第15話 悪夢の果てに見た物は……

 

 

 

 

 

 皆さんは、二晩続けて悪夢を見たことはあるだろうか?

 まあ、それが夢と分かっていれば……あるいは、目覚めた後ならば気分は最悪だろうが、命にかかわることはそうは無い筈だ。

 

 だが、それがもし夢ではなく現実だとどうなるだろうか?

 その実例が、今タラント港で行われようとしていた。

 

 

 

 

 

 1940年11月12日23:00(現地時間)

 

 未だ重油火災が消えず、燃え盛るタラント港の姿を沖合から見つめる男たちがいた。

 彼らが座乗するのは海を進む黒鉄の城、日英6隻の戦艦が集結し、それを中核とする砲戦部隊だった。

 その陣容は、現状で機動的に地中海で運用できる戦艦の全てと言ってよい。

 

 ・長門型戦艦(長門、陸奥)

  16in45口径長砲連装4基8門を備えた大型戦艦で、ジェトランド沖海戦の戦訓を取り入れ大幅に設計変更がされた日本皇国の誇る高速戦艦だ。

  主砲こそ原設計と変わらないが、特に垂直方向の防御力を強化し、副砲を持たず高角砲と対空機関砲主体の武装となっている。

  何より異なるのはシフト配置化された機関出力で、公称144,000馬力、最高速力は28.9ノットとされた。

  また、砲塔装填関係の出力不足も機関更新で解消され、最良の状態ならば毎分3発の発射速度を維持できるようになった。

  基準排水量40.000t。また近代化改修によって電波探信儀レーダーを中心とした電子装備も充実している。

 

 

 ・金剛型巡洋戦艦(金剛、榛名)

  第三次近代化改修を終えて強化された船であり、就役時とは完全に別物の最高速力30ノット級の実質的には高速戦艦である。

  この時代の日本皇国戦艦のトレンドに合わせ、レーダーの装備や副砲を撤去し高射装置と連動した高角砲などを搭載していた。

  基準排水量33,000t。

  

 ここに我々が知る史実より1年以上早く就役したプリンス・オブ・ウェールズとフッドが加わるのだ。

 これが昼間であれば実に威風堂々とした陣容だったろうが、残念ながら今は深夜。煌々と燃え盛るタラントの爆光も、沖合20㎞以遠のここまでは届かず、日英6隻の戦艦はその巨躯を闇夜に溶けこせていた。

 

 やがて速度は落ち、1艦当たり8~10門据え付けられた主砲が、ゆっくりと鎌首をもたげた。

 筒先を向けるのは無論、燃え盛るタラント港。

 

 そう、彼ら戦艦彼女らは、更なる……そして、今回の作戦ジャッジメントの総決算にして最後の破壊を叩き込むために集結したのだった。

 


「全門斉射用意……ぇっ!!!」

 

 古賀恭一提督の号令の元、最初に口火を切ったのは日本皇国戦艦部隊だった。

 これにはれっきとした理由がある。

 

「次弾、同じく三式弾・・・装填。仰角上げ2! 撃ぇっ!」


 そう、英国海軍が持たず日本海軍が持つ特殊兵装、その一つが”三式弾”だった。

 砲弾内部に焼夷効果のある弾子をこれでもかと数千充填し、空中で炸裂し円錐状に投射する兵器だ。

 先に九九式が装備していた三号爆弾の巨大化砲弾版と考えれば大体正解だ。

 ちなみに重量差は、16inサイズなら3倍ほども大きい。

 

 そして、その凶悪な焼夷榴散弾を日本艦隊は機械的に港全域を炎の傘で覆うように撃ち込んでいた。

 まるで、燃え残ってる可燃物を残らず燃やすため……のように見えるが、それも全くの的外れではない。

 正解は、



 

「随分と明るくなるものだな」


 そうプリンス・オブ・ウェールズの艦橋で、英国側の艦隊を率いる(そして今回の艦隊最上位指揮権を持つ)ジョシュア・トーヴェイ中将は呟く。

 

「なるほど。確かにこれは照明弾を打ち上げるより効果的かもしれませんな」


 少しづつ弱まっていたはずの港の火災に、さらなる火種が超音速で放り込まれていたことにより、今まで辛うじて燃えてなかった引火性ガスや可燃物に火がつき、炎は再び勢いを取り戻したようだ。

 

 昼間のようにというと大げさだが、それでも港に居並ぶ壊れかけのイタリア軍艦を照らし出すには十分な光量だった。

 

「ではリーチ君、我々も始めようではないか。パーティーに送れるのは、やや紳士としては無粋な振舞いだ」


 プリンス・オブ・ウェールズの艦長、ジェレミー・リーチは頷き、

 

了解しましたサー・イエッサー。全艦、撃ち方よぉーい!」











****************************










 1940年11月12日深夜より13日未明にかけて、二晩連続の悪夢がタラント港を襲った。

 いや、初日の悪夢が子供の遊びに思えるほどの悪魔だったと言っていい。

 

 初日に襲ってきたのは40機にも満たぬソードフィッシュ雷撃機だったが、この夜にタラントに向けられたのは、16門の16in砲、8門の38.1㎝砲、そして18門の14in砲だ。

 そのすべての砲弾の威力は航空爆弾を凌ぐ破壊力がある。

 また、戦艦は1門あたり100発前後の砲弾を有してるという。

 16in砲の砲弾で約1t、時間的にその半分が用いられたとしても長門1隻で400t分もの破壊が投射された計算になる。

 この同類が6隻もいたのだ。

 これらに加え、戦艦部隊が率いていた10隻以上の重巡洋艦による8in砲の砲撃まで加わったのだから、もうどうにもならない。

 

 これらの砲撃は二時間以上に渡って続き……イタリア海軍は成す術がなかった。

 港に砲弾が間断なく降り注ぎ、燃え盛る中に出撃できる船などあるはずもなかった。

 他の港から駆け付けようとした船もあるようだが、それは結局徒労に終わったようだ。

 

 

 

 しかし、悪夢というのは目が覚めれば消えるものだが……決定的に違ったのは、イタリア軍人に突きつけられたのは、残酷で冷酷な物理学に裏付けされた現実だったということだ。

  砲撃によってもたらされた猛威と惨禍は、網膜に強烈にうったえるものであった。

 

 港に残っていたのはイタリア海軍が誇りとしていた美しい軍艦などではなく、徹底的に破壊されたその”なれの果て”……「かつて軍艦と呼ばれていた”スクラップ”」ばかりだった。

 もう修理の意味が無い、奇妙な前衛芸術オブジェのような焼け爛れた鉄屑の山が、浮いていたのではなく海水に浸かっていた・・・・・・……

 

 いや、例え修理すれば動かせる船があったとしても、タラント港では物理的にも設備的にも無理だった。

 重油タンクや弾薬庫だけでなく、ドックは乗っていた船ごとぐちゃぐちゃにされ、船荷の積み下ろしするクレーンは炎に炙られ雨のようにぐにゃりと熔け曲がっていた……

 タラントは、停泊していた軍民問わない船だけでなく、港としての機能までも失っていた。

 

 なら、ごくわずかに損傷はしていても生き残った船をけん引して引き出そうにも、港湾の中には英国人がばら撒いた浮遊あるいは沈底機雷が無数にあったのだ。

 無傷で港の外に出すのは、至難の技を超えた何かだった。

 

 

 




 

 1940年11月15日、修復や機能回復は困難と考えたイタリア政府は、「停泊艦船ごとタラント港の放棄」を決定した……

 まともな海戦を得ぬままに、イタリア海軍は事実上、”壊滅した・・・・”のだった。

 









 




 

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