(18) 第一章 五、万全の環境(六)


 ――その夜、オレはここに居る経緯を、お義父様にも記憶の限り話した。

 本気で愛してくれているこの方に、応えていない自分が許せない。そう思ったからだ。話さなければ、オレの中で微妙に隔ててしまっているものを、どうにも出来ない。



「……こんな時にお前が嘘や作り話をする奴ではないのは分かっている……真実なのだな?」

 無言で頷き、お義父様の反応を待った。



「……古代には、今からは想像もつかない科学が多くあったというからな。そうか、宇宙を超えて、別の星から……。お前の経験した事はワシには理解が及ばんが、大変な事だったろう。ここに来て何年になる」

「リリアナに拾ってもらった時からですので、まだ一年と少しくらいです」



「なんと……。苦労したであろう。よく頑張っている。よく、耐えたな。ワシはお前の味方の一人だ。これからも必ずお前を守ってやるから、何でも遠慮せずに言うが良い」

「ありがとう……ございます。でも、気持ち悪くありませんか? 私の中身は成人した男なのですよ?」



「そんな事はどちらでもよい。お前はそんな大変な状況でありながら、挫けずに生きているではないか。人に優しく、思いやりと慈しみを持っている。正直者で人を裏切る事をしない。真面目で努力家。嫌な事に耐え抜く強い意志も持っておる。それがお前という人間だ。何をこれ以上気負う事があるか。そんな事など、お前の好きに振舞えば良いのだ」



「でも……結婚後……子を残す事を、まだ躊躇ためらっています」

「おお……そうか。すまん事をした。確かに子を残し家督を継いでいって欲しい。だが、お前が耐えられんような思いをしてまで、子を作ろうとせんで良い。無論、結婚もだ」

「でもそれじゃあ、家が残せないではないですか」



「どのみち、後継が見つからねばワシの代で終わらせようと思っておった。無理を言うなら、最初からリリアナに継がせる手もあったがな。こんな家ごときで、かわいい孫にも無理はさせたくない。あやつが継ぎたいと言えばそうしてやるが、あれは王の器だ。女王になるか、それ以外の何かになるかだろう。どちらにしても、お前は気にせんでも良い」



「……お義父様は、なぜそんなに、こんな私を受け入れてくださるのですか?」

「言ったであろう。一目惚れのようだと。お前という人間に、一目見て惚れたのだ。ワシが育てる事で何とかしてやれるのであれば。と思っただけだ」



「…………」

 オレは、こんな風にしてもらう事が、理解できない人間なのだ。



「よく分からない。という顔をしておるな。お前の家族はどうだったのだ。父母が居たであろう」

「私は……両親に嫌われておりました。毎日八つ当たりされて過ごしていたので。親の愛情というものが、よく分からないのです。」



「なんと不憫な……だから何をプレゼントしても、遠慮ばかりしておったのか。確かに、無償の愛を知らねば、プレゼントほど恐ろしい物も無いだろうな。悪い事をした。父を名乗っておきながら、お前の気持ちに気付いてやれず……すまなかった。許してくれ」



 なぜ、こんなに与えてくれようとするのだろう。寄り添ってくれようとするのだろう。だが、オレは今、喜んでいるらしい。悲しくもないのに、涙が……止まらないのだ。

「エラ。このままエラと呼んでよいか? 元の名が良いか?」



「エラとお呼びください。元の名は、今ここで捨てました。男であったという事も、あなたの言葉でどこか、吹っ切れたような気がします。縋りついてはいましたが……もはや、どうにもなりませんので。あなたのお陰で、心が軽くなりました。それでもまだ、家族というものへの恐ろしさは残っていますが……」



「良い。急にはどうにもならん事だ。辛かったろう。心はゆっくり動かさねば、壊れてしまうからな。ゆっくりで良いのだ」

「本当に……ありがとう、ございます」



「礼などいらんぞ。ワシがしてやりたいだけなのだ。エラよ。お前と言う人間が素晴らしいからこそ、ワシの心が動いたのだ。自信を持て。エラは、ワシの愛情を受け取っても良いのだ」

 いつもなら、こんな風にされると逆に不安でしかなかった。だが今は……気持ちが安らいでいる。



「少しだけ……抱きしめて頂いても良いでしょうか」

 シロエやリリアナに抱き締められる時も、どこかで線引きをしていた。でも、今はどんな気持ちになるのかを知りたくなった。

「もちろんだ」



 お義父とう様は膝を着き、その大きな体で包み込むように抱きしめてくれた。ぎゅっと力強く、でも苦しい程ではなく。

 ……嫌な気持ちは無い。遠慮も……無いようだ。どう受け止めたらよいのだろうかと、恐ろしくなる事もない。静かで、落ち着いた気持ちになるような、安心できるような。



(抱きしめ返すと、どんな気持ちなんだろう?)

