第3話 日英同盟、その始まり(7/23、蛇足追加版)






 ”なぜ、1941年の中東に日本皇国・・軍がいるのか?

 大日本帝国ではなく、日本皇国軍だ。


 この答えを導き出すには、少々歴史を紐解かなければならない。

 どこまで遡るか大いに悩むところだが、最低でも”織田幕府時代(尾張・江戸時代)”の後半、江戸湾周辺を”東京”とし遷都した17世紀程度からはかいつまんで話すべきだろう。

 おさらいになるが、

 

 ・この世界で日本は「鎖国していない」

 ・この世界の日本は「キリスト教を禁教としていない」

 

 他にも特色をあげると、

 

 ・織田家は代々「新しい物好き」

 ・織田家は代々「西洋かぶれ」の傾向がある


 しかし、他にも特筆すべき所がある。それは

 

 ・信長が尾張に幕府を開闢した時より、政教分離の原則・・・・・・・が確立されており、それを徹底させている

 

 事だ。

 これは、信長が本願寺勢力(一向一揆など)に苦労させられたとか、自ら領地を持ち税を集め武装した……戦国大名化した宗教団体を敵視していた(例えば、比叡山焼き討ちは比叡山が信長と敵対していた大名と協力関係にあった)ことが原因とされている。

 そして、”政教分離を法度筆頭に明文化”した上で、カトリック/プロテスタント/イングランド国教会の活動を国内で認めた。


 どうやらこの根深い対立構造を持つキリスト教さん勢力を入れることにより、キリスト教の中で”三竦み”を成立させ、また新勢力として戦国時代が終わっても巨大勢力であった仏教徒と拮抗させようとした意図が伺える。

 興味深いのは、


 ・神道は「朝廷と一体」とされ、特別枠扱いとされた(特権階級という訳ではない)

 

 このような状況から考えると、織田幕府にとり宗教は信心とかではなく、どこまでも政治的対象として認識していたっぽい。

 さて、話を幕府後期に戻すと、特に力を入れたのは外交と貿易、そして内政の近代化だったようだ。

 

 外交に関しての特色は、17世紀まではある程度の公平性を有していたが、三十年戦争が終結し、ヴェストファーレン条約締結後からはやや英国国教会を含むプロテスタント系国家に比重を置くようになっていった。

 

 そして、明確な転機は名誉革命や清教徒革命を経て、英国で議会政治が軌道に乗り始めた頃……つまり遷都を終えた18世紀に入ると、織田幕府は内密に「英仏とそれ以外の貿易相手国」という政治区分を採用するようになっていた。

 特に幕府、とりわけ織田家が政治的に強い興味を示したのが、「立憲君主・政府・議会」という近代的な統治システムだ。

 

 20世紀に入ってから開示した資料によれば、18世紀初頭には織田家は「幕府制度は統治機構として老朽化しつつある」と考えていたようで、信長以来の夢である”巨大国際貿易港を備えた首都”の確立し、それを運営し反映するには、”日の沈まぬ近代帝国・・・・”の運営ノウハウが必要だと考えたのだ。

 

 18世紀はまさに欧州にとり激動の時代だったが、英国も完璧などではなく「アメリカ合衆国の独立を許す(植民地経営・管理の失敗)」や国王がギロチンの露と消えた「フランス革命」など多くの成功と失敗、鋼材の事例を貿易情報の中から読み取り、つぶさに検証していった。

 そして、急速な社会変革は多くの流血を呼ぶということ、また国内の混乱は他国に干渉される隙を与えるということを結論付けた。

 そこで18世紀末期の幕府は、半世紀後を目途に自国を下記のような統治機構を持つ近代国家へ再編する計画を立案する。

 すなわち、

 

 ・帝を法に定義される”立憲君主(天皇)”として擁立し、国家の象徴的存在とする(権威と権力の分離)

 

 ・選挙制度の導入とそれに選出された議員による”議会”による国家指針の決定

 

 ・議会により決定した指針をもとに、実際の国家運営は幕府ではなく議員により編成される”政府”により行う

 

 他にも、政党に対する定義や官僚機構の近代化(各省庁の確立と機能・権限の分与)、法と裁判制度の整備などがあるが、大雑把に言って上の三カ条を原理原則とされたのだ。

 

 半世紀以上に渡る啓蒙活動や根回し、下準備の甲斐あって西暦1851年4月1日に”大政奉還”がなされ、同時に

 

 ”日本皇国・・・・

 

 の樹立となったのだ。

 同年5月3日に全ての法の規範となる”日本皇国憲法”が発布された。

 また、慶事という理由により新年号”明治”が制定された。

 加えて、今上天皇が「旧時代の象徴である自分は退位し、我が子の即位によって新たな時代が到来した象徴としたい」と願ったことにより、1853年1月1日に生まれたばかりの御子が”明治天皇”として即位した。

