第50話 ユダヤ人政策と強制収容所……??




「さて、英日との停戦は、一先ず向こうの反応を見るとして……」


 アウグスト・ヒトラーは小さく笑い、


「撤兵に関しては問題ないかい? ルントシュタット君」


 ヒトラー総統が話を振ったのは、OKW(国防軍最高司令部)総長”ゲルハルト・フォン・ルントシュタット”元帥であった。

 そう、この世界線におけるカイテルではなく、ルントシュタットであった。

 ちなみにカイテルは、事務能力の高さを買われて総統府付き筆頭秘書官を務めており、書類相手に日々汗水たらしているという。

 

「問題ありません。総統閣下の発案を実現させるべく、着々と進んでおります。詳細は、ヨードル作戦部長より説明させましょう」


 と話を振ったのはOKW作戦部長、詰まる所ドイツ軍全体の作戦を統括する”アルフォンス・ヨードル”だった。

 無論、発案者であるヒトラーが現状を知らぬわけがない。無論、名実共にドイツ軍の頂点に君臨するルントシュタットが状況を把握してないはずがない。

 これは、この場にいる物と情報共有するためのやり取りだ。

 それ以上に、なんとなくこのやり取りは、”様式美”という単語が思い浮かぶ。

 

 そして、その意味を誤解することなく受け取ったヨードルは、

 

「北アフリカ方面軍は”人材の入れ替え”を理由に、『現有の装備をイタリア北アフリカ軍に預ける』ことを条件にフランスに後退、地中海の渡航は無事に終わり現在、本国へ向かっております。到着次第、休養と再編を行う予定です。無論、代わりの部隊を送る予定はありません。ギリシャ方面軍は、被害甚大ゆえに戦力の立て直しを理由にブルガリアを抜け、ルーマニアにて再編を行っております。シチリア島の航空隊は、機種転換訓練と称して、航空機は現地に置き、人員のみを本国へ戻させています。イタリアには航空機の所管をイタリア空軍に移管する事により納得させました」


 スラスラと立て板の水の例え通りに説明する。

 

「重畳だな。それとトート君、ノイラート君。それとヴェーファー・・・・・・君。フィアット、マッキ、レジアーネの受け入れ態勢は万全かい?」


「順調であります。総統閣下」


 代表して答えたのは、この世界では”飛行機からの転落死”を免れたらしいOKL(Oberkommando der Luftwaffe=ドイツ空軍総司令部)長官にして「ウラル爆撃機計画」の発案者であり、ドイツが本格的な戦略空軍を持つ足がかりを作った”ヴェルナー・ヴェーファー”元帥・・だった。

 

「開発拠点、生産拠点共に整備が進んでおります。”例の場所”にて」


 するとヒトラーはうっすら笑い、

 

「そんな濁した言い方しなくてもよいよ。”強制収容所・・・・・”とはっきり言いたまえ」


 すると「強制収容所と呼ばれる施設の事情真相を知る者達」、つまりこの場に居ることを許された全員に失笑が浮かんだ。

 

「その……失礼なのは承知で言いますが、”あれらの都市・・”をあくまで強制収容所と言い張りますか?」

 

「”強制的にユダヤ人を移住”させて収容し、塀の外に出すことを許さず、働かねば給与が出ないので否応もなく労役するしかない。語義的には間違っていないさ。そうだろ? ハイドリヒ君」


 話を振られたハイドリヒは笑いをかみ殺しながら、

 

「ええ、全くです総統閣下。それにあれらの施設は地図には”○○ユダヤ人の強制収容所”として記載されています。工業都市・・・・だなんて『一言も書かれていない』。また、一般人が近づくことを許していませんし、中の収容者も外部へ出ることは許していない。例え内情はどうあれ・・・・・・・、まさに強制収容所と呼ぶにふさわしいでしょう」

 

 流石は後年、「人類史上最悪のペテン師」と呼ばれるようになるだけあり図太さが違った。

 

「まあ、総統閣下とハイドリヒ卿がそう言うのでしたら。ともかく、その強制収容所内で作業は進んでおります」


「結構だ。シャハト君、資金は足りているかね?」


 すると経済相、そしてある意味において『ヒトラーと同門』である”ミヒャエル・シャハト”は、

 

「深刻な問題は発生しておりません。閣下。しかし、私としても言いたいことはあるのですぞ?」


「なんだね? 言ってみるといい。ここはあくまで私の”私的な会議”だ。好きなように発言したまえ」


「ユダヤ人より没収した財産で、あのような……その”強制収容所”とやらを複数建設するのは、少々趣向が過ぎませぬかな? 露悪的というより、まるで”意図的に悪評を広めてる”ようにしか思えませぬ」


 だが、ヒトラーはややくすんだ笑みで、

 

「まさにその通りだよ。我々は悪名の元に政権を取ったのだ。覚えているかね? 先の大戦終結後、恥ずかしげもなく流布された”背後の一突き・・・・・・”を」

 

 ”背後の一突き”とは?

