第72話 1941年7月14日、仏蘭西、巴里
1941年7月14日、フランス、パリ
7月14日はフランス建国記念日、あるいはフランス革命記念日。1789年のこの日、バスチーユ監獄襲撃が行われたことが発端になった。
日本では”パリ祭”としても知られるこの日……
1941年の7月14日は同じく歴史的瞬間であり、同時にフランス本土に住む多くのフランス人、特にパリジャンやパリジェンヌたちはまさにこの瞬間を待っていた事だろう。
パリ市のあちこちで昼花火が盛大に爆音を響かせる中、エッフェル塔や凱旋門上空には再生産が開始されたドボワチン”D520”が、赤青白のフランス国旗を示すトリコロール・カラーのスモークを引きながら華麗に駆け抜ける。
街には赤青白の紙吹雪やカラフルなテープ、造花が舞い、”Toutes nos félicitations! Paris Libre !!(祝! パリ解放!!)”の横断幕があちこちになびく。
街中を走る車は歓喜を抑えきれぬように賑やかにあるいは喧しくクラクションを鳴らし、それに負けじと楽団が思い思いに演奏し、マーチングバンドが街を練り歩く。
何とも喧騒と活気に溢れた光景……久しぶりに見る”華の都”に相応しい風景だった。
そう、今日をもってパリは再びフランス人の手に戻り、フランスの首都として返り咲くのだ!!
***
”待たせてしまってすまなかったな。親愛なる
”フランスにとって特別な日である7月14日、建国の日であり革命の日でもある本日をもってパリは再び諸君らの手に戻る”
ラジオから流れるヒトラーの肉声、想像以上に流暢な発音の
”だが、どうか忘れないでほしい。今日、この日があるのはフランス大統領”フィリベール・ペタン”氏と彼を支える新内閣の面々による並々ならぬ努力があった事を。私は彼らのフランスの民を守りたいという想いに心打たれ、彼らならフランスを、民を任せられると感じたのだ”
後年、多くの人間がヒトラーの演説には魔性があると評することになる。人を惑わし魅了する魔性が……
”君たちに敗北の痛みを与えた私が言うのは筋違いなのかもしれない。私に憎悪を向ける者も多いだろう。だから、それが戦争だ。割り切れとは言わない”
ヒトラーは、演説の内容により器用に声質を変える。
戦意高揚の時は、硬質なドイツ語の発音を生かした力強い声を。
そして、今日のように解放を祝う時は、フランス語の柔らかい発音を生かした国民一人一人に語り掛けるような声で……
”だが諸君、胸を張るんだ。例え、降伏という事実は消えなくとも、パリが諸君らの手に戻る今日をもって
”
フランス本国全土でひときわ大きくなる”
そして、ヒトラーは優しく語り掛ける。
”
”なぜなら、ここは君たちがその手で取り戻した、君たちの国なのだから”
フランス人は理解してしまった。
かの独裁者は、独裁者という名の異星人でも人の言葉が通じぬ化物でもないという事を。
理解してしてしまったのだ。残念なことに、アウグスト・ヒトラーという男もまた、自分達と同じ人間の一人に過ぎないという事を。
”中立を望むならそれでも構わぬ。それが誰に押し付けられたわけでもない、フランスの民が決めた選択だというのならば”
”我々が望むのはささやかな平和と、ドイツとフランスの友情だ。フランス人が望む中立を守れるように、そしてもう二度と我々が戦うことがないように”
”願わくば、フランスの平穏が永らく続くように”
***
『ヒトラーのパリ解放宣言』
歴史にそう記されることになるその演説は、長くもなく力強くもなかった。
荘厳な言葉選びもなく、大志や野望が語られる事もなかった。
ただ、乾いてひび割れた土に、霧雨がそっと染み込むように語られた……ささやかな独仏の和平への願いが込められた、優しい声の演説だった。
そう、歴史書には書かれている。
まさにフランスでゲッペルス自らが陣頭指揮を執った数々の情報工作の総決算に相応しい、
そして、これはこの世界線におけるドイツの”侵攻→占領→解放(親独再独立)”という流れるようなマッチポンプにおける”理想的モデルケース”とされるようになったのだ。
そう、フランスに続き、次はおそらく立憲君主制から議会共和制へ新たな舵きりを行うオランダ
いずれにせよ、ドイツの方向性が明確に示された、とある1日だった。
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それは、自由フランスと名乗る組織、フランス亡命政府に所属する人々にとり、生涯忘れることのない最悪の瞬間だったろう。
否。史上最悪のプロパガンダだった。
特にそれを率いる”シャルマン・ド・ゴール”にとっては。
よりによってヒトラーは、”
降伏前、敗戦前と変わらぬ、”パリを首都とした、フランス人によって治められる共和制の
自分達を
「殺してやる……ヒトラーも、ペタンも」
ラジオからヒトラーに続いて流れるかつての
中継されるフランスの国歌、国歌として復活を果たし喜びを抑えきれぬように高らかに歌い上げられる”ラ・マルセイエーズ”の大合唱に、ただただ苛立ちしか感じない。
だが、この時のド・ゴールは気付いていなかった。
「誰と手を組んでも、どんな手を使っても……!!」
その憎悪が何を意味するかを、何より……
「私こそが誰よりもフランスの大統領なのだっ!!」
もうフランスに彼が戻る場所など、とうに無いという事に。
そして、ラジオ放送の中で日英から「(どちらがが正統かはさておき、とりあえず)フランス人の手にパリが戻ったことを祝う」という内容の祝電が届いた事が告げられた。
それは、ド・ゴールにとり、英国の明確な”裏切り”にしか感じられなかったのだ。
最初は、自由フランスのみが正統なフランスと宣言していたのに、停戦すると同時にあっさり掌を返した英国人に恨みの炎が激しく燃え盛る。
そしてその炎が消えぬまま、秘書官に告げたのだった。
「ルーズベルト大統領に、電話会談の要請を入れろ」
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