 

 

***




 さて、1853年(明治3年)にはもう一つ大きなイベントがあった。

 かねてからイギリスより要請のあった”日英同盟”の締結だった。

 

(俺の知る歴史だと、日英同盟は「英国の対ロシア政策の一環」、ロシアの南下と不凍港の獲得を阻害するための方策だったが……)


 だが、当然のようにこの世界では前提も事情も異なる。

 この時代、英国が欲していたのは激化する外国人排斥運動などで勃発が確実視されていた清国との二度目の大規模軍事衝突、それに備えた友好国、あるいは後方支援拠点だった。

 つまり、1856年より始まる”アロー戦争(第二次アヘン戦争)”対策だった。

 

 この時の同盟条約の内容は、「相手国が二つ以上の国家に宣戦布告された場合、中立以上の義務は負わない(=敵側に立って参戦しない)」という片務的で、後の条約改定内容から考えれば、極めて温厚な内容だった。

 

 実際、この同盟はうまく機能し、アロー戦争中、日本皇国は極東英軍の安全な後方補給基地、あるいは保養地として「英国の予想以上の成果」を出した。

 

 さて、1853年のもう一つの大きなイベントとして忘れてならないのは”ペリー来航”であろう。

 だが、これは当然のように俺の知ってる歴史とは全く異なる様相を呈した。

 何せこの時期、日本おあちこちの軍港には、”ユニオンジャックを掲げた最新鋭の軍用蒸気船”が停泊していたのだ。

 それどころか、生まれたばかりの日本海軍にも少し型遅れの軍用蒸気船が練習艦(技術習得船)が、英国より「友好と親善の証」として譲渡され、日章旗を掲げていたのだ。

 

 これでは、「砲艦外交による恫喝で、捕鯨基地を手に入れる」事を目的としたペリーが手を出せる筈もなかった。

 

 また、唐突に「」に対し、日本皇国政府は、控えめに言ってもひどく警戒していた。

 

 まあ、これは英国人の特使が茶飲み話に紛れ込ませた数々の毒、「アメリカ人という野蛮な国民が、原住民に行った数々の卑怯卑劣な蛮行()」や「当時はインディアン(=インド人)と呼ばれていたネイティブアメリカンが、人種的には日本人と同じ黄色人種である」ことを吹聴したことも大きく影響していたことも違いない。

 

 

 

 こうしてペリーは「日本と英国が同盟を締結した(ただし、詳細な内容は隠蔽された)」という驚愕の情報を手土産に事実上、門前払いされたのだった。

 そしてこの歴史では翌年どころか、彼は二度と来日する事はなかった。

 


















 あっ、ただこの歴史で面白いところを最後に。

 いや、今生の戦国時代、徳川家康の正妻ってお市の方なんだよなぁ……いや、信長さん、どんだけ家康欲しかったんだよ?

 浅井長政とかガン無視でまっしぐらじゃん。というか、やっぱり転生者だったのかねぇ?

 なんでもこの二人、死ぬまで仲睦まじかったとか。

 ちなみに家康、お市さん好きすぎて側室娶るのを嫌がり(娘三人はイチャイチャするいつまでも新婚気分が抜けない両親に呆れていたらしい)、自分が女の子しか産んでないことを気にしてたお市が心を鬼にして旦那のケツを引っ叩いて側室をとらせたなんてエピソードもある。

 ちなみに徳川家、尾張幕府の頃は名宰相的な立ち位置で、織田家が遷都を決めると江戸改め東京開闢立役者として現代風に言うと”新首都開発計画長官”みたいな地位に代々居て、織田家に忠義を果たしたらしい。

 

 豊臣家?

 初代は有能だったんだけど……織田家が残ったってことで、後は察してくれ。

 ついでに言えば、この世界線では家康とお市の子として生を受けた茶々姫だけど、秀吉の継室(正室が亡くなった後の後添い)になった。

 堂々と年の差30歳以上のカップル誕生である。”秀吉は○リコン説”、ここに爆誕。ちなみに結婚したのは茶々が数えで二桁になる前。

 そして、そうなると……家康は、秀吉の「年下の義父」になるという。なんだこの日本史?

 娘と秀吉の婚礼の話を聞いた時の家康の肖像画が残っている(お市が面白がって描かせたらしい。お市は随分前から知っていたらしい)が、まるでチベスナのような顔をしている。

 そして、老いて益々元気いっぱいな義兄が「ねぇ、今どんな気分? 娘が自分より年上の男に嫁ぐってどんな気分?」と煽り倒したらしい。

 やっぱ、信長って転生者だろ?

 

 まあ、明らかに無駄遣いな聚楽第(8年しか存在しなかった)とか、何かと面倒臭い朝鮮出兵とか歴史から消えたのは良かったのかもな。















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