第37話 史実改変、そして惨劇





「ば、バカな……こんな短時間で、壊滅したというのか……? 1個連隊の降下猟兵も、海上輸送していた機械化師団も……」


 ドイツ第三帝国第二降下猟兵師団を預かるヘルムート=ベルンシュタイン・ラムケ少将は、その報告に心底戦慄した。

 ギリシャでの戦いを見た限り、新設とはいえ第二降下猟兵師団は、第一降下猟兵師団の幹部だった彼の目から見ても精鋭と読んで差し支えない部隊だった。

 度重なる作戦で消耗し本国での再編命令を受けて帰国した第一降下猟兵師団に代わり、クレタ島攻略の先陣を任されたと言っても大きな不安はない……それだけの練度と装備を持った部隊だった。

 

 1941年5月20日午前6時(現地時間)を正式発動時間とされた”メルクール作戦”だったが、現在は5月20日午後6時……作戦発動から12時間たった現在、ギリシャの旧首都アテネに仮説本部を置くドイツ空軍降下猟兵師団司令部に入ってくる報告は、目や耳を疑う者ばかりだった。

 

 先陣の更に先方を務め、まさに味方が降下する橋頭保を確保する役割を与えられた”空挺突撃連隊”だったが……

 驚くべきことに……最初にマレメ飛行場へ降り立った第I大隊は昼まで持ちこたえられずに戦闘力を喪失したようだった。

 第II大隊は降下自体はできたが、猛烈な空襲をくらい森の中で身動き取れなくなっているらしい。

 第III大隊は、敵の防御陣地近辺に落ちてしまったらしく、既に壊滅状態であるらしい。

 通信を入れてきたのは、第II大隊の近くに降下できた第IV大隊だったが、彼らにも既に敵装甲部隊の接近を察知しており、危険な状態であるらしい。

 

 そして、凶報はまだ続く。

 地上よりも絶望的なのは空と海で、戦闘機の未帰還率は30%を超えており、全滅確定。残りも損傷機が多く、明日以降に飛べる機体は半分を大きく割り込むだろう。

 そして、輸送機と爆撃機は更に損耗が酷く、未帰還は50%に達しており文字通りの壊滅状態。無事な残存機は少なく、後方から新たな機体を都合できたとしても、数日は作戦続行は不可能だろう。

 特に致命的だったのは、逃げ足も遅い大型機が燃料と弾薬の補給を受け再出撃してきた日本戦闘機に追撃を食らったり、上空で警戒網を張っていた航続距離の長い日本空母機動部隊の艦上機に奇襲されたりしたことだろう。

 撤退時に最大の被害を出すのは、20世紀の空の上でも変わらなかった。

 この時、彼らを守るべき枢軸側の残存護衛戦闘機は、一部を除き残燃料の関係で先に帰投し、既にかばえる位置には居なかったことが余計に被害を拡大させたようだ。

 

 

 

 本来の作戦であれば、次々に連隊規模の降下猟兵を送り出し波状攻撃でクレタ島を攻めとる腹積もりだが、まさか先遣隊が短時間で壊滅し、橋頭保も確保できず、更に輸送手段である航空機が初手でこれほどの大打撃を受けるとは予想していなかった。

 また、飛行場などを奪取できていれば陸軍から預かった山岳猟兵なども空挺させるつもりだったが、今となってはそれも不可能。

 加えて……

 

「陸軍の装甲師団も半分以上が海の藻屑となったか……」


 降下猟兵は空軍部隊で、船で運ばれていたのは陸軍の部隊。彼らは護衛していたイタリア海軍ごと仲良く水漬の屍と化したらしい。

 そして、ラムケは参謀たちを見やると、

 

「上層部に作戦中止を具申する」


 それは短くもあまりに重々しい台詞だった。

 

 自分の経歴には大きな傷がつく……多大な犠牲を出した挙句、先発隊を見殺しにした無能な司令官という肩書がついて回ることも覚悟した。

 だが、

 

(部下の命には変えられん……)


 だが、予想に反して彼の具申はあっさり認められ、降格などの処分もなかった。

 むしろ、後には「英断だった」とさえ評価された。




***




 事実、彼の正しさは翌21日に早くも証明されたのだ。

 日本皇国が用意したニューカマーは、何も”飛燕”だけではなかった。

 以下のようなエピソードを覚えてらっしゃるだろうか?

