第4話 日清、日露
俺こと前世記憶持ちの転生者として知りうる歴史において、第二次世界大戦(日中戦争も便宜上、ここに含める)を戦う前に、最低でも三つの大きな戦争を経験している。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦(+シベリア出兵)だ。
実は、下総兵四郎として生まれたこの世界の日本、日本皇国も大筋においてこの三つの戦争を経験しているのだ。
だが、その内容は前世と比べて大きく異なる、いやむしろ全くの別物と言っていいかもしれない。
前世での日清戦争の意義やら定義やらは「李氏朝鮮の地位確認と朝鮮半島の権益を巡って日本と清が戦った戦争」だ。
だが、今生での日清戦争は全く意味が違う。
まず勃発した時代が違う。
この世界における日清戦争の開戦日は”1870年7月4日”、つまり前世より四半世紀近く
そして開戦理由も朝鮮は全く関わっていない。
そう、この世界における日清戦争は、「英仏による清国弱体化政策の一環」として行われたのだ。
つまりアロー戦争の結果(北京条約)でも不十分と英仏は考えたが、かと言って清国にこれ以上の戦費はかけたくないという本音もあった。
そこで追加ダメージ担当として白羽の矢が立ったのが、日本皇国というわけだ。
ある意味、はた迷惑な話ではあるが欧米列強との政治力学から考えても当時の日本に断るという選択肢はなく、英仏の「無論、
良くも悪くも、この時代の日本皇国は鎖国しなかったせいである程度は国際情勢を読めていて、また大日本帝国ほどの財政逼迫がないとはいえ、英仏などの列強に比べれば、まだまだ「実力不足の田舎国家」という立ち位置だった。
実際、開戦に至るお膳立て、国際法や戦時法に関するあれこれは英仏が整えてくれた。
戦争自体は翌1871年11月11日には終戦し、
英国に南下を警戒されていたロシアと、度重なる高圧的な外交姿勢を崩そうとしないために日本から不信感を抱かれていたアメリカ(また、アメリカ自身も1860~1865年に勃発した南北戦争の余波で外交リソースが無かった)は、この戦争に上手く関与することができなかった。
またこのような政治状況であれば三国干渉など発生する筈もなく、戦時賠償として賠償金以外にも台湾島、
そして、この遼東半島が自国領になったことこそが、次の”日露戦争”の原因となったのだ。
***
日露戦争の直接的な原因は何かと言われれば、言うまでもなく帝政ロシアの長年の悲願である南下、太平洋側での不凍港の確保である。
そこで前々から目を付けていたのが、朝鮮半島であった。
ロシア人にとり、半島というのは狩りの獲物にでも見えるのか、”日英同盟締結半世紀記念式典”の最中にその凶報はもたらされた。
ロシア軍が、遼東半島に越境浸透してきたというのだ。
前世と違い、貿易が盛んで日清戦争で手に入れた新領土(特に台湾島)の黒字化に勤しんでいた日本皇国は、満洲などに手出しはしてなかった。
というより、そんな政治的余力はなかった。
また、1897年に誕生した新国家”大韓帝国”にも大きな興味を示してはいなかった。(当時の文献を読んでみると、むしろ朝鮮半島は半植民地化していた清国とセットで欧米列強の管轄だと思っていたフシがある)
当時の日本皇国の関心の方向は、新領土に英仏と彼らが持つアジアの植民地や経済圏に向いていたのだ。
そのような情勢をロシアは正確に見抜いていたし、「例え朝鮮半島を征服しても、日本は苦言を呈するだけで武力を用いろうとしない」と判断していた。その判断は正しい(例えば、この世界では”日朝修好条規”などの朝鮮勢力との条約は一切締結されていない)のだが、だからこそ”この国境侵犯”は不自然な点が多い。
1941年の今でも、そうであるが故に「これがロシアの南下や不凍港獲得を嫌う英国の謀略だったのでは?」という説がまことしやかにささやかれている。
真偽はどうあれ、国境侵犯をされた以上、日本皇国は相応の対処をせざる得なくなり、ロシアに対して「宣戦布告無き奇襲による侵犯は卑怯千万なり」という檄文を送り付けると同時に、「遼東半島の安全を確保するため」という名目で本格的な派兵を決定する。
また、ロシアの方はロシアの方で、「ロシア軍が越境した」ということ自体が日本皇国の虚言で、遼東半島に本格的な派兵をするための口実だと考えられた。
勿論、そう思い込むだけの根拠はあった。
まず、地図で遼東半島の位置を確認してほしいのだが、まさに朝鮮半島付け根の西側に突き出ており、ここに大軍が進駐されるとロシア軍が朝鮮半島に侵出した場合、喉に刺さった棘どころか「日本人に喉元にナイフを突きつけられた」状態になりかねない。
要するに朝鮮半島侵攻軍とロシア本国軍を容易く分断できる場所に遼東半島はあるのだ。
また、どこの誰が吹き込んだのか知らないが……