 そっと、お義父様の背に手を回した。広くて大きな背中には届かないが、その両脇を。硬く鍛え上げられたその背は、抱き心地は良くはない。でも……。



「こんなに安心するのは、初めてです」

 そして、どこか気恥ずかしい。



「光栄なことだ」

 お義父様はずっと膝を着いた状態なのを思い出し、解いてもらおうと思った時だった。



 ――カクンと膝の力が抜けて、倒れ落ちそうになった。咄嗟にお義父様が、そのまま抱き支えてくれた。

「どうした? 大丈夫かエラ」



「ど、どうしたのでしょう。安心したと思ったら、体の力が抜けてしまいました……」

 自分でも、なぜ力が抜けたのか分からない。また動かなくなってしまうのだろうかと、恐怖心が膨れあがっていく。懸命に足に力を籠めようとするが、体は言う事を聞かない。



「落ち着け。きっと、張り詰めていたものが解けたのだろう。楽にしなさい」

 そう言うと、ひょいと抱き上げてくれた。

「お姫様だっこは初めてか? こんな事くらい、いくらでもしてやろうぞ」

「ちょっ……どちらに?」



「今日はもう休め。明日からも暫く休みにしよう。エラの心には、少しばかり休息が必要だ」

「で、でも、時間が足りません」



「勉強はどうとでもなる。だが、心は休ませるべき時に休ませねば、取り返しがつかなくなるのだ。まずは落ち着いて休みなさい。それに……よくよく考えてみれば、お前の年齢は誰にも分らんのだ。背も小さいしな。成年の儀は、一年先延ばしにしても構わんだろう」



「えっ? でも……」

「些末な事だから、何も気にしなくて良い」

「ですが、せっかくこれまで頑張ってきたのに……」



「うむ。だが、ワシにとって一番大切なのは、お前なのだ。エラ。これほど傷ついていたとは知らなかった。もっと、傷を癒してからで良いのだ。少しくらい親らしい事をさせてくれんか」

「……そんなにしてもらったら……」



「怖いか?」

「……はい。でもやっぱり……張り詰めていた緊張が、解けてしまったようです。同じペースで続けられる気が、もうしません」



「はっはっは。良い兆候ではないか。それで良いのだ。エラはもっと、ワシからもリリアナからも、シロエからも、愛されねばならん。沢山愛されねば、それが本物かどうか分からんものだからな」

「……不器用で、すみません」



「何を謝る。エラの苦しみに気付けなかったワシに、怒っても良いくらいだというのに……もうよい。あまり考え過ぎてくれるな。そうだ、眠るまで、ベッドで手を握っていてやろう」

「そんな。子供じゃないんですよ?」



「はっはっは。ワシからすれば、お前などまだほんの子供に等しい。ワシはもう二百年以上生きているのだ。お前はどうだ。元の人生を足しても二十かそこらだろう。黙って言う事を聞いておけ」

「こんな時に、そのような年齢の比較はずるいです」



「だが事実だ。こちらにだけ都合が良くても、お前のためになると信じてする事には目を瞑るのが、若輩の仕事だ」

 そう言って、お義父様はまた笑った。普段なら納得出来ないが、今はもう、委ねてしまえる心地よさというものが、あるのかもしれないと思っていた。自分は男だから、というプライドも、これまでのように顔を覗かせる事はないようだった。



 部屋に運ばれてベッドに寝かしつけられると、本当に手を握って離そうとしない。

「子守歌でも歌ってやろうか?」

 いたずらっぽい顔で、歌う気もないのに冗談を言っている。



「お義父様の低い声では、うなされそうですから結構です」

 こんな冗談を返しても、絶対に怒ったりしないという確信が、なぜかあった。



「なんとつれない娘だ。ワシは悲しんでもよいだろうか。だが手は離さんぞ?」

 優しい人なのは、よく知っている。オレが、受け止められなかっただけで。



「……眠るまでですよ? 気恥ずかしいので、一秒でも寝たら離してくださいね」

 たぶん、少し顔が赤くなっていると思う。こんな会話など、したことがなくて恥ずかしい。



「眠ったら分かるまい。気の済むまで離さずにいるから、安心して眠るといい」

「……おやすみなさいませ」

「ああ。ゆっくり休みなさい」



 そう言った後も、いくつか話しかけた。眠ってしまうのが少し名残惜しくて……そう、きっと側にいてほしいと思っていたのだろう。エラと、名を呼んでもらうだけでも嬉しかった。



 それでもいつの間にか、眠りに落ちていた。

 ――でも。手のぬくもりは、夢の中でもずっと続いていた。

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