 

 ・英国支援計画において、マーリンエンジン搭載の機体がいくつか設計・製造されている。

 ・皇国の空母の半分はゼロ戦を搭載している。

 

 では、残り半分は何を搭載しているのか?

 まず、今回は船を沈める予定は無かったので、九七式艦上攻撃機は載せていない。

 その空いたスペースに搭載していたのが、日本でライセンス生産されたマーリンエンジンを搭載する2種の機体。

 一つは、最新鋭の急降下爆撃機、正確にはその先行量産型である”彗星 一一型”と”試製二式偵察機”だ。

 愛知航空機で開発され、二つに枝分かれした兄弟機だった。

 

 製造メーカーこそ違うが、基本的に”飛燕”と同じエンジン(つまり互換性がある)を積んだこの2種の機体のうち、最初にその実力を発揮したのは”二式偵察機”だった。

 小型化に成功した航空電探を搭載した二式偵察機は、這う這うの体で逃げ出す枢軸の爆撃機を送り狼のごとく後ろから追尾し、帰投する基地を突き止めたのだ。

 

 そして21日早朝、まるでクレタ島強襲の報復でも行うように日本皇国空母機動部隊より発艦した爆撃隊が急襲。

 その部隊には九九式艦上爆撃機と、九七式艦攻に代わり”彗星”が参加していたのだ。

 

 十分なゼロ戦隊に守られた彼らは、午前午後の二波による空襲で、標的となった複数の基地を完全に機能不全に追い込んだ。

 タラントの時ほどの執拗さはなかったが、それでもドイツのクレタ島に対する攻撃意欲を圧し折るには十分な戦果と言えた。

 何しろ、格納庫に収まりきらず滑走路まで使って修理していたところに空襲を受けたのだ。

 レーダーが妨害されていた形跡はあるが、それがなくともこの状況で満足に迎撃機など上げられる筈もなかった。

 むしろ、無事な機体の空中避難すら遅々として進まない中で、襲撃されたのだ。

 

 何より彼らの戦意を蝕んだのは、修理途中の機体のことごとくが修理という行為自体が無意味なスクラップに変貌したという事実だった。

 修理途中の機体が残骸に成り果て、それを撤去するとなれば……それは精神を痛めつけられるだろう。

 

 加えて、無事な……いや、飛べる機体は更にその数を減らした。

 もはやどうあがこうと”メルクール作戦”の続行は不可能になったのだった。

 

 


 








***********************************










 メタな発言で恐縮だが……結果から言えば、ラムケはたしかに作戦に失敗したかもしれないが、こと降下猟兵の死者・未帰還者に関してだけで言えば史実よりずっと低く抑えていたのだ。

 何しろ、空挺一個連隊しか・・・・・・失っていないのだ。

 

 そして、それを誰よりも理解していたのが、ドイツ軍の頂点に鎮座する”総統閣下”だったという……

 



 ”メルクール作戦”がドイツ側により正式に中止命令が発せられたのは作戦発動の翌々日、5月22日の事だった。

 だが、5月21日は余りの損害の大きさに作戦行動が全くできなかったので、クレタ島への侵攻作戦が行われたのは初日だけだったという事になる。

 

 つまり、我々の知る史実とはその過程も結果も大きく異なったのが、このクレタ島攻略メルクール作戦だった。

 そう、この時点でドイツはその被害の甚大さゆえに作戦の失敗を認めていた。

 

 

 しかし、日本皇国から正式に「クレタ島防衛成功」宣言が出るのは、まるで史実になぞらえるように1941年6月1日のことだ。

 この間、戦闘はなかったのだろうか?

 

 勿論、そんなわけはない。

 海より上陸できた敵兵はいなくても、降下した兵の中には降伏に応じず逃げ延びた兵もいたのだ。

 そして、クレタ島では現代版の落武者狩り……残敵掃討作戦が始まっていた。

 

 

 

 













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