第29話 発動! メルクール作戦!!
1941年5月20日、ギリシャ方面から迫りくる大編隊をとらえたのは、クレタ島統合防衛司令部直結に置かれ、長距離哨戒任務に就いていた一〇〇式司令部偵察機だった。
「司令部! こちら”サクラ01”! 敵の大編隊を発見! 信じられない数だ……飛べる機体は全て上空にあげた方が良い!」
サクラ01、滋野清春大尉は背筋に冷たい物を感じた……
(この感覚はまるで……)
「大尉! 敵機の数が多すぎて、
後部に座るレーダー手も兼ねる偵察員から悲鳴じみた声が上がる。
そりゃあ、PPIが敵機を示す輝点で埋め尽くされればそうもなるだろう。
「敵の規模は極めて巨大! まるでソラを埋め尽くすようだっ!」
決死の覚悟で目視できる距離まで近づき、改めて告げる。
「空が7で敵機が3! 繰り返す、空が7で敵が3!!」
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”メルクール作戦 (Unternehmen Merkur)”
史実でもあったクレタ島攻略作戦のドイツ側における名称だ。
だが、この世界線におけるそれは、我々の世界とは規模が違いすぎた。
理由はいくつかあるが……
・史実ではドイツ側は、クレタ島の配備兵力は精々7000~8000名程度と誤認していたが、この世界線では正確に日本皇国軍がほぼ正規師団規模で守護している事を知っていた。
というのが大きい。だからこそ、ドイツ軍はイタリア軍やアルバニア人を丸め込み、ギリシャ人を徴用して南部に不眠不休で無数の野戦飛行場を整備させたのだ。
その覚悟は、「勝っても負けてもこの一度の戦いでギリシャでの戦いに決着をつける」という意気込みあふれた物で、故にドイツ空軍とイタリア空軍の一度で出せる限界の数……実に400機以上を投入したのだ。
たった一つの作戦に投入された航空機の数ならバトル・オブ・ブリテンを凌ぐドイツ空軍過去最大の規模と言ってよい。
ドイツ軍は「日本人が対処できない数」をクレタ島に送り込むことにより、一種の飽和攻撃でクレタ島を陥落させようとしたのだった。
「クソッ! 落としても落としても次から次へと! お前らは
そう呪詛の言葉を吐くのは、ご存知”東洋のリヒトホーフェン”になる手前の篠原中尉だ。
今回の戦いこそは、同じく日の丸を描いた”飛燕”を駆る金井守靖上飛曹(上等飛行兵曹)を僚機に添え、本気の本気で操縦桿を握る。
「逃がすかっ!」
こっちを英軍機と同じ対処で引き離せると踏んだらしいイタリア機、41年の2月に登場したばかりの最新鋭機”
どうも史実より登場が幾ばくかの早いのは、ライセンス生産品のアルファロメオのエンジンではなく、ドイツから持ち込まれたオリジナルのDB601を搭載した先行量産型であるかららしい。
確かにSUキャブのマーリン・エンジン搭載機なら、MC.202も逃げきれる可能性があったかもしれない。
だが、
「甘いんだよっ!!」
中島製のスペシャルなキャブレターを搭載したカワサキ・マーリンに0GやネガティブGによる”息切れ”は存在しない。
加えて、ダイブスピード850㎞/h保証の頑強な”飛燕”が相手だ。
”ファルゴーレ”は瞬く間に追いつかれ、史実とは異なる配置、片翼に2丁ずつ配された計4丁のホ103機銃の弾幕を浴び、12.7㎜のマ弾が正常作動したせいもあり空中で爆散して果てた。
だが、この時、篠原は気づいたのだ。
マルタ島で何度も見た、そして空中戦を繰り広げた馴染みのBf109系の機体以外に、同じ液冷エンジン搭載機のようだが、妙にコックピットが後ろにあるように見える機体に……
(あれはまさか……鉄十字書いちゃいるが、)
だからこそ、通信機を全開にして叫ぶ!
「俺の声が聞こえる全員に告げる! 敵戦闘機の中に”
***
実は篠原の言葉は、間違いではないが完全無欠の正解という訳ではない。
実はこの機体、フランスのドボワチーヌ社が当時フランスで最も優れた戦闘機”D520”をベースに、ドイツのハインケル社と共同開発したドイツ空軍向けの輸出専用機だったのだ。
その名を”HeD520U-1”と言う。
というより、降伏してすぐさまドイツ軍向けの兵器の製造を発注しだしたのだ。
この時のヴィシー・フランス政府、ペタン政権はそのあまりの変わり身の早さに目を白黒させたという。
何しろ、昨日までの怨敵が、今日になると手のひらを返して「中立は保証するから、その分、沿岸部の租借と兵器製造を頼む」である。
ペタンも流石に
『我々に昨日今日で武器を作らせて良いのか? その武器をもって
と警告したが、その時に首相会談に応じた某総督は鼻で笑って、
『誤解してもらっては困る。我々はドイツに敵意を持つ勢力を駆逐しに来たのであって、フランスを蹂躙する気も支配する気もない。敵対しなければ良いし、よき貿易相手となってくれればなお良い』
国防力の回復(再軍備)を含めた、国力回復を望むと。
そして、こう続けた。
『だから、
こうした中で生まれたのが、現在、先行量産型がクレタの空を賑わせている”HeD520U-1”だった。
ドイツの要求に合うようにエンジンは……流石にDB601は引く手があまた過ぎて安定供給が難しそうだったので、代案としていくらか生産に余裕があったJumo211Fエンジンが早速フランスに持ち込まれた。
また、
無線機や照準器などの精密機器も、テレフケンやReviなどのドイツ仕様となり、それらの製造に手間がかかるコンポーネンツがドイツから持ち込まれたことにより、HeD520U-1は、驚くべき速さで開発が進められ、フランス陥落から1年も経たないうちに先行型とはいえ量産体制に移行したのだ。
何とも皮肉な話だが……ドイツ人の手が入った事により、D520は生来の素性の良さも相まって見事なパワーアップを果たしていた。
オリジナルのイスパノ・スイザ12Y-45からJumo211Fの換装によりエンジンの単体重量は200kgほども上がったが、その分、馬力は400馬力以上向上している。それに伴い、最高速は50㎞/h近く上昇している。
ただ……HeD520U-1の製造ラインの横で、ドイツの勧めもあり軍備再編の為、D520の再生産を勤しむフランス人は、凄く微妙な表情をしているらしい。
エンジンをイスパノ・スイザ12Y-45からイスパノ・スイザ12Y系列の完成形と言える12Y-51(ドイツの侵攻と同時期に完成したが戦争には間に合わなかったエンジン。ただし、製造ラインは無事だったので直ぐに再生産可能だった)に換装した”D520bis”に進化していたが、目の前で、ドイツ製のコンポーネントで作られてる兄弟機との性能差を考えると……という奴である。
因みにドイツ系D520は、最低でもあと1回は変身を残しているらしい。
とはいえ、フランス人は1フランでも多くの金が必要な国難期において、この大規模輸出を見逃すはずがなかった。
元々フランスは兵器輸出で外貨を稼いでいた国であり、兵器産業が国の主要産業であった以上、輸出先がドイツに変わっただけと考えれば、納得もできるのだった。
史実で日本人から複雑怪奇と評された「欧州政治の日常」は、今日もこうして醸成されてゆくのであった。
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