第21話 とある装甲指揮官のモノローグ
「やはり、トブルクは簡単には落とせぬか……」
その日、ベンガジに設営されたドイツアフリカ軍団(DAK)の前線司令部に足を運んでいたドイツ軍大将にして、軍団最高司令官”エドヴィン・ロンメル”は静かにほくそ笑む。
(だが、それでいい。簡単に陥落してしまっては、戦訓が得られん)
エドヴィン・ロンメルがドイツアフリカ軍団の指揮官を引き受けた理由は、兵器を含めた(感づかれぬように、鹵獲されないように細心の注意を払いながら)最新装備のテストと実戦運用、「ロシア人との戦い」に入る前に貴重な戦訓、装甲指揮官たちに実戦経験を積ませる事だった。
(
ただし、このロンメルは野心的な考えを……という訳ではない。
今回のDAKの覇権理由、彼の知る歴史通りに起きてしまったイタリア人の暴走と、その尻拭いに心から納得していたわけでは無い。
だが、彼がこの責務を受けたのは本国にてその裏の意図……史実とは異なる”真の理由”を聞かされたからだ。
(
さて、親愛なる皆様なら既にお気づきだろう。
彼は、自分のファーストネーム、ドイツ語発音”エドヴィン”のスペルが、「EDWIN」だと理解したときに、
『げっ、なんかジーンズ屋みたいな名前だな……』
とコメントした当たり、出自が知れる。
ただし、エドウィンが展開していたのは日本だけではないので、前世が日本人とは限らないが。
だが、彼の運命が大きく変わったのは、第一次世界大戦中……歩兵部隊指揮官として”ソンムの戦い”に挑んだ時だ。
『やはり、陸の王者は鋼鉄の巨獣……戦車か』
そう強く感じ、ヴァイマール時代に
その時、運命との出会いを果たしたのだった。。
「ハーラルト・グデーリアン……」
そう、機甲戦術の何たるかを模索していた”機甲戦の父”、グデーリアンと出会ったのだ。
だが、それだけでは足りない。全く足りない。
不味いのは、ロンメル自身は歩兵指揮官上がりの機甲将校の卵で、グデーリアンは資質的に自ら戦車に乗り込むタイプの前線装甲将校型。
要するに、二人そろって前線型であり、後方から戦場全体を俯瞰して見れるタイプではない。
そこでちょうど同じく秘密訓練施設に視察に来ており、次世代の戦場について思案していた男に声を掛けた。
その男の名は、
「マンシュタインの奴、今頃難儀してるだろうな」
そう、ドイツ史上最高の戦略家とも言われる、”ユーリヒ・マンシュタイン”。
”ドイツ陸軍の三銃士”……この三人がそろったことで、歴史は妙な方向に転がり始めることになる。
史実では、ロンメルとグデーリアンは、軍部の中でも本来は非主流派で、またグデーリアンとマンシュタインは不仲だったらしい。
だが、この世界線ではそんなことはなく「より
それだけではない。ロンメルが”Gefecht der verbundenen Waffen”、日本語で言う”諸兵科連合”の概念と理論を話してるとき、”エア・ランド・バトル”の話に行きつき、それをレポートにまとめたところもう一人の仲間が加わる事になった”アーダベルト・ケッセルリンク”、将来を嘱望されるドイツ空軍の将校だった。
実は、ケッセルリンクは空軍が設立される前は陸軍であり、そうであるが故に「陸と空を一体化する新時代の戦場」に興味を引かれたのだろう。
つまり、ここで三銃士が四銃士になったと考えてもいい。
そして、ロンメルの手元にある手紙は、そのケッセルリンクから届いたものであるらしい。
私信に偽装されているが、実質的には命令書。その内容は、
”前座の芝居は終わりだ。もうすぐ本番の開幕ベルが鳴る。十分に楽しんだろ? そろそろ舞台に戻ってこい”
というものだった。
「時間切れ……いや、妥当なところだな」
若手たちに、「強敵というのは何処にでもいる。戦場では決して油断することなかれ」という教訓も体験させることができた。
どうにもフランスも含め欧州で簡単に勝ちすぎたせいか、”第一次世界大戦を戦ったことのない世代”は相手を侮る癖が無自覚についているようだった。
特に30年代中期以降、ナチ党が政権を取り「アーリア人至上主義」が国是になってから軍人になった者に、特にその傾向が顕著だった。
当然だろう。奇しくも、”戦争に勝利する”という誰にもわかりやすい結果を持って、プロパガンダに過ぎないアーリア人の優越性を証明してしまったのだから。
つまり、「T-34ショック」のお膳立ては整っていた訳だ。
そこでロンメルは「劣等人種のロシア人に優良種たる自分達より優れた戦車が作れるわけはない」という固定概念を、日本人と戦わせることで事前に潰しておいたのだ。
(現実的にはありもしないアーリア人の優越など、実戦では何の役にも立たない……日本人、いや黄色人種全体を「スラブ人以下の劣等種。ユダヤ人よりちょっとだけマシな連中」と歪曲的人種感に浸食された者たちには、いい目覚ましになった事だろうさ)
ロンメルは今生の第一次世界大戦、英国の友軍として参戦した日本軍との交戦経験と、前世での”ジエータイ”という珍妙な名を名乗る面々との交流経験から、彼らをなめてかかる腹積もりはない。
そして、妙な確信もあった。
「それにしても、”仮想ソ連軍”として理想的だったな」
重火力であり、銃防御。堅守に長け、追撃こそ嗜みのようにかけてはくるが、深追いはしてこない。
ただ、少々気になることがあるどすれば……
「日本軍というより、ジエータイ的色合いの方が強いような?」
ロンメルは前世の大日本帝国軍に精通しているわけではないが、日本皇国軍の雰囲気がどこか自衛隊に似ているのに引っ掛かりを感じていた。
(向こう側にも
もっとも、それはドイツも人の事は言えないと考え直す。
(アーリア人優越論……何とも滑稽なことだ。そんな物、我らが
ふと、脳裏によみがえる言葉があった。
『ロンメル君、アーリア人が……アーリア人種ゲルマン民族が真に至上であり他種族を優越しているというのなら、我々はそもそもモンゴル人に追われてユーラシア大陸の西の果てになんか押し込められていないさ』
(あれは総統というより学者……だったな)
そう皮肉げに笑う姿は、少なくとも伝承されているちょび髭の男とは似ても似つかなかった。
(あれではまるで、総統という役割を演じて……いかんな)
安易な結論を振り払うような仕草でロンメルは首を左右に振り、
「いずれにせよ、OKH(Oberkommando des Heeres:ドイツ陸軍総司令部)からのオーダーは完遂したと言っても良いのだろうな」
繰り返すが、彼らがアフリカまでやって来た理由……「イタリア人の尻拭い」は公的なお題目に過ぎない。
いや、確かに少なくとも”1941年6月一杯までは”、リビアがイギリス人や日本人の手に落ちるのは避けたいので、全て噓という訳ではない。
装備の実験や戦術の確認、装甲指揮官たちの戦訓や経験積みは、どちらかと言えば副次的なもので、ロンメル自身の望みでもあった。
だが、OKH、いやその上位組織であるOKW(国防軍最高司令部)が目標とし、ロンメルに望んだのは、
「少なくとも、日本人共は当面はトブルクから動くことはないだろうな」
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