(14) 第一章 五、万全の環境(二)
――少女が手にしていたグラスは、空になっていた。
「……エラ様、飲み干さないでいいですと言ったのに、全部飲んじゃってますね」
「あ~……ブランデーを入れ過ぎたんじゃないの?」
シロエとリリアナの二人は、ふわふわと揺れている銀髪の少女を心配そうに横目に見つつ、こうなってしまった過程を思い返していた。
「数滴しか入れませんでしたよ? お嬢様、足しました?」
「しないわよそんな事」
疑いの眼差しを向けられたリリアナは、不満気に答えた。
「お酒、弱いのかもしれませんね」
シロエは困ったなぁという顔をして、別室に連れ出そうかと思案しているようだった。
「ワシが少し足しておいた。気がほぐれると思ってな」
「えっ? いつの間に?」
「ウィンお爺様……どのくらい入れたのです?」
リリアナとシロエは、公爵に非難の目を向けると同時に、いつ入れたのかが不思議だった。二人ともこれだけ近くに居て、グラスもシロエが用意して手渡したのだから、事前に入れる事など出来ないはずだった。
「なに、このスキットルからちょっとだ」
スキットルを持っていた印象が残っているのは、少女だけだった。そう言えば馬から降りる時に手にしていた。と、少女には珍しかったので記憶に残っていた。だが、リリアナとシロエは、公爵のそうした姿に見慣れていたせいで、持っている事を見落としていたのだ。
「お爺様、それ、特別強い火酒ですよね?」
「ただでさえブランデーを垂らしていたのに、それを混ぜてしまわれたのですか?」
「しかも、お爺様のちょっとって……一口分は入れたでしょう……」
二人は交互に、公爵を責めた。
「いや、せっかくの場だし、ただのジュースでは寂しかろうと思ったのだ……先に入れておるとは思わなんだ。すまん」
この二人に怒られては、さすがの公爵もたじろいでいる様子だった。
「もう……。エラ様、大丈夫ですか? 気持ち悪くありませんか?」
公爵から取り上げるように、シロエは少女を抱き寄せた。
「ふぁい。だぁいじょうぶ、えす」
「あぁもう、ろれつが……。少し眠そうですね。お部屋に行きましょうか」
「い~ぇ。はしめぇ、おやこ、なのえ。いっしょい~、いま、す」
シロエは、酔った人の言葉も聞き慣れてはいるが、子供の酔っ払いには敵わなかった。
「何と仰ったか、お嬢様分かりますか?」
「……親子、とは言ったわよね。たぶん。それくらいしか……」
少女は眠そうにしているので、半分は夢の中の言葉なのではと二人は思っていた。
「やはりお部屋に……」
シロエが言いかけたところで、公爵が「待て」と言った。
「エラは今、初めての親子だから、一緒に居たいと言ったのだ」
確信めいてそう告げる公爵に、二人は白い目でもって返事をした。
「な、なんだ。信じないのか。ならばもう一度聞いてみろ。ワシの膝の上が良いと言うはずだ」
「はぁ……エラ様、とりあえずこのお水をお飲みください。少しは落ち着くかもしれません」
渡されたグラスを両手で持ち、少女はごくごくと水を飲み干した。
「ぷあ……」
息をつくその姿は、十二歳よりもさらに幼く見えた。気を張り続けていた姿ではなく、今は酔っぱらった事で、本当の素の状態なのだろう。
その愛くるしい容姿と宝飾のきらめきが相まって、いつまでも見ていたいと、シロエは言葉を失い見惚れていた。それと同時に、自分が今までお世話をしていた少女は、本当に緊張を強いられる状況で生きていたのだと、さらに胸を打たれてしまった。
近頃はくだけて話してくれていると、そう思っていた。が、それも嘘ではないが心から安らいではいなかったのではと、悲痛な想いが込み上げてきた。本当はまだもう少し、幼かったのではないかと。
「うぅ……エラ様、あなたと言う人は……」
