「だが、理由は言うまでもないが……ナチ党は立場上、党是的にも弾圧暴動ポグロムをあまり強くは取り締まれん。ダブルスタンダードは米英はともかく、我らドイツ人が好む物ではないのだ」


 あちゃー。こりゃ完全に政治的自縄自縛じゃん。

 いや、まてよ……

 

「だからこその”強制収容所”? 建前は”ユダヤ人の排斥”、真の目的は”ユダヤ人の保護”……? この厳重な警備は、ユダヤ人を収容所に封じ込むためではなく、むしろ外部からの侵入で秘密の漏洩を防ぐため?」


 ああ、なるほどね。

 この方法なら反ユダヤに凝り固まった人間も「ナチ党はきちんと仕事してる」と言い張れるし、無駄な流血も見ないで済む。

 

「なるほど……強制収容所自体が、巨大な”演出装置・・・・”という訳ですか……」


 そうじゃない。そういうことか。

 発想、いや視点が逆なんだ。


「檻は一見、危険な物を閉じ込める為に作られたように見えるが、その実は外にいる危険な物から守るために作られたと」


 するとハイドリヒは「よくできました」と言いたげに微笑み、

 

「賢しい者は、嫌いじゃないよ」















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