第6話 設定覚書1 (1851~1941年)




設定覚書(~1941年)

随時更新・編集・修正。まだ文章化されていない内容あり




年号(和暦)


明治元年(1851年)

明治時代:1851~1911年


大正時代(健康上の理由で生前退位)

大正元年(1911年)

大正時代:1911~1926年)


昭和時代

昭和元年(1926年)

昭和時代:1926年~




***




政治状況(概略)



日本皇国

 ・日本皇国は日清戦争で割譲を受けた遼東半島に続き第一次世界大戦の戦勝国として山東半島を割譲されたが、””から渤海湾を塞ぐ上顎、下顎に例えられる二つの半島を手放し、1941年時点では公的な領土や領地、権益を大陸に持っていない。また、如何なる意味でも皇国軍は大陸に展開していない。

日本皇国は、民間の進出のみ登録制で許可しており、また万が一軍を派遣するとしても、「在華邦人の生命と財産を守り、安全に帰国させる」以外は無く、また軍を展開する場合は上海共同租界参加国の事前許諾を得ることを宣言している。


 ・朝鮮半島(大韓帝国)の北緯38度線以北は、日露戦争の影響でソ連の保護領化している(この地区を将来的に独立国化するとソ連は発言している)。

  また、日本皇国は「大陸情勢には一切不干渉。また当該国の国民の入国は、国際的政治問題の予防措置として原則として禁ずる」の立場を取り続けてる。「大陸や半島に領土的野心があるとあらぬ誤解を他国に与えぬため」というのが公的発表されている理由。


 ・第一次世界大戦の消耗を理由に、米国が提唱した「シベリア出兵」には不参加。


 ・1938年、日本皇国は史実の「ベノナ計画で判明した事実」の一部に近い内容を、ソ連に対するカウンターインテリジェンスの一環として各国の大使館、領事館より「重大発表」として公開されている。

 主に尾崎某とつながりで明らかになった「太平洋問題調査会の内情」、「米国共産党調書」、「第7回コミンテルン世界大会と人民戦線の詳細内容」などが特に大きく発表され、他国の反応に関わらず日本皇国は「発表の内容は全て根拠のある事実であり、国家人種宗教を問わず世界中で共産主義者の新党が始まっているのが現実。信じるか否かは各国の判断に任せるが、皇国政府はいかなる圧力が加わろうと撤回することはない」と宣言。




イギリス

 ・同盟国である英国には公表事前に王室外交の親書に偽装して「ケンブリッジ・ファイブを代表とする人員リストとより詳細な内容」が届けられていた。

 

 ・第二次世界大戦勃発前年の1938年/39年にに英国では「大規模な人事異動」があった。


 ・チャーチル(この世界では”ウェリントン・チャーチル”)が首相になるのが遅れた。これは「史実と異なり早期に逮捕されたケンブリッジ・ファイブとの関係を疑われた」からであり、一部週刊誌などでは「彼のポリシーが(対独強硬論など)が”第7回コミンテルン世界大会”で話し合われた行動路線に合致しているため、実はケンブリッジ・ファイブの黒幕はチャーチルではないのか?」と疑われた。

  この為、チャーチルの首相就任は前任のネヴュラ・チェンバレン首相が体調悪化を理由に首相を辞任する1940年9月末まで待たなくてはならなくなった。


 ・首相就任後のチャーチルは、対独強硬派ではあるが、その理由に「ソ連寄りの政治家」という風評が常に付きまとうことになる。


 ・英国はダンケルクをはじめフランスには進駐していない。これも38年の人事異動の余波であり、またチェンバレンが対独戦を「純粋な国土防衛戦」と定義しており、「いたずらにドイツを刺激し、祖国を危険にさらすべきではない」という判断があったからと言われている。

  なのでダイナモ作戦、サイクル作戦、エアリアル作戦などの一連の「英国軍のフランスからの脱出作戦」は存在していない。

 

