(17) 第一章 五、万全の環境(五)


 教育は、朝食時から始まっていた。

先ず、シロエとは別の教育侍女が付いた。細身で、シロエより少し背が高い。



 フィナと名乗った教育メイドは凛とした佇まいで、編み込んだ黒髪と涼しげな青い瞳が印象的だ。切れ長の目をした美人で、微笑むととてもやさしい表情になる。そのギャップが、真っすぐの後れ毛と相まって魅力的だ。



 シロエと違うのは、完璧すぎるという点だろうか。微笑むタイミングも優しい口調も、完璧すぎるからこそ仕事なのだと感じてしまう。温かみが無いというわけではないのだが。そう思うと、シロエの自然な振舞いは誰にも真似出来ない事なのだろう。



 テーブルマナーに関しては、もう少し小さくして口に運ぶようにと、背が丸くなる事を早速指摘された。雰囲気から察するに、他にも色々あるのだろうが、朝食時の注意はその二点だけだった。



 食事後のひととき、アドレー公爵はリリアナとだけでなく、オレにも頻繁に話題を振ってくれた。同じ家族の一員として、自然と輪の中に溶け込ませてくれているのが嬉しかった。



 ひとつ大笑いされたのが、『ファミノーの街』と言った時だった。アドレー公爵の本名『ウィンドル・ファルミノ』の苗字が由来のため、本来は『ファルミノの街』が正しいようだ。それを子供の耳だと、発音の関係から正しく聞き取れずに、ファミノーと覚えてしまうらしい。



 落ち着き過ぎているオレの、子供らしい一面だったというオチだ。オレも、その子供扱いをされて笑われてしまった。なんとも幸せな日常が、ここにある。昔の家族では味わえなかったものが、遠い宇宙を隔てた先で……。オレを、家族と言ってくれる人達が居るなんて。



 だが、楽しかったのはそれまでで、午後からの教育プログラムは地獄の始まりを感じさせた。

 座学、振舞い、舞踏、武術。大きく分けるとこの四つになるプログラムは、どれもが二年で終われるような量ではないように思った。



 そのため講師陣も、笑顔だったのは最初だけで、徐々に余裕がなくなっていくのが分かった。そもそも、最初から全員が「時間に余裕は一切ありません」から始まったのだ。こちらも覚悟をしていたが、その上に、さらに覚悟を決め直した。



 座学は多岐にわたる。世界史、国史、貴族史。世界の地理、各国の気象から特産、政策、経済の移り変わり。貴族としての基盤となる経営学から、公爵家独自の運営の秘訣、人脈の作り方。軍略、諜報、指揮に至る軍人教育もある。



 そのどれも、情報量が多すぎて頭に入るのか不安になるレベルだ。しかも、情報として覚えるだけではなく、実践可能な段階までという。

 有事の事まで教わるという事は、そういう事態が起こる可能性があるという事だろう。今見えている部分は、切り取られ守られた、本当にごく一部だという事を改めて実感した。



 これだけならば、もしかすれば二年で足りるかもしれない。でも明日からは、これに振舞いや舞踏、武術が同時進行される。体力がまず持ちそうにない。座学が午前から昼食を挟んでお昼過ぎまで。その後すぐに姿勢作り、立ち振舞い、話し方。そして舞踏と続いて、夕方から武術となるらしい。武器術、近接術、馬上戦闘と弓術まである。



(ある意味、じいちゃんの武術修行より厳しいかもしれない)

 ――そう恐れていたが、武術系は半分お預けらしい。特に武器術をするには、この体ではまだ幼過ぎるという判断が降りたからだ。もう少し体が大きくなるまで、無手の近接術と、馬術だけになった。



 とはいえ、それでも一日で全ては出来ない。つまり、本当に時間が無い。朝から夜までみっちりで、本当に一分の無駄も許されないほどに、詰まりに詰まっている。ゆっくりお風呂に浸かるような時間も無い。



 申し訳なくも、オレの専属になったフィナに髪と体を洗われ、お湯に浸かったかと思えばいつの間にか寝間着を着せられている。この辺りにオレは寝落ちしているらしい。部屋に戻る途中の記憶も、無い事の方が多い。フィナはおそらく、オレを負ぶるなり抱えるなりをして、運んでくれているのだろう。



