第57話 政治交渉は、まず状況を整理し互いの妥協点を探り合うというプロセスが必要になります




 さて、ベルリンの総統官邸に招かれた日本皇国特命全権大使、来栖任三郎はドイツ外相コンラート・フォン・ノイラートにとんでもない提案を受けていた。

 

『メルセルケビールの仏艦隊を、何とか黒海に放り込めないかね?(意訳)』


 立ちはだかるのはダーダネルス海峡とボスポラス海峡という海の難所に、モントルー条約という人の決めた理……果たして来栖任三郎はどう立ち向かうっ!?

 とその前に……

 

「……まず、お聞きしますが我が国日本皇国のメリットはなんです?」


 まあ、当然だった。

 同盟国なのは一緒に来ている外交官ウェブスターの母国であるイギリスで、間違っても公式にはまだ停戦に至ってない交戦中の敵国ドイツではない。

 ホント、よほどのメリットが無ければ聞く聞かない以前の問題……というか国際常識を激しく逸脱する発言だった。

 

(しかし、ノイラートはバカとは対極にある人物だ)


 頭の出来より性格に難があり、『敵味方問わず全ての民族は偉大なるアーリア人に傅くべき』とか言いだしそうなリッベントロップとは訳が違う……筈だ。

 

「最初のメリットは、君達にとって大いに懸念材料であり、同時に地中海の安定にとって不安材料でもあるメルセルケビールの仏艦隊を永久的に地中海より追放できるところだ。これは言うまでもないね?」


 来栖は静かに頷いた。

 「行きはよいよい帰りは恐い」の例えではないが、先に答えを言ってしまうが……実は日本皇国的には、一度だけなら無茶を通す方策がないわけでは無かった。

 だが、それでも一度きりの片道切符、メルセルケビール艦隊を一度黒海に入れたら、もう戻すことはできないだろう。

 「自由な軍艦の往来」などトルコという国が滅びでもしない限り許す筈もない。

 ぬっちゃけ、黒海とエーゲ海の軍艦を含む自由航行権を得るためにトルコを潰そうなんて考えそうなのは、今は粛清大好き某赤い軍事大国くらいしかいないだろう。

 

「さらなるメリットは、我々がメルセルケビール艦隊改めコンスタンツァ艦隊を国会の制海権確保、より直接的に言うならば対ソ戦に使うつもりだ。それはソ連と常時、いや地政学的に言って未来永劫敵対関係にある貴国にとって大きなメリットではないかね?」




(うわぁ~……このオッサン、ついにソ連に攻め込むこと隠さなくなったよ)


 少し背筋がゾクリとした来栖だったが、

 

「なるほど……確かにメリットではありますな。敵国同士が全力で潰し合うのですから、まさに申し分ない」


 と多少の皮肉をこめてから、

 

「ということは、当面の目標はトビリシ。最終的にはコーカサスの油田確保ですか……」


 脳内に地図を浮かべながら腕を組む。

 

「ということはウクライナ攻略、特にクリミア半島を抑えるのは必須。ロストフ・ナ・ドヌーからクラスノダールにかけて重層防衛線を構築。あそこは気候も温暖で、土地柄から関しても防衛線の構築に風土的問題点は少ないだろう。おそらくバクー油田は焦土作戦が行われるだろうが、ロシア人も石油が無ければ困るのは同じ。ギリギリまで粘るはずだ。それとも偽装突出でスターリングラードを狙うようにみせかけるか? 戦力を北部に誘引してトビリシを確保、空挺で奇襲すればあるいは……」


 何やら半分トリップしたようにブツブツ言い始める来栖だったが、

 

「来栖卿! それ以上はいけない! 外交官の本分に反するっ!!」


 政治的危険領域の発言に慌てて止めるウェブスターは外交官の鏡。

 来栖はハッとなって、

 

「申し訳ありません、閣下。つい興が乗ってしまって」


 するとノイラートはニッコリ微笑み、

 