 ・英国はドイツがフランスを瞬く間に占領した「機動力を生かした浸透・突破・迂回戦術」をつぶさに観測し研究し解析した。

 

 ・一連の「メルセルケビール海戦」あるいは「カタパルト作戦・レバー作戦」は起きていない。日本皇国が第一次世界大戦後に双務的内容に改訂された日英同盟が問題なく履行(欧州・中東方面への早期派兵)する確認が取れた事やその他の理由(皇国がヴィシー政権まで敵に回すことを反対していた)もあり、英国は無理に軍事的中立を宣言したヴィシーフランスを刺激する必要はないと判断された。

  これは英国軍が、フランスに進駐しておらずダンケルク撤退戦(ダイナモ作戦)が無かった事、この時期まだチャーチルが首相になってなかった事なども影響している。


 ・1939年、ダッドレイ・パウンドは第一海軍卿就任直前に脳腫瘍が悪化し急逝。代わりに第一海軍卿 に就任したのは、サー・チェスター・フォーブス海軍大将だった。





フランス、アメリカ

 ・日系移民排斥→強制収容所移送は起きていない。なぜなら米国への移民は皇国法で禁止されていた(論拠は事実確認ができた米国が移民開始直後から現在進行形で行っている各地先住民に対する蛮行から、人種的に近似の日系移民の安全が保証できない)からだった。情報ソースは英国。


 ・フランス亡命政府(自由フランス)は、英国の意向でロンドンではなくカナダ自治領ケベック州(フランス系住民が多い)に送られた。これは「後方に安全地帯を用意する。ただし近場のアメリカを説得し、”ドイツ人よりフランスを奪還する戦い”に参戦するよう説得してくれ」という要請があったからとされているが、実際は「欧州、アフリカ方面でのフランスの影響力を小さくする」ことが目的だった。


 ・シャルマン・ド・ゴールがロンドンにフランス亡命政府(自由フランス)を置かず、ケベック州に置くことを了承したのは「フランスに軍を出さなかったイギリスに不信感を持った」のも理由の一つとしてあげられる。 


 ・英国はケベック州において自由フランス政府が「義勇兵を募集し自由フランス軍に組み込む」事を了承していた。繰り返すが、ケベック州はフランス系住民が多いことで知られている。


・英国はドゴール支持を明言していたが、日本皇国は自由フランス・ヴィシーフランスに対して中立的な立場を取っていた(ドゴール支持は表明せず、フランスに関しては口出ししていない)


・ドイツに降伏した欧州各国のアジア地区に点在する植民地に関して、日本皇国は「日英同盟遵守(第二次世界大戦参戦)に全力を傾注するため余力がなく、不干渉を貫く」という宣言をしていた。






海軍軍縮条約

 ・1921年のワシントン軍縮条約は「英国が英米日の艦艇保有比率を10:10:10」と日本皇国がひきつけを起こすような主張を展開。対する米国は「米英日の比率を10:10:7」にするよう主張。皇国そっちのけで大荒れに荒れた。

 結局、保有比率は間を取って英米比で”8.5”となった。

 実は皇国、国防予算の都合で英米比率で”7”あたりを着地点として狙っていたのだが、英米はそれを知った上で「最低ライン」を狙ってきた米国はともかく、知った上で”米英と同じ海軍力”をぶち上げた英国はマヂブリテンである。

 インド・太平洋方面に配備できる戦力に限りがある英国にとり、東方の同盟国ばんにんの弱体化は看過できる問題ではなかった。

 自国比率85%の艦隊保有は、英国の許容できる最低ラインだった。

 ちなみに排水量制限は、基準で上限40,000tと史実より少し緩かったようだ。

 

 

 ・1930年のロンドン海軍軍縮条約が締結されたが、1935年3月のドイツの再軍備宣言と同時にそれに反応した日英仏が脱退を宣言。事実上、軍縮は消滅し、再び軍拡の時代に入った。つまり、”この世界”において第二次ロンドン海軍軍縮条約もエスカレーター条項も存在しない。