 ――毎朝目が覚めると、リリアナとシロエがオレを挟んで川の字で眠っている。三人用にセットされたリリアナのベッドには、少し前からこの三人で寝ているからだ。夜、疲れてすでに寝入っているオレを、二人はつついたり撫でたりしながら眠るのだそうだ。



 どうりで、三人の時間が足りないといった発言が無いわけだ。オレ自身は朝の支度の間くらいしか、二人と話さえ出来ていないのに。それというのも、すでに食事の時はマナーや姿勢、振舞いの教育時間となっているからだ。



(これが、あと二年近く続くのか……体が持つのか少し不安だ)

 だがそんな不安をよそに、三カ月もすると体はすっかり慣れてしまった。白煌硬金の棒を扱う練習も、少しは時間を持てるようになった。追われるような毎日には違いないが、充実していると感じている。

 そうして、一年が過ぎていった。




    **



 ――いつものように、午後からの座学を部屋で待っていると、講師ではなくお義父とう様が入ってきた。最初は照れ臭かったこの呼び方も、関係がゆっくりと築かれていく中で、もはやこの呼び方以外にはありえなくなった。厳しくも優しい、大事なお義父とう様だと心から思っている。



「今日は、ワシが歴史を教えようと思ってな。エラが優秀だと聞いて、特別授業だ」

 いたずらっぽくニカッっと笑うと、ウィンクをする。そういういつもの仕草を、好きだと思えるくらいには好意も持っている。オレが男であろうと何であろうと、人として好きになっていた。



「何の授業をしてくださるんですか? お義父様自らとなると、兵法でしょうか」

 令嬢らしい佇まいに、言葉遣い。一番苦労しているのはこれだったが、さすがに少しは身に付いてきた。公的な場では自分を『わたくし』と呼ぶのは、未だにまどろっこしいと感じるが。



「ハッハッハ。安直だぞエラ。それなら別に時間を取ってあるだろう」

「それもそうですね。いつものアラン先生がお休みで振り替え授業になったかと思いました」

「なるほど、でもハズレだ。今日はな、少し人払いをせねばならん大事な授業だ」



 そう言ってスッと右手を上げると、いつも側にいるフィナさえも部屋を出ていってしまった。

「今からこれを読んでもらう。黙読して、読み終わったら黙って顔を上げろ」

 手渡されたのは、教科書にしては薄く、そして頑丈な装丁の本だった。真っ黒な表紙に、複雑な金糸の刺繍で飾られている。



 ――『オロレア古代史』

 シンプルなタイトルだが、お義父様の雰囲気から、何やら不穏なものを感じる。一度お義父様をじっと見てから、頷いて本に目を移した。そしてゆっくりと開いて読み始めた。





『オロレアが現在の中世レベルの文明に落ちる前は、要塞級の軍事衛星を作成できるほどの科学力を持っていた。その科学力を世界で有していても、各国はお互いにけん制し合わなくてはならないような民族性のままだった。



 兵器は核だけではなく、それを優に超える威力の広範囲兵器や、それらを的確に敵地へ運ぶミサイル技術を発達させていた。また、太陽光を利用した光線兵器も多種多様で、軍事衛星を活用した広範囲殲滅兵器から対人用のライフルタイプまで、ありとあらゆる殺戮用の光線兵器が溢れていた。前線を押し上げるための兵士の代わりとなる自動型前線兵器も多数開発され、それらの研究は終わることが無かった。



 結局、戦争抑止のために守勢にまわった大国達は、滅亡を恐れない小国連合に攻勢に出られ、窮地に立たされる事となった。



 小国連合は、広範囲兵器といった大規模で最高度の技術を必要とする兵器こそ持たないものの、自動型前線兵器と人海戦術で、小規模兵器を多数用いた特攻戦を中心に仕掛けた。これによって、大国達の急所を突く事に成功し、このままいけば小国連合が大国を奪うのではとささやかれた。



 しかし、大国のひとつが独自に開発した近接戦闘兵器の「ドール」と「スパイダー」によって、前線を押し上げ続けていた小国連合の躍進を、瞬く間に蹂躙していった。小国連合の前線は一気に崩壊し、ほとんど全ての戦闘地域は殲滅される事となった。



 これを受けて、小国連合のほとんどは降伏、もしくは消滅した。降伏を認めなかった国は、大国達の広範囲兵器によって国ごと地図から消滅した。「一般人と兵士の区別のないほど混乱を極めた小国が、降伏を認めないという事は国民全員が兵士であるという認識のもとに排除する」という再三の警告に対して、一歩も引かなかった結果だった。



