第48話 停戦計画の舞台裏




「これで、シチリア、ギリシャ、北アフリカの人員の撤兵が終われば後方戦力も問題なくなるではないか」


 アウグスト・ヒトラーはそう満足げに微笑んだ。

 彼は、これまで精査した情報で装備面の準備が整っていることを確認した。

 何事にも万全はあっても完璧は無い。予想外も規定外もいつでも起こるものだ。

 だが、現状において東方侵攻……この世界線における・・・・・・・・・”バルバロッサ作戦”において、配備においても生産計画に関しても備蓄に関しても特に不足を感じる部分は無かった。

 

 むしろ、問題となるのは人的資源の確保。戦場で最も安易に消耗され、そして一度失われれば補充が難しい要素だ。

 兵器は環境と資源が整えば、基本的に同じ性能の物の量産が利くが、人間はそうはいかない。

 はっきり言えば、ずぶの素人を一人前の兵士に育てるには、手間も暇も金もかかる。

 兵隊の命は戦場では軽くとも、国家にとっては決して安くは無いのだ。

 一人の人間を労働力でも納税者でもなく、生産性のない仕事せんそうに従事させ、納税どころか税金を弾丸に変換して敵にぶっ放すのだ。

 これがどういう意味を持つかわからぬ者は、国政に立つべきではないだろう。

 しかもケガなどで戦場に立て無くなれば傷痍軍人手当、戦死したら遺族年金を支払わねばならない。

 それをしなければ、誰も志願して軍人などにはならないだろう。

 比喩でなく命懸けの仕事をしてる割には、軍人の給料は安いのだから。

 

「しかし、総統閣下……英日は、我々が提示した停戦申し入れに乗ってきますでしょうか?」


 そう発言したのは、史実では空軍のトップで、一時はヒトラーの後継者とも目されていた”ヒッター・ゲーリング”であった。

 そして、彼のこの世界線での肩書は、なんと”副総統”である。

 ここで注意して欲しいのは、史実の”国家元帥”ではないということだ。

 ヒトラー曰く、

 

『ゲーリング君、君はどちらかと言うと軍人より政治家の方に適性があるようだ。いや、軍人としての能力に疑いを持っているわけでは無いよ? だが、君の溢れる人間的魅力は、まさに人気商売の政治家にうってつけなのだよ。どうか私の仕事を助けてくれないだろうか?』


 ナチス政権下で再編されたドイツ空軍ルフトバッフェの生みの親として知られるゲーリングだが、史実でもゲシュタポを率いてたり、あるいはヒムラーやハイドリヒと組んで”長いナイフの夜”の黒幕だったりと、割と陰謀家としての側面をもっていたのも事実であり、またこの世界線でも似たような経緯があるので、そのあたりを考慮しての判断だったのだろう。

 ヒトラーが総統となる前の首相時代に副首相に任命され、それがスライドする形で”副総統”の地位に就いたというわけである。

 

 史実と似ていて違う意味の権力者で、未だに古巣である空軍には太いパイプがあるが、この世界のゲーリングは軍人ではなくあくまで政治家としての立脚点なのである。

 

 

 

***

 

 

 

 では、史実では副首相だったパーペンはどうしたかって?

 当然のように”長いナイフの夜”で、ヒムラーと同じく巻き添えを食って死んだ。

 厳密に言えば、ヒムラーは”長いナイフの夜”の直前に、どこかからか情報が洩れて「突撃隊(SA)に対する綱紀粛正」が行われると知った部下数名と共に事務所に押し掛けてきたレームにより射殺されている(レームは、ヒムラーが首謀者であると信じていた。理由は不明)

 これが実質的に”長いナイフの夜”開始の号砲となった。

 銃声で駆け付けたヒムラーの部下たち(?)によりレームは部下ごとその場で10丁を超える短機関銃の一斉射で細切れにされた。

 

 

 史実でも、”長いナイフの夜”の計画、粛清を知らされていなかったパーペンはゲーリングに抗議に行ったが、その際に親衛隊に帰り道をふさがれて命を狙われるという事実がある。

 そして、この世界線では自分の部下たちが同種の行動を取ったが、ゲーリングは抑制しなかった。ただそれだけだ。

 こうして、パーペンは政敵であったシュライヒャーの後を追った。

 

 

 

「ゲーリング君、彼らは乗るよ。乗らざるえない。そのための餌を準備したし、餌であるとしても彼らは食いつくしか方法がない。それだけの下準備も根回しもしたんだ。そうだろう? ノイラート君」


 ドイツ外相コンラート・フォン・ノイラートは苦笑交じりに、

 