 別名”匕首伝説”とも呼ばれる、史実でもこの世界線でも、『ドイツ(プロイセン)は、戦場で負けてはいない。社会主義者やユダヤ人の裏切り(=背後からの一突き)により、内部から瓦解させられた』とする、保守派・右派によって盛んに広められた一種のデマゴーグだ。

 

 ただ、史実ではこれを肯定し、むしろ公的に広めたのがたのがかのパウル・フォン・ヒンデンブルク大統領(当時は元帥)というのが笑えないのだ。

 他にも、第一次世界大戦でドイツ軍の実権を掌握していたエーリヒ・ルーデンドルフ陸軍大将などの有力者も「背後の一突きは事実だった」とコメントしている。

 

 また、レフ・トロツキーやローザ・ルクセンブルク、クルト・アイスナーなどの著名な社会主義者(あるいは共産主義者)が「ユダヤ人」だということも拍車をかけた。

 加えて、ナチスの歴史家アルフレート・ローゼンベルクは、自らの著書で「ドイツユダヤ人のシオニスト(=ユダヤ民族主義者)たちが、イギリスの勝利とバルフォア宣言(=パレスチナにユダヤ人国家の建国)実現のためにドイツの敗戦を策動した」と書き記している。

 

 また、ユダヤ人が裏側から世界征服を企んでると記す『シオン賢者の議定書』のドイツ語版が出回ったのもこの頃だ。

 

 

 

「無論、私はあんな敗戦責任の重さすら満足に受け止められぬ者共が囀る、”敗者の戯言”などに耳を貸すつもりはない。我々はただ敵対者より弱いから負けただけだ。陰謀? 策謀? それがどうした。たとえそれが事実だろうと、それを敵国に仕掛けるのは当たり前だ。我々ドイツだって現在進行形で仕掛けている。トハチェフスキーが何が理由でどのような死に様をしたかは記憶に新しいだろう?」


 司会の隅で、ハイドリヒが口の端で小さな笑みを作った。

 これほど爽やかさのない笑顔というのも珍しい。

 

「後ろ暗い陰謀を、凌ぐこともできず跳ね返すことも出来ぬほど脆弱だったから、ドイツは負けたのだ。それだけのことだ」


 あの戦争を経験した者は……つまりこの場に居る全員が苦い顔をする。

 だが、ヒトラーは構わずに続ける。

 どうやらこの男、史実の同じ家名を持つ存在と異なり”背後の一突き”を信奉するわけではなく、正反対に唾棄すべきものと考えているようだ。

 


 誤解の無いように言うが、この場に居る誰もがヒトラーが第一次世界大戦の戦場にいた事を知っている。

 あの冷たく薄暗い死臭漂う世界に立ちながら、そう言い切れるだけの胆力がこの男にはあった。

 

 彼は伝令兵ではなかった。

 オーストリア生まれではあったが徴兵逃れの為にドイツのミュンヘンに移動したわけでは無く、この世界線では父親の事業の関係でミュンヘンに移り住んだのであり、故に最初から志願兵としてドイツ帝国陸軍(バイエルン軍)に入隊しているのだ。


 戦時中、彼はどんな運命のいたずらか末期に戦車乗りとなり、ドイツ最初の戦車”A7V”に座上し、砲手として57㎜砲を撃ちながら、最前線で鉄と硝煙と血の洗礼を受けたのだ。

 一級鉄十字章の受勲者であり、最終階級は伍長ではなく上級軍曹であった。

 戦車に乗ってる間、2ヵ月にも満たない戦車兵生活の中で通算3両の英国マークIV菱型戦車を擱座させており、その戦果が認められての昇進しての退役だった。


「だが、ナチ党(国民社会主義ドイツ労働者党)が政権を取るには、あの『ユダヤ人が悪い、共産主義者や社会主義者が諸悪の根源』という空気が必要だった。人は弱い生き物だ。苦境になれば、誰かのせいにせずにはいられない。それは否定できんし、我々を支持する国民の多くが今なお『ユダヤ人とアカの継続懲罰』を願っていることも知っている。そして、政治家はその主義主張を問わず、国民の願いを可能な範囲で叶える義務がある。それが権力者に権力が与えられる理由だ。治めるべき民の合意が無ければ、政治は成立しないものだ」

 

 そして、一度言葉を置き、

 

「しかし、知っての通り私は無駄というものを好まない。主義主張やら価値観やらに合意点を見出そうとせず、ただただわが愛すべきドイツを赤色に染め上げようとする輩を国境線の向こう側やこの世から追放するのは構わん。存分にやってくれ。だがな……」


 周囲を見回し、

 

「ドイツという国家に相容れないのではなく、”ただユダヤ人だから”という理由で抹殺するのは実に非合理だ。彼らを殺すために放たれる弾丸で、いったい何人の敵兵を殺せる? 彼らの遺体を焼却処分するガソリンで何台の戦車を動かせる? 殺すというのはそれだけで手間も暇も金もかかる。ならば、労働力として納税者として国力として自ら生きてもらう方がよっぽど手間が省けるし、国が潤う」


「だから、このような方策を?」


「うむ」


 ヒトラーは頷き、

 

「私はドイツの政治家だ。他国の目よりまず自国民を先に考えねばならぬ。国民が赤色勢力とユダヤ人の懲罰を望むんなら、”そう見える・・・・・”ように、国民が納得できるような姿勢を取らねばならぬのだよ。そして、人は自らの目に見えなければ、やがて都合よく”自分の世界からいなくなった”と錯覚・・する。我々が望むのは、真実にまみれた現実ではなく、国民が『そうであれ』と望む幻惑であり虚像なのだよ」



 

 

 

 

 

 

 

 後に多くの歴史家は語ることになる。

 アウグスト・ヒトラーこそが、人の弱さを最も知り、それをうまく利用した政治家だと。

 

 

 

 

 












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