(6) 第一章 三、明日に繋がる糧(一)

三、明日あすに繋がる糧



 少しずつだが、一人で歩けるようになってきた。それを機に、看病してもらっていた部屋から別の部屋へと移る事になった。というのも、最初にいた部屋はお屋敷の部屋ではなく、離れた所にある小屋だったのだ。



 何か感染の疑いが少しでもあると、この離れで隔離することになっているようだった。そこまでするという事は、この世界には重い感染症があるという事だろう。今後、体調に異変があればすぐに伝えた方がいいだろう。



 今日はシロエが所用で居ないらしく、リリアナお嬢様自らが、移動の案内をしてくれるそうだ。


当たり前の事だが、その隣を歩くのは初めてだ。シロエとは、リハビリを手伝ってもらう時に室内を並んで歩いたのだが、今日は少し特別だ。リハビリではなく、普通に外を歩くのだから。



 部屋から出るのだからと、脱ぎ着のし易い普段のガウンではなく、七分袖の白いロングワンピースを着せてもらった。足元は、かかと紐のある白いミュールだ。少しヒールがあって歩きにくいが、この世界で服らしい服を着るのが初めてで楽しい。少女の姿に慣れてきたからか、服装ひとつでも気分が上がる。というのが良く分かるようになっていた。



 しかしそんな事など吹き飛ぶくらいに、離れの小屋を出てからびっくりする事ばかりだった。


 先ず、全く想像していなかったとはいえ、この小屋とお屋敷の距離がとてつもなく離れている事に驚かされた。王族が住まうお屋敷だからこれが常識なのかもしれないが、五十メートル以上はある。感染対策として厳重にしているのだろう、という事は後で思ったが、ただただ驚いた。



 お屋敷は、言わばちょっとしたお城のようだった。四隅には見張り塔もあるし、お屋敷を囲む庭はおそらく全方位に百メートル程の広さがある。何せ、看病を受けていた小屋の、さらに向こうにまで庭が続いていたのだから。その庭を囲うのは、へいと呼ぶには相当に高く作られた城壁だった。城壁の上には見張り兵も居た。その向こうはどうなっているのだろう。ファミノーの街並みを見るには、このお屋敷から出なくては見る事が出来ないようだ。



 そんなお屋敷で与えられた部屋は、三階にあった。扉からして重厚な雰囲気の部屋に入ると、それは予想以上に華やかで、そして広かった。中でも一番に目を引き付けたのは、入って左手に見えた天蓋のあるベッドだった。シンプルな装飾だが、銀糸で刺繍の施されたレースのカーテンは、『ここは高貴な乙女が眠る空間である』と、自ら主張しているかのようだ。



(ここでオレが眠るのか……?)

 右手の壁には、腰ほどの高さのいくつかの棚と化粧台、その横に姿見用の鏡が置かれている。 

 それらはどれも、基本的には自分で使うためのものではなく、侍女に身だしなみを整えてもらうためのものだそうだ。正面には大きな窓が二つ並んでいて、これらの調度品を光で彩るためのような、上品なレース編みのカーテンが掛けられていた。



(日光を遮るものは雨戸だけ……というよりは、他から覗かれるような高さの建物が無いのか)

「こ、ここに住むんですか?」 

 あまりの豪華さに、嬉しさよりも驚きと、恐縮する気持ちでいっぱいだった。それに、こんな少女趣味の部屋では落ち着かないような気がする。



「そうよ。エラも私のお付きになるんだから、お屋敷に住んでもらうのよ」

 恐らく、リリアナには質問の意図が伝わっていないのだ。

「……いえ、豪華過ぎ……ます。私には勿体ないので、もっと小さい部屋にしてください」

 天蓋付きベッドに、再び目が釘付けになったまま、呆然としながら伝えた。



「何言ってるのよ。あなたには貴族になってもらうんだから、こういう部屋じゃないとダメよ」

 リリアナは、「当然の事よね?」と言わんばかりの不思議そうな顔をして、首をかしげるようにしてオレの顔を除き込んだ。



「え。えぇ? 初耳ですよ? 貴族になるんですか? 私が?」

 何を言っているんだと問いたいのは、こちらの方だ。先日の話し合いの場では、そんなことは一言も言わなかった。それとも、シロエの胸で窒息しかけている時に言っていたのだろうか。