異星からゴーストを転移された。という話は、シロエは半信半疑のままだった。しかし、そうではなくても、この少女はずっと虐げられて生きてきた事は事実だった。
極度に衰弱もしていた。そんな少女が、どれほどの忍耐を強いられてきたのかは想像がつかなかった。想像さえ出来ずにいた自分が恨めしく、そして、少女への愛情が足りていなかったのではと、悔いた。
「私は……これからも、大切に大切にお仕えしますので……どうかもっと、心を許して甘えてください。私には、甘えていただく事でしか分からない、愚かな不肖者ですので……」
シロエは涙こそ
「しろえ、なかないえ……」
シロエの頭に、そっと小さな手が触れた。
彼女の頭を撫でる小さな白い手は、強くなりたいのだと木剣を欲しがっていた。マメが出来るからと、強めの口調で
「エラ様……」
公爵とリリアナは、ただならぬ雰囲気のシロエに声を掛けられずにいた。何が彼女を悔やませているのか、想像がつかなかった。献身的にお世話をする姿は、リリアナはもちろんよく知っているし、公爵もそのように聞いている。
幸いにも、まだほんの数分の出来事で、周囲は何も気づいていない。和気あいあいと食事を楽しみ、メイド達は飲み物や食事の給仕で目まぐるしく動いていた。十人ほどとはいえ、思いのほか食事のペースが速かった。彼らはかなり空腹だったのだろう。
ガラディオを含む警備の者は数名が気にしていたが、出る幕ではないと状況を見守っていた。
「……すみません。このような良き日の席で、取り乱しました」
苦しいのはエラ様なのに、自分が落ち込んでどうするのだ。と、気を取り直したのだった。
「ええと、そうでした。エラ様? この方のお膝が良いですか? それとも、私と一緒にお部屋で休憩なさいますか?」
公爵の戯言だと思いながらも、一応聞くだけは聞いておこうという気持ちでシロエは聞いた。
「おせきえ、いたぁきます。おなか……すきまぃた」
水を飲んだお陰か、ほんのり酔いが醒めたのだろう。まだ少し拙い口調だが、先程よりは聞き取れる言葉だった。
「おお……そうか、自分で食べるか。しかし遠慮はいらんぞ? お膝も悪くなかろう?」
取り上げられて悲しかったのか、公爵はもう一度、自分の膝に乗せたがった。その言動はすでに、親バカのようになっている。よほど愛くるしいと思ったのだろう。
しかし、少女は首を横に振り、シロエにも降ろして欲しそうにしていた。
「二人ともフラれちゃったわね。エラの方が大人みたいよ?」
なんとなく状況が掴めたリリアナは、気持ちを持ち直したシロエをフォローしようと、二人を茶化した。
「り……リリアナお嬢様は候補にもなってませんでしたけどね」
「何ですって? 二人は勝手にエラを取り合いしただけじゃないのよ。そんな二人よりも、エラは私の方が好きよね~?」
せっかくのフォローをしっぺ返しにされた仕返しに、リリアナはいつものように少女の取り合いに勤しんだ。シロエも気を持ち直して応戦している。
「おい……お前たちはいつもこんな事をしておるのか?」
『――そうですけど、何か?』
即答で二人からの攻撃を受けて、「エラの教育に悪いだろう?」という言葉を、公爵は飲み込んだ。もしも間を置かずに言っていたら、もっと酷い事を言われただろう。ゾっとしながら、我が娘となった少女をチラリと見遣った。こんな二人に挟まれて平気なのだろうかと。
だが心配をよそに、少女はそれには慣れた様子で食事を進めていた。視線に気づいたのか、公爵を見て「おいしいえすね」と笑顔を向けては、またお皿へと集中している。お酒のせいか不慣れなのか、ナイフとフォークに苦戦している様子が、公爵にはそれもまた、可愛らしく映っていた。
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