第25話 謁見




 1941年5月18日、クレタ島

 

 その日、日本皇国遣クレタ島統合司令官に任命された皇国陸軍中将”栗林 忠相”くりばやし・ただすけは緊張の極みにいた。

 彼が来ていたのは、クレタ島第一の都市イラクリオンにある1920年代にできたばかりの近代的な高級ホテル”メガロン”だった。

 

 勿論、栗林が緊張しているのは軍人にあまりなじみのない平時なら観光客にぎわうであろうリゾート港湾都市の高級ホテルに来ているからではない。

 問題なのは、1941年5月現在、この高級リゾートホテルが”ギリシャ王国の臨時王宮・・・・”として使われている点だった。

 

 言うならばロイヤルスイートに本物の王族が寝泊まりしている状況なのだ。

 こうなってしまった経緯は、聡明なる紳士淑女諸君なら察していただけるだろう。

 

 そもそもの始まりは1940年10月28日、何をトチ狂ったのかムッソリーニ率いるイタリアが、ギリシャの上に位置するアルバニアから攻め込んできたことに端を発する。

 イタリア人とアルバニア人の混成部隊だけならギリシャ軍が独力で返り討ちにできたのだが、どういう計算が働いたのかドイツ人がイタリア人を加勢する動きを見せた。

 それに対し、リビア逆侵攻作戦、いわゆる”コンパス作戦”でイタリア軍をフルボッコにして一息ついた英国軍は、ギリシャ防衛のために戦力を割くことを決定したのだ。

 確かに英国から見ればギリシャが枢軸側に落ちるのは愉快な状況ではない。

 イタリアの主力艦隊を根拠地であるタラント港ごと滅したというのに、一歩間違えば地中海東部全体がドイツの爆撃圏内なんてことになりかねない。

 イタリアの海軍力は激減したが、ドイツ空軍ルフトバッフェは残念ながら相変わらず健在なのだ。

 

 ちなみにこの世界の”枢軸”とは我々の世界とは少し意味が違っていて、日本が入っていないのは勿論だが「ドイツの支配地域と被支配国、あるいはその強い影響にある国々+イタリアとその領土」という考え方だ。

 単純にドイツとその取り巻き+イタリアという考えても良いが……重要なのは、ドイツとイタリアは、枢軸という軍事同盟の体裁をとっているが、互いに一歩引いたポジションをとっているということだ。

 

 そんな状況下でドイツがギリシャ参戦を仄めかしはじめ英国が動くのであれば、日本も黙っていられるわけはない。

 既に英国よりトブルクという中東戦線の重要拠点を投げられ……もとい。任されていたが、それでも島一つを防衛範囲に加える程度の余力はあった。

 

 言いにくいのだが……日本は当初より、ドイツと英国がギリシャでぶつかった場合、勝ち目は薄いと思っていた。

 英国の謀略なのかソ連の謀略かはわからないが、ユーゴスラビアを反枢軸に持っていくことはできたがバルカン半島東岸ルート、ハンガリー→ルーマニア→ブルガリアの陸伝いで進軍も補給も可能だった。

 特に生命線のプロイェシュティ油田があるルーマニアには数多くの兵力を防衛と称して配備しており、一大集積地となっていたので、そこから一部の兵力を分派させることにさほど苦労はなかったのだ。

 

 対してご当地のギリシャ軍こそ地の利はあったが、英軍にとってはギリシャでの戦いは当初予定しておらず、準備不足は否めなかった。

 加えて、本国は遠くメインとなるのは英国中東軍の分派だが、これに英連邦諸国の派遣軍を加えても十分な戦力とは言えず、また後方拠点となるアレクサンドリアに集積できる物資も限度があった。

 

 

 

 ここまで読んだ皇国政府は、希土戦争(ギリシャ・トルコ戦争)のとある出来事をきっかけに欧州有数の親日国となっていたギリシャにいち早く外交チャンネルを通じて、「ギリシャに渡った英軍の後方支援基地」として、何より……

 

『万が一、ギリシャ本土が亡国の危機に陥った時、文字通りの”最後の砦”とするため』


 に、皇国軍の駐屯と要塞化を認めて欲しいと願い出たのだ。

 英国は当然のように後押ししたし、ギリシャに至っては二つ返事だった。

 

 

 

 そして、クレタ島の防衛責任者としてやってきたのが、中将の昇進と同時にクレタ島防衛計画の陣頭指揮を取るように命令された栗林だったのだ。

 さて、勘の良い皆さんなら既にお気づきだろう。

 臨時王宮になっているホテルに呼び出されたということは、即ちばっちり礼装に身を包んだ栗林が謁見するのは、


ギリシャ国王”グレゴリウスII世”陛下


 その人であった。




***




「国王陛下におかれましては……」


 謁見の間に選定された大広間で、首を垂れ常套句を朗々と繋ぐ栗林。

 そして、一通りの様式美が終わった後は、

 

「陛下、数日以内にクレタ島は戦場となりましょう」


「そうだな」


 栗林の言葉に鷹揚にうなずくグレゴリウス国王。

 状況が分かっていない訳ではない。

 何しろ、ドイツ軍の手に落ちたアテネから今いるイラクリオンに遷都を宣言したのは国王自身なのだ。

 また、国家首脳陣も多くがクレタ島への脱出を成功させていた。

 

「今ならばまだ間に合います。特別機を手配いたします。快適な空の旅とはまいりませんが、どうかお引きください。アレクサンドリアが手狭だというのならば、他の自由で安全な地へ……」


 栗林は下っ腹に力を籠め、

 

「皇国へいらして下さるのであれば、心より歓迎いたします。きっと親交ある我が君もお喜びになることでしょう」


 噓ではない。

 ギリシャ王室は、立派に皇室外交のリストに名を連ねる家であった。


「栗林中将、朕は不思議でならん」


「不思議……とは?」


「ここは我が国。最南端の島とはいえ我が国ぞ」


「御意にございます」


 そして心底不思議そうに、

 

「して、我が都を守護せしは、遥か東方よりきたりて武勇の誉れ高き者達、我らギリシャの民の朋友よな」


「相違ありません」


「しからば」


 国王は威厳のある声で告げる。

 

「一体、何を恐れることがあるというのか?」















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