(15) 第一章 五、万全の環境(三)


 ――一夜明けて、頭痛でオレは目が覚めた。

「いた……」

 頭を打ったのだろうか。それとも、またあの科学者がメッセージを脳に焼き付けたのだろうか。何となく、一日経ったような感覚はある。しかし、何も思い出せない。メッセージも思い浮かばない。以前と同じなら、冗長な文章が嫌でも浮かぶというのに。



(ゴーストの安定が、揺らいでいるのか?)

 定着するまで、最長で二年は掛かるだろうという、科学者の言葉がずっと頭から離れないでいる。もしかして、頭に衝撃を受けてしまったのだろうか。そのせいで昨日の記憶が曖昧なのか。思いつく限りの不安が駆け巡るが、思い出せないだけのもどかしさが苛立ちを募らせる。



「エラ様、入りますね」

 ノックの音とほとんど同時に、シロエが部屋に入ってきた。ここはいつもの自分の部屋だ。服も寝間着になっている。そういえば、三人で一緒に寝るようになっていたのに、オレはなぜここに居るのだろうか。

 曖昧な記憶が、本当に腹立たしい。まともな推測さえできないのだから。



「エラ様、起きてらしたのですね。大丈夫ですか? ご気分は悪くありませんか?」

(気分はこの星に来てから、二番目に最悪だ)

「お顔が優れませんね。胸やけがしたり、頭が痛かったりしますか?」



 起き掛けの胸やけに頭痛なんて、まるで二日酔いを心配しているみたいだ。オレは今、それどころではないというのに。

(いつも優しいシロエにまで、こんな嫌な気持ちで居るなんて……申し訳ないのに、どうしても苛立ってしまう)



「頭が、痛みます。私、昨日頭を打ちましたか?」

「ああ、やっぱり。エラ様は昨日、酔っぱらってしまったのです。公爵様がお酒を足してしまったみたいで……私の目が行き届かず、すみません」

 そう言って深々と頭を下げるシロエは、いつもと少し雰囲気が違う様な気がした。



「……他に何かあったんですか? そんなに深く頭を下げてくれなくても、シロエは悪くないでしょう」

「い、いえ。その……エラ様のご苦労を、私は全然理解していなかったのだと、反省したんです」



「一体何の事ですか? シロエはいつも、これ以上ないくらい優しくしてくれるじゃないですか。謝られたり反省してもらったり、そんな事しないでください」

(何かされたのか……? 記憶が無いと何も分からない)



「あ、と、とにかくお水をお持ちしました。あとこれ、薬湯です。二日酔いに効きますのでお飲みください」

「ほら、用意も完璧じゃないですか。ありがとうございます」



 そう言って、オレは苦そうな薬湯から口にした。案の定苦かったが、胃の辺りからスっとしたように思う。頭痛はまだ取れないが、半日はしょうがないだろう。

(それよりも、昨日何があったかを聞いておかなくては)



「シロエ、私は昨日の事を覚えていないんです。出来たら、食堂に入った辺りから……そうだ、あの国宝みたいなネックレス! あれを貰った辺りの事から教えてもらえませんか?」

 それじゃあと、シロエはイスに座って一部始終を話してくれた。最後は食事を半分ほど食べた所で、眠ってしまったのだという。



「……本当に私が?」

「ええ、まあ……酔っぱらっていましたし、しょうがない事かと……とは言ってもですね、エラ様が酔ったお陰でエラ様が人気者になったというだけですから、何も気にしなくていいと思いますよ。最後も、ただただ可愛らしかったという、それだけの事ですから」



 最終的に、公爵に気に入ってもらえたというなら、良かったのかもしれないが……。こちらが覚えていない事が不安だ。そんな甘えたような態度、オレには出来る気がしない。酔えば出来るのだろうか。かといって、また記憶が無いような事態になれば、結局もっとややこしい事になる。



(今後はお酒は飲まない方がいいな。そんなに弱いのか、それともまだ子供の体だからなのか、これは大人になるまで検証禁止だな)



「そんなに難しいお顔をなさらなくても、大丈夫ですよ。お体が心配ですので、これからは私がもっと見張っておきますので。それに公爵様も、飲ませた事はちゃんと反省してらしたので。勝手に飲ませたりはしないはずですよ」

「そういう事なら……あまり考え過ぎなくてもよさそうですね。ちょっと落ち着きました。ありがとうございます」



 後は、公爵にどんな顔をして会えばいいか、だ。オレは記憶を失うまで飲んだ事がないから、初体験なのだ。粗相をした相手に、記憶がないまま会うという経験は。

「……今日ってやっぱり、公爵様とお会いしますよね?」

「体調が良くないなら明日に延ばせますよ」

 そうなるか……。



「いえ、いいんです。こういうのは早い方が良いと思うので、予定通りにお願いします」

「……だ、そうですよ。ウィンお爺様」

(は?)