「手ごたえはありますな。まあ、バトル・オブ・ブリテンを起こした手前、どうなることかと内心ヒヤヒヤしましたが」


 政治的穏健派であるノイラートはそう返すが、

 

「おいおい。彼らは何枚も舌を持ち、腹の中を墨で染める英国人だぞ? バトル・オブ・ブリテンなぞ相手の戦力を図る威力偵察に近い小手調べであることくらい、とっくに見抜いてるさ。何しろ我々が”アシカ作戦”などというでっちあげブラフの作戦を実現できる渡洋能力がないことなど、海軍国である彼らが気づいていないはずはないだから」


 そうヒトラーは笑い、

 

「当然、北アフリカやギリシアでの戦争も、イタリア人が身の程もわきまえずに手を出し、ドイツがその尻拭いに奔走したことも、おそらくその裏側にある我々の利益も理解しているだろう。つまり、利がなければ我々がわざわざイタリア人を助けることもない見透かされているだろうな」


 そして周囲を見回すと、

 

「彼らは独伊の関係が表向きは同盟としているが、本当の意味で同盟として成立してないことなど百も承知だ。なぜなら、彼らは日本との同盟を我々から見れば完全に機能させているからだ。トブルク、マルタ島、クレタ島……決して我々に取られてはならぬ要所に日本軍を置いている。素晴らしいではないか! 我々がイタリア人に対して同じことができるかね?」


 周囲に失笑が起きた。当然の反応である。

 

「だが、だからこそ、この手が生きてくる。日本人は英日同盟を履行するためだけに戦っている。そしてユーラシア大陸の反対側から派兵するのだ。その行動による国庫に掛かる負荷は想像できるかね?」


 ニヤリと笑い、

 

「日本人は、直接国境問題や利害関係があるわけではない。だが、ロシア人とは不倶戴天の敵対関係にある。そこに将兵の個人的感情はともかく、国家としては大して思うところのないドイツと、共産主義者に牛耳られてますます和睦はありえなくなったロシア人との戦い……果たして日本人はどう思うかな?」

 

 これも正鵠を射ていた。

 元々、日本とロシアは日露戦争以来の因縁がある上、「皇帝と一族を粛正して成立した」ソビエト連邦と立憲君主制の日本皇国・・は断じて相容れないのだ。

 

 特に日本人が激怒しているのは、ソ連の超国家的組織を用いた”間接侵略シャープパワー”だ。

 これに対するカウンターインテリジェンスが、何度か出てきている「1938年の公的告発」に繋がるのだ。

 

 

 

「日本人が英国人を説得すると?」


「そう動くだろうね。だが、一度は戦端を開いた以上、英国人と手打ちをするなら拳の振り下ろし先を見つける必要がある。英国人はそういう人種だからな。自分が損をしたままじゃいられない」


「だからこそ、総統閣下はイタリアを生贄に、そして支配国の主にアジアにある植民地を英日に預けようとしている……そういうことですね?」


 これは、NSR(国家保安情報部)のレーヴェンハルト・ハイドリヒの言葉だ。

 

「拳の振り下ろし先の提供と、停戦を飲ませるための対価だよ。北アフリカとギリシャでは散々やらかしてくれたんだ。イタリアにはそれぐらいの責を負って貰わねば割に合わんよ。それにいずれにせよ、我らドイツに遥か遠方、アジアにある植民地にかまけてる余力などないのだからね」


「むしろ、彼らに新領土……いえ、新たな植民地を経営するために国力を割かせようと?」


 どうやら楽しくなってきたらしいヒトラーは上機嫌に、

 

「日本人は英日同盟を大した利もないのに履行しようとする生真面目さがある。きっと真面目にどんな形であれ植民地経営してくれるだろうさ。英国人にとり南ボルネオ島に眠るエネルギー資源は、実に魅力的だろうね」


 だが、ノイラートは少し考えこみ、

 

「我々の占領下にある本国政府は問題ないでしょう。既に根回しは終わってます。ですが、問題となるのは英国が抱えているオランダとフランスの亡命政府でしょうな」


 しかし、ヒトラーは大した問題ではないとでもいうように、

 

「もし、停戦を実現する気があるのなら、こうアドバイスしてやるつもりだ。『亡命政府が不服を言うようなら、自分たちがボルネオ島とインドシナ半島へ行き、自ら統治して自由オランダなり自由フランスなりを新たに立ち上げると良い』とな。我々は亡命政権を正当な政権と認めることは無いが、同時に新たにオランダとフランスの名を冠する国の建国を邪魔するつもりもないと付け加えてだ」
















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