「そういえば言ってなかったけど、王族のお付きになるんだから、貴族じゃないとダメなのは当たり前でしょ? って、もしかして、チキュウじゃそういう常識は無かったのかしら……」

「そりゃあ、階級社会の国もありますけど、私の住んでいた国はそういうのは無いので……まったく分からない世界です」



 どうしても天蓋から目が離れないが、答えながらふと、リリアナを見上げた。見上げると、リリアナは少しいたずらっぽい笑顔を浮かべている。瞬間的に嫌な予感がして、背中がゾクリとした。先日の選択は早まったのではないだろうか。



「そっか……それじゃあエラは、後悔する時が来るかもしれないわね。でも、リスクをきちんと確認せずに引き受けたのは、エラだからね? お互いの常識に差があるというのは、私には予見できなかった事だから。契約の責任は即答したエラが持つのよ?」


 冗談なのか、本気なのか、どちらともつかない声のトーンでスラスラと話すリリアナは、何かを企んでいるように見えた。



「あっ。それとねエラ。貴族教育を受けてもらうわよ。とりあえずはセバスとシロエの二人に、教育係を任せてあるからね?」

 なぜかニコニコと楽しそうで、それが不安を一層掻き立てた。とはいえ、貴族教育というものには少し興味がある。おそらくは礼儀作法などを叩き込まれるのだろうが。



「少し興味はありますが……ちょっと不安です」

 どこか詐欺的な雰囲気を感じてならない。リリアナの笑顔が、今はどうにも不敵な笑みに見えてしまう。



「本当に不安そうな顔しないでよ……ネタバラシをすると、もともと庇護下に置こうとした時から、貴族の養子に入ってもらう必要はあったのよ? そのための貴族教育だけど、エラはきっと難しい顔をしつつも、一生懸命するのだろう姿を想像したら、ニヤニヤが止まらなくなっただけよ。そりゃあ確かに、部屋の内装は私の独断と趣味で、エラに似合う部屋にと思ってやり過ぎたと思ってるけど」



「なるほど……それで私の反応を見て、楽しそうにしていたんですね」

「フフ。あっけに取られて口が開いてたわよ。それでも可愛い顔をしているんだから、古代種の美形さは筋金入りというやつね」


 こちらの反応が全て楽しいらしく、開いていた口元を手で押さえた姿でさえ、何かツボに入ったのかクスクスと笑っている。



「あ。そうだ。今からとても重要な事を言うわ。絶対に守ってね?」

 リリアナは急に真顔になり、有無を言わせないという圧をかけてきた。

「な……何でしょう」



「これからは敬語みたいな話し方はしないで。一応、親戚くらいには近くなるんだから当然よね。それに……私、友達って居ないのよ。だから、友達として接しなさい。って、これは命令になるのかしら」


「さ、さぁ……どうなんでしょうね。言っている事はお願いっぽいですけど」

 と言うと、リリアナは「それよ!」と、嬉しそうに言った。






「それ! 『お願い』だわ。聞き入れてくれるわよね?」

 リリアナの無邪気な様子が、何だか可笑しくなってきて普通につっこんでしまった。

「圧が、命令ですけどね……」

 距離を詰めるのが上手なリリアナに、友達が居ないというのは不思議なものだが、王族には色々とあるのだろう。



「良いわね! つっこみを入れてくるのは友達っぽいわ。でも、ニュアンスがシロエみたいね。あの子みたいにならないでよ? 毒が強いんだから……」

 オレにはそこを笑えないので、苦笑いを浮かべた。シロエの事から話題を変えよう。



「それより、お嬢様と親戚になるというのは、どういう貴族に養子入りするんでしょう」

「ちょっと。『リリアナ』と呼び捨てにしてよ。次からはお嬢様も、様付けも無し。わかった? そして親戚というのは、私の母方のお爺様の家に入るからよ。どちらかと言うと、あなたが叔母になるのだから私が丁寧に話すべきかしら?」


