6話 ミアの抜け殻

「ミア……ですって?」


 老婦人が不思議そうな顔を見せる。彼女は小さく首を振ると、穏やかな笑顔を浮かべた。


「私の名はエリノーラです。残念ながらあなたが探している人ではありません、若人よ」


「え? いや……でも……」


 勇者は戸惑った様子を見せた。目の前の女性は、確かにミアには似ていない。そもそも、年齢が全く異なる。ただ、この部屋からミアの気配を感じたのも事実なのだ。そうして戸惑う勇者を横目に、エリノーラはゆっくりとベッドへ視線を移す。


「おそらく、あなたが探しているのは彼女でしょう」


「え……?」


 勇者は驚きの声を上げた。ベッドの周囲にはカーテンが引かれており、外からは見えないようになっている。だが、少なくとも何者かがそこで寝ているのだけは間違いなかった。


「まさか……」


「……」


 勇者とマオは息を飲み込む。彼らは恐る恐る歩み寄り、そのカーテンを開いた。


「――ッ!?」


 勇者は言葉を失った。なぜなら、ベッドで眠る人物に見覚えがあったからだ。最高級の絹のパジャマを着た少女。赤いロングヘアーと白い肌のコントラストが美しい。それは間違いなく――


「ミア!!」


 マオが叫んだ。彼女はすぐにベッドサイドに駆け寄ると、寝ている少女の手を強く握る。


「おい! 起きてくれ、ミア! どうして眠ってんだよ!!」


「――」


「……」


「――」


 しかし、反応はなかった。マオは不安な面持ちで勇者を見上げる。


「どうしよう、勇者様……。ミアの手が氷みたいに冷たい……」


「なっ!? まさか……!!」


 勇者は慌てて動こうとする。しかし、彼が何かをする前に、エリノーラによって止められてしまった。


「いつの間に!?」


 エリノーラは彼に気付かれることなく背後を取っていた。まるで瞬間移動したかのように――。


「この娘はミアという名前なのですね? ……彼女は、私の愚息がここに連れてきた時からこうでした」


「あなたの息子が……?」


 勇者は怪しげな目つきでエリノーラを見た。すると、彼女はゆっくりと口を開く。


「私はケインの母親です。愚息のケインは、何も言わずに突然ここへ彼女を連れてきました」


「あなたがケインの母親だったとは……。彼はミアとの結婚を発表した。いったい何を企んでいるのか……」


「結婚……?」


 エリノーラは眉根を寄せた。彼女は少しの間だけ沈黙する。そして、何かに気付いたような顔をして、ベッドサイドに歩み寄った。


「この少女は……魂を奪われているようです。今の彼女は、空っぽの状態……」


「「…………」」


 勇者とマオは唖然として言葉を失う。すると、エリノーラは小さなため息を漏らした。


「私の愚息が妙なことを企み、あなた達を悲しませたようですね。彼の愚行を謝罪します」


 彼女は深々と頭を下げる。そんな彼女を前にして、勇者は首を振った。


「いや、あなた自身は何も悪くない」


「ありがとうございます。……ところで、私はあなたから信じられない程の力を感知しました。あなたは何者なのです?」


「……」


 エリノーラからの問いかけに、勇者は迷う。本当のことを話すべきか、誤魔化すべきか――。


(彼女はケインの母親……しかし、それだけではない気もする。只者ではない。いつも一歩先を見ているような……)


 勇者は彼女の瞳をジッと見つめた。彼の警戒を察したのか、エリノーラは話題を変える。


「お嬢さん、その箱は何かしら?」


「にゃ? ああ、これのことか? あたいが監禁されていた部屋にあったものさ。妙に気になって持ってきちまったけど、結局何なんだろうな。どこか懐かしいような気配を感じるんだけどよ……」


 マオは小さな箱を持ってきていた。彼女はそれをエリノーラに差し出す。


「これは……!」


 エリノーラの目が大きく開かれた。箱を手のひらに乗せた瞬間、ズシリと重いオーラを感じた。彼女はそれだけで、少しばかりの汗をかいてしまう。


「こ、こんなものが……。なるほど……そういうことでしたか」


「どうしたんだ?」


 勇者は心配そうな表情で尋ねた。すると、エリノーラはニッコリと笑って答える。


「これは呪われたアイテムです」


「なっ!? 呪いだって?」


 マオは驚きの声を上げる。一方、勇者は冷静に質問した。


「その中身は、いったい何なんだ?」


「――あなたが探しているものですよ、若人よ」


「探しているもの……だって?」


 勇者は戸惑った。しかし、本能が彼女の言葉を肯定している。


「……」


 勇者はエリノーラから箱を受け取ると、両手でしっかりと掴んだ。ズシリと重いオーラを感じる。だが、それぐらいで勇者の心が揺らぐことはない。彼は覚悟を決めると、祈るように目を閉じる。


「……くっ!!」


 ぶわっ!! 勇者の祈りに反応したのか、周囲に強い突風が巻き起こる。幾層もの邪悪な魔法陣が浮かび上がった。それらは激しく明滅を繰り返す。ピシッ!! いくつかの魔法陣には亀裂が入り始めた。しかし、完全に砕け散りはしない。


「決意を揺るがさないで! 若人よ、あなたの気持ちを全て注ぎ込みなさい!!」


「勇者様、頑張ってくれ!! 頼む!!!」


 エリノーラとマオが叫ぶ。勇者はそれに呼応するように魔力を高めると同時に、封印の魔法陣の解除を試みていく。それは、まるで電卓を使わずに高度な計算問題を解くかのような難解な試みだった。彼は半ば本能のままに点と点を結んでいく。そしてようやく、第一の封印が解けた。


「ミア……!」


 彼は大切な人の名を呼ぶ。すると、魔法陣は更に輝きを増した。第二の封印、第三の封印が次々と破壊されていく。そして――ピシピシピシッ……バリンッ!!! 遂に全ての魔法陣が弾ける時が来た。


「ミア!!!」


 勇者が再び叫ぶ。直後、周囲を眩い光が支配したのだった。

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