 これほど凄惨な戦争は、オロレアの歴史の中でも類を見ない。この結末を持って、戦争終結かと思われた矢先に、降伏を宣言した小国のうちのひとつが、微生物兵器をばら撒くという暴挙に出た。



 肉食の哺乳動物の捕食対象を、人間を優先とさせるウイルス。人間の脳を破壊し、無痛化かつ狂暴化させる細菌。この二つを世界中にばら撒き、その小国もその微生物兵器によって自滅した。



 ――その後の世界は、混乱を極めた。

 もとより、戦争のためにインフラ設備のほとんどが破壊された状況下では、医療施設がまともに機能できない状態だった。そこへのウイルス・細菌兵器は、まるでこれをこそ狙っていたかのような確実さで世界中に蔓延した。



 人が人ではなくなり、人が人を襲う。手当たりしだいに物を破壊する。細菌汚染された人間は、高度な武器の取り扱いこそ出来なくなったが、単純な銃器や刃物ならば武器と認識して用いる。痛覚を失っているため、即死させなければ動き続ける。これだけでも地獄絵図のようだった。



 さらには、人間が主食になった肉食の哺乳類たちが、森から街に雪崩れ込んだ。山から街に降りてきた。草原から人里へと縄張りを変えた。

 獣たちにエサにされ、ある日には隣人が狂暴化して襲ってくる。



 沈静化は不可能だと判断した大国達の首脳部は、ついに宇宙へと逃げる決断をした。人口が激減したとはいえ、全国民を乗せるだけの宇宙船はない。まだ汚染されておらず、そして現時点で宇宙船の近くに居る人々、そしてなるべく有能な人材から、限りある船に乗せてオロレアを捨てた。



 地上を焼き尽くす広範囲兵器を作動させる事だけは、せずに去った。焼き払えば、収まった頃に帰還してやり直す事も出来る。しかし、未だ汚染を免れ、戦い続けている人々がそこにいるのに、その決断はどうしても出来なかった。


 地上の人々へのお詫びのつもりではないが、逃げた人々もまた、新しい星を探すという途方もない旅に出る事で、贖罪としたかったのかもしれない。




 地上に残された人々は、もはや徐々に滅亡するのだろうと思われた。諦める人も多かった。



 しかし、残された資材、兵器を持って逃亡戦を繰り返し、生き延びた人々も居た。町に居ては隣人が汚染されて襲ってくるため、町から離れていった。飲み水を確保するため、川から離れないようにした。町ではインフラが破壊されて、水も使えなかったからだ。



 川では、まがりなりにも傷を洗う事も出来るし、最低限の清潔を保てるようになった事が幸いした。細菌に汚染される人が、川沿いに逃げた人々からは出なくなった。そこで、清潔にすることが予防に繋がる事を確信し、活力が生まれるようになった。



 獣たちは、主食が人間になったために向こうから来てくれる。数を処理できるうちは、食料が向こうからやってくるようなものだった。その時は、まだ獣よりも人の数の方が多かったからだ。







 やがて、銃器の弾が尽きる頃には、ちょっとした城壁を持つ町の形にはなっていた。獣の脅威度が下がり、細菌兵器による汚染の心配も、とりあえずはなくなった。それでも、高度な文明の中で暮らしていた人々には、避難生活のような生活水準では、他の病に倒れる者が増えていった。問題はまさしく、山積みのままだった。



 結局のところは、それでもそこが人々の拠点となり、国とするしかなかった。民主政治では方向性の定まらない事が多すぎて、王政となった。「王政にして国王を選挙する」という決定だけが、オロレアの民の、最後の民主的決定だった。




 このような小国が点在する形となり、近くにあった小国同士が合併したり、小競り合いを起こしたりを繰り返しながら、数千年が過ぎる事となった。



 文明を再び復活させるには、専門家が死に過ぎた。残った施設も、使い物にならない状態だった。何より、再興させるだけの人員を裂くことが出来なかった。獣への対処、農業、生き繋ぐための生活を、なんとかするだけで手一杯だった。食料生産でさえ、最大効率を裏返せば、専門家無しに誰も同じ事が出来ないという事だからだ。



 再興を阻害する最たるものは、細菌兵器による汚染だ。潜伏期間と初期症状のうちは、正しく処置をすればまだ正常に治療可能だった。しかし、末期症状が出た時にはもう手遅れで、狂暴化するために殺さなくてはならない。例外はなかった。