 クスクスと、屈託なく笑っている。こうした階級ジョークにすぐ反応出来たわけではないが、リリアナの笑顔につられて、オレもフフッと笑っていた。



「ああ可笑しい。こんなに小さな叔母様が出来るなんて。大切に致しますわ、叔母様」

「お、叔母はやめてください。いや、やめて……。あの、女言葉を意識すると話しにくいです」

「ふ、ふふふふっ。変な話し方! でもそうね、貴族令嬢は友達にも敬語や丁寧語のままが多いから、話し方はお任せするわ。でも、友達として接するのだけは守ってね」



 楽しいのか可笑しいのか、リリアナは終始笑いをこらえながら話している。

 そんな姿を見ていると、こうして少しでもリリアナが楽しんでくれたなら、照れ臭くもあるが嬉しいものなのだな。と、しみじみと感じた。



「わ、わかりました。リリアナ」

「あら嬉しい! ちゃんとリリアナと呼んでくれたわね。階級社会に染まった人間には出来ないらしいのよ。本当に嬉しいわ」

「そういうものなんですね。逆に失敗しないように気をつけないと。とは思いますが」


「エラなら、そういう事もすぐに慣れるわよ」

 こんな感じで打ち解け話していると、所用を終えたシロエが扉をノックして入ってきた。



「お嬢様、国王様からお手紙が届きましたよ」

 シロエの持つ銀のトレイの上には、厳かな封蝋が施された手紙があった。

「やっと来たのね。あれから結構時間が掛かったわね。一体何をしていたのかは、想像がつくけど……」

「お読みしますか?」

「ええ、お願い」



 シロエは手紙を手に取り、トレイを脇に挟んだ。封蝋の印をリリアナに見せた後、封を解いて手紙を取り出した。

「では、お読みしますね……。


 ――私の愛しい愛しい、最愛の娘リリアナへ


 お前が城を出てから何年経っただろうか。毎日、お前の事を考えて過ごしている。


 これほど愛しいリリアナが側に居ないのは、私にとってはどれほどの事か分かるだろうか。


 いや、分からずとも良い。愛しいお前が無事で、そしてきっと立派にしている事が何よりなのだ。


 しかし、お前が『おとうたま!』と、私の後を付いて回っていた時の事を思い出しては、切なくなる気持ちは知っておいて欲しい。このくらいの女々しさは、私も王である前に父であるのだ。許してくれると信じている。


 最近は季節の変わり目だが――」




「――待って! シロエ待って。それ、どのくらい続くの?」

 問われてシロエは、数枚ある手紙をワサワサと広げながら数えた。

「……六枚ですね。ちなみにまだ、一枚目の半分も読んでいませんよ」



「パパは何してるの……ちょっと、サッと目を通して、返事の部分だけ聞かせて……」

 呆れたような、困ったような表情のリリアナは、自分で読むつもりは無いようだった。

「ええと……公爵様には話を通して、許可も頂いてくださったようです。それから、いつでもお嬢様の良いタイミングで王都に帰ってきなさい。と、書かれていますね」



「……お疲れ様シロエ。助かるわ」

 六枚とも読んだのはシロエなのに、要約を少し聞いただけのリリアナの方が疲れた顔をしていた。そのシロエは無表情だ。

(これは知っているぞ。いわゆる、お仕事モードというやつだ……)



「あの……国王様の手紙は、いつもそんな感じなんですか?」

 少し面白いので、常にこうなのかを知りたくなってしまった。それをシロエが答えてくれた。

「そうです。エラ様も、正式にお嬢様の側付きになったら読んでいただきますからね?」

 やぶ蛇だった。



「……はぁ。ともかく、話は通ったわね。エラ、あなたの成人を待って、一度王都に行くわよ。パパへの面通しと、お爺様の所にね」

 気を取り直したリリアナが、オレにとっては違和感のある言葉を口にした。

「私、成人……してますよ?」

 と言って、うっかり失念していた事を思い出した。今の自分は、未成年の少女なのだ。



 しかし、この西洋人ぽい顔立ちは、日本人のオレには何歳なのか分からなかった。未成年というのは分かるが、いくつくらいなのだろうか。そして、この国の成人は何歳からなのだろう。