 

 












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日本皇国の戦艦事情(~1941年)


金剛型巡洋戦艦×4隻

二度の近代化改修により健在。2隻が欧州戦線(地中海含む)に展開中。


扶桑型戦艦

1隻が戦没、もう1隻は解体


伊勢型戦艦

ジェトランド沖海戦の影響で建造中止


長門型戦艦

設計が大幅に変更され、防御力(特に垂直方向と喫水線以下)と速力を強化して建造。極端から極端に走る日本人らしく副砲を持たない最初の日本戦艦として完成。近代化改装で電探(レーダー)や高射装置を追加。

現在、2隻とも欧州戦線(地中海含む)に展開中。


加賀型戦艦(加賀、土佐)

目減りした日本皇国海軍の穴埋めのために建造された。第一世界大戦でのドイツの鹵獲艦から導入した分散防御構造やシフト配置機関、最新のマリナー型舵、バルバスバウを取り入れた、技術実証艦としての側面も持つ(大和型のテストベッド)重防御戦艦。

全長を抑える(あるいはヴァイタルパート区画を短縮する)という理由で、三連装砲(3連装3基9門)を導入した船でもある。建造当初は砲自体は長門と同じ16in45口径長砲だったが、後に50口径長砲へと換装される。

加賀は大和が就役するまで日本皇国艦隊旗艦を務めた。


天城型巡洋戦艦(天城、赤城)

海軍軍縮条約の消滅を受け追加建造枠が予算承認され建造された戦艦。基本的に金剛型の設計を拡大近代化(加賀型の設計も取り入れられている)した実質的には高速戦艦。武装は長門と同じ16in連装4基8門だが、砲身は長門方や土佐型との比較のために試験的に導入された長16in砲(16in50口径長砲)に改められている。

現在、2隻とも欧州戦線(地中海含む)に展開中。


大和型戦艦(大和、武蔵、信濃、甲斐)

海軍軍縮条約消滅後に建造された最初の日本戦艦であり、第二次世界大戦に参加した最後の日本戦艦シリーズ。1941年時点ではまだ全艦建造中。電探搭載を前提に設計された最初の戦艦。

全長286m、基準排水量68,500t。主砲は18in50口径長砲(長46サンチ砲)。

当初は大和、武蔵のみの建造予定だったが、39年の大戦勃発(ドイツのポーランド侵攻)で追加2隻の予算が認められ、4隻が建造されることとなった。

レーダーの搭載を前提に設計された最初の日本戦艦であり、そのために発電能力が極めて高いのが特徴と言える。

機関熱回収式発電用蒸気タービンの搭載はこの船独特の物。




以後は未定とする。






***




日本皇国空母事情(~1941年)


皇国は基本的に空母の整備には力を入れている国である。



蒼龍、飛龍

現代的な正規空母の建造、運用ノウハウを習得する為に建造された実験艦、技術実証艦としての側面もある空母。


雲龍型空母(4隻+2隻が大戦勃発による追加予算が認められた)

基準排水量:18,900t

搭載機数:最大65機(41年編成)

飛龍の量産型と言える空母。飛竜のノウハウを元に一部設計を改訂し、部分的に簡易化した物。また近代化改修で油圧カタパルトなどが装備された。

全て第二次世界大戦前に就役している。

現在、2隻が欧州戦線(地中海含む)に展開中。


翔鶴型空母(4隻)

基準排水量:27,500t

搭載機数:最大84機(41年編成)

飛竜型の設計を元に近代化・拡大化した物。非装甲空母としては日本空母で最高傑作と言われる。1935年のドイツ再軍備宣言で建造が決定された。先行の翔鶴と瑞鶴のみが第二次大戦前に就役している。