(まあ、十中八九イギリスだろうけど)
日本皇国が朝鮮半島と中国北東部の満州一帯に領土的野心があると、日清戦争直後からロシアでは囁かれていた。
こんな情勢の中で、日本が「ロシア軍の越境」を口実に遼東半島の軍備を増強するとなれば、ロシアとしては状況証拠としては十分だ。
「ロシア軍が何の事前通達もなく遼東半島へ越境侵犯」した真偽はともかく、後顧の憂いを断つべくロシアが遼東半島攻略にかかるのは当然の成り行きだった。
こうして始まった日露戦争であったが、日本皇国から言えば日本海海戦の華々しい勝利があっても「遼東半島の防衛」に終始していた。
攻め込んできたロシア軍を苦労しながら国境の向こう側に押し戻し、あとは国境線に有刺鉄線の鉄条網を敷き地雷を敷設し、”Magazine Lee-Enfield小銃(梨園式小銃)”や”マドセン軽機関銃(303ブリティッシュ弾仕様)”を抱えた歩兵を塹壕にもぐりこませ、”ヴィッカース重機関銃(毘式重機関銃)”を据え付けた機関銃陣地で火線網を形成、その後ろには野砲や重砲を据え付けた。
戦車や航空機、毒ガスが無いだけで、どことなく
結局、陸上での戦いは素直と評して良い火力の応酬に終始し、あとは持久戦や耐久戦の様相を呈した。
だが、帝政ロシアからみると全く別の戦場があった。
戦争中盤にバルチック艦隊が皇国海軍に敗退し、遼東半島付け根に日本人が防衛線の構築したころを見計らって、朝鮮半島へ一気に主戦力を南下させたのだ。
ロシアの判断はこうだ。
「防衛線構築に成功し、制海権を手に入れた日本は遼東半島に引きこもるはずだ。後は防衛線の付け根に終戦まで圧力を加え続ければよい」
この目論見は成功し、事実として戦争はそのように推移した。
そして、戦争は意外な結末を迎えた。
南下したロシア軍に対し、英国の呼び掛けて英仏米が連名で進軍停止を要請したのだ。
流石にロシアも日本以外に三国、それも列強三国と日本と戦いながら事構えるのは遠慮したいところであり、不健康な精神でのダラダラとした交渉の末、北緯38度線付近での停止に合意したのだった。
実はこの世界でいう《b》”三国干渉”《/b》とは、この事例を指す場合が一般的だ。
つまり、ロシアは本来の目的である「太平洋側での不凍港の確保」を、朝鮮半島の北半分とはいえ達成したのだ。
ここで日露も停戦合意に至り、日露戦争は終戦を迎えた。
1905年9月5日、アメリカで調印されたポーツマス条約により、公式に終戦となる。
日本側は戦時賠償として、樺太全域とその周辺島々の日本皇国への領土割譲を受けた。
対してロシアは朝鮮半島北緯38度以北を、将来的に独立国とすることを条件(ただし、時期の記載はない)に帝政ロシア保護領として併合する事に成功した。
また、日露共に賠償金請求権を放棄する事に合意する。
一部の強硬派は戦時賠償を取れないことを不満に思い、継戦を声高に主張したが、明治政府は「英国からの借金額」を提示することによりこれを黙らせた。
先に毘式重機関銃や梨園式小銃、地雷の記述はしたが、当時の最先端ハイテク兵器だったこれらの装備は、「すべて英国からの輸入」で賄われていた。
そしてこれは譲渡でもなく、レンドリースでもなく、「分割払いの
いくら当時の日本皇国が、俺の知る歴史にあった大日本帝国より裕福であったとはいえ、これは決して無視してよい金額ではなかった。
なおのこと戦時賠償は請求すべしと主張する者もいたが、
「英国はこれ以上の戦禍の拡大は望んでおらず、停戦合意を受けないのであればこれ以上の戦費貸し付けを受けるのは難しい」
と政府は返答した。
とどのつまり、日英ともこれ以上の戦争の拡大は回避したいというのが本音であり、
「国民の皆さんに勘違いしてもらってはこまるのは、今回の戦争はあくまで”停戦”であり、明確な勝敗がついたというわけではないのだ。また、これ以上の戦争の継続はいたずらに国家経済を疲弊させるだけでだれの利益にもならず、どうしてもというのなら英国を筆頭に友好国・非友好国を問わず関係は悪化し貿易に悪影響が出て、さらなる増税に踏み切らなければならなくなる」
という趣旨の声明を出し、政府は国民世論に訴えた。
これが功を奏し、「今の条件で停戦やむなし。下手に欲をかけば余計に損をする」という空気が醸成され、無事に停戦合意に至ったのだった。
さて、ここで一つ留意すべきことがある。
この日露戦争の終結を契機に、日本皇国民の間に「戦争は基本的に不採算事業」という認識が生まれたことであろう。
「戦争は儲けが出ることが少なく、得より損の方が大きくなりやすい」という価値観が薄くだが広がったことが、この先の歴史に大きく影響を及ぼすことになってゆくのだから。
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