「エラ、あなたは今、せいぜい十二歳くらいにしか見えないわ。本当の年齢は分からないけど、たぶん合っていると思う。ね、シロエ」

「そうですね。そのくらいだと思います」



 二人の意見が一致するなら、そのくらいなのだろう。オレは十四、五くらいだと思っていたから、やはり日本人より大人びて見えるのだ。

「かなり子どもだったんですね。私の国ならもう少し上に見えます。成人も二十歳なんですけど、ここではいくつから成人なんですか?」

 そう言うと、二人は顔を見合わせて驚いていた。



「二十歳って、遅すぎない? ここでは十四で成人の儀をするし、親の仕事を手伝っている子がほとんどよ? 男子はアカデミーに通ったりもするけど。女子は早ければ婚約者も居るのが普通……」

 そう言ったリリアナは、いきなり眉間に手を当てて唸った。

「うーん……大切な事を忘れていたわ。エラ、ごめんなさい」

 婚約者という言葉に、ものすごく悪い予感がした。



「ああ……エラ様、これはお覚悟をなさるしかありませんね。今から、身も心も全て『女』になってください」

「え……無理です」

 シロエがこちらから目を逸らして話すのは、初めてだった。が、シロエは悪ノリしているような気がする。



 ――いや、だがそれは本当に無理だ。外見はともかく、オレは男なのだから。

「ごめんねエラ。でも、考えてみたら、手紙を出したのはエラと話をする前だったの。ごめんなさい」

(謝られたとしても……受け入れられない)



「エラ様……」

「うそでしょう?」

 素に近い言葉遣いが出てしまったが、リリアナには何とか収拾してもらわないと困る。



「ごめんなさい。エラ、本当に……。パパとお爺様には、古代種の少女としか伝えていなくて。その、まさか中身はチキュウの男性だなんて、想像すら出来なかったし……私のお付きにするって伝えてあるけど、たぶん、パパはともかく、お爺様ってそういう気の回しが早いから、覚悟はした方がいいかも……」



 沈痛な面持ちで、リリアナは本気で謝っている。

 しかしそれこそが、オレにとってはどれほど重大な事であるかを物語っている。



「い……いやですよ。婚約者でしょ? 無理です、無理ですからね……」

 ふるふると大きく首を横に振って見せたが、シロエは事態の重さを感じたのか改めて目を逸らし、リリアナも目を閉じている。

 でもオレには、それは受け入れられる気がしない。



「……いざとなったら、逃げても良いですよね?」

 リリアナに恩は返したいが、それとこれは、天秤には乗せられない。

「……分からないわ。逃げる、という点だけで考えると、その容姿では苦労どころではない生活しか出来ないし……せっかく元気になってきたのに……それは嫌よ」



「リリアナの側付きになるという話でしたよね? 婚約者なんて、必要ないじゃないですか」


 いつの間にか語気は強くなり、肩で息をしていた。オレは、こんなに感情を表に出す人間だっただろうか。この世界に転移させられた事は、なんとなく受け入れても良いかと思えていた。が、こればかりは受け入れられない……だから、こんなになっているのだろうか。



「わ、分かったわ。だから落ち着いて。なんとか事情を説明して、お爺様にも納得してもらうから。お爺様は行動が早いから……もうすでに決まっているかもしれない。だけど、出来る限りの事はするから。落ち着いて、エラ」


 今は確かに取り乱している。感情が昂ってしまって、以前のようにコントロール出来ない。とはいえそれにしても、感情の起伏が激しすぎる。自分でもなぜ、こんなになってしまっているのかが分からない。



 何度か深呼吸し、どうにかして心を静めるように努めた。

 ……気持ちは落ち着いてきたが、急に頭に血が昇ったせいか、眩暈がしていた。

「すみません、取り乱して。感情の起伏が、上手くコントロールできないみたいで。こんな事は初めてです。あと、めまいが――」

 そう言いかけた所で、意識がブツンと途切れた。



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