第32話 百年待ちの占い師

 まぁ、ニケの事は置いといて、ここがエマの家か。


 遠くからでもかなりの豪邸だと思ったが、近くで見るとそれはもう立派だ。


 先端が矢じりのようになった鉄柵に囲まれ、敷地内には木々が茂り、家まで伸びる砂利道の中央には噴水まである。


 家は赤煉瓦作りで三つの黒い三角屋根があり、部屋の数も広さも相当な物に見える。


 家というより邸宅って感じだ。


「立派な家だにゃー」

「そうだな。ん? 門の前にあるあれは……本?」


 半円アーチ型の門の前には、一脚の記帳台が置かれている。

 台の中央には一冊の本とインク壺に付けられた羽ペン。

 本にはつらつらと人の名前が書かれている。


「ええと、これは?」

「これは予約待ちの名簿なんだよ。みんな、ママに占ってもらいたがってるの」

「予約待ち? ママ?」

「お、王様! 大変だにゃ!」


 わなわなと震えながら名簿を握りしめ、ニケが叫んだ。


「どうした?」

「こ、この名簿、百年後まで予約がいっぱいだにゃ!」

「ひゃ、百年!? いやちょっと待て、それってもう予約する意味がないんじゃ……」

「少し前まで普通に占って欲しいっていう人がいっぱい来たんだけど、いまは予約するのが最近の流行りだからって言って、みんな名前を書いたら帰っちゃうの」

「本末転倒すぎる……」


 ラーメン屋の行列に並んで、食べずに帰るようなもんだぞそれ。


「そんなに人気の占い師はそうそういないにゃ。エマちゃんのママって、もしかして……」

「わたしのママはねー」

「エマ」


 背後から声がしてすぐさま振り返る。


 閉ざされた門の向こう側に、妙齢の女性が立っていた。


 薄紫色のタイトなドレスに身を包み、頭の上には先端が折れた三角帽子。

 エマと同じ赤茶金の髪を一つに束ねて肩に垂らしている。


 優し気な藍色の瞳。右目の端には小さな泣き黒子。頬には星の痣がある。

 あとなぜか、一眼レフをもっている。


 いったいいつの間に現れたんだ。俺のセンサーがまったく反応しなかったぞ。


「わあママ! いつからそこにいたの?」

「うふふ、驚かせちゃってごめんなさいね。なんだかエマがとっても楽しそうにしているから、ママ、盗撮しにきちゃった」


 そういってエマの母親は、持っていた一眼レフを構え、銀色の鋭い爪に覆われた指でシャッターを切った。


「もー、恥ずかしいからやめて!」


 エマが怒るも、彼女の母親は口に手を当ててうふうふ微笑み返す。

 なんだろうこの人。掴みどころがないというかなんというか。


「あなたたちがエマを送ってくれたのね?」

「あ、はい」

「どうもありがとう。よろしければ、夕食をごちそうしたのだけれど、お時間はあるかしら?」

「あ、いや、そこまでは。なぁニケ? ……ニケ?」


 こういう時、いの一番に騒ぎ始めるはずのニケが大人しい。

 見ると彼女は、口をあんぐりと開いて固まっていた。


「く、く、クルーゼ様なのにゃあああああ!」

「ええ!?」

「あらあら、わたしのファンだったのかしら? それならもっとおめかししてくれば良かったわ」


 この人が、クルーゼ・ドロシア。

 クルーゼさんは、門を開いて俺たちを迎え入れてくれた。


「はわわわ、クルーゼ様が門を開けてくれたにゃあぁ」


「ふふ、可愛らしい猫ちゃんね。あなたのお名前は……」クルーゼさんの瞳に怪しげな光が灯る。「そう、ニーケルナというのね」


「名乗ってないのに、名前がわかるんですか?」

「クルーゼ様はすっごい魔女だからにゃ!」


 いや本当に申し訳ないけどお前に聞いてないよ。


「星が教えてくれるのです。人は皆、己の星を持っていますから」

「へぇ、じゃあ俺の名前もわかります?」  


 この人に教えてもらえば、自分の名前を思い出せるかもしれないしな。


「そんなの朝飯前だにゃ! クルーゼ様はすっごい魔女だからにゃ!」

「それはもうわかったって」

「どれどれ、貴女の名前は……――――っ!」


 あれ、いま一瞬、クルーゼさんが驚いたような気がしたけど、気のせいだろうか。


「ごめんなさい、わからないわ。貴女の星は、少し……いえ、とても特殊みたい」

「そうですか……」

「クルーゼ様でもわからないなんて、ニケはちょっと引くにゃ。王様はまだまだ名無しの王様なんだにゃ」

「おい」


 お前は俺の近衛魔術師だろうが。もっと敬え。


「ふふ、でも二人の星は相性バッチリよ。さ、この辺りは街灯がないから真っ暗になるわ。お話は家の中でしましょう」

「いいんですか? なんていうかその、お邪魔しちゃって」

「もちろん。エマを連れ帰ってきてくれたお礼に夕食をごちそうするわ。それに、」

「それに?」

「そっちの子は、わたしに用があるみたいだしね」


 クルーゼさんがくすりと微笑むと、ニケは目をぱちくりさせていた。

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