格納庫/弾薬庫天井部分の装甲化や艦内自動消火装置・強制煙/ガス排出装置の強化、中央エレベーター1基+サイドエレベーター2基(装甲シャッター付)、油圧カタパルト2基、シフト配置機関、マリーナ型舵、下方湾曲煙突(史実の赤城第一煙突に近い海水冷却シャワー付き)、バルバスバウなどの特徴を持つ

現在、翔鶴と瑞鶴の2隻が欧州戦線(地中海含む)に展開中。


大鳳型装甲空母(4隻+2隻の追加建造が39年の大戦勃発で認められた)

基準排水量:31,600t

搭載機数:最大75機(42年編成。44年編成だと61~65機まで減少する)

1935年のドイツ再軍備宣言の影響と海軍軍縮条約の消滅を受けて緊急予算で建造が決定した空母。英国のイラストリアス級の影響を受け装甲空母として設計された。実質的には史実の改大鳳型空母に準じた内容。

英国のイラストリアス級などの全装甲化甲板、下方湾曲煙突(史実の赤城第一煙突に近い海水冷却シャワー付き。重心を低くするため)、中央エレベーター1基+サイドエレベーター2基(装甲シャッター付)の特徴を持つとされる。

翔鶴型の設計をベースに装甲化のための改設計がなされたという感じがある。なので、バルバスバウやシフト配置機関、マリーナ型舵、2基の油圧カタパルトなどの特徴は継承している。

1~4番艦は1940年~1941年に就役予定。5、6番艦は43年前半に就役予定。

基準排水量は31,600t級であり、史実の”改大鳳型”に近い。


改大鳳型空母(仮称)

基準排水量:36,000t

搭載機数:最大80機程度

大鳳の設計を簡略化し拡大化したとされる空母。44年に就役予定だが、詳細不明。全装甲甲板と、甲板防御力を損なわないため甲板エレベーターを廃し全装甲シャッター付サイドエレベーター×3基などの特徴を持つとされる。


瑞鳳型軽空母(2隻)

改造空母ではなく最初から輸送船団護衛用の軽空母として設計された空母。

その為、戦前に2隻全てが就役している。


隼鷹型軽空母(10隻+2隻が追加建造)

瑞鳳型を簡易拡大化した軽空母。軽空母でありながら最大50機の航空機運用の能力を持っており、準正規空母と言える。当初は6隻のみが建造予定だったが、39年の大戦勃発により船団護衛の需要が高まることが予想されたため、臨時予算で4隻が追加建造された。

バルバスバウと油圧カタパルト1基を備える。

単一型としては日本皇国史上最も量産された空母。



史実との大きな違いは、日本皇国は戦艦から計画された史実の赤城、加賀のような空母はなく、また隼鷹型航空母のような商船改造型の空母もないこと。

これは皇国政府が「下手に改装するより最初から専門の空母として作った方が、結果として安上がりで手間もかからない」という判断が成されたから。

また軽空母は正規空母のような密閉式格納庫ではなく、工期と予算の圧縮のため、米国空母のような解放式となっているのが特徴。

第二次世界大戦の総計だと正規空母16隻、軽空母14隻という参加数となる。(今後、変動の可能性あり)




***




日本皇国の巡洋艦事情(~1941年)


古鷹型、青葉型

古鷹型は史実と異なり最初から20.3サンチ50口径長連装砲(C型連装砲準拠)×3基6門だった。後の近代化改修により青葉と同じく20.3サンチ55口径長連装砲(E1型連装砲準拠)に換装される。

青葉型は建造当初より20.3サンチ50口径長連装砲(D型連装砲準拠)搭載艦として建造された。基本的に古鷹型の拡大改設計巡洋艦。後に55口径長砲/E1型砲塔に改装される。


10,000t級重巡洋艦(妙高型、4隻)

海軍軍縮条約時代に完成した最後のシリーズであり、原案通りに20.3サンチ55口径長連装砲(長8in砲。D型連装砲準拠)×4基8門、61サンチ四連装魚雷魚雷発射管×2基で、居住性や発展的余地のある船として完成した。余裕のある設計だった為に比較的スムーズに近代化改修が行われたようだ。