 獣も繁殖力が増えたのか、それとも人間の生活圏が極端に減ったためか、異常なほど増えていった。城壁を、訓練された兵士団無しで出る事は死を意味していた。間が悪く、兵士団が全滅する事もあった。弾薬を新調できない状況で、刃物や鈍器だけで対処するには限度があった。



 それでも、中世レベルの文明にまでたどり着けた事は、奇跡と言えた。豊かになった。いつしか、それが人類の全てであると皆が思うほどに、時代が過ぎていた。





 これが、オロレアの歴史である。


 本当の歴史を知るのは国王などごく一部だけで、過去には宇宙へ旅立てるほどの文明を有していた事など今や誰も知らない。



 これを新たに知る者は国王が選定する。これを議題にする場合は国王が場所を指定する。知る者同士であっても、指定以外で漏らせば死刑とする。聞いた者も同刑とする』






 ――淡々と記された航海日誌のような、古い歴史の一幕がそこにあった。

「……信じられない」



「おっと、口にするなよ? 見せる許可はあるが、他はその通りだ」

「……なぜ私に?」



「お前を後継者に決めたからだ。真の意味でアドレーの名を継ぐのだ。エラ」

「何も知らないような私に、なぜ……」



「お前のような者が好きだからだ。他の者は、どうしても欲が透けて見えるからな。うんざりしていたのだ。だがお前はどこか違う。しがらみはもちろんだが、公爵の権力を、むしろ邪魔だと思う方だろう?」

「……私の心をご存知でしたか。すみません」



「謝る必要は無い。逃げ道を奪ったワシの方こそ、謝らねばならん……申し訳ない事をした」

「ふふ。そんな事をなさらなくても、色々な覚悟はもう決めていました。選んでいただいて、ありがとうございます」



「お前はそういう娘だったな。今思えば、最初にお前に出会った時にはもう、後継にしたいと感じていた。他の誰にもそんな事を感じた事は無い。一目惚れのようなものだろう」

「最初から……ですか?」



「そうだ。そしてこの目に狂いはなかった。お前が現れなければ、いつかリリアナに継がせようとも考えていたがな」

「リリアナが継がなくて良かったのですか?」



「あれは器が少し違う。貴族ではなく、王の器だ。育つまでに時間を要するがな。とはいえ、他の王位継承者が居なくならねば、リリアナに王位は廻ってこんだろうが」

「それじゃあ、やっぱり……」



「変な所で遠慮をするな。それにな、平和というものは長くは続かん。続けば続くほど、どこかが根腐りもする。外敵も居なくなるわけでは無い。不穏な事を言うが、国とあれを守る剣が必要なのだ」

「……分かる気がします。そして、リリアナのために存在できるなら、なおさら頑張りたいです」



「そうか。ならば、よくしてやってくれ。だが、お前も無理をしてくれるなよ? お前は不遇に慣れ過ぎている。国の剣になるには良いが、愛情をかけた者が幸せになれんのは、辛いものがある」

「……ありがとうございます。心に留めます」



「ふむ……苦労をかけるが、必ずお前も幸せになってくれよ?」

「お義父様……はい!」

「そろそろ良い時間だな。今日はこれまでにしよう。明日からも頑張ってくれ」

 こくりと頷くと、お義父様はオレの頭を撫でて、部屋を出ていった。



「思惑を差し引いても、こんなに愛情をもらい続けるのは、初めてです……必ず、ご期待に応えてみせますね」

(不遇に慣れ過ぎている。か……よく見てくれている。本当に)



 思えば、オロレアに来てからの方が、人の愛情を受けるようになった。オレの落ち着き過ぎた態度を見ても、誰も忌避しない。それどころか、きちんと見て評価をしてくれる。人それぞれ思惑があるというのも、はっきりしていてオレには合っている。それさえあまり隠そうとせず、時期を見て正直に打ち明けてくれる。



 貴族社会では、それの読み合いや駆け引きが必要なのだろうが……ある意味分かりやすいようにも思う。皆の生き方が、はっきりしているからかもしれない。



 ――ここに転移させられてからの方が、オレは幸せを感じている。

「オロレアなら……ここの人達となら……」

 だが、それならオレは、オレの真実を伝えなくてはいけない。お義父様に、まだ伝えていない事がある。

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