「頭がよいというのも考えもののようだね?」


 その表情は好意的な物だった。ただし、裏がないとは言ってない。

 

「ところでクルス卿、君は参謀の経験でもあるのかね? 随分とはっきりと戦場が見えていたようだが」


「ハハ……マサカ。ソンナワケナイジャナイデスカ?」


(い、言えねぇーーっ! 前世で戦略系ゲームが大好物だったとか)


 そして、軍人としてやってく才覚と体力に自信がなかったから、外交官になったとか。

 来栖はコホンと咳ばらいをしてから、

 

我々日英のメリットというのは、メルセルケビール艦隊がいなくなることだけですか?」


 先ほども記した通り……ドイツから相応の対価の提示があるまで明かすつもりはないが、日本皇国には多くは使えない手だがドイツの見立て通り仏艦隊を黒海に送り込める「奥の手」があった。


「当然、それだけではないさ。ここからは正式に停戦交渉が成立し、また最低でもメルセルケビールの仏艦隊が黒海に入れた後の話になるが……」


「無論、報酬は別途用意するさ。停戦合意報酬として英国には蘭領ボルネオ/スマトラ島/ジャワの蘭領東インド西部の島を、日本皇国には黒海の謝礼も残る蘭領東インド東部の島々に加え、仏領インドシナを加えそれぞれ割譲しようではないか」


 何というか……ゲルマン式ドヤ顔というかキメ顔というか、とにかくそんな表情のノイラートに、

 

 


(うわぁ……提示された対価、これもほぼ吉田先輩(吉田滋)の想定通りだよ。ホント、あの人ってナニモンなんだ? 俺の知ってる歴史とかとは流れ全然違うし、単純に転生者とかってだけじゃ説明つかんぞ)


 予想から少し外れてるとすれば、インドシナ半島は想定していたが、蘭領東インドの半分が回って来るとは思ってなかったが。

 

(正直、このご時世に国土が増えるなんて傍迷惑なんだが……)

 

 日清・日露・第一次世界大戦と1世紀も経たずに経て続いた戦争で手に入れた国土の開発は、まだまだ終わってないのが日本皇国の偽らざる現状なのだ。

 本音を言えば、”戦争ごとき”に貴重な国費や時間を費やしたくないのである。

 というか、中国本土にあった遼東と山東という二つの半島すらも、本質的には”手が回らない。ハイリスクすぎる。統治に金がかかり過ぎる”という理由で、第一次世界大戦後に売却・・しているのだ。

 そんな現状なのに新領土など有難迷惑以外何物でもない。

 来栖は内心そう思うが、想定されていたということは切るべき手札も用意されているということであり、


「あー、そのノイラート閣下。申し上げにくいのですが、先にウェブスター大使に『ドイツがアフリカだけでなくアジアの権益にも興味が無い』と肯定している以上、それは言うなれば不良債権の押しつけと捉えられても仕方ないのでは?」


 しかし、ノイラートは狸オヤジを隠そうともしない笑みで、

 

「だが、君たちは受けざる得ない。違うかね?」


 来栖の代わり今度はウェブスターが、


「何故、そのようなお考えに?」


「英日共に、何の政治的勝利もなしにドイツの停戦に応じたとなれば、”安易な妥協”国内の反発は必須。これが英日共通の前提だ。古今東西主義主張民族人種を問わず、戦時下の国民は勝利に飢えているものだ」


(まあ、間違ってはいないか……)


 と来栖は納得すると、

 

「そして、海上交通網や通商路、資源採掘などもあれら東南アジア一帯の権益に深くコミットしている君達にとって、仏領/蘭領の治安悪化は見過ごせないのでは?」


「「ぐっ……」」


 殴り返せないド正論に言葉を詰まらせる日英外交官にノイラートは畳みかけるように、

 

我々ドイツはロシア人との戦争に注力できて幸せ。英日はイタリア人を殴れるうえにアジアに新領土を手に入れられて幸せ。独英日誰も損をしない我ながら素晴らしい提案だと思うのだがね?」














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