高雄型重巡洋艦(4隻)

35年のドイツ再軍備宣言により失効した軍縮条約消滅後に初めて建造された重巡洋艦(一等巡洋艦)シリーズ。発射速度をハイレート(毎分4発→5発)と新型連装砲塔(E1型砲塔準拠)を組み合わせた新型連装砲×5基10門と四連装魚雷発射管×4、射撃統制装置に制御される10サンチ連装高角砲×8基と「条約に縛られずやりたいことを全部やった」巡洋艦。また、建造当時は開発中だった艦載電探の為の電力確保やスペースが用意されていた。

これにこの時代の日本軍艦のトレンドである分散防御、シフト配置機関、バルバスバウなどを採用した結果、基準排水量で14,400tというかなりの大型艦になったが性能は申し分なく、大西洋や地中海方面でその性能を存分に発揮した。


最上型重巡洋艦(6隻)

39年の第二次世界大戦勃発の影響で、急遽建造が決まった重巡洋艦(一等巡洋艦)シリーズ。高雄型の簡易量産型という位置付けだが、史実と違い最初から8in砲艦にとして設計され、実質的な設計は改鈴谷型重巡洋艦と考えて良い(ただし、基準排水量は改鈴谷型よりやや大きい)。設計段階から電探搭載を前提とされていた。

ただし重量を抑える為か主砲自体は高雄型と共通だが、従来より高角度が取れる新型の三連装砲塔×3基9門という構成になってている。


利根型航空巡洋艦(2隻)

非常に珍しい「水上機による偵察索敵を最優先とし、それを含めて指揮通信統制脳力が高くなるように設計」された非条約型一等巡洋艦。

というのも利根型に求められたのは、「欧州までの輸送船団護衛艦隊旗艦」としての役割であり、単艦での直接戦闘力より艦隊旗艦として「より遠くまで見通せる目と艦隊を動かす大きな頭脳」を優先とされていた。




5,500t級軽巡洋艦

条約型軽巡洋艦の第一陣。1920年代~30年代前半を中心に合計16隻が建造された。ただし、基準排水量で5,500tが最初の天龍型のスペック(実質的に史実の川内型)で、シリーズの最終である川内型は基準で6,600tであり、阿賀野型に近い。


阿賀野型軽巡洋艦(8隻)

史実と大きく内容が異なるのが、この阿賀野型で基準排水量8,800t、主砲は三年式15.5サンチ60口径長三連装砲塔×3基9門というものであった。

条約が無効化された後に建造された軽巡洋艦(二等巡洋艦)である。


大淀型航空巡洋艦(4隻)

41年時点で就役したばかりの二等巡洋艦で、コンセプトは利根型と同じく護衛艦隊旗艦である。




***




日本皇国の駆逐艦事情(~1941年)


基本的に従来通り”水雷戦隊”を形成する「艦隊駆逐艦」


強力な空軍力を持つドイツに対抗するために急速に整備されつつある「防空駆逐艦(秋月型など)」


同じく急速に整備されつつある潜水艦による通商破壊作戦に対抗するための戦時量産型の「護衛駆逐艦(松型など)」


の三つに大きく分けられる。

艦隊駆逐艦は41年でも多種類現役で存在するが、秋月型は最初の秋月からボリューム的には改秋月型と同じく基準排水量で3,000tオーバー(ただし、対空兵装はオリジナルより強化されているが、反面、雷装はなくなっている)であり、松型は内容的には橘型駆逐艦準拠になっている……が、実は欧州までの航続距離を考え排水量は基準で1,500t超級、機関出力が上昇したお陰で最高速は30ノットオーバーと一回り以上大きく、また強化されている。また、ソナーに電探、「多連装旋回式前方爆雷投射器」を初期モデルから標準搭載しているのが秋月型と松型の共通項だ。

計画では秋月とその派生型は16隻、松型は60隻が建造予定となっている。















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