「……すまぬ。立ち聞きをしてしまった」

(何してるんですかこの人は……)

「昨日、飲ませた事を謝りたいそうです」

 シロエは少し怒っている……?



「そ、そうなんですか。でも、もうお気になさらないでください。あ、いえ、どうぞお入りください」

 公爵が、扉は開けているのに部屋には入って来ないので、招き入れた。



(変に気を遣われると、こちらも余計に気を遣う……シロエは気にしなさすぎな所もあるけど、空気読める人だからなぁ)

 などと考えていると、公爵が目の前で膝を着いた。



「エラ、昨日はすまぬことをした。ワシも少し、舞い上がっていたようだ。冷静に考えれば、このような子供に酒など飲ませるものではなかったというのに。許してくれ」

 こんなにしっかり謝られたら、本当に気を遣ってしまう。というか、こういう事をきちんと謝ってくれる人は、地球では周りに居なかったのだ。逆に対応に困ってしまう。



「あの。公爵様。私ごときにそんな風に……。いえ、謝ってくださって、ありがとうございます。私は怒ってなんていないですから。ただ、覚えていない事が不安だっただけなんです。頭をどうかお上げください」

 そう言うと、ようやくゆっくりと頭を上げてくれた。



「優しいのだな。ありがとう。しかし、その……エラよ。昨日は、覚えていないとはいえ、家族だから一緒に居たいと言ってくれたのだ。もし言い難くなければだが……公爵様、ではなく、父と呼んではくれまいか。お前は納得できぬかもしれんが、酔っていた事でお前の本心を見る事が出来たと思っている。ワシはその時の言葉に、早くも胸を打たれてしまったのだ。今すぐでなくても構わん。ワシを父と呼んでくれ」



 展開について行けずに、状況把握と言葉を選ぶ事をしているうちに、公爵の言葉はどんどん溢れていた。

「あ……の、えぇと…………」

(もう、分からん。読めん。オレの出会った事の無い人間ばかりで、頭が追い付かん!)



「わかりました。お義父とうさま

「おお……おお! 呼んでくれたか! 父と! ニュアンスは少し違う気もするが、父と呼んでくれるか!」

 目をキラキラとさせて喜んでくれて、とても感情豊かな人のようだ。オレなんかの、どこをそんなに気に入ってくれたのかは分からないが……オレも精一杯に、応えていこう。



 本来なら、お願いしても会えないような人ばかりなのに。今のオレは、本当に恵まれている。

 あの科学者の言った事は、嘘では無かった。最高のタイミングで、ここに――と。

 考えてみれば、状況に納得出来なかっただけで、彼は今の所ひとつも嘘をついていない。

(……精一杯、ここで生きさせてもらおうか)



「エラ様、ウィンお爺様は、まだ何か言いたいそうですよ?」

「え? あ……はい」

 しかし、やや難しい顔をしたまま何も喋らない。

「……お義父様?」



「おお! いやなに、もう一度呼んで欲しいと思ってしまってな。すまんすまん。実は昨日渡したかったプレゼントは、あれだけではないのだ。昨日は食事の後、エラは寝てしまったからな。今渡そうと思って持ってきたのだ。――持って参れ」

 はっ! という声と共に、お義父様の側近の騎士数人が、大きな箱をいくつも部屋に運び入れていく。



 ……まだ、運び入れていく。

(一体いくつあるんだ)

「これだけしか持って来れなくてな。足りない分は、この町で買い足そうと思う。欲しい物があれば何でも言うといい。遠慮するでないぞ?」



 この人に対して、遠慮という言葉はどこで使えばいいのだろうか。

(ゲシュタルト崩壊してしまった。もう意味がわからん)

「じゅ、十分です。お義父様。本当に」



「何だと? エラの年頃ならば、いくつあっても足りぬだろう。まあ良い、気に入らぬものはシロエに伝えてくれ。趣味も知っていきたいからな」

 分からない。基準が分からない。

「ふっふふふふ! エラ様の驚いたお顔が、可愛いが過ぎます! フフフフフ」

(これは普通に笑っているよな……)



「では、邪魔をしたな。朝食は摂れそうか? 少しは無理にでも食べておけよ? 辛ければ運ばせるから、それもシロエに伝えるといい」

 そう言ってお義父様達は部屋を出ていった。大きな男性が数人入ると、この広い部屋でも狭く感じるのだと知った。居なくなった事で、部屋の空気が吸いやすくなったような気さえする。



「すごく、おおらかな方なんですね。そして豪快です。これ……どうしましょう」

 山のように盛られたプレゼントは、部屋の半分を圧迫している。

「ほとんどは衣服ですよ。ドレスと靴、それから……宝石も少しありますね。趣味は良いお方ですから、きっとどれもお似合いになりますよ。全部着せ替えしたい所ですが、今日は自重いたします」



「ねぇシロエ、これほんとに、どうしたらいいの……」

 こんなに沢山、お礼の仕方も分からないし、本当に貰っても良いのかさえ分からない。

「どうって……そうですね、『全部ステキです。ありがとうございます!』とか、『あれだけは豪華過ぎて私には着こなせないかも……』とか、思った事をそのまま……いえ、相手を褒めて自分を落としてお返しする。という風に考えると分かり易いでしょうか」

(メモを取ってもいいだろうか)



「あ、でも実際に品物をお返しするのは失礼になるので、基本的に全部頂戴してくださいね。今後、どんな貴族に貰ってもです。基本的に『ご令嬢は貢がれる存在』ですので」

 理解できない。そんな風に貰うだけの世界があるのだろうか。



「固まってしまわれてますね……もちろん、相手の要求というか願望というか、エラ様とお近づきになりたいと思っての貢物ですので、あしらい方やお応えする際の事は、その時々にお教えいたしましょう。今回は我が子へのプレゼントなので、基本は何も気にせず貰っておくのが良いですね」

「……そうなんだ」



 オレは令嬢でも何でもなかったのに、いつの間にかこんなポジションに立っている。つい先日まで強さの事で苦しんでいたのに、立場が随分と変化して思考が追いつかない。

「エラ様? やっぱり、体調が優れませんか?」

 そうではない。そうではないが……そういう事にしよう。



「はい……今日はちょっと、横になっていたいです」

「それがいいかもしれませんね。頭痛もまだ残っているでしょうから、今日はゆっくりお休みください。後ほど食べやすいものをお持ちしますね」

 オレに布団をかぶせると、シロエは部屋を出て行った。



 ――それにしても、公爵が来てからの流れが、予想と違い過ぎてついて行けない。

 食事を兼ねた顔合わせの後、当日か今日あたりから貴族社会の勉強が始まって……という、もっと淡々としたものを想像していた。公爵も、どこの誰とも分からない小娘に構うことはないだろうと。ところがどうだ、猫可愛がりにも程がある。いや、形の上でそうしただけ……では、頭を下げようなどとは思わないか。



(あぁ、人物像も違い過ぎて、本当に分からなくなる)

 オレが地球で過ごしてきた中では、こんなに人の心に触れる事はなかったような……。そうだ、両親でさえオレを忌み嫌っていたというのに。オレの言動自体は特に変わっていないはずだ。

 違うと言うならこの容姿だが、そもそも性別が違うのだし比べようもないか。これが一番影響しているのかもしれない。自分で鏡を見ては、未だに驚くのだから。男性のみならず、女性からも好かれるのは良い事だと思う。ただ、度が過ぎるのは、この星の人の特性のようなものだろうか。



(はぁ。これ以上考えても分からないな。皆いい人で、オレはそれに応えたい。これに尽きる。という事でいいのかもしれないな。あまり良い人生ではなかったから、人を疑い過ぎていけない)

 などという、とりとめのない事を考えながら、ふかふかのベッドの上で頭痛に耐えていた。

 眠れない……そう思っていたのに、睡魔はいつの間にか枕元